東日本大震災から早くも4年。
近くの街の駅前広場でも、大地震が起きた午後2時46分を機に、犠牲者を追悼する法要が行われた。
TVやラジオは、追悼番組で埋め尽くされたような感じもあるが、これは一時のこと。「絆」「寄り添う」などという言葉も早々と陳腐化してしまったようだ、
あのような津浪災害は人智では防ぎようがないと思うけれども、原発事故を思い起こすと暗澹たる気分になる。あのとき、事故の情報は意図的に隠蔽された。枝野官房長官は「今のところ、問題はない」と繰り返すばかりだったが、実際には原発はメルトダウンを起こし、多量の放射性物質が放出された。それなのに首都圏では、会社も学校も通常どおり。人々は「強制された日常」を演じさせられた。
昨日は東京大空襲の記念日だったが、戦時下の国民は法令による統制のもとで、自由意思で戦火から逃れることなど許されなかった。大本営は、近々米軍が首都を空襲するだろうと察知していたが、焼夷弾の標的になる国民のことなど二の次だった。
いつの時代も為政者は、国民のことなどさほど考えてはいない。近未来、ほぼ確実に東南海地震、首都圏直下地震が起きるというのに、「東京五輪」「おもてなし」「日本はすばらしい」と囃し立てるマスメディアとそれに呼応する輩ども。もし、首都圏直下地震が起きたら、特に東京都区部では、被災民を仮収容する避難所さえままならない。ましてや、仮設住宅など建設する場所もない。そんなことを百も承知の聡明な方々は、自分の家族の避難場所だけはしっかりと確保しているに違いない。
明日、大地震が襲ってきたとして、体育館などの避難場所で陣取りをして、水、食料を奪い合う「市民」の光景が目に浮かんでしまう。「絆」「寄り添う」「向きあう」といった美辞麗句がどこかへ吹っ飛ぶそのときこそ、まさにこの国の衰亡の始まりとなるだろう。
そうならないことを願うけれども…。