ウクライナ戦争で突如、往年の映画「ひまわり」(1970年 イタリア映画)に脚光が浴びているようだ。さきほどのニュースによると、目ざとい配給会社がこの映画の再上映を始めていて、評判は上々だという。観客の多くは、ウクライナの状況とダブらせて、この映画を「反戦映画」として見ているようだった。
だが、この映画は、純粋な反戦映画などではない。映画が制作された1970年といえば、米ソ対立がデタント(緊張緩和)の時代に入り、西側から「鉄のカーテン」の向こう側に入って、映画撮影が許される状況が生まれた。そこで、イタリア映画である「ひまわり」に白羽の矢が立った。第二次大戦下、イタリア兵として対ソ連(ウクライナ)戦線に駆り出された主人公(マルチェロ・マストロヤンニ)が、戦争終結後にもウクライナに留まり、現地の女性(リュドミラ・サベリエワ)と結婚する。夫が生きていると信じる妻(ソフィア・ローレン)は、戦後25年を経て、ソ連(ウクライナ)に夫を探しに行く。それがおおよそのストーリーで、当時の観客にとっては、初めて垣間見るソ連の光景、ロシアのとびきり美人女優などが新鮮だったはずだ。一面に咲き誇るひまわりは、実はソ連の国花だったというのも、ソ連当局とのタイアップを示していると言えよう。
つまり、この映画は、反戦映画というよりも、デタントの時代を反映した、変種の「恋愛映画」というべきだろう。ウクライナの現況をこの映画とダブらせるのは自由だが、リアルタイムでこの映画を見た私は、かなり違和感を覚える。
信じられないような事実を指摘しておくと、1945年5月、イタリアのムッソリーニ首相は群衆によって縛り首にされる。新たな政府は、同年7月、日本に対し「宣戦布告」する。日独伊三国軍事同盟の盟友であったイタリアがである。「国体護持」「一億玉砕」を叫ぶしかない日本とは真逆に、イタリアは敗戦国か戦勝国か分からなくなるようなグダグダな、よく言えば狡猾な政治過程をたどった。これを「伸びしろを残した敗戦」と評価する評論家もいる。こう見てくると、マルチェロ・マストロヤンニが扮するイタリア兵の人生の軌跡は、まさにイタリアの辿った「戦後」を暗喩しているように思える。
この映画のテーマ曲は、文句なく素晴らしい。ヘンリー・マンシーニが指揮するRPO(ロイヤル・フィルハーモニー・ポップス・オーケストラ)の演奏会(サントリー・ホール 1992年頃)で、マンシーニ自身がピアノを弾きながらこの曲を演奏した。その光景は今でも焼き付いている。この映画の真髄は、デタントの時代的雰囲気とこのテーマ曲に尽きる。
ソフィア・ローレン、Sophia Loren 「ひまわり Sunflower I girasoli~Love Theme~」ヘンリー マンシーニ Henry Mancini