猫が行燈の油を舐めるのを想像しただけでもゾクゾクする小生であるが自分でジャムの付いたスプーンを舐めるのは相好を崩してしまう。しかしながら排泄物を舐めるのは油を舐めるのからくるゾクゾク感とは全く別のゾワリ感がある。それなのに排泄物を食べさせたと言う行為はSNS上で謝罪して済む行為ではなく折り目正しい謝罪こそが謝罪になるのであって、謝罪したからと言って被害者の傷は癒える訳もない。アンチョコは単なるポージングに過ぎないのだ。
この畜生輩の出来事とは別に生存のために排泄物を利用する生物がいるが「フンコロガシ」がウンコ玉を転がしていても不潔だとか汚いとか思わない小生だ。水鳥の糞尿にストロー状の口を伸ばすチョウ類も普通に存在するが日常的な風景にしか過ぎない。
ところがである、帰ろうと汚れた手足を洗っていた小生の近くにアカボシゴマダラが飛来したのだ。最近の目撃は皆無に近かったから1枚でも撮影しようと腰のベルトに装着したカメラを出した。
ところがである何たることか。もう惨多留痴唖、難多留痴唖の光景になってしまったのだ。取りついたのはフイールドの簡易トイレの便槽外殻で、2日前にバキューム車が吸い取っていったばかりだったから汚水の数滴はあったに違いない。しかし連日の真夏日で完璧に乾燥しているはずの表面に山吹色の口を差立てて走査打診を始めたのだ。
この行為から想像したのはストロー状に見えても単なる管ではなく舌の働きをする機能も備わっているのではないかという事だったのだが、家畜や鳥の排泄物に群がるより嫌な感じがしたのも確かであった。
これでアカボシゴマダラへの恋心は糞尿汲み取り、肥え桶天秤担ぎ、野溜め香水カンタービレの芳香・回想療法とともにアロハー、アデユー。本日も真夏日なり・・・。
この畜生輩の出来事とは別に生存のために排泄物を利用する生物がいるが「フンコロガシ」がウンコ玉を転がしていても不潔だとか汚いとか思わない小生だ。水鳥の糞尿にストロー状の口を伸ばすチョウ類も普通に存在するが日常的な風景にしか過ぎない。
ところがである、帰ろうと汚れた手足を洗っていた小生の近くにアカボシゴマダラが飛来したのだ。最近の目撃は皆無に近かったから1枚でも撮影しようと腰のベルトに装着したカメラを出した。
ところがである何たることか。もう惨多留痴唖、難多留痴唖の光景になってしまったのだ。取りついたのはフイールドの簡易トイレの便槽外殻で、2日前にバキューム車が吸い取っていったばかりだったから汚水の数滴はあったに違いない。しかし連日の真夏日で完璧に乾燥しているはずの表面に山吹色の口を差立てて走査打診を始めたのだ。
この行為から想像したのはストロー状に見えても単なる管ではなく舌の働きをする機能も備わっているのではないかという事だったのだが、家畜や鳥の排泄物に群がるより嫌な感じがしたのも確かであった。
これでアカボシゴマダラへの恋心は糞尿汲み取り、肥え桶天秤担ぎ、野溜め香水カンタービレの芳香・回想療法とともにアロハー、アデユー。本日も真夏日なり・・・。