コロナ禍の中で「上級国民」の横車やオレオレ誇示接種、危機管理の独善顕在化などがかまびすしいが、そんな阿呆の言動、猿の時代からあったはずで猿ではなくなった現在、猿そのままの個体がいるのだと言うのが現実である。しかしながら小生が物心ついた頃と比較すれば確実に増えているのは間違いなく「種に交われば阿呆となる」のである。種でなく主なのかもしれないが目糞鼻糞だ。地球温暖化に同じくグローバルな劣化現象であるのは間違いないだろう。
フイールドで例えればヌスビトハギやワルナスビ、ヤブジラミ,ホテイソウ、オオカナダモ、ウシガエル、ザリガニ、カミツキガメ等々の類である。けっして上級植物や上級動物、ましてや上級国民ではなく劣化甚だしい「人となり」の範疇だ。言わば「猿の惑性」であり「属性」なのでワクチンは効かないし効く薬も無い。まあ、「免れて恥無し」の世界が上級国民の性根であろう。
さて閑話休題、以前、S先生が「サラサヤンマの標本をお見せしますよ」と言ったことがあって、小生は標本よりフイールドで飛翔しているトンボの方が好みだし、標本など気軽に持ち運ぶ物ではないと認識してもいたので「動かせば痛むだけです」で終わっていたのだった。
後日、その標本をわざわざ持って見せに来てくれたのだが、一見して言葉を失ってしまった。確かにケースに収められデータの記載されたラベルの上に針で固定されているから生きているはずがない、紛れもない標本展示そのままの形体なのだが「生きている」としか見えなかった。言わば「生体静止展示」に「見えた」とも言って良いだろう。この時はあっけにとられ撮影する事は浮かばなかった。帰宅してようやく「写しておけばよかった…」と後の祭りだったのである。
そんな顛末があり「標本」の「在り方や質」について深夜のトイレ後、眠りよりそっちに気が行ってしまったのだ。もとより「標本」は小生の興味関心の対象ではないものの「捨て置けない一遇」と思えたのだ。で、更に後日、改めて撮影しブログに載せたいことを伝えたら承諾していただいた。
なぜブログに載せたかったのかは「埋没させるには惜しい標本の精度と技法」に尽きる。博物館などで展示されている標本などは確かに「そのもの」に違いないだろうが経年劣化し生体とは全く異なる体色をしているのも少なくない。劣化は避けられないのを緩和するために「樹脂封入」の手もありそうなのだが標本展示物としてどうなのかの判断や価値は知る由もない。
あの卵のチョコに入っていたオニヤンマのフェギアの出来栄えに驚いた記憶があるから精巧なフェギアで代用も考えられるとしても拡大鏡下の実態は標本とは程遠く単なる模造品になるだろう。
しかしながらS先生の手法・技法で製作した標本は「一味違う」どころか全くの別水準なのだった。この手法・技法が標本界で受容されたり反発されたりされるのは現実問題として想像に難くないが「生体に限りなく近い標本展示物」を展示・展覧するのは主催者側の努めるところでもあり責任だろうと小生は考えるのだ。故にこの手法・技法は伝え残すべきだとS先生にも伝えたのだがS先生は手段を持ち合わせてはいない。
小生が考えるのは普遍化してしまったSNSなどを使い動画で製作過程の勘所をサイトに上げる事なのだが、かくいう小生もその範疇には疎いのであった。S先生には合わせて「後継者育成」も必要でしょうと「負われた子が意見」してしまった。そんな何やかやがあって標本の精度と言うべきか精密さとも言うべきか知ってもらえればと拙者のブログに載せて見る事にした。S先生の承諾を得たと言っても小生からの一方的発信でコメントも得ない設えなので、さーてどうなるやら。
載せる範疇は標本を見ての心証だけで製作方法については伺ってはいるものの小生が言及する立場にはないのをお断りしておく。故に写真だけで言及内容の真偽程度を捉えてもらわねばならない。
この標本、従来の標本と並べて展示しておけばその価値が判るはずで「耐久精彩標本」と表現するが、他の表現方法が判らない。先生の手法は言わばマイノリティの作り方に属するのだろうが素人の小生が言うのもおこがましいものの標本としての展示品質は別格と言って良いだろう。
しかし懸念は「これは標本ではない」と一刀両断する向きもあるだろうと言う点で、料簡や懐の狭さ、大局観の不足等々が否定理由を多々述べるだろうけれど大型生物の標本などでは詰め物したり義眼装着したりし整える事を考えれば「生きたままの姿を長く展示できる」メリットは失ってはならない標本技法であろうぞ。
展示標本は誰のためにあるのかと問われれば、それはもう分かりきった事である。「そのもの」を標本にしたと言えど劣化風化進行形の標本はどこまでが「そのもの」なのか小生には解からない世界であるし、そんな標本は実物標本であっても実物とはほど遠くなって「別物」を晒している事になるのは間違いない。その意味でも退色しない生々しい体色を維持できる標本は標本としての到達点ではないだろうかと言うのが小生の結論である。まあ、これは本稿「トンボの標本」に限っての言及であるのだがやはり昔から言う「百聞は一見に如かず」で、写真でなく実物を見て欲しいものだ。
※ 上記までがS先生にお渡しし承諾を得た原稿内容で、そのあと撮影する事も浮かばなかったくだんの標本とそれまでに制作した標本をフイールドまで持参していただいたから改めて拝見し撮影出来たのだ。しかしながら裸眼で見る標本とガラスケース越しに撮影したそれは同一標本であっても雲泥の差がある。
標本箱撮影画像より少しは鮮明にアップできるであろうと既に同好会誌で発表公開された記事の写真はガラスケース内より良さそうなので引用させてもらった。この引用掲載も承諾していただいている。
小生の表題で「耐久精彩標本」と名付けたが先生の発表記事では「色彩復元標本」となっている事をお断りしておかねばならない。その発表内容で「色彩復元標本」の製作過程と意図や考え方を公開、明らかにされているが、小生がそこまで触れる立場では無いので、斯様な素晴らしい標本製作法を埋もれさせたくはないと伝えるべきだ」と思ってブログに載せてみた。
まあ、小生の雑炊ブログでは「たまたまの訪問者」ばかりで虫や標本に関心を持つ人もいないだろうけれど、針の穴からでも世間に伝われば嬉しい限りである。しかし写真の出来が悪くて実物の足元にも及ばない。こういう撮影は照明や三脚を用意して行うべきだと嫌でも思わずにはいられない。
サラサヤンマ
標本箱
発表誌より複写掲載
暇つぶしにネット上で閲覧できないか検索したけれど無理だった。同好会誌には表題だけ認められるが掲載内容は実誌を見ないと判らない。小生が頂いたレポートを撮影転載するのは承諾の上でも小生に資格は無いのである。関心ある方は検索でたどり着き会誌購入すべし。それより同好会編集子がネットに上げてくれれば新幹線である。
同好会誌なので部外者には点のような知らない生物の情報がてんこ盛りだけれど、こと保全や標本などに関係する記事は応用範囲が広いので積極的にネット上で公開してほしいと思ったのが検索後の感想だった。