トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

ユズの樹を助ける

2021-01-20 | 今日は真面目に
 最奥部で地拵え中だが、何本かの柑橘樹を助ける事にした。既に徒長し樹形は乱れに乱れて、整枝選定すれば数年先まで結実の見込みが無くなる樹形ばかりなのだが、商品にするわけもなく良果を得られれば「棚ぼた」である。日照傷害の元凶のマキを伐採しつつ、至近のマキ伐採は楔だけで方向制御はリスクが高い。そこでチルホールを用いて牽引伐倒する事にした。引きたい方向に支点となるべき立ち木が無いから近くの幹にロープを掛け、くの字で引くことで伐倒を図った。

 目論見はうまくいき、倒れ込んでいたユズに牽引器を掛け引き起こす。ここにロープをあてがい支えの竹を添えて一見落着。支えの竹とマキ、竹の地表面には杭を打ち縄で固定するはずだったが用意が無く先送りになった。この後、伐倒樹の切り刻み中に平衡感覚を消失する事態に遭遇し中断、幸いな事は梯子での高所作業中で無かった事で、そうだったら重大事故になっている。
 そのまま年末年始休み、いいえ「休養期間」に入ったため現場は足の踏み場もなくなったまま年越しをした。1月の定例会で動員させてもらったものの1日や2日で片付くはずもなし、まだまだ先は長い。

       ➡    ➡    ➡  

三州生姜でシロップ作り

2021-01-20 | 何よりの楽しみ
 12月初めの試し掘りでシロップを作っておいたのだが、その後に掘り上げた生姜はそのままだった。中生姜と言われている三州生姜だけれど「生姜糖」に調理するには小さいし料理用でもそんなには不要だ。思い余って保存性のあるシロップを作る事にしたのだ。生姜1.5kg、砂糖は三盆糖とファットボールに使った残りの黒砂糖で等量をスライスした生姜にまぶし小一時間放置。液が出た頃から加熱してシロップとした。思いのほか黒色になってしまったものの自己消費なので全く構わない。

 シロップを採った残りの生姜は昆布と削り節を加え圧力鍋で再び加熱。これで生姜が少しは軟化するかと思ったものの期待する程ではなかった。出来上がり量は、元の生姜重量が1.5kgあったし、佃煮風にしてもそれほどアフアフと喰える物ではないので、大半は冷凍しておく。冷蔵庫内の物はおかずと調味料として使うしかないか…。

  スライス  ➡   砂糖をまぶし液を出す  ➡   シロップ1.7ℓ、生姜は佃煮に転用

山の穴多で水浅し…

2021-01-19 | 小人閑居して憮然
 「山のアナアナアナ・・・」と夢に見るほど年中追いまくられている小生なのだが正月明け、二つ池の水位が下がっていた。流入水はあるから紛れもない漏水に違いないのだが、大寒波の影響下での水辺作業は行いたくない。それで放置していたのだけれど、やはり思い直して漏水孔潰しを行った。
 漏水部は池の底では無くて初冬に護岸木を据え補修したところだった。丁度、以前のオーバーフロー部の部分で漏水が多発していたから移動させ埋め戻したのだった。

 護岸木の下側から漏水し地下の土嚢の側面を伝って穴がある。大きな漏水部には土嚢で処理する事は普通なのだけれど、どうしても周囲の基盤層との密着度が不足するし、この界面から水道や生物孔が成立しやすいのだ。今回も地中の土嚢の下側に孔が続いていた。土嚢を掘り出すのは大仕事になるから、今回は護岸木の堤側を掘り下げ、再び土を入れ胴突きして固めた。これで多少は時間稼ぎが出来るだろう。後、1カ月もすればニホンアカガエルの産卵が始まるだろうから水位を15cmも低いままにはしておけない。

      漏水部   ➡    露出させた   ➡    埋土し鎮圧

寒さの一日、炬燵でミシン

2021-01-18 | 感じるままの回り道
 「炬燵でミカン」は普通の光景でも「炬燵でミシン」は少々危ない雰囲気もする。七草前後の大寒波で最低気温は氷点下、最高気温も一桁台では遅発性の発症も可能性として考慮しておかなければならない期間だからフイールド作業は自主停止で思わぬステイホーム中となった。最初の1日2日は録画してあった映画で時間つぶしが出来たけれど3日目頃には飽きてしまい読書だって、そう日長一日続く訳もなしで、年末に裏地を当て補強したオーバーオールの膝の部分にさらにジグザク縫いを施し補強する事にしたのだ。

 縫い難いのは甚だでもすでに縫い付けてある部分だし、でもストレートにミシン目を入れてしまうと表地と裏地で皺が出来る可能性がある。そこでスレが酷くおっつけ破れかねない部分を主に大雑把にしつけを施した。縦に4筋の縫い目を通して、この縫い目に沿ってジグザク縫いをしたのだ。これで安心して縫い取れる。
 やってみれば多少の手間をかけても施した結果は出て、布地のずれは気にしなくて済んだからやり難いミシン掛けもストレスなく出来たのだった。所要時間はもう少しかかるかと思ったもののテレサテンのCD2回目の途中で作業終了となって、まあ時間つぶしも楽ではないと言うのが感想だ。どっちにしろお爺でなくても繕い物をするなどは今風でないのは認識している小生だが、雅な生まれで育ちだから争えないのであった。

 音楽に話を戻せば老化現象なのか時流に乗れないのか恐らく両方の要因があるのだろうけれど、最近の流行りは聴く気にもならない。聞いても分からないだけでなく同じ歌にしか響かず耳に心地よさなど全く感じないのである。この感覚はセミやカエルの合唱、道路の落ち葉などを不快に思う感覚と同一なのかもしれない。
 流行りの歌や音楽より三橋美智也や美空ひばりなどを聴きたくなるのは高齢者の単なる郷愁や懐古趣味と判断は出来るだろうが、今時の歌や音楽の熱心な若い層の老後には同じように思えるのだろうか、音楽性よりそっちを知りたい。
 昔読んだ小説の中に弟子を育てるのに本物を観させ続けさせた骨董屋の話があった。それで真贋・目利きが育つような意味だったと思うが、人気や流行りものオンリーに囲まれた中で普遍性のある真贋が養えるのかどうか小生は否定的である。こういう見解が「今時の若い者は・・・」に通じるんだろうか…。
 まあ、幾多の国では若いもんに限らず「何で・・・」と思う行動や選択で暴走中も多いのは、それの下地が同じなのだろう。いわゆる「愚弄張る」という風潮。

クロスジギンヤンマは全滅かも・・・

2021-01-17 | 小人閑居して憮然
 昨秋からまともな降雨量が無かった結果、表流水に頼っていた三日月池が干上がってきた。最深部だけは畳1枚分程度の水溜りが残っているが、恐らく1月中の十分な雨量は期待できないので干上がりは確実だろう。そうなるとクロスジギンヤンマの羽化初見の場所としては絶望が確定してしまう。いくら越冬中と言っても泥土が乾燥してしまえば命を絶たれるのは必定なのだ。

 なんとも情けなく悔しい事態だけれど給水できる環境ではなく雨水頼みの池なので小生でなくともどうにもできないのだ。クロスジギンヤンマだけでなくここ数年はシオカラトンボやヤブヤンマ、マユタテアカネの羽化も確認できた池だっただけに忸怩だる思いがある。
 池にしたのは15年も前の作業だったが、当時は単なる窪みで落ち葉が溜まっている泥地でしかなかった。そこを堤を設え湛水できるようにし、水が溜まるのを確認して2度にわたって拡幅したのが今の姿なのだ。水辺の重要性を考え、今は廃棄した瓢箪池とともに造成した、いわば一期生、いいえ一期池なのである。

 構造上、水見回りしても意味がないので普段は回らない場所なのだが、時には表情を観たくなる。その結果がこれでは小生の表情も曇るというものだ。まあ、曇ったところで雨雲ではないし、一粒二粒の悔し涙を出したところでどうにもならない。人知れず雨乞いしてみようかと言う気にもなるのだが、ミミズに小便を掛けれは良かったのかどうか、これだと腫れあがってしまうのだったかどうか、記憶は朧で使えない。

 完全に干上がってしまえばヤゴの生息はありえないから、それはそれで溜まった腐食層を掘り出す良い機会だと思うしかないか…。まあ、旅路の果ては尾羽打ち枯しになりそう。弱り目に祟り目ぐるっと回して蛇の目じゃあ。

                 雨々降れ降れ 爺さんが
                 蛇の目で睨んで恐ろしい
                 苛々じりじり乱々覧


マキの大樹を除伐

2021-01-16 | 今日は真面目に
 フイールド最奥部の果樹園跡にはマキの列植があって、他にも単独でそびえたっているマキがあり、合わせると10本以上の数になる。クヌギとエノキ、クロモジを混植し小さい林を造成するためには全て除伐する必要がある。ところがマキは枝が暴れてお重心の見当が付き難く絡み合うと「掛かり木」となるし、また陥没穴の縁に生えていたりして作業はし難しいのだった。

 列植樹は両端から伐採して行ったが、伐倒範囲に残したいユズとミカンの樹があり、これも伐倒方向を狭める要因になっている。そんなことで目見当だけで重心方向を判断し伐倒する訳にもいかず、牽引器と楔を用意しての本格的作業にならざるを得なかった。単独樹は伐倒方向の自由度が上がるが、それでも陥没穴の縁に生えた1本には泣かされた。この樹の伐倒範囲にもユズの樹あり、そこには倒したくないから反対方向へ倒れるように作業を進めたのだが、この時は牽引器も楔も用意しない作業だったため、倒したくない方向に重心があって、けっかはミカンの樹に直撃され樹の半分を失うという大損傷してしまった。
 まあ、これに懲りて翌日からの作業に道具を増やしたのだった。そのため一輪車を使わねばならず登坂をエンヤコラする羽目になったのだ。

 一番太いマキの年輪は50~60の間で50年生とみて間違いないだろう。樹高は10mを越えるがユズも菜箸みたいにひょろ長く伸びて上端に葉を茂らせ実を付けている。長らく日照不足だったのが一目瞭然の立ち姿だ。それでも刈り出しをした事で日照は回復した。樹形を整えたくても整枝選定では済まなく幹の途中で切断し再萌芽させないと樹形を整える事が出来ない。それでは結実するには5年以上を要するだろう。会の平均年齢を考慮すると、この案は不適当で、日照を回復させただけで「良し」とする事にした。
 振り返ってみれば「好事魔が多し」と諺通りの展開になったのだった・・・。あれから三週間、打撃の影響は存在感としか言いようのない感覚として残っている。

             

日陰の林床は砂利層むき出し

2021-01-15 | 今日は真面目に
 フイールド東端斜面は果樹園跡なのだがユズや夏蜜柑が常緑樹に囲まれ肩身を狭くして生き残っているだけになっている。便宜供与の類に近いが持ちつ持たれつ、刈り出しをして収穫を期待する事にした。どちらにしても広葉樹を植えるための地拵えなのでアオキや列植されたマキなどは一利も無い。
 林床を見分すれば、ほぼ砂利層で成り立ってまともな下草は無い裸地状態だ。少なくとも周年日陰を形成するマキの列植大樹は全抜しなければならない。まずは林床に「もっと光を!」なのであった。
                      

 斜面果樹園の名残りで段々状に山腹が形成されて上り下りが歩き難い。砂利層なので足掛かりになり難いのだ。それでもまずは柑橘類へクリスマスプレゼントとして日照を届けたいとYさんと作業を開始したのだが、結果的には小生がクルシミマスプレゼントを受ける羽目になったのだった。
 それでも異変が出た暮れの26日までは伐採作業の半分ほど進んだが、それでも後始末の切り刻みや運搬集積を考えると眩暈がしそうなものの、冬の間ボチボチとYさんと二人、あっちとこっちで作業を進めることになった。年明けてから見回りには出かけたが現地の作業は大寒波が来ていた事もあり遠慮し玩具作りで暇つぶしだった。

               

味噌酒粕漬けを試作した

2021-01-14 | 何よりの楽しみ
 11月だったか粕漬けを自分なりにたらふく食べたくて酒粕床を用意した。最初、生のキュウリやナスを漬けてみたが美味しくは出来なかった。そこで加工品を漬ける事に方針転向して安い「沢庵」を漬けたのだ。半月ほど漬けこみ食べてみたら、思った以上に美味しくなっている。市販の老舗の商品と遜色がない美味しさだ。
 そこで図に乗って「切干芋、バナナ、チーズ」を入れ込んで一週間目、そろそろ食べ頃かと取り出して試食した結果が以下の内容だ。

 全体に言える事は「酵素の影響だろう、軟らかくなった」のだった。カリカリポリポリと齧った沢庵は奥歯の抵抗もなく崩れるし、切干芋も羊羹状である。チーズを一口齧って思い当たる味があった。それは一頃、作りに作った蘇の風味に近くなったのだ。チーズそのものの原料が牛乳だから別物になる気遣いは無いとしても「フーン」と言う感覚になる。
 バナナは固いものを選んで漬けたのだが軟らかくなり切干芋と同様に取り出すのに型崩れしないよう慎重にしなければならなかったのであった。

 糠漬けとは異なり塩分が少ないし軟化する事もあって「高齢者の食べ物」感がないでもないけれど、塩分が無いし普段の食材とはまた異なった味わいで感触でもあるから箸休めやお茶うけにも使えそうだ。今回の分を取り出した後はアーモンドやクルミ、ピーナッツなどのナッツ類とリンゴなどのドライフルーツで試してみたいのだがコロナ蔓延の今日この頃、そうそう気楽にスーパーにも寄れず、ましてや土日休日は御免こうむりたいから試作は先送り・・・。
 おこうこうとチーズだけはあるから、しばらくは3時のお茶うけにすべぇ。

           

悪しきは新しき氷盤の下に

2021-01-13 | 小人閑居して憮然
 年末の第二波大寒波の後、少しだけ寒気が緩み氷盤が解けてしまった。そこに七草の大寒波三陣目が到来、9日の最低気温は気象値で-2℃だったからフイールドでは-5℃相当まで下がったと思われる。故に水域は再び結氷して綺麗な氷盤になった。
 そのために前回の氷盤上に投棄された異物はすっかり氷盤の下に隠され見えなくなっている。せっかく「ベスト3」の立札を立てたのに無駄になってしまった。

 とは言え環境を傷つけぬよう活動しようとする姿勢や配慮もなさず、注意される事を他所での誹謗中傷で返す様な姿勢では小生のプッツンは収まるはずもない。まあ、その間に落下枝の横殴りの強打で我が人生プッツンの瀬戸際だったのだが、これとそれとはまったくジャンルが異なるのだ。落下枝の件は自業自得で、ロープを張られ立札を立てられた相手も自業自得である事は共通項であるものの、個人の損傷と公共物を損傷すると言う大違いが存在している。

 今回の再結氷で証拠は隠滅されてしまったものの、記憶に澱のごとく蓄積された狼藉の数々はそのまま存在し続ける。水面を泳ぐ水鳥は静かに見えても水面下の脚は忙しく動いているのだし、水面下の異物は取り出すまで活動の邪魔をし続けるのである。かくして異物は動かずして迷惑活動を継続させていくのである。まあ、表面上は綺麗に繕ってはいても見えないところで悪さをしている事例は棚田に限らず永田でも普遍的事項なのだ。それに腹立ち、血圧を上げるなんて事は因果と言えば因果で、はい、私の不徳で狭量の致すところであります!。

                        

**どぶ板長屋井戸端お年始口上覚書

2021-01-12 | 温故痴新
    Heavy New Year !              赤ひげ

    渡る世間はコロナだけ             丁稚

    三密の徳 終息まで              産婆
  
    待ってコロナの急転帰             薬箱持ち

    会食馬鹿にマスクせぬ阿保           ご隠居
 
    外に出たいが流行りは止めたし        塩売り

    コロナで喰えねど高楊枝            ご浪人

    トランプのトレンドによるトランスの政治  美国漂流者

    遅かりし由良助                 長屋軟禁虫

    華中の狗理は半兵衛、民の財は捨てベーっ  大家

    今でしょ、暇でしょ、ヘマでしょ!      火消衆

シロマダラ越冬体の捕獲はならず…

2021-01-11 | 小人閑居して憮然
 活動期のシロマダラ捕獲は失敗だった。盛夏にはトカゲを容易に捕獲できても筒罠の中では衰弱が激しく、しかし秋口になるととんと姿を見せなくなって捕獲すらできなくなった。仕方が無いから越冬場所を罠として用意する方法に転じてはみたものの、コンテナの住居には入らなかった。
 食草園に設置したエンセントホテルの床下に設置した日本ミツバチ用の丸胴巣箱転用越冬罠はまだ開封してはないから不明ではあるが期待はしない事にした。

 意図していない時の事だが細かい端材を入れたコンテナに入っていたり拠点道具小屋の箱の下に居て遭遇していたから期待して用意したけれど「そうは問屋が卸さない」てなもんや三度笠・・・。と言うより「マーフイの法則」通りの結末。努力はまーフイになった。

             底板を外した   ➡    内部は二段式

**時不今也頭領宣言

2021-01-10 | 性向有毒の翁なれば
               美国の醜聞 頭の狂向
                       鉄板猫たち踊る春 ハアコリャコリャ

               宣言発出 乞食のお粥
                       喰らう実も無き 素まし汁 ハアコリャコリャ

               メッセンジャーで 使えたたって
                       指令頭には 器量無し ハアコリャコリャ

               拡大防止 仮定の希望
                       信頼無いから 危機去らぬ ハアコリャコリャ

               グラフを観れば 要因判る
                       未だ出せない エビデンス ハアコリャコリャ

               一年経っても 策なし愚老
                       会食策で また愚弄 ハアコリャコリャ

               傀儡操る 黒子の匠 
                       ウイルス以上に 潜める身 ハアコリャコリャ

               思慮分別も 知性も持たぬ
                       砂像の頭領 入れ子式 ハアコリャコリャ

               何でも有りの コロナの疾患  
                       振る袖も無し策無策 ハアコリャコリャ

               大雪降る降る 寒波のお国
                       コロナ振る降る 策ばかり ハアコリャコリャ

               イート続けば 会食容易
                       俺の俺のの あぶらむし ハアコリャコリャ

               人と道行き コロナの信条
                       持ちつ持たれつ 深情け ハアコリャコリ

               偽員様ゆえ 自助する事が
                       何より大事 捲り事 ハアコリャコリャ

ユズと夏柑の芳香蒸留水

2021-01-09 | 何よりの楽しみ
 三密ならぬ三寒目では楽しみは入浴しかない。入浴剤としてのスギやヒノキ、はてまたレモングラスなどはこの小寒以降の寒さには合わない感じがして、やはり厳冬期には柑橘類の入浴剤が良い様に思える。
 そこで地拵え中のフイールドに放棄されたユズと夏みかんの果皮から芳香蒸留水を作り入浴剤とする事にしたのだ。ユズは暮れにどこの誰だかが収穫してしまって高所の幾つかを収穫できただけだったから数が無い。その穴埋めに夏みかんを採ってきた。

 昨春、橙を頂いて皮を剥く時に指で剥いて爪を剥す事に繋がったから、今回は十字に切れ目を入れてスプーンで皮を剥ぎ取った。それでこたつに入ったまま可能な作業となったのだ。皮を短冊に切り刻むのも炬燵に入って行ったから台所に立って行うより快適。寒さの冬にオロオロするよりヌクヌクが心地よい。豪雪地帯の生まれも育ちも、の小生でもこの歳になると身体から当時の鍛錬は消え果て、すっかり無雪地帯の仕様に成り下がってしまった。耳たぶに霜焼け、なんざその証左であろう。

 刻んだ皮は二鍋に分け1ℓの芳香蒸留水を得た。蒸留水を取った後の皮にはまだ香りが残っているからシンクの水きりネットに入れバスタブ何回分になるか楽しむ事にした。加熱してあり軟らかいから傷む恐れがあるゆえに竹の笊に広げ寒風に晒しておいた。ここから一掴み程度使えば一週間は楽しめるはずだ。蒸留水の方は冷蔵庫で保管し1回分100㏄程度にすれば10回は楽しめよう。そうこうしているうちに節分も来ようと言うものである。

 蒸留水を加えた浴槽では顔に湯を掛けても香りは少ないが、残渣の皮でも香り高いから鼻に押し当て呼吸をすれば鼻腔に香気が満ちてくる。具体的な効用はともかく、香り成分が血中に巡る雰囲気があって寝床に入っても朝方まで柑橘の香りが仄かだ。

          収穫したユズと夏柑       刻んでから蒸留鍋へ

不逞愁素「異痕十年、一件を磨く」

2021-01-08 | 性向有毒の翁なれば
 水見回りの度に「ふんとにもう!」となってしまう氷盤の上の投棄物。先日には正月明け活動コースの下見に来たスタッフに苦情を言って泣かしてしまった小生なのだが、これは小生の圧力と言うよりも彼女自身の荒らされ様に対しての「酷いなあ…」のつぶやきのごとく悲しみもあったのだから、あながち小生のパワハラだけとは断定できない。そんなことから直接的表現より間接的表現の方がよろしいかと眠れぬ夜を過ごした成果が立札だった。会友の押す立札とは異なるが、ここは小生の感性なのだ。
 度々記載したが、ある会合で反省も修正もないままに「煩い事ばかり言うグループ」と大っぴらに誹謗中傷されて以来、何処かで正す手立てはないものかと頭の片隅にあって、この立札で少しは挽回できるだろうか…。客観的に見れば何という底意地の悪さ、意固地過ぎるとも言われかねない手法だけれど、あっちは看板背負っているNPO、こっちは孤立無援のジャンバルジャンもどき、遺恨爺なのだから少しは頑張るじゃん、と思いたい。

 初夢の縁起は「一富士二鷹三茄子」がよろしいとされるが、小生の悪夢は「一猪二漏孔三NPO」なのだった。ベスト3には間違いないが「環境破壊のベスト3」である。これだけ掲げても一読しても「なんだやら?」と思うしかない、ストレートに伝わらないのがミソと言えばミソなのである。まあ、理解できる人は理解できるだろう。これも氷が緩む時期までのstay it なのだ。文法的に合っているかどうかは分からん。
 ここでNPOは3番目だが、これを水域の「ヒヤリハットベスト3」に並べ替えればNPOがダントツ、ぶっちぎりの1番に来る。立ち込んでの作業中、足元泥中の投棄物で「オットット!」は結構多いのである。実家が稲作農家だから判るのだが水田に素足で作業に入っても何の心配が無いほど泥以外の物はない。立札を立てる前の氷盤を見てもらえれば理解できると思うけれど、没しないうちに取り除く手間を惜しむと春からの作業に支障になる事、請け合いなのである。こういう行為を引率者が居る環境で行うのだから「環境破壊教育」としか言えない。

 古来「窮鼠猫を噛む」とか言われるけれど「窮爺は臍を噛む」。それでは精神的健康によろしくないだろうからと「慟哭的平衡」を執るための方便でもあった。これで少しは留飲が下がり血圧も下がる。№3に据えられたスタッフの心情は面白くもないだろうけれど「何時もやっつけられ、尻の始末をしなければならない小生」だって窮余の一策は考えるのだ。まあ、自己救済、自力本願ではあるにしてもだ。

              巡回路に撒かれた氷盤、乗ると滑って危ない

日陰の谷戸にも花が咲く

2021-01-07 | 感じるままの回り道
 3日、暖機運転を兼ね水見回りをしてきた。上の池畔に1本だけだが梅が開花していた。他にも点在して何本かあるのだが、日当たりが良い場所の樹には花はまだまだという雰囲気だった。
 梅の花を見上げるのも良いのだが、我が人生、下を向いて歩こうよの手太楽だったせいか地表の草花の方が感覚的には「春」を感じやすい。オオイヌノフグリやタツナミソウなどは暮れの内から開花している。それでも樹木の花は遠目にも目立つ存在なので立ち寄っては見るけれど、どういう訳か梅の花で「春」を感じるとは言えない小生なのだった。

 樹下の水面を見れば結氷している水面があるし、両手は防寒手袋を装着しているし、日照のない場所だけに「春は遠い」感覚なのである。「春」と言えば桜が一般的だろうがソメイヨシノは好きではない。やはりヤマザクラが「春来たり」に近いのだがニホンアカガエルの卵塊には遠く及ばない。
 昨年は産卵場所の整備と拡張を少しばかりだが達成した。それで産卵数が増す結果にはつながらない行為であるけれど、小生的には準備万端「さあ、いつでもいらっしゃい!」なのである。昨季は大蛇も目にする機会があったし、猪の跋扈蹂躙も半端でなくなってきたからアカガエルの個体数減少は危惧されるのだが産卵数大台の30超えがささやかな希望なのである。
 童謡にもあるごとく「赤いべべ着た爺さんが春よ来いと待っている」まあ、そんな心持・・・。