遅ればせながら、「タイワニーズ~故郷喪失者の物語」(野嶋 剛著 2018年 小学館)を読む。
本書の内容は次のとおり。
第一章 政治を動かす異邦人たち
蓮舫はどこからやってきたのか
日本、台湾、中国を手玉にとる「密使」の一族 リチャード・クー
第二章 台湾でうまれ、日本語で書く
「江湖」の作家・東山影良と王家三代漂流記
おかっぱの喧嘩上等娘、排除と同化に抗する 温又柔
第三章 芸の道に羽ばたく
究極の優等生への宿題 ジュディ・オング
客家の血をひく喜び 余貴美子
第四章 日本の食を変革する
「551蓬莱」創業者が日本に見た桃源郷 羅邦強
カップヌードルの謎を追って 安藤百福
第五章 帝国を背負い、戦後を生きる
三度の祖国喪失 陳舜臣
国民党のお尋ね者が「金儲けの神様」になるまで 邱永漢」
第六章 タイワニーズとは
日本統治時代(1905-1945年)の台湾は、「大日本帝国」の外地として、台湾総督府に統治される「植民地」だった。だが、その統治は、欧米列強がアジア、アフリカ、ラテンアメリカで行ったような収奪型ではなく、当該社会の近代化に資するという側面も強かったと言われる。
日本統治時代、台湾社会は大いに近代化された。そこには、膨大な投資が行われ、工場、学校、病院などの社会インフラが整えられた。そんな台湾にルーツを持ち、戦後の日本社会で名を成したタイワニーズ(台湾人)を本書は採り上げている。
鋭い経済評論で知られるリチャード・クー。彼のルーツ、生い立ちを初めて知り、本書のタイワニーズの中で一番の国際人(コスモポリタン)である理由がわかった。
「アヘン戦争」などの歴史小説で名高い陳舜臣は、神戸の「華僑」出身。台湾を出自とする日本人として生まれたはずの彼は、日本の敗戦後、「一つの中国」の選択を迫られ、一度は中華人民共和国籍を取得するが、第二次天安門事件(1989年)の暴虐を見て、当該国籍を離脱する。私は、本書で初めてその事実を知ったが、彼らしい誠実さだと思った。
「金儲けの神様」だった邱永漢は、実は東京帝国大学卒の生粋のエリートだったが、戦後、台湾独立運動に関わって、国民政府と決別する。小説「香港」や「濁水渓」など、初期の小説からは、その時代の雰囲気が伝わってくる。
個々のタイワニーズのエピソードを、これ以上並べても仕方ないので、「終章 タイワニーズとは」から、著者の言葉を採りあげよう。
「……台湾の人々は”日本は台湾を二度捨てた’という言い方をする。それは、ポツダム宣言の受諾による台湾の放棄と、1972年の中華民国との断交を指す。どちらも日本が自ら望んだことではない、という言い訳もできようが、台湾の人々の立場からすると、手を切られ、放り出されたという事実は否定できない。
しかも、戦後の日本は、植民地統治などを含めた戦争責任について、およそ台湾に関して議論することをほとんどやめてしまったようだった。本質的にいえば、戦前の中国と台湾は切り離された存在であり、台湾人は日本人として戦争に参加した。だから、日本の台湾統治と日中戦争の問題は別々に分けて論じられるべきだった。しかし、台湾が当時中国にあった中華民国に接収されたことで、日本の台湾統治は中国全体に対する戦争責任のなかで薄められ、埋没してしまったのある。
……日本の台湾統治という歴史が、国民党と共産党の争いのエアポケットに落ちてしまった状況だった。そのなかで、共産党も、国民党も、”日本は台湾を搾取した””日本によって台湾人は皇民化された”というイデオロギー的歴史観で、50年間にわたって台湾の人々が日本人として生きてきた時間を、あまりにも薄っぺらく総括してしまった。」(本書 p.300-301)
朝日新聞の中にも、著者のように、真っ当な歴史観を持つ人がいるのには、驚いた。著者は、大学時代に第二外国語で中国語を選択したという。かなり年上の私には、「あの大学でも中国語が選択外国語になったのか」と感慨を禁じ得ない。私などは、第三外国語(自由選択、初級、中級各二単位)の中国語をスペイン人教授(神父)から細々と習っただけだ。
ウクライナの戦争は「次は台湾」という危機感を駆り立てるが、多くの日本人は依然として「お花畑」を散歩中。台湾・高雄市在住の友人にそのことを伝えると、少々がっかりしたようだった。日本人と台湾人の溝は、相変わらずだ。