映画「台湾アイデンティティー」(酒井充子監督)を見てから2ヶ月余りが経ってしまった。前作「台湾人生」は、私が台北「二二八紀念館」でお会いした蕭錦文(しょうきんぶん)氏が出演されていたこともあり、生涯忘れられない映画となった。
最新作「台湾アイデンティティー」は、酒井監督自らがジャカルタ、横濱など台湾以外の場所も取材して、戦後、台湾の日本語世代が歩んだ苦難の道を辿る。「台湾人生」をさらに深めた作品と言えるだろう。この作品では、「二二八事件」を経験した証言も生々しく語られている。
私が2ヶ月間もこの映画の感想を書けなかったのは、この映画が私にとってとても重く感じられたからである。
映画が終わったあと、酒井充子監督が自ら舞台挨拶をされた。
(舞台挨拶をする酒井充子監督 7月16日 東京・中野)
酒井監督は「できるだけ多くの方々に見ていただきたい」と控えめに語られた。このブログでも既に記したことだが、台湾を巡る政治状況が悪くなる(=「ひとつの中国」という幻想の中で、台湾が見捨てられようとする)状況の中で、この映画を制作することは、それこそ身を切るような決断があったはずだ。新聞記者の職を辞して、この映画に賭けたのだから…。
だが酒井監督は、そんなことは微塵も感じさせない。物静かに、事実をありのままに突き詰めていこうとする態度は終始一貫している。比較しては酒井監督に対して失礼になるだろうが、NHKスペシャル「アジアの”一等国”」を制作した濱崎憲一(NHKディレクター)と比べれば、二人が同じ「ジャーナリスト」だとしても、それこそ天と地、月とすっぽんほどの差を感じる。酒井充子監督はジャンヌ・ダルク、濱崎はNHKの小悪党局員という感じだろうか。私は酒井監督に心からエールを送らずにはいられない。
帰りがけに、酒井監督に「蕭錦文さんはお元気ですか?」と尋ねてみた。「元気ですよ~。」という明るい声がかえってきたときのホッとした気持ちは今でも忘れない。蕭氏は多分、87歳くらいになるはずだ。
日本人は台湾に大きな忘れ物をしてきた。それは台湾の日本語世代。彼らももう八十歳代半ばとなる。東日本大震災の際に台湾から多大な義援金が寄せられたので、日本人の多くは台湾が「親日国」であることを再認識したはずだ。その根底にあるのは、台湾の日本語世代が「日本時代はよかった」と家族に語り継いだからである。
酒井充子監督のこの映画は、その日本語世代へのオマージュでもある。
なお次の映像は、酒井充子監督の映画とは直接関係はないが、台湾の日本語世代の気持ちをよく言い表していると思われる。日本統治時代の台湾を体験した人ならではの、現代日本人への直言でもある。
最新作「台湾アイデンティティー」は、酒井監督自らがジャカルタ、横濱など台湾以外の場所も取材して、戦後、台湾の日本語世代が歩んだ苦難の道を辿る。「台湾人生」をさらに深めた作品と言えるだろう。この作品では、「二二八事件」を経験した証言も生々しく語られている。
私が2ヶ月間もこの映画の感想を書けなかったのは、この映画が私にとってとても重く感じられたからである。
映画が終わったあと、酒井充子監督が自ら舞台挨拶をされた。
(舞台挨拶をする酒井充子監督 7月16日 東京・中野)
酒井監督は「できるだけ多くの方々に見ていただきたい」と控えめに語られた。このブログでも既に記したことだが、台湾を巡る政治状況が悪くなる(=「ひとつの中国」という幻想の中で、台湾が見捨てられようとする)状況の中で、この映画を制作することは、それこそ身を切るような決断があったはずだ。新聞記者の職を辞して、この映画に賭けたのだから…。
だが酒井監督は、そんなことは微塵も感じさせない。物静かに、事実をありのままに突き詰めていこうとする態度は終始一貫している。比較しては酒井監督に対して失礼になるだろうが、NHKスペシャル「アジアの”一等国”」を制作した濱崎憲一(NHKディレクター)と比べれば、二人が同じ「ジャーナリスト」だとしても、それこそ天と地、月とすっぽんほどの差を感じる。酒井充子監督はジャンヌ・ダルク、濱崎はNHKの小悪党局員という感じだろうか。私は酒井監督に心からエールを送らずにはいられない。
帰りがけに、酒井監督に「蕭錦文さんはお元気ですか?」と尋ねてみた。「元気ですよ~。」という明るい声がかえってきたときのホッとした気持ちは今でも忘れない。蕭氏は多分、87歳くらいになるはずだ。
日本人は台湾に大きな忘れ物をしてきた。それは台湾の日本語世代。彼らももう八十歳代半ばとなる。東日本大震災の際に台湾から多大な義援金が寄せられたので、日本人の多くは台湾が「親日国」であることを再認識したはずだ。その根底にあるのは、台湾の日本語世代が「日本時代はよかった」と家族に語り継いだからである。
酒井充子監督のこの映画は、その日本語世代へのオマージュでもある。
なお次の映像は、酒井充子監督の映画とは直接関係はないが、台湾の日本語世代の気持ちをよく言い表していると思われる。日本統治時代の台湾を体験した人ならではの、現代日本人への直言でもある。