トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

好きも嫌いも相手の好み

2021-07-13 | 小父のお隣さん
 ワクチン接種の日だったからフイールドの作業は止めてお化け苫屋と化した庭の草取りをする。既に野草化してしまったミツバが春に掘り取りしたフジバカマの跡に発芽して席巻状態である。時折は摘んで汁に入れてもみるけれど固いし香りも薄く、結局は被地植生として放任だったのである。

 これにキアゲハの幼虫が居て全てを抜去出来ずに残したのだが、この隣には明日葉の株があるしフェンネルの株もあるのに幼虫は一匹も見つからなかった。少なくても「どれでも良い」訳ではなく選べるなら、ここでは三択なのだが「ミツバ」が嗜好に合うのだと言う事なのだろう。
 フェンネルも明日葉も三つ葉も我が口に入れられる野菜と言えるものの、我が家では食草扱いなので小生の口に入る事は少ない。
 「明日葉を食べなさい」「フェンネルを食べなさい」とミツバを一掃したところで気に食わなければ食わずにトンズラするか寄り付かないだけである。まあ、そんな事から「おもてなし」も相手次第、心のままにだ。つまりは表も裏もあってはなりませぬ。

 フイールドには「アゲハ類数種が食草にする」と言われるモテモテ種「ヘンルーダ」を観察用に定植してあるのだが、こちらも全く食草とはせず、キアゲハはミツバ、寄り付くはずの他のアゲハは柑橘類やキハダなどを喰っている。どうも「好きなものがあれば好きな物から食べる」性向のようだ。因みに小生は最後に食べる。アゲハー!

                 

**今日のトンボ「極楽とんぼ」

2021-07-13 | 感じるままの回り道
            羽化トンボ浮いて高みのどこへやら
                      きらめき去って殻は葦茎

            分け入れば追われたのごとツンツンと
                      キイトトンボは湧き出でにけり

            みやびとはマユタテアカネ言い難し
                      とんだ面なり豚鼻に見ゆ

            木下闇ハグロトンボは翅開く
                      翅閉じ開く闇払うごと

            だるまさん転んだしてるかのように
                      二三歩前降り翅閉じ開く

            シオカラや何故に仲良う出来んかい
                      こっちで追立てあっちで追い捲く

            天上の業の世界は知らぬよに
                      水面平穏クロイトトンボ

            青田上群れで風追うウスバキは
                      稲田舞台の爺のアイドル
                      

今日のトンボ「耐久精彩標本は上級標本、別格である!」

2021-07-12 | 感じるままの回り道
 コロナ禍の中で「上級国民」の横車やオレオレ誇示接種、危機管理の独善顕在化などがかまびすしいが、そんな阿呆の言動、猿の時代からあったはずで猿ではなくなった現在、猿そのままの個体がいるのだと言うのが現実である。しかしながら小生が物心ついた頃と比較すれば確実に増えているのは間違いなく「種に交われば阿呆となる」のである。種でなく主なのかもしれないが目糞鼻糞だ。地球温暖化に同じくグローバルな劣化現象であるのは間違いないだろう。
 フイールドで例えればヌスビトハギやワルナスビ、ヤブジラミ,ホテイソウ、オオカナダモ、ウシガエル、ザリガニ、カミツキガメ等々の類である。けっして上級植物や上級動物、ましてや上級国民ではなく劣化甚だしい「人となり」の範疇だ。言わば「猿の惑性」であり「属性」なのでワクチンは効かないし効く薬も無い。まあ、「免れて恥無し」の世界が上級国民の性根であろう。

 さて閑話休題、以前、S先生が「サラサヤンマの標本をお見せしますよ」と言ったことがあって、小生は標本よりフイールドで飛翔しているトンボの方が好みだし、標本など気軽に持ち運ぶ物ではないと認識してもいたので「動かせば痛むだけです」で終わっていたのだった。
 後日、その標本をわざわざ持って見せに来てくれたのだが、一見して言葉を失ってしまった。確かにケースに収められデータの記載されたラベルの上に針で固定されているから生きているはずがない、紛れもない標本展示そのままの形体なのだが「生きている」としか見えなかった。言わば「生体静止展示」に「見えた」とも言って良いだろう。この時はあっけにとられ撮影する事は浮かばなかった。帰宅してようやく「写しておけばよかった…」と後の祭りだったのである。
 
 そんな顛末があり「標本」の「在り方や質」について深夜のトイレ後、眠りよりそっちに気が行ってしまったのだ。もとより「標本」は小生の興味関心の対象ではないものの「捨て置けない一遇」と思えたのだ。で、更に後日、改めて撮影しブログに載せたいことを伝えたら承諾していただいた。
 なぜブログに載せたかったのかは「埋没させるには惜しい標本の精度と技法」に尽きる。博物館などで展示されている標本などは確かに「そのもの」に違いないだろうが経年劣化し生体とは全く異なる体色をしているのも少なくない。劣化は避けられないのを緩和するために「樹脂封入」の手もありそうなのだが標本展示物としてどうなのかの判断や価値は知る由もない。
 あの卵のチョコに入っていたオニヤンマのフェギアの出来栄えに驚いた記憶があるから精巧なフェギアで代用も考えられるとしても拡大鏡下の実態は標本とは程遠く単なる模造品になるだろう。

 しかしながらS先生の手法・技法で製作した標本は「一味違う」どころか全くの別水準なのだった。この手法・技法が標本界で受容されたり反発されたりされるのは現実問題として想像に難くないが「生体に限りなく近い標本展示物」を展示・展覧するのは主催者側の努めるところでもあり責任だろうと小生は考えるのだ。故にこの手法・技法は伝え残すべきだとS先生にも伝えたのだがS先生は手段を持ち合わせてはいない。
 小生が考えるのは普遍化してしまったSNSなどを使い動画で製作過程の勘所をサイトに上げる事なのだが、かくいう小生もその範疇には疎いのであった。S先生には合わせて「後継者育成」も必要でしょうと「負われた子が意見」してしまった。そんな何やかやがあって標本の精度と言うべきか精密さとも言うべきか知ってもらえればと拙者のブログに載せて見る事にした。S先生の承諾を得たと言っても小生からの一方的発信でコメントも得ない設えなので、さーてどうなるやら。
 載せる範疇は標本を見ての心証だけで製作方法については伺ってはいるものの小生が言及する立場にはないのをお断りしておく。故に写真だけで言及内容の真偽程度を捉えてもらわねばならない。

 この標本、従来の標本と並べて展示しておけばその価値が判るはずで「耐久精彩標本」と表現するが、他の表現方法が判らない。先生の手法は言わばマイノリティの作り方に属するのだろうが素人の小生が言うのもおこがましいものの標本としての展示品質は別格と言って良いだろう。
 しかし懸念は「これは標本ではない」と一刀両断する向きもあるだろうと言う点で、料簡や懐の狭さ、大局観の不足等々が否定理由を多々述べるだろうけれど大型生物の標本などでは詰め物したり義眼装着したりし整える事を考えれば「生きたままの姿を長く展示できる」メリットは失ってはならない標本技法であろうぞ。

 展示標本は誰のためにあるのかと問われれば、それはもう分かりきった事である。「そのもの」を標本にしたと言えど劣化風化進行形の標本はどこまでが「そのもの」なのか小生には解からない世界であるし、そんな標本は実物標本であっても実物とはほど遠くなって「別物」を晒している事になるのは間違いない。その意味でも退色しない生々しい体色を維持できる標本は標本としての到達点ではないだろうかと言うのが小生の結論である。まあ、これは本稿「トンボの標本」に限っての言及であるのだがやはり昔から言う「百聞は一見に如かず」で、写真でなく実物を見て欲しいものだ。

※ 上記までがS先生にお渡しし承諾を得た原稿内容で、そのあと撮影する事も浮かばなかったくだんの標本とそれまでに制作した標本をフイールドまで持参していただいたから改めて拝見し撮影出来たのだ。しかしながら裸眼で見る標本とガラスケース越しに撮影したそれは同一標本であっても雲泥の差がある。
 標本箱撮影画像より少しは鮮明にアップできるであろうと既に同好会誌で発表公開された記事の写真はガラスケース内より良さそうなので引用させてもらった。この引用掲載も承諾していただいている。
 小生の表題で「耐久精彩標本」と名付けたが先生の発表記事では「色彩復元標本」となっている事をお断りしておかねばならない。その発表内容で「色彩復元標本」の製作過程と意図や考え方を公開、明らかにされているが、小生がそこまで触れる立場では無いので、斯様な素晴らしい標本製作法を埋もれさせたくはないと伝えるべきだ」と思ってブログに載せてみた。

 まあ、小生の雑炊ブログでは「たまたまの訪問者」ばかりで虫や標本に関心を持つ人もいないだろうけれど、針の穴からでも世間に伝われば嬉しい限りである。しかし写真の出来が悪くて実物の足元にも及ばない。こういう撮影は照明や三脚を用意して行うべきだと嫌でも思わずにはいられない。

    サラサヤンマ    標本箱    発表誌より複写掲載

 暇つぶしにネット上で閲覧できないか検索したけれど無理だった。同好会誌には表題だけ認められるが掲載内容は実誌を見ないと判らない。小生が頂いたレポートを撮影転載するのは承諾の上でも小生に資格は無いのである。関心ある方は検索でたどり着き会誌購入すべし。それより同好会編集子がネットに上げてくれれば新幹線である。
 同好会誌なので部外者には点のような知らない生物の情報がてんこ盛りだけれど、こと保全や標本などに関係する記事は応用範囲が広いので積極的にネット上で公開してほしいと思ったのが検索後の感想だった。


今日のトンボ「ウスバキトンボ」初見

2021-07-11 | 小父のお隣さん
 S先生制作の「色彩復元標本」を展示していただき資料まで頂いて四方山話をしている頭上を体色が赤っぽい畳色に見えたトンボが通り過ぎた。S先生は「ウスバキトンボ」とこともなげにおっしゃる。ウスバキトンボが発生しているだろう事は山の行きかえりに青田の上に群れるトンボを見るようになったからなのだが、それがウスバキトンボかどうか確証がない。広い空間で手の届く高さで群れ飛ぶから「そうではないか?」とはなはだ非科学的結論、郷里での経験値での推測だった。
 それがウスバキトンボだと確認できた事で今期の確認種がまた一つ増えたのだ。年金が減るより嬉しい!。

カラスとは段違い!

2021-07-11 | 小父のお隣さん
 「山のカラスの濡れ羽色」と言うのだったかどうか斑痴呆では確信が持てないのだが真夏日を記録する日々になって目につくのはアゲハ類の吸水個体だ。ここ数日、真夏日と真夏日が続いてクマゼミの鳴き声も聞こえるから「夏到来」確定でもある。因みにこの日の最高気温は34.7℃を記録した。泥水池の草抜きに入ったが90分ほどで敵前逃亡。無理からぬ事だったと納得。山のお爺は汗泥まみれ・・・色。

 顔の泥汚れを洗っていたところにS先生等がやってきて「色彩復元標本」とレポートを渡された。標本は撮影だけだったけれどガラス越しなので綺麗にはいかない。レポートの写真は家で撮る事にした。
 さて林道を独り先に行ったSさんの姿が見えない。小生はS先生と駐車場で四方山話していて気が付かなんだが、そこで後を追ってみたら林道上で直立不動状態だった。こんな時は「何かある」のは間違いないから静かに寄ったのだが、立ちんぼの前方にカラスアゲハガ吸水中だった。ミヤマカラスアゲハだと良かったそうなのだが鑑定はカラスアゲハだった。小生は未だにその区別のポイントが頭に刻まれないでいる。まあ、山の独り作業員であるからして何も問題は無いのであった。

 それより今回出色の出来事は文字通り「出色」だったのだ。かように色彩が露わになった一枚を撮影出来た事はかってない事だ。時折は舞い上がっては戻って吸水を続ける姿を高齢者三人は声も無く立ち見続けていたのであった。惜しむらくは接近して逃がしてはと言う恐れで望遠気味に撮影したことで粒子が荒くなっている。素人はてなもんや三度笠。でもカラスアゲハの極上の美しさは伝わるだろう。

         

泥水池2の除草

2021-07-11 | 水辺環境の保全
 泥水池2もカサスゲが伸長し水面にはキシュウスズメノヒエだかイネ科の厄介な植物がランナーを伸ばし絡まっている。これではトンボも喜ばない。乱雑な草藪状態を喜ぶのはキイトトンボくらいで、草をかき分けかき分け進めばばら撒いたように湧いてくる。水域のトンボ密度や個体数ではキイトトンボがダントツ横綱級だ。

 さて水域の除草は「引っこ抜くだけ!」の単純作業で、特に大株になったカサスゲは押しても引いてもびくともしない。童話の「大きなカブ」は内容を変更して「大きなカサスゲ」にしてもらいたいとマジ思う時がある。それほど厄介で、今回も4本鍬を株もとに打ち込み柄を倒して根株を浮き上がらせてから「ウントコショ、ドッコイショ」とズンズンと引っ張るのである。こんな作業で腹圧を上げてばかりいたから両鼠径部ヘルニア発症したのだと断言できる。まあ、主治医は「高齢化、高齢化!」と笑っていたのだが、小生はガリレオガリレイのごとく「それでも腹圧は加わっている」と密かに思っていたのだった。

 それはともかくカサスゲはそのように抜去して土付きの根株は畔の肉付けに足した。「泥も積もれば畔になる」のだ。イネ科の何とやらはクワで掻き寄せ搔き寄せし、これも結構泥土を抱えているから鍬で畔の肉付けに曳いて据えた。この日は28℃、曇りの蒸し暑い日で麦茶は携行したが塩飴が切れていた。油断大敵である。いいや塩断大敵、熱中症リスクが高まるだろうが縁談にはトント縁が無くなる姥捨て山ではある。あるのは来迎時だけで、それも疑似的だ。

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ミソハギ開花した

2021-07-10 | 感じるままの回り道
 泥水池一帯のミソハギが開花してきた。背丈は小生の胸の高さまでもあり、朝一番に水見回りすると梅雨のこの時期は腰から下が濡れそぼってくる。巡回路だけでも軽く刈り払いして歩きやすくしたいのだが水域内の除草が優先で歩き易さは後回しだ。

 周囲の野草も腰の高さまで伸びてきて「分け入っても分け入っても青い草」てなもんや三度笠なのだが、それに加えツンツンとキイトトンボが乱れ出てくる。これは実際に分け入って体験しないと判らない極楽なのであって、まあ、独り占めと言って良いだろうが、これくらいのお駄賃を頂いても良かろうて。

 S先生曰く「ミソハギに集まる生物は多種多様で大事な植物のひとつです。」という事になるのだが、小生の次の楽しみはセイボウ(青蜂)に出会えることで、キイトトンボよりセイボウの姿を探す羽目になってくる。
 郷里にいた当時は「盆花」と言っていて、お盆近くになると仏壇に供えるために水田地帯の水路に取りに行かされた花でもある。

          

今日のトンボ「ヤブヤンマ初見、産卵」

2021-07-10 | 小父のお隣さん
 最高気温36℃超えの猛暑日になってしまった。シェルター水路の除草を行って上がろうかと思った頃にヤブヤンマが飛来して擁壁の苔に腹部末端を突き立てたのだ。これだけで「ヤブヤンマ!」の確信。撮影せずになんとする。水路をゆっくり移動し3mほどのところまで接近しカメラを向けたのだが焦点がなかなか合わない。合った時には少しばかり移動して画角から外れたりで須田紋太君とやり合っている所へ入域者のおやっさんが「何を撮っているのですか?」と擁壁の肩で立ち止ってしまった。
 ああ、これで万事窮す、今期初の機会が「青いお空へ飛んでった・・・」。

 この擁壁部はヤブヤンマの産卵のために水域を直下まで堀り広げ、土砂を取り除いた部分はむき出しのコンクリート面だったのが、ようやく汚れて苔の広がりが見えてきたのだ。設えたものの産卵を撮影する機会には恵まれず、今回は貴重な機会だったのにため息が出るばかり。それでもくだんのおやっさんとは寂しい孤老同士、気持ちは分かるから少しばかり話し相手になったものの、人生望んだようには転がらない。

今日のエッ!品「晒しエゴ菊花寄せの粕漬けと味噌漬け」の仕込み

2021-07-10 | 何よりの楽しみ
 エゴノリや菊花は我が郷土、越後の食べ慣れた食材で、小生にとっての「ご馳走」は育ち盛りの折々に箱膳に載ってきた食材や食品であって星付きや人気店、流行り物ではない。食べたければ自分で作るしかないご馳走が便利な時代のスローフードなのだ。
 今回、季節外れともいえる食用菊が食べきれないほど収穫出来たので小分け冷凍保存しておいた。いつも通り丑三つ時の小用の折りにビビビッと閃いたのがタイトルのエッ!品なのである。梅雨時で在宅時間を持て余しても工作も出来ないし読書も眠くなる。結局は立ち仕事を選択しキッチンに立つのだった。

 エゴノリ、晒しエゴは郷里の次姉が採集し送ってくれた食材で、一回分づつ密閉パックしてある。その一玉を水で戻してから加熱溶解した。溶解は急ぐと焦げるしノリ坊主が爆ぜれば「アチチッ!」となってしまう。弱火で時間をかけ溶解するのが滑らかな触感を得る秘訣なのだ。
 冷凍菊花はレンジで戻しておいた。上品な食べ方は花弁だけで総苞は外すけれど、この苦味こそが美味しさの源泉なのだから小生はそのままで、いささか趣きや上品さに欠けるものの、エッ!品でもフランス料理フルコースでも「富士の高嶺の白雪も云々…」で歌われた通りなのであるからして、ましてやSDGsの時代なのだから「いただきます」がよろしい。
 因みに「いただきます」の念は狭い範囲の社会だけなそうな。白人社会にはこの感覚が理解できないとする専門家もいる。閑話休題、蛇足が多い小生で困った困った。

 溶解したエゴノリの鍋を冷水に浮かべ撹拌しながら熱を取る。熱いままの中に菊花を混ぜると変色すると思った事と、そのまま型に入れても菊花は沈殿する。エゴノリの温度を下げ粘度を上げてから混入撹拌すれば均一な分布になるだろう。「ドロッ」としてきたら菊花を入れ撹拌し容器に注ぎ冷蔵庫に一晩おいた。
 翌日、二等分してひとつは麦味噌で覆いラップをし冷蔵庫、もう半分は酒粕漬けとした。これで一週間の辛抱である。



腹たち日記

2021-07-09 | 小人閑居して憮然
 ついに雌雄が決せられた。欲しくもない苗が健全に育ち、欲しかった苗は全滅と言って良いだろう。事の発端は種子の保存に正確なラベルをつけなかった事とキジョランの発芽は忘れた頃にやってくるので、結果的にこれらが誤りの発端だったから自ら起こした結果なのだが消えた苗が再び戻る事は適わない。ああ、これは「マーフィの法則」と言うか「まあ、ふい」になってしもた法則かも。

 さてさて写真左側、健全に本葉まで出しているのはシタキリソウ、右下、双葉1本だけしかない方はキジョランの苗である。こっちのロングポットと別ポットには双葉の出た苗を3本づつ移植したのだが結果的にこの移植時期が悪く甚大な結果をもたらした。シタキリソウの種子はイチゴ容器に敷いたキッチンペーパー上で水耕発根させてロングポットに移植したが、キジョランは平鉢に種蒔き用土を敷き詰め、其の用土中で発芽させたという違いがあって、覆土で発根が判らず、更に発根状態より進んだ双葉を開いた頃合いで移植したのだった。平鉢なので直根の成長を阻害しかねないとの懇切丁寧な思いやりの一助だったにもかかわらず徐々に萎れていった。当初は病気と思い殺菌剤の散布まで行ったけれど回復せず、ようやく1本だけが何とか生き永らえそうなのだ。

 一般的に幼苗の移植は小さな育苗ポットで発芽させても双葉の状態で移植する事はしないのだが、大事にするあまり御母日傘、角を矯めて牛を殺す結果になったのだ。それなのに抵抗力の一番弱くなる発芽直後で移植したから弱り芽祟り芽なみだ芽、さもあり難、鍋の底ガーラガラ。
 この「鍋の底ガーラガラ」は広瀬村にいた従姉が昔話の終わりに言った慣用句と言うか定型句なのだったが今だに憶えている。小生の郷は「イチゴサッテモウシタモウシタ」で子育てを終わった頃に「越後ではそう申しましたとさ」と知ったのだった。各地の違いはあるだろうと推測はするけれど、今となっては知る人も語る人もいないだろう。
 語りは読み聞かせとはまた異なる良さがあると思う小生だが、最近の社会的弱者に対する騙りの手口には腹立つばかりだ。こういう犯罪・輩には「懲罰3倍法」とでも言える制度が欲しいというのが小生の痔論。「悪い芽は早めに摘む。いぼ痔切れ痔痔瘻は早めに対処!」ニューヨーク市での落書き防止法?だったか、効果を上げたのは知られている対処法だ。

 さて阿保な話は別として育苗にロングポットを使い、それも数本植えて育てフイールドにキジョランの「こんもり」を創る目論見はここに頓挫した。自分にもこんもりは消えたから相見互いには違いなく、健全に育ったシタキリソウの苗は全て不要なので、こっちとも同列なのがなんとも癪である。
 もとはと言えばシタキリソウとキジョランの大冠毛を付けた種子の見分けがつかず拾い集めて播種した事にあるけれど「シタキリソウにはアサギマダラは産卵しない」ことが理解できた現在、不要の産物でしかない。
 一方のキジョランの種子はフイールドで初めて着果したキジョランで、親ヅルは昨季8月末には枯れてしまったのだが莢は落ちずにいて11月には莢を開き大冠毛のある種子を見せてくれたから採集し播種した結果で、言わば落とし子で育てば二代目になる何物にも代えがたい貴重な種子だったのだ。

 ああそれなのにそれなのに…こころで育てと 叫んでも 口では言えず だだこの鉢を ちいさなお目目で 眺むだけ…嘆くのは当たり前でしょう。我に落涙無くとも天からの落涙は延々と続き、上を向いているだけのここ数日である。ヨモギパンでも作ろうか・・・。

        

排砂バルブの操作でなんとか

2021-07-08 | 水辺環境の保全
 「なんでかぁ!」と言われても「なんとかぁ!」と言うしかあるまい。「山のこだまの嬉しさよ」チャンチャン。さて前日、隣り沢の水源地の復旧作業を行い、取水升へ流入するように流路を整えたのだった。送水管口まで砂泥が達してはいなかったから「取水水量が復活すれば送水量も元通りになるかも・・・」のいつも通りの淡い期待はいつも通り打ち砕かれて「さーて如何する⁉」となった。選択肢は二つで「エンジンポンプで強制圧送」か「排砂バルブの操作で排泥」しかない。

 結局は最高気温33℃の真夏日と高湿度に負け易きに流れたのだった。汗と小生は簡単に流れるが、もともと流動性に勝る水は低きには流れても易きには流れないのだ。それでも隣り沢の排砂バルブ、これは高度最低部にあるから多用しているバルブなのだが開放しに行った。バルブを開放すれば濁った泥水がほとばしり出てくる。澄むまで待っても小一時間を要するから、この間を泥水池2の草抜きに当てた。
 ほぼ90分後に再度到着し排水を見れば澄んでいる。おまけに水量も増えた感じがするからバルブ操作での排砂は上手くいったのだと推測し開放したバルブを閉鎖して通常流路に戻した。

 しかしながらここまでは下り管路の排砂だけで、残りは尾根末端を越えフイールドにある管末、吐水口まで緩やかに上昇している管路が残る。尾根越えの管路の途中にも排砂バルブが4か所あるもののブッシュの中なので最近は使わない。この部分の排砂はフイールド入口の上昇に転ずる管路に有る排砂バルブの操作だけで済ますのだが今回は未操作で、どれくらい送水量が復活したかを確認してから操作する。今は梅雨時なので全くの断水でなければバタバタしなくても良いのだった。どちらにせよ、ほぼ一晩を要して結果が現れるのが通例なので、確認は翌日以降に回した。

 この時も近くにカジカガエルの姿を認め、撮影だけしようと捕獲を試みたが素早いのなんの、小生までがお手付きカエル跳びをしたのに流れに跳び込まれ見失った。フイールドに生息する他の種8種に比べれば半端ではない身のこなし方スプリンターである。

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雨降りお憑きさん、苦悶の上・・・

2021-07-07 | 水辺環境の保全
 上の池の漏水孔を潰しただけで「ご帰宅モード」だったのだが水見回り中にマルタンヤンマ、マユタテアカネ、アジアイトトンボ?の3種を見たことで、既に出現しているはずのハグロトンボを「確認する」と自らを騙して水源地まで遡上した。いつもは尾根越えの山道を通るのだけれど、今回はカワトンボに出会う確率を高めるために往復とも水系に沿っての移動である。結果は惨敗であった。

 水源地、集水路は増水の結果、流路が変って取水升を反れてしまっていた。この原因となっているのが取水路に沿って設えた他グループの取水升で、あろうことか堰き止めたり分岐水路で呼び込んだりと勝手し放題、結果として増水すると流路方向が反れるのだった。降雨後断水の補修に行った折りに二度ほど出合った事があって「水流浸食の助けも借りながら河床保全作業中なのに妨害行為の信義則の無さ」を言ったのだが「水を取って何が悪い」と言う感覚でしかなく話にならなかった。普通であれば一言くらいは自ら問うてくるだろうし作業範囲以外なら障害になる事も無いのだ。「手間をかけず安定して容易な場所」で選んでいるので相手にしても無理なのである。因みにこの二者、かの環境破壊教育の関係者で、こういうところにも活動の傾向が窺がえる。

 それはともかくとして、取水路の復旧を済ませ取水升を埋めた土砂を取り除き、取水升内の砂泥を浚って一件落着。これだけで送水量が復活するものでも無いのだが、まずは水源地流路を整えて取水升内に水が入るのが先決、それでも送水量が復活しなければ送水管内の砂泥を抜かなければならない。

 増水して流路が変った結果、底抜けした段差工の枠内を玉石で埋めたのが春頃だったか。その上を増水流が流れて土砂で玉石の隙間を満たしてくれた。「捨てる神あれば拾う神あり」で「人生、塞翁が馬」でもあったのだ。
 しかしこの結果、最終段の段差が大きく、もう一段を加えて洗堀防止を図らなければならないのが明瞭になってしまった。あーあ、線路は続くよいつまでも…。
 とは言うものの、水路復旧中にカジカガエルを確認し撮影しようとしたのだが素早くて逃げられた。ここで視認できたのは何年ぶりだろうか。手入れに訪れなければ発見する事も無い種だ。

今日のトンボ「ハグロトンボ初見」

2021-07-06 | 小父のお隣さん
 先日、取水地復旧のため、ついでにハグロトンボを確認しようと流路沿いに移動したのだがお目当ては全く無く、他のトンボも見る事も無く楽しみの無い経路だった。
 ところがである、期待もしていない時に限って現れて小生を慌てさせる。それでも移動する個体をヨタヨタ追っかけ撮影したのは1枚きり。まあ、全く撮影出来ない時もあるから「良し」としなければならないだろう。

 郷里にもハグロトンボは生息していたがオハグロトンボと呼んでいた。今にして思えば「お翅黒」と「お歯黒」では大きく異なるのだが、通常「オハグロ」と言えば「鉄漿」を指すのではなかろうか…。ああ、これで今夜は寝付けない・・・。
 裏若きハゲテルの悩みは「お翅黒」なのか「鉄漿」なのか、どっちだと言う事で単なる色を言っていただけなら「どっちも」ですっきりだ。

          

仰天の爺「ウッ!」

2021-07-06 | 小人閑居して憮然
 雨天続きで6日ぶりのフイールド、まずは何をなさなくても水見回りである。結果は大当たりで送水量はチョロ水、上の池のオーバーフロー部は土嚢がすっぽり入り込むほどの漏水部が現れていた。予定では水域の草抜きだったのだが断水解消と漏水孔潰しは最優先事項で土嚢袋とスコップ、土嚢袋を固定する鉢スタンドを一輪車に載せ、まずは漏水部の解消である。

 土嚢に土を詰め漏水孔に落として踏み付け周囲と馴染ませて埋め戻すだけなのだが、トンネルは続いているから土嚢を押し込めない先はスコップで崩して踏み付け鎮圧し土を盛る。土嚢は3袋、埋土は一輪車3杯を要した。これだけで雨後の最高気温33℃に達した真夏日では湿度が高く汗だくになる。眼鏡に汗が溜まるし目が沁みる。終われば既に下着までびっしょりの有様だった。

 古来「干天の慈雨」と言うが姥捨て山では「仰天の爺ウっ!」が普通で、今回もいつも通りの変わらぬ日々!。変わらぬ日常こそ平和でありしあわせなのであった。てなもんや三度笠。
 帰宅すれば衣服は洗濯に回し身体は滝行ならぬ「シャワー行」である。滝行は「滝の汗」を流したのでパスして近代化を全うした。ハアー、これを甘露と言わずして何と言う。しかし冬の入浴と夏のシャワーでは漏れるため息が異なるのは何でか⁉。こんな事さえ知らずして歳を喰ってきた人生では閻魔様に叱られる。

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今日のトンボ「マユタテ、マルタン、アジアイトトンボ?」

2021-07-05 | 小父のお隣さん
 雨続きで6日ぶりのフイールドである。いの一番は当然のごとく「断水してはいないか⁉」と「漏水部は現れてはいないか⁉」に尽きるのだが有難い事に両方ともヒットだった。雨上がりの真夏日で湿度が高くて下着まで濡れた。
 それでもまだ神仏のご加護はあるようでマユタテアカネの初見、これは1個体だけでなく水域全体で姿を見たから発生してから数日は経過しているだろう。
   

 棚田部の上でトンボを狩ったヤンマ型が温水田のカサスゲの向こう側に降りた。採餌行動中は比較的飛び立たないから撮影には絶好の機会なのに、ああそれなのにそれなのに接近しつつ姿を認めないうちにシオカラトンボのアタックで舞い上がってしまった。既に体色は茶色と言うか赤銅色で翅も色付きだったから間違いなくマルタンヤンマの初見だろう。ヤブヤンマも図鑑で確認すると体色に茶色が見えるが、今回の個体は全体が茶色に見えたからマルタンとした。
 既に発生していると思われるヤブヤンマは夜間採集の折りに確認した小池を連日チェックしているものの抜け殻はまだ見ていない。どこに消えたのか。

 もう一種は体長30mm程度の弱弱しいイトトンボだ。泥水池周囲で時折見られる種なのだが自分ではアジアイトトンボではないかと推定している。確定はS先生にお願いするしかない。