寺田寅彦著「地震雑感 津浪と人間」(中公文庫 2011年7月)を読む。
寺田寅彦※(1878-1935)は、物理学者にして随筆家。東京帝国大学で物理学を講ずる傍ら、数々の随筆(エッセイ)を執筆した。
※ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E7%94%B0%E5%AF%85%E5%BD%A6
ある程度の年配の人なら、寺田の随筆を「国語」「現代国語」の教科書で読んだことがあるのではないか。
寺田は、東京帝大地震研究所長も務めた地球物理学者。1923年9月1日、東京を襲った関東大震災※について、地震学者として調査を行うとともに、大震災前後の社会状況についても、詳しく記録を残している。
※
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD
「M7クラスの東京直下地震が4年以内に起こる確率は70%」という衝撃的な発表が話題になっているが、寺田の随筆を読むと、関東大震災前後の状況も、今と似通ったものだと分かる。次の一文は、今日書かれたとしても何の違和感のない文章である。
「大正十二年の大震災は帝都と関東地方に限られていた。今度のは箱根から伊豆にかけての一帯の地に限られている。いつでもこの程度で済むかというとそうは限らないようである。安政元年十一月四日五日六日にわたる地震には東海、東山、北陸、山陽、山陰、南海、四海諸道ことごとく震動し、災害地帯はあるいは続きあるいは断えてはまた続いてこれらの諸道に分布し、到る処の沿岸には恐ろしい津波が押し寄せ、震水火による死者三千数百、家屋の損失数万をもって数えられた。これとよく似たのが宝永四年にもあった。こういう大規模の地震に比べると先年の関東大震災などはむしろ局部的なものとも云える。今後いつかまたこの大規模地震が来たとする。そうして東京、横浜、沼津、静岡、浜松、名古屋、京都、大阪、神戸、岡山、広島から福岡辺まで一度に襲われたら、一帯我が日本の国はどういいうことになるであろう。宝永安政の昔ならば各地の被害は各地それぞれの被害であったが次の場合はそうは行かないことは明らかである。むかしの日本は珊瑚かポリポ水母(クラゲ)のような群生体で、半分死んでも半分は生きていられた。今の日本は有機体の個体である。三分の一が死んでも全体が死ぬであろう」
(同書p.53-54 「地震国防」 昭和六年一月「中央公論」に発表)
小松左京のSF小説「日本沈没」が決して絵空事ではないと思えてくる。この暗い予感は、特に若い人たちに重苦しくのしかかっていくのだろうか。
寺田 寅彦 | |
中央公論新社
|
っっj