真夜中、「平和安全保障関連法案」が成立。
TVニュースを見れば、この話ばかりだったので、政治には辟易としている私でも、ある程度の情報が刷りこまれてしまった気分。
「無告の民」の一人である私だが、この「安保法案」には基本的に賛成。国会周辺をデモ行進する「市民」を見て、ますますその思いは強まった。
SEALDsの代表で国会でも発言した若い男は、明治学院大学国際学部の学生だという。故・坂本義和(国際政治学者)の流れを汲む「護憲派」「平和学者」の巣窟として有名な大学学部。現実を直視せず、理想主義を掲げて政治権力を批判するというのが主流なのだが、SEALDs学生の言動は、その教授達の完全コピーに過ぎない。将来は外務官僚になるかもしれない東大法学部の学生は、こんな「市民デモ」には参加しないだろうし、そもそも政治外交が「市民」ごときの手に負えないことも十分熟知している。一方、明治学院の学生は、デモで大言壮語しても、結局、派遣社員にしかなれそうにない。そこがエリートと大衆の違いなのだろうと言ってしまえば、実も蓋もないけれど…。
もうひとつ、この法案に関するマスメディアの報道が、あまりにもひどかったこと。特にTBS、毎日新聞の突出した「偏向報道」にはあきれ果てた。国会における憲法学者の意見聴取を機に、それまでは控え目にしていた「反安保」「安倍叩き」の姿勢を露骨に打ち出した。報道の中立・公平性をかなぐり捨てた印象操作・世論誘導だった。
マスメディアの大騒ぎも、「市民」デモも、法案が通ってしまえば、間違いなく一件落着で跡形もない。ずっと考え続けなければならない安保外交の問題を、一過性のパフォーマンスで終わらせてしまう、この極端な傾向に違和感を感じるのは私だけか。
戦後70年続いた「一人の戦死者もでなかった平和な日本社会」は、日本国憲法のおかげなどではなく、たまたま幸運が続いたからに過ぎない。「敗戦国日本」を悲惨状態に押しとどめようとする米国の意思は、冷戦の勃発によって変更せざるを得なかった。中国大陸は、中共による暴政が続き、長い間、日本に関与する意思も能力も持たなかった。そういった外的要因が、経済発展に専念できる時間を日本人に与えたというに過ぎない。山本太郎や石田純一が「私たちが守ってきた憲法を世界に対して誇りに思う」などと言うのは、自分の無知をさらけ出しているだけだ。
ともあれ、「安保法制」が成立したのはご同慶の至りなのだが、それを運用するのはわが日本人。曖昧さ、夜郎自大、付和雷同性においては、人後に落ちない国民であるので、これから何が起きるか不安はぬぐえない。第二の松岡洋右が出現しないとも限らないし…ね。
安保関連法が成立=戦後政策、歴史的転換―集団的自衛権行使容認―野党抵抗未明まで
時事通信 9月19日(土)2時24分配信
未明の参院本会議で採決が行われ、自民、公明両党と元気、次世代、改革の野党3党の賛成多数で可決、成立した。
関連法は従来の憲法解釈を変更し、集団的自衛権行使を可能にすることを打ち出しており、戦後日本の安全保障政策は歴史的な転換点を迎えた。民主党など野党5党は関連法を「憲法違反」などと主張、ぎりぎりまで抵抗したが、今国会成立を掲げた安倍政権の方針の下、与党が数で押し切った。
27日の会期末を待たず、週内の成立を目指した与党側は、民主党などが審議続行を求める中、参院平和安全法制特別委員会で17日に採決に踏み切った。野党側は、担当閣僚である中谷元防衛相や安倍晋三首相の問責決議案、安倍内閣不信任決議案などを提出して対抗したが、与党は元気などと連携して順次否決、当初方針通り成立させた。
成立したのは、自衛隊法など10本の改正法を束ねた「平和安全法制整備法」と、自衛隊の海外派遣を随時可能にする新たな恒久法「国際平和支援法」の2本。政府は、北朝鮮による核・ミサイル開発や中国の海洋進出で日本の安保環境が大きく変化したことを踏まえ、日米同盟強化により抑止力を高めるとしている。
関連法は、米国など日本と密接な関係にある他国が攻撃を受け、日本の存立が脅かされる事態での武力行使の要件を規定。朝鮮半島有事を想定した周辺事態法から「日本周辺」の概念を外し、他国軍支援への地理的制約を取り払った。国連平和維持活動(PKO)では、任務遂行の目的などでの武器使用を解禁した。