トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

黒星、ご免だら!

2021-07-22 | 感じるままの回り道
 猫が行燈の油を舐めるのを想像しただけでもゾクゾクする小生であるが自分でジャムの付いたスプーンを舐めるのは相好を崩してしまう。しかしながら排泄物を舐めるのは油を舐めるのからくるゾクゾク感とは全く別のゾワリ感がある。それなのに排泄物を食べさせたと言う行為はSNS上で謝罪して済む行為ではなく折り目正しい謝罪こそが謝罪になるのであって、謝罪したからと言って被害者の傷は癒える訳もない。アンチョコは単なるポージングに過ぎないのだ。

 この畜生輩の出来事とは別に生存のために排泄物を利用する生物がいるが「フンコロガシ」がウンコ玉を転がしていても不潔だとか汚いとか思わない小生だ。水鳥の糞尿にストロー状の口を伸ばすチョウ類も普通に存在するが日常的な風景にしか過ぎない。
 ところがである、帰ろうと汚れた手足を洗っていた小生の近くにアカボシゴマダラが飛来したのだ。最近の目撃は皆無に近かったから1枚でも撮影しようと腰のベルトに装着したカメラを出した。

 ところがである何たることか。もう惨多留痴唖、難多留痴唖の光景になってしまったのだ。取りついたのはフイールドの簡易トイレの便槽外殻で、2日前にバキューム車が吸い取っていったばかりだったから汚水の数滴はあったに違いない。しかし連日の真夏日で完璧に乾燥しているはずの表面に山吹色の口を差立てて走査打診を始めたのだ。
 この行為から想像したのはストロー状に見えても単なる管ではなく舌の働きをする機能も備わっているのではないかという事だったのだが、家畜や鳥の排泄物に群がるより嫌な感じがしたのも確かであった。
 これでアカボシゴマダラへの恋心は糞尿汲み取り、肥え桶天秤担ぎ、野溜め香水カンタービレの芳香・回想療法とともにアロハー、アデユー。本日も真夏日なり・・・。

     

粘りーギブアップ

2021-07-22 | 感じるままの回り道
 この日「ああーもうやってらんない!」と半分で投げ出した。時間は10時前なのだ。連日の真夏日と猛暑日の連続でクマゼミはとうに真っ盛り、ヒグラシも鳴き始めての夏本番。水域に入っても涼しさなどは皆無の日々である。
 泥水池3の水域除草を開始したものの1時間半ほどで戦闘意欲消失して陸に上がったのだ。「あと90分」の作業が出来ない足元不如意ではしょうもなく、年金懐不如意が更に輪をかけるが輪は一つで良い。まあ、五つの輪は五大陸コロナ連鎖競い合いの象徴だろう。

 さて、抜去する大半はカサスゲとイネ科の繁殖力旺盛の何とやらだ。カサスゲは地盤にまで根茎を喰い込ませスコップを用いないと浮き上がらない。イネ科の何とやらはランナーを多数延長させ入り込み這い上りで曳き抜くのに苦労する。どちらも「性悪」の植生なのに小生は性無しに収まったから続くはずも無い。
 クワを打って引き抜く事をいくばくもしていないのにズボンは泥汚れ、顔面まで泥まみれの作業だ。「真面目にやっても倉も建たん!」と敵前逃亡。折よくS先生一行が到着して昼まで放生の身となった。極楽とんぼ風の時間とは言え生物にしろ植生にしろフイールド創出には欠かせない四方山話の時間でもあるのだ。
 トンボの判定や生物植物の繁殖や保全等々、小生の短期記憶がまだらになっている結果、同じような質問が繰り返されるもののS先生はネバーギブアップだ。

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今日は良い日だ!

2021-07-21 | 小父のお隣さん
    本日の最高気温32℃、梅雨が明けたから当たり前なのだけれど、下からは泥跳ね、身からは大汗、上からはかんかん照りでいささか戦闘意欲衰退気味だ。予定の作業は済んで次の作業の切り替えをするほどの時間も無いから撮影したのにフォルダーごと消去してしまったコシアキトンボの撮影に上の池に行ったものの姿はなく帰ろうとしたところに飛来した鳥はカワセミだった。
 事もあろうに葦抜き作業の杖代わりに使い、終わった後はカワセミの見張り台用に池の中央に差し込んでおいた竹の天辺に降りたのだ。普段は近くにいるとすぐに飛び去るのに今日は飛び去る風もなく警戒もせず、あくびまでかまして居続けている。撮影の大チャンスなのだが接近すれば逃げられる。移動はせず望遠側最大にして撮影したのだが、やはりボケ気味になった。それでも今までに撮影したカワセミの写真に比べれば大きくとれた、がそれだけの品質。

 さあ帰ろ!と駐車場に行ったら聞きなれない鳴き声が近くでする。鳴き声方向の樹木を見つめていると枝先が動いたりするし、時折は影が見えたりする。動かずに待っていたら正面のクヌギの中から頭上のウツギの中に飛び込んで鳴いている。この鳴き方の一部がサンコウチョウのさえずりの一部に近かったからサンコウチョウかもと思いカメラを構えていたら、また正面のクヌギに移り姿を現した。
 鳴き声は短く三音で二音目と三音目は同じ、一音目がオスがさえずる単音に似ていた。メスのサンコウチョウは見たことが無かったが間違いなくサンコウチョウのメスに違いない、それに巣立った幼鳥連れに違いないと確信、つまり小生は「お邪魔虫」だろうと、また池に行ったのだった。
 次に戻った時には警戒音だったろう鳴き声はなく、車を走らせたら拠点高み方向からオスのさえずりが聞こえてきた。巣立った幼鳥をつがいで面倒を見るのかどうか知らないけれど撮影出来た写真を図鑑対照したら間違いなくサンコウチョウのメスである。里山保全活動を始めた当時、サンコウチョウやオオルリの姿を見るどころかさえずりさえ無かったのだから、毎日泥だらけの日々であっても役には立っているのだろう。
 背中側の羽毛が茶系で連想したのはマルタンヤンマだ。上の池でカワセミから視線を外した周囲には赤とんぼも居たのだが、ショウジョウトンボとばかり見ていたけれど撮影して確認したらネキトンボだった。今まで見当違いをしていたことになる。

         

シェルター水路の草抜き

2021-07-21 | 水辺環境の保全
 シェルター水路の水面が覆われてきた。これではトンボの飛翔を妨げるので抜去除草に立ち入った。道具は四本鍬、剣先スコップ、中厚ガマの三つ。水域ではほとんどがイネ科の野草で大株に育っている。これに鍬を打ち根塊ごと引き抜き上棚の法面に引き上げる。引き上げ集める場所は威之志士様の跋扈蹂躙で掘り下げられた部分なのだが、泥付き根塊であっても客土が出来ない環境では「やらないよりはまし」なのである。

 護岸丸太の際で育ってしまったカサスゲは鍬では太刀打ちできず、剣先スコップで掘り上げる。この日の最高気温は36℃超えで内からは汗が噴き出すし外からは鍬を打ち込むときの泥水跳ねで水際だった良か男に仕上がってしまった。こんな場所には妙齢妖艶の貴婦人はやってこないのが惜しい。モテ期のはずなのだがまとわりつくのは汗みどろとアオミドロだけと言う有様は情けない。

 鎌は法面の葦を地際から切除して繁殖を抑制する。葦の席巻は漏水の大きな要因になるし水域のノイバラなどは刺し傷から蜂窩織炎や破傷風の引き金になりかねないから一緒に取り除くのだ。
 このシェルター水路の掘削当初は幅30cm程度の上棚からの漏水を集める集水路に過ぎなかったのだが、山側から入る絞り水が「涸れない」事に気が付いてからは3回ほど拡幅して現在の幅になった。他の水域は隣り沢からの送水に依存しているものの、この水路だけは100%絞り水で、断水しても涸れない環境下にある。そんな事から「シェルター水路」と名付けた。

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7月定例会

2021-07-20 | 月例会
2021/07/17(土)9:00~12:00

会員 6名 部外者1名
活動 地盤ごと滑り落ちた倒木。孟宗竹の排除

 辺縁部の刈り払いの予定だったものの、数日前にすり鉢状の竹の谷外壁が崩れ栗の木などを圧している。通路脇だし優先順位を上げ急遽処理となった。生憎男子会員2名が盆の関係でお休み、ついででは無いけれどかの環境破壊教育NPOのメッセンジャーガールが手伝いに来ていた。本人の所為ではないのに一番矢面に立っている当人だから無下に断る事もならず集積などをご婦人たちに混じって行ってもらう。
 この組織の様は腹に据えかね時折記事に入れるのだが、傷めるのは無関心の現場担当、注意を「小うるさい」誹謗中傷とあらぬ場所で拡散する当事者でない年長者メンバー、それを諫めない管理職、少しは緊張を和らげようと手伝いに来るメッセンジャーガール等々、本末転倒の極みなのだがパンフやHPを拝見すれば「素晴らしい!」としか言いようがなく、まあ、裏表はこの国中枢からの得意技だからして、さもありなん。
 アリナン、アリナン、アーリナンよ。アリナン越えてノホホンだ・・・。さてさて愚痴はそれくらいにして作業に戻ると、写真中央部の奥にも同規模の滑りが発生していて、ここは小生が担当した。まさしく有り難。とんと浮世であったとさ。

 崩れた斜面は絞り水の多かった所で、この絞り水を集めて作ったのが「瓢箪池」なのだった。水分が多い部分だった事は間違いないのだ。上部の縁から10m幅程度が滑り落ちたのだが竹林部分の竹は下方に倒れず斜面上部に倒れた状態になっている。ここまでは処理できず、とりあえずは邪魔にもならないので押し出されて混み入った範囲だけを処理集積する。滑った地盤上すべてを処理出来てはいないものの、さしあたりは差し支えなくなったから当座は後回し。

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移植したクチナシ

2021-07-20 | 蝶の食草園
 ここ何年間、食草園のクチナシのご機嫌麗しくない。周囲の木立が大きくなって日照減で葉数も少なくなってしまった。その葉っぱを食い尽くされるのだから元気が出る訳も無いのだった。数年前から「移植しなければ」と思いつつ根の掘り上げを想うとウンザリして手を付けなかったのだが、それではいつまでたっても解決しない。新葉が萌え始めた頃、頃合いと思い思い切って移植に動いた。

 まず背の高さを超えた枝を50cm程度に切り詰めてから掘り上げた。もともとが田圃跡なので根の入っている深さは耕盤を突き抜けてはおらず浅くて楽をした。
 掘り上げた株はトンボ池の堤に移植する。ここなら日当たり良好で地下水位も下がるから元気回復するだろう。仕上げは池の泥土を根元に盛り水決めで活着を良くする手間をかける。動かないように支柱を添えて作業は終わり。梅雨明けの頃には活着して新しい枝を伸ばしてくれるだろう。

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 それから二カ月余り、植え付け後は残った小葉が少しづつ委縮しつつ変色していった。もとより細根の少ないゴボウ根と言うより大根根だけのような有様だったから「移植は嫌う」性質と観ていて半分は諦めていた。ところがである、梅雨の中頃から復活の兆し、小さな萌芽が始まり、ここにきてしっかりした青葉に育ってきた。梅雨が明けて直射光は厳しくなるばかりだろうが何とか生育の方向に復活できそうな気配がある。
 とはいうものの、もとより「食樹」用の植栽なので萌えれば喰われる定めのクチナシなのだ。まあ、どれだけ食害を受けようともクチナシなので文句は言わない。そうは言っても突き放しは非情だから株もとにカサスゲを敷き藁代わりに敷いておく。これで地表の熱から根が守られるだろう。小生に出来るのはこれくらいである。

              

今日のエッ!品「晒しエゴ菊花寄せ、粕漬けと味噌漬け」出来たぁ!

2021-07-19 | 何よりの楽しみ
 仕込んで丁度12日目、梅雨も明けたし仕込みも明けたろうと夕食後に取り出した。粕や味噌をそぎ落として早速一口噛みしめる。「ンンー旨い!」吾輩の腕前は三ツ星級、頭頂部は夕暮れにもめげず燦然と輝いているのだった。そう、「宵闇迫れど輝き果て無し・・・」とフランク永井も歌っている。何と「美しい爺代、ああー爺代!」これは三田明だ。

 まずは麦みそで覆い、更にラップで包んだ味噌漬けから味見をする。ラップに包んで収めた容器には水分が染み出ていたから、当然いくらかは締まり固さが増したものの咀嚼感が良くなった。
 使った味噌はお手製で熟成期間もそこそこの手前味噌だけれど、味噌の風味より塩分が美味しさを増加させた感じだ。郷里で食べた晒しエゴの味噌漬けは、これも自家製の手前味噌四斗樽の中に手拭いで包んで漬け込んだ味噌漬けなのだが、春を迎える神事、毘沙門天裸祭りの際、お休み処としていた三条の毘沙門講中に振舞われた手打ちそばの繋ぎに使った残りを用いている。
 
 だから食べたい時に食べられた訳ではなく、年一回のご馳走に類する味噌漬けだったはずである。昔から下々はSGDsに努めていたのである。江戸の町などその最たる町で、近代社会でも斯様な究極のシステムは存在していない。
 話は変わって確か小千谷市あたりがの名物と思うが「ヘギ蕎麦」はエゴノリ繋ぎではなかっただろうか。記憶は曖昧になっているものの、それはともかく久しぶりに懐かしい一品を口に入れた幸福感があった。ああ、この味、この味、この味だぁ!。

 二品目は酒粕漬けの菊花とエゴ菊花寄せである。口に入れての第一印象は「塩味が足りない」だった。菊花も晒しエゴ菊花寄せも粕漬けの美味しさはあるのだが水分があったためか薄めの味わいになって物足りない。出し汁を垂らして食べたら美味しさが跳ね上がったから、やはり塩分がカギなのだろう。どちらにしても床から出した以上は日持ちがしないだろうから二、三日で食べきらねばならない。今日の一口二口三口で一晩経過すれば安全かどうかは確定するものの、もとより他人様に提供するものではなくあくまで自分好みの食材調理飲食なのだ。

 どちらの漬け方に優劣があると言うより「懐かしい食材を懐かしい調理で食した」口中幸福、ご満悦の方が勝る。年金暮らしの懐具合の僻みで言う訳ではないけれど、銭金出しても食べれない一品を自分で供する事が出来るのは贅沢の端くれに座らせてもらえるであろうし、これぞ人生の珠宝と言わず何と言う。
 満漢全席のように数日掛けながら腹いっぱいの美食を楽しむ食べ方よりも、時折の一品の方が幸せホルモンが出るような気がするし、このような時にホリエモンは出てきてほしくないがドラエモンは苦しゅうない、まあ良きにはからえ、なのだが楊貴妃ははべっておらん孤食であった・・・。
 
 でもでもでも「この寂しさがやがていつか、私を大人にするという事を・・・」と森山良子は歌っていた。姥捨て山で風雨や高貴の、いいえ好奇の視線に晒されても私は負けない!てなもんや三度笠。

今日のトンボ「コオニヤンマ」

2021-07-18 | 小父のお隣さん
 梅雨が明けた。本日の最高気温は31.8℃で午前は作業で汗噴き出しっ放しでも午後の暑さの方が休憩中でも堪える。巡回路を軽く刈り払い水際の漏水を発見しやすくしての休憩時、Sさんと駐車場で立ち話の折りにヤンマ型のトンボが何回か近くを飛翔していく。判別は出来なくて泥水池への順路、路面に降りたトンボがいた。コオニヤンマに間違いない。

 小生の判断基準は「オニヤンマはぶら下がる。コオニヤンマは地表に止まる」と言う、とても科学的生態的根拠を持った基準だったしSさんも「コオニヤンマ」の判定だったから正しいのである。
 自宅で「トンボ図鑑」のコオニヤンマのページを参照すると「体の割には頭部が小さくて特異な体型ですぐに識別できます」とある。ここは読んでいなかった。確かに写真を子細に見れば頭部が小さい様に思えるのだが、飛翔中は把握できるはずも無し。
 ところで「ヤンマ」とつくけれど「ヤンマ科」ではなく「サナエトンボ科」なのだ。何でそうなるの・・・。

     

**深川どぶ板長屋井戸端当世立ち話

2021-07-18 | 性向有毒の翁なれば
           プレイブックはイタチのおなら
                    無礼腐礼のオリンピアン ハアコリャコリャ

           日の本リスク零とは阿呆な
                    バッカ怪鳥地鳴きした ハアコリャコリャ

           感染拡大それでも入れろ
                    観客拡大馬鹿バッカ ハアコリャコリャ

           強弁強権梯子は外す
                    ワクチン打たせず鞭を打つ ハアコリャコリャ

           口で言うだけ文々出して
                    コロナ口撃気楽なり ハアコリャコリャ

           検査隔離にワクチン満ちて
                    津々浦々の波は引く ハアコリャコリャ

           はしご外すや強権手練
                    藁屋根腐ったような部署 ハアコリャコリャ

           経費削減吹かして決めて
                    今じゃお愛想三兆円 ハアコリャコリャ

           金の亡者よ誤倫の貴族
                    コロナの時代でまた儲け ハアコリャコリャ

           シャボン玉爆ぜた 都会で爆ぜた
           来た日にすぐに 市街で爆ぜた
           性善風吹くな コロナ玉爆ぜる (新型変異歌詞)罵っ歌界調

今日のトンボ「みんなのお顔も真っ赤ッか」

2021-07-17 | 小父のお隣さん
 恐らく梅雨明けだろう。先一週間は晴れマークが並んじまった。作業中、腰の飲料水が無くなり車まで予備のボトルを取りに戻ったらS先生とSさんが見えていた。既に11時過ぎで作業も峠を越していたから休憩かねてトンボの話題。

 上の池で「コシアキトンボ」が飛翔していたとの事で帰宅前に撮影しなくてはと思いつつの立ち話。駐車場の空間をヤンマ型のトンボが時折通り過ぎていく。当然小生は「ヤンマ型」程度としか分からないのだがS先生は「コオニヤンマ」「オニヤンマ」と次々と判定する。複眼の色すら識別しての判定だ。何でそうなるの!。

 結局、今日は小生が同時に見た二種のほかに前述のコシアキトンボ、ミルンヤンマ、既に発生確認していたネキトンボの交尾体、完熟したショウジョウトンボなどの飛翔があった事を知る。帰宅前に水域を一周したがコシアキトンボは見れなかった。仕方が無いから梅雨明け夏日で真っ赤っかになったショウジョウトンボを1枚。

 この日、思い知ったのは通常飛翔している種以外は視認できても判定できず見逃している事実だ。寂しい限りでもあるが「おいらはトンボ守りではない」のも偽らざる事実で「守りもされない、守りもしない」のが姥捨て山なのである。

          

             

上の池、泥浚い

2021-07-17 | 水辺環境の保全
 「大池の底,一掻き」したところで効果満点なんて事は無いものの「行わないよりまし」なのである。前日にようやく倒木を使い護岸木を敷設できたから泥浚いに入れたようなものでもある。主だったMさんは高齢で家族から外出禁止を喰らったとかで昨季からは出て来れず、結局小生が受け継いだ形になっている。Mさんのグループの活動範囲なのだが手入する意思はどなたも無いからしょうがなく、上流部を荒廃させれば下流域の水域はもろにあおりを受けてしまう。

 そんなことでMさんが活動していた頃から「上下一体ですから…」と不足を補っていたものの昨季からは「不足分」どころが「全面的」なのである。この日はとりあえず長柄のジョレンで護岸木を敷設した池の部分だけの泥浚いである。Mさんの設えは粗朶を敷いた護岸だったので朽ちて沈んでしまった。新しい粗朶敷きでも泥上げすれば隙間から池に戻ってしまい効果など無かった無駄骨である。ようやくしっかりと泥を留められる設えが出来たけれど、池の周囲の二辺は全く手つかずだ。

 長柄のジョレンで届く範囲を浚うのだが、いっぱいに伸ばすと効きが悪くなり、そこで柄の端を肩にかけてジョレン部を底に押し込み引き寄せる作業が必要なのだがシャツ一枚の肩はそれだけで赤くなりしばらく痛いのが続く。泣き言を言っても助けにはならず要は泥浚いをすることが必要なだけ。
 さて、ジョレンで作業を行って明らかなのは沈泥路に近い部分ほど堆積土が多く浅かったという事で、これはまあ、「当たり前田のクラッカー」なのであるものの、流入部に沈泥機能を持たせた構造を作ることで池の環境悪化は微力でも抑えられるはずでまあ、それも泥浚いを続けている間だけの話なのだが…。

 この作業をしている時におチビちゃんを連れたママさんたちがやってきた。言わずと知れた吐水口での水遊びをするためである。小生は見つけたサワガニやヤゴ、ミミズをおチビちゃん達に提供したら母子ともども楽しんでいる歓声が続いた。ついでに沈泥部から離れたところの泥をジョレンで三回ほど浚い取って道路に上げる。シルト状の微粒子で「スベスベー!」「泥パックウ!」とか言ってママさんたちの方が姦しかった。
 護岸木を敷いた部分で出来る泥浚いは終わり、次は馬鹿長靴で身を包み葦抜きのため池に入らなければならない。これは一日半程度の作業になるだろう。

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上の池、泥上げ場をつくる

2021-07-16 | 水辺環境の保全
 降雨の予報で休日にするつもりが休めない。薄日が差したり曇ったりと不安定ながら雨の兆しも無いからだ。となると身体も空く暇もなく作業に駆り出されるとまあ、弱者に厳しい社会である事よ。
 前の日に沈泥路を設え思わぬ作業日を頂いたから続いて泥上げ場の設えを済ませた。これで倒木・掛かり木の処理で出た適径木は使い切り、道路端に寄せていた丸太も処理出来たのである。

 泥上げ場と言っても特段の設えではなく、今まで粗朶を敷き詰めての水際だったのを丸太に交換しただけの事である。とは言え、粗朶の腐食は早く既に水際線に埋もれ朽ちているから歩くこともままならず、ここに泥上げしても重みで池に流れ出るだけなのだ。粗朶の護岸は生物層にとっては条件が良いのかもしれないのだが、こと上の池の護岸には不向きだと思ってきた。然るに我が勢力圏外だったので、そこまでの口出しは出来かねたのだ。時を経て小生だけが手を出す水域になってしまい良かったのか悪かったのか、今となってはどうでも良い事である。

 林道を鳶口で引っ掛け引っ掛け転がして池の傍まで運び並べたのだが杭が不足してしまった。購入した杭の手持ちはあるけれど残り少ないので温存、この場所の杭全ては倒木処理ででた枝材などで賄っている。それでも不足して、近くに放置され朽ちている材の芯の部分が杭に使えそうなのでチェーンソーで加工して十本ほど足して間に合ったのだった。
 丸太護岸とすると西側の一辺を満たす事が出来なかったものの、泥上げ場の設えなら当座は間に合う。護岸の丸太はついでの時にでも調達、作業をすれば良いのである。

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 写真下側、右手から流入し流路の幅を広げられ水流が遅くなり開放される事に土砂の沈殿が促されるという設えなのだ。護岸の丸太は泥曳きの時の足元を支え上げた泥を塞き止める役割がある。水分が抜ければ一輪車で土の不足している堤や埋め立て部の用土に使い回せる。何の事は無い「箱庭の中の遊び」に同じなのだ。別の視点で言えば「井の中の蛙大海を知らず」か…。

上の池の沈泥路「五本となれば汗びっしょり」

2021-07-15 | 水辺環境の保全
 手入れをせねばと思いつつ当に男性型脱毛した小生には孫悟空の「分身の術」は使えない。で、手が回らず先送りしてきたのだが沈泥路の流れが堆積土で変わってしまい池の中央部に流路が向いてしまっている。雨の季節真っただ中に入る前に手入れをしなければと思いつつ来たのだが材が無かった。ところが思わぬ倒木処理で必要な材を得る事になったから倒木処理の終わった翌日、休養日にも出来ず手入れを行った。

 林道上の落しておいた材を鳶口で引っ掛け転がしながら五本を上の池まで運んだ。はじめ、鳶口を打ち込んで曳き運ぶつもりだったのだが開始直後にあえなく惨敗。引きずるより転がした方がなんぼか楽なのは自明の理で、ましてや林道は車の通れる舗装路なのだ。
 それでも五本を運べば汗びっしょりになる季節で「五本となれば汗びっしょり」とテレビでも言っている。ウシノヒタイが覆って見えなくなった水路を刈り払い、丸太を据えて杭で止める。表記してしまえばこれだけなのだが丸太曳きも杭打ちも老骨に鞭打つ所作であったことは間違いなく、「なんでか!」と問われれば小生、生まれた時から名実Sで血液型はニイ型である。これは自他ともに認められる所見ぞ!。でもでも「しょうもない!」のSかもと今思った。

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 作業終了時の撮影を忘れ帰宅前に撮影に行った。既におチビちゃん数人が沈泥路に入り遊んでいる。一応「顔は写さないで使います」と断りを入れて撮影したのだが、おチビちゃんを入れた画面は久しぶりである。昨今の環境では安易に撮影も出来ないしブログに上げるなどタブーに近い。我が子にこういう泥んこ遊びを笑顔で許しているママも偉いのだが姥捨て山住人の小生も心和む風景なのであった。

溜まりの泥浚い

2021-07-14 | 水辺環境の保全
 昨季、ヤブヤンマ用に設えた「溜まり」、絞り水の絶えない場所でジュクジュクのままだったのをようやく重い腰を上げ小池に仕立てたのが昨季の事だ。この池を掘削中に、はやヤブヤンマが現れて山側の土の壁に産卵してくれたのだった。「幸先良い!」と思ったものの水底のヤゴなど明確に数えることなど出来るはずも無く、先般の夜間採集に野次馬として出かけた折りに「羽化まじか」のヤゴを4匹ほど見る事が出来たけれど、それ以後、注視しているものの抜け殻さえ見つけられない。

 梅雨の時期で降雨とともに絞り水が増え、それに伴って土砂の流入もあり水深も浅くなり砂州も出来始めたので思い切って泥浚いを実施した。一坪に満たない小さな溜まりなのだが意外にも体長25mmほどのヤゴが多数浅瀬に動いていた。大型のヤゴは全く発見できなかったのだが、この小型のヤゴは何トンボのヤゴか小生には判らず、S先生の判断を仰ぐしかないのであった。
 さてその結果は「シオカラトンボ」だった。直射光の届かない場所なのでマユタテアカネかと小生は思っていたのだが、シオカラトンボも産卵に来るとは意外だった。

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今日のエッ!品「完熟梅ジャム入りジンジャーエール」

2021-07-14 | 何よりの楽しみ
 冬季の携行飲料用に仕込んだ生姜シロップが余ったままだ。夏場に生姜も無いだろうと思案投げ首もせずほっといたのだが「ジンジャーエール」は夏の飲み物と思い直して炭酸を購入してきた。そのまま「ジンジャーエール」では芸も無いし、「ままよ!」と完熟梅ジャムを加えてみたのだ。すっきり酸味を期待しての事だったのだが、これが意外に美味しいのだ。

 美味も美味、「もう一杯!」と言いたい口当たりで喉ごしである。惜しむらくは「糖分摂取過多」間違いないからそうそう多淫、いいえ多飲は出来ないけれど、くたびれて帰宅した暑い日の一杯には元気が回復する気がする。普段は飲まない炭酸水の大びんを購入しておく気になったのだ。梅シロップ+生姜シロップ+炭酸水で暑い盛りの清涼飲料は「極まり」であろう。しかしながら今期は青梅での梅シロップは作れず完熟梅ジャムと置き換えんーってしまった。んーっ、先見の明が無い。