澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

3.11以降日本の「自滅願望」について

2013年03月11日 08時06分27秒 | 社会
 あの大震災から2年。早いものだ…と思う。

 youtubeで「西部邁ゼミナール」の「戦後日本の自滅願望」を見た。東京MXーTVでこの2月末と3月に放送。ゲストは佐藤健志氏。
 
 サブ・カルチャーに無関心な私は、評論家・佐藤健志氏の存在を全く知らなかった。この番組で、かの有名な佐藤誠三郎(故人 元東大教授)・欽子(弁護士)夫妻の子息だと知った。
 
 東日本大震災について、佐藤健志氏は「大震災の経験によって、日本人があたかも偉くなったような論説があるが、それは間違い。単に自然災害に遭っただけ」と語る。「大震災が起きても暴動ひとつ起きなかった日本を世界が賞賛している」という類の話で日本人が自己陶酔しているが、それは単なる幻想なのだと言っているのだ。まさにそのとおりで、自画自賛、自己満足しているあいだに、次の大災害の危機は迫っているのだとも言えよう。

 福島原発事故の危機の一週間、日本は完全な情報統制下に置かれた。背後に原発が爆発する映像が映っているのに、「心配ない」「問題ない」と繰り返したTV局などのマスメディア。NHKは、地上波とBSで4波を有しているのに、すべてを緊急放送態勢に切り替えた。もし、BSで毎日放送している世界のニュース(海外ニュース)を報道し続ければ、日本の原発報道がいかに嘘っぱちか分かってしまっただろう。「パニックひとつ起こさない日本人に賞賛の声」などという自画自賛の”神話”は、こうした情報統制があったからこそなのに、日本人の多くは今なお「絆」「寄り添う」などと言い続けているのだから、何をかいわんやという感じだ。

 つまるところ、日本人の心情にはある種の「自滅願望」があり、「日本人は立派」「日本は素晴らしい」と自己陶酔しながら、次の大震災を甘受しようとしているのかも知れない。防災対策など二の次で「世界をおもてなし」するのだと言い、東京五輪招致に狂走する都知事はそのシンボルなのだろうか。外国人の多くは原発事故が収束していない日本での五輪開催を望んでいないという厳然たる事実に何故「向き合え」ないのだろうか。 

 佐藤健志氏の著作「夢見られた近代」(2008年 NTT出版)も読んでみた。日本の近代を語るときに、とかくタブー視されがちな「人種」の問題を視点に入れたことには、とても共感を覚えた。著書名が「夢見る近代」ではなく「夢見られた近代」であるのは、まさに西欧近代(=白人)によって強要された「日本近代」であった所以であるから。