トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

仕事始めはロープ張り

2021-01-06 | 小人閑居して憮然
 寒いからと炬燵で「ひねもすのたりのたりかな」も出来んし、受傷直後だけに本格的作業はお預けとして、水辺への侵入を防ぐロープを張りに出かけた。ロープを張れば侵入されない訳でもなく、ロープを張ってある泥水池3には棒きれから渡り板まで投げ込まれたし、泥水池4のオーバーフロー部には竹筒を土で固めて遊ばれていた。恐らく放課後保育の小学生だと思うけれど活動時間が異なるから指摘のしようもない。引率者がいるはずなのだが経験則から、こういう事は「当たり前」と認識しているであろう。

 フイールドの駐車場で真竹の杭を切りそろえているところに自動車が入ってきて、降りた人物は環境破壊教育NPOのスタッフだった。1月の活動再開に向け下見に来たとの事だったが末っ子を連れていたところを見ると「氷遊び」も念頭にあったに違いない。それには気が付かない振りをして「今後、活動で水域には立ち入らないように。ゴミ箱扱いされては非常に迷惑」等々、結果ロープを張ることを伝えた。
 彼女、氷盤の上を眺めつつ「酷いなあ…」と言いつつ涙ぐんでしまった。何人かのスタッフの中で小生が唯一、会話をする相手なのだが今回は「正月早々から悪いけれど」と断りを言いつつパワハラをして泣かせてしまったのである。不本意ではあるが致し方が無い。「お宅らが活動フイールドにしてから環境破壊行動は止むことが無い環境教育とは何?」なんて、言わなくても良い事まで行って更に泣かしてしまったのであった。まあ、こっちが泣きたい。

 会友は「看板を立てなければ駄目だよ!」とも言うけれど、小生の美的感覚、審美眼に相反するのだ。ロープさえ張りたくないけれどやむを得ない。下々の活動の結果、不都合があれば道義的にも法的にも制約は必至、上々の活動の結果、不正や不始末があっても「遺憾」は常套句でそれで終わり実態は伴わない・・・。浮世は差別と区別に満ちている。

         泥水池入口              棚田部入口

 

改良給餌器、スプリングフィーダーは負け戦

2021-01-05 | 小父のお隣さん
 拠点の2種の給餌器、自宅の2種の給餌器、それぞれ謹製のファットボールと種子類を用意したのだが年が明けても全く寄り付く気配もない。自宅の給餌器にミカンを入れたらほどなくメジロとヒヨドリが飛来した。旧型の籠型では玄米にスズメは寄ったけれど新型中央のボトルタンクには寄らず、昨季は籠の中まで入って食べたのに警戒しているのは明白だ。

 フイールドのお茶濾し容器の物は撒き餌は露出しているけれどまったく寄り付きもしていない。これでは12月8日に開戦したけれど完膚無きまでの負け戦だ。この分だとペットボトルに保存してある撒き餌さと冷蔵庫のファットボールは無駄になりそうな気配がする。もう難多ルチア、傪多ルチアだぁ~。

  

環境破壊教育事始め⁈

2021-01-05 | 小人閑居して憮然
 年末年始、家でグダグダしていたら水域がとんでもない事態になっていた。まあ意図しているか否かは別として環境破壊教育活動NPOと認定せざるを得ないのだが、周年通して水辺で物を放り込むのが絶えない。水のある頃は小枝で「魚釣り」と称しひとしきり遊んで通過するのが常で、少なからずその小枝を投げ込んで去る。
 結氷していれば氷盤を割り投げ込むのは許容範囲としても石や木っ端、はてまた枝などを所かまわず投げ込んでくる。引率者がいても教育指導する脳味噌がない。これは近所に事務所を開いた時から言い続けてきた悪癖なのだが未だに改善はしないのだ。

 やってきた初期の十数年前、まだ幼樹が多かった頃は支柱さえ抜かれて流路に投げ込まれることが多発した。若木に育てば「木登りし易い」と言う理由で林床をツルッ禿げにしてもお構いなし。そもそも「若木に木登り」なんて行為はマナー違反だという事さえ認識していなかった。問答の中で「場所が近くて安全だし・・・」なんて台詞が出ると小生はヒートアップせざるを得ない。自分たちの活動だけを優先し「後は野となれ山となれ」と言う感覚なのだった。こういう活動を「環境教育」と称し手ほどきを有料にて破壊活動し去っていくのだから腹に据えかねる。

 いくら口先で「良い場所ですね!」なんて言われてもこういう行為が常習では開いた口がふさがらないし、頭頂部の脱毛は湯気とともに促進されるだけなのだ。まあ「被害甚大」で、初夢は「一富士二鷹三茄子」でなく悪夢の「一猪二漏水孔三NPO」なのだった。
 ともかく水中に没した異物は泥浚いや立ち込んでの作業の時の障害になる。ましてや野茨の枝などを投げ込まれるとゴム引き手袋していても草取り作業などで泥中で受傷し易く、刺し傷1カ所でも破傷風の恐れがあるから作業は二日ほど中止せざるを得ないのだ。

 折々の事務局長や担当者に伝えても「幼児教育から入ったスタッフが担当するので環境保全何てことには疎くて云々・・・」と、水戸黄門のドラマではないけれど「この公共の地を何と心得る!」と言っても他人事で何も変わらないのであった。だからこそ止まず続いているのだろうし、三つ葉葵の印籠も出せない小生では傷心に吊り眉だ。
 ましてや、ある会合で「あのグループは煩い事ばかり言ってくる」と言う発言を聞いてからは、小生プッツンしたままで、今回の水見回りでまたまた斯様な現場を見てしまった以上、ロープ規制をすると決めた。

 このような連中も公園や劇場、遊園地などで斯様な行為や行動をしていないとみているが、根底には「水も空気もタダだ」と言うような自然環境に対し「傷めないように利用する」と言う認識を全く持っていないと観るしかない。いくら大言壮語をぶち上げようとも綺麗ごとを並べたビラやホームページを作ろうともまあ、浮世でもあるから「エゴ」や「えせ」は永田町から下々まで溢れていると観るしかないのだろう。
 右を向いても左を見てもどこも大人の恥ばかり・・・。「信義と誠実の原則」すらない偽員様の弁明を耳にすれば良ーく判る。まっ、偽員様だから「審戯と政実の原則」で入るのがあれば、それで完結なのである。「曲がれるを直に置けば倣う」「恥に交わりて恥知らず」てなもんや三度笠。こんなことでは幼児・青少年少女の未来が明るいはずが無い。

               棚田部の氷盤      泥水池3の氷盤、渡し板まで放り込んである


越冬・生存は困難の極み

2021-01-04 | 小父のお隣さん
 3日、暮れの25日以来の運転。側頭部強打CT診断までしたご老体ゆえにひたすら炬燵に潜って映画を観ていた毎日だった。9日間も静養すればとりあえずは暖機運転可能かと、頭痛も軽減したから水見回りを兼ねフイールドへ出かけた。水利には異常なしで1カ月以上もまともな降雨も無いけれど送水量は低下しておらず一安心と言うところである。

 ついでに食草園のアサギマダラの幼虫を確認してきた。今期の産卵は多かったから食痕は多数残ってはいるものの、大半の葉裏には幼虫の亡骸さえ無かった。捕食されたか寒さで衰弱凍死したかは判断できかねるけれど、越冬する事の困難な事は経験値を加えて見ずとも明白なのだった。
 たかだか、まだ10mm程度の幼虫では今期のように大寒波が突然2回も降りかかっては「晴天の氷点下」であって、さぞかし厳しい冬の始まりであったことだろう。キジョランの葉も乾燥もあるのだろうか皺めいて丸まったような状態になっている。皺めいている葉では傷を付けても樹液の出方も悪いだろうし、ひいては食べるのも美味しくはないはずだ。写真右上の噛み跡には汁が滲んだ痕跡すら無いのだった。
 年も明け日差しも伸びてきているものの幼虫にとっては「一陽来復」と言えるほど環境は優しくないはずなのであろう。

                     


果樹園跡の地拵え 1

2021-01-03 | 今日は真面目に
 侵入竹除伐作業は通年可能なのだが作業としては面白味も無くなって、年末に採果を楽しみにしていた果樹園跡の柑橘類が今期の成りが非常に悪かった。周囲の樹木の生長で年々日陰になってしまうから実付きも衰退の一途だったのだ。今回、ユズの収穫は皆無だったから一念発起して日照を妨げている樹木の間伐と除伐を行う事にした。フイールドに入った当初には刈り払いを行ってミカンなどは刈り出したのだけれど、それから10数年も放置状態では無理もないのだった。

 とりあえず初日のこの日、チェーンソーだけを携行しアオキ、ヒサカキ、マキなどの常緑樹の除伐と倒木の寸断集積を行った。エリア内に軽自動車が収まるような浸食溝があり危険なので裁断した樹木を投棄してとりあえず落下事故は防ぎたい。ところがミカンの樹の根元にバケツが入るほどの穴があって、覗いてみたら内部は大きな空洞になっている。ここも何とかしなければならないものの、とりあえずは数日掛けて日照を阻害するマキなどの大木を除きたい。列植されているマキは耕作地だったころの名残りで恐らく境界線に植えてあったのだろう。枝が暴れて広がっているから倒すのも難儀な様子だが、まあ、ボチボチ安全作業での冬仕事だ。

 とりあえずは日陰になって実付きの悪くなっているユズ、温州ミカン、夏みかんの樹に日照を回復させ、常緑樹を伐採した後には有用広葉樹を植栽したい、というのが今のところの目論見。倒木となっていたのは大きな実を付けていた栗の樹3本だ。南側のスギやマキの日陰で当時から息絶え絶えだったけれど日照が無ければ生きようも無いのだった。

                 ➡  

昆虫食とはなりえない

2021-01-02 | 感じるままの回り道
 謹製と言うべきか特製とでも言うべきか、ファットボールという物を初めて作り2カ所に設置した。啄みに来てくれるかどうかは心もとない限りだったが年が明けても近寄りさえしない。鳥籠型やお茶漉し容器のエサ入れにもアクセスは全く無しなのだった。空腹より警戒感が勝っている事の証だろうが、これでは4ℓボトルに用意したフイーダー用の撒き餌が無駄になってしまいかねない。

 そんなことから幾つかの改善点をまずファットボールがに求めることにして、その改良型ファットボールの材料は「小麦粉の代わりにきな粉」、「蛹粉の代わりにコオロギ粉」とする処方で、これで更なる栄養価の向上が期待できると爺我自賛なのである。まあ「自慰我自散」に近いか・・・。それはともかく「まずは実物を五郎次郎」いいえ「御覧じろ」で、とりあえず「食用コオロギ」を自販機で購入してきた。自販機の前に立っても内容量が判らず「こりゃたまらん高いなあ、昼食夕食はコーリャン粥にするか…」と思いつつ大枚を投入した。

 手に取って初めて国産800円の内容量4g、輸入品1100円の内容量15gと判明したのだが、これではミドリムシ粉末1g当たり100円程度より大幅に高額だ。これでは食料というより添加物の類で値段である。イナゴやお蚕様の蛹のように小鉢に一品なんて扱いは無理であった。
 蛹は「冷凍生蛹」が釣り餌として入手できるが転用調理には度胸が無い。イナゴの佃煮もネット購入可能だけれど製造地は国内でもイナゴ自体が国産とは思えず、節操がなく毒物・まがい物、何でもありの生産地からでは食べる気も失せる。イナゴも蛹も祖母が達者で真綿を自宅で作っていた当時は普通におかずとして食べていたし、パラチオンなどの高毒性農薬が使われる前はイナゴなど自前で調達し甘辛く絡めて食べていたのだ。

 ファットボールに加える蛹粉を作るために冷凍生蛹から準備したのだが臭いがきつい。野鳥が喜ぶ臭いでもなさそうなので深夜丑三つ時入眠する前のビビビッで「食用コオロギ」が最適とばかり浮かんだのだったが、自分の食費を無しにしてまで食用コオロギを材料にするのは出来かねる。かくして「食用コオロギレシピプロジャクト」は頓挫した。購入した食用コオロギは試食し残りを粉末で添加する顛末と相成るだろう。スチャラカチャンチャン。
 まあ、食用コオロギの代わりに来季はバッタ類を集めておいて使う手もある。鈴虫飼育で均一大量に確保できる可能性もあるものの既に時期遅しであった。

 高い国産の食用コオロギを見て思いついたのは「食用ゴキブリ」も「あり」ではないかいう事で、飼育下で育てれば年中無休、不潔でも有毒でも無い昆虫に思えるし、何より繁殖力が高く餌を選ばなくて良いのも重宝するではないか。食感を悪くするのは翅だけに思えるもののローストすれば粉々になり易いだろうし、誰か試してくれる御仁はおらんだろうかね。

                  


謹賀新年

2021-01-01 | 感じるままの回り道
                  断密は好きよマスクも袋とじ

                  断密や姥捨て山の去年今年

                  暖密は山の作法で禁忌なり

                  暖密は御免堪忍換気扇

                  断密は無用谷戸には孤影のみ


 ご訪問者の皆様、明けましておめでとうございます。コロナにも負けず、本年もご健勝であられますように。      トロル爺