澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

「祖父の日記 ~時を超え 家族に伝える戦争の真実~」

2017年02月11日 10時58分34秒 | マスメディア

祖父の日記 ~時を超え 家族に伝える戦争の真実~」(熊本放送制作 テレ朝系放送)を部分的に見た。
 冒頭部分を見ていないので、断定的なことは言いたくないのだが、1970年代初め、「朝日新聞」が大々的にキャンペーンを張った「中国の旅」(本多勝一記者)を連想してしまった。「祖父の日記」の孫、井上佳子が、熊本放送のディレクターであり、この番組の制作責任者であることも、放送内容の客観性、公正性を疑わせる結果になっている。自分の息子まで登場させて「感想」を言わせるのには驚いた。ある意味、この番組は井上一族の「私物化」の産物なのかもしれない。
 
 本多勝一の「中国の旅」は、いわゆる「南京大虐殺」、「平頂山事件」を採りあげ、「旧日本軍」の残虐性を告発するとともに、「中国人民」に対する謝罪の必要性を説いた。だがしかし、本多が中国で取材したという中国人生存者の聞き取りは、事実確認の裏付けも行われず、ただ先方の「証言」を書き写しただけということが、今や明らかになった。「中国の旅」が「朝日」に連載された時期は、日中国交回復直前の1971年だったから、この連載はまさに「朝日」の中共政権支援キャンペーンだったわけだ。

 「祖父の日記 ~時を超え 家族に伝える戦争の真実~」に本多勝一の臭いを感じるのは、「祖父の日記」の客観的検証をせずに、その内容をそのままエモーショナルに垂れ流し、「戦争は悪い」「今の平和を守ろう」というキャンペーンに利用していることだ。日中戦争の経緯、当時の中国大陸の政治状況、国民政府と共産党(中共)との関係など、基本的な事実を視聴者に示すこともない。これでは、戦争体験者がほぼ消滅しつつある現在、どんな番組を作っても文句を言われたり、事実誤認を指摘されたりする心配はなくなった。だから「祖父の日記」を使って、『青少年に見てもらいたい番組』を作ろうと思った、と疑われても仕方がない。

 要するに、手持ちの「素材」で反戦平和を訴えようなどする、番組制作手法そのものが安易な「お花畑」的な発想なのだ、と言えるのかもしれない。「青少年に見てもらいたい番組」こそ、情緒に訴えるのではなく、実証的な内容を心掛けるべきなのだ。

 

《番組紹介より》

第31回民教協スペシャル 祖父の日記 ~時を超え 家族に伝える戦争の真実~

2017年2月11日(土) 10:00 ~ 10:55

番組概要

日中戦争で戦死した祖父が、死の五日前まで書いていた日記…中国にその軌跡をたどる。79年を経て、家族で向き合った祖父の戦争…家族に届いた祖父からの伝言とは?

番組詳細


◇番組内容私(井上佳子)の祖父、井上富廣は、1938(昭和13)年、中国戦線で戦死している。27歳だった。当時祖父には妻と3歳の息子がいた。私の祖母と父だ。召集されるまで祖父は熊本の片田舎で米を作っていた。祖父は出征までの四年間を日記に記している。大地を耕して作物をつくる喜び、伴侶を得たことの嬉しさ、そして軍国の一翼を担いたいという強い思い。四冊の日記は祖母から父に渡り、今私の手元にある。

◇番組内容2祖父は日記帳の一日一日を細かい文字でびっしりと埋めている。天候に右往左往しながらも野良の作業が進む喜びや、結婚して二人仕事となり、おしゃべりしながら精を出す様子など、決して経済的に恵まれない暮らしの中でも前を向いて生きる姿は心に沁みる。そして今回、祖父が中国に行ってからの日記と戦地から妻ツギエにあてた19通の手紙が遺品の中から新たに見つかった。戦地に発ってからの祖父の詳細な足取りがわかった。

◇番組内容3祖父は門司港を出航して上海に上陸後、わずか47日で戦死していた。日記は、上海に上陸直後、家をなくしてさまよう中国人を憐れに思う言葉で始まっている。しかし、前線に近づくにつれ、祖父は次第に戦闘に駆り立てられていく。殺さなければ殺される戦場で、祖父も狂気に飲み込まれてしまったのだろうか。残された日記は、私にとって祖父からのかけがえのない大切なメッセージだ。祖父の戦争を、一日一日を、私が伝えたい。
◇ナレーション井浦 新(俳優)
◇制作企画:民間放送教育協会
制作著作:熊本放送
◇おしらせ☆番組HP
 http://www.minkyo.or.jp/

この番組は、テレビ朝日が選んだ『青少年に見てもらいたい番組』です。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。