いま、「日本国紀」(百田尚樹著 幻冬舎)がベストセラー。さらに続編の「日本国紀」の副読本 学校が教えない日本史 (産経セレクト S 13) 新書 もベストセラーになっている。私は、「虎の門ニュース」の視聴者で、とりわけ有本香のファンなので、副読本の方はぜひ読んでみたいと思っている。
「日本国紀」は、書店で立ち読みはしたものの、買いたいとは思わなかった。「虎の門ニュース」で毎回、百田尚樹の自画自賛的PRを見ていると、何だかもう読んでしまったような気になったからだ。でも、「日本国紀完全レビュー」というYouTube映像を見ると、東大生らしいユーチューバーが「日本国紀が問いかけている問題は、歴史の筋道を理解するという点で、東大入試の日本史に共通することが多い」と評価している。近現代史のもつれた糸を特定の史観でほぐして見せたという点では、大いに評価されるべきなのだろう。
実は、年末年始に私が読んだのは、「愛と暴力の戦後とその後」(赤坂真理著 講談社現代新書 2014年)だった。私がキライな高橋源一郎がこの本の推薦文を書いていて、著者のことも知らなかったのだが、実際に読んでみると共感することが多々あった。保守を自認する百田尚樹は、「朝日」「岩波」に象徴される「戦後民主主義」「進歩的文化人」が日本を貶めてきたと主張する。これには、今や多くの人が首肯できるだろう。しかしながら、百田や青山繁晴の言説の中で、「普通の」人びとがついていけないこともある。例えば、皇室への無条件な称賛のように。
昭和天皇はなぜ戦争責任を免れたのか、なぜ原発事故の原因追及が進まないのか、大震災の可能性が高まる中でなぜ東京五輪が強行されるのか等々、この国には「反対」を唱えられないタブーがいくつもある。その原因は「同調圧力」にあると説明されることが多いのだが、果たしてホントなのだろうか。「愛と暴力の戦後とその後」の著者は、こういった疑問を散文的に取り上げつつ、自分の考えを深めていく。これは「日本国紀」とは対照的な、「個」の思考だろう。サヨクと言ってしまえば、それはそうであるけれども…。
まあ、今の私にとっては、こういった本もある種の解毒剤として必要なのかも知れないと思う。