年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

貧困同盟・時代に逆らう人々

2025年01月17日 | 宅老のグチ
文芸春秋百年の特集号がいま手元にある。その中で映画の盛衰を語る文章があって、(いつの時代でもその時代の正義がある。その時代に正義に反する発言が出来る人間と媒体がいくつあるかによって、社会の成熟度を測ることが出来る。これは大東亜戦争の開戦の一年前の東宝の森岩男の発言である。
 今はSNS正義の発言が多すぎて、逆に多様な発言が時代に反する意見がゴミ情報の中で消えつつある。そこに情報発信者の潜在的顕示欲的発言でさらにゴミ正義の強化が図られる。次々と生まれるSNS正義情報は限界を超えると他の正義情報を隠蔽する。
 今は紙媒体が衰弱しつつあって、さらに高齢化という肉体的劣化で視力が落ち、新聞の読みやすさから文字を大きくし、情報量を削減した。多くのやる気のある記者たちが取材して得た内容を圧縮し紙面に載せようとするが融通の利かない紙媒体は書かれず埋もれるのみである。
東京新聞の名物お騒がせ記者の語るところでは上層幹部が自己の情報発信をしていないのでデジタルの進化の速さについていけないという。
 自分は紙面の与えられた区画に記者名を入れ、デジタル媒体に誘導し、そこから対価を受け取る仕組みが必要と思う。これはレコ-ド・CDというものが消えつつある歌手がコンサ-トで客を集め、グッズを売りさばく仕組みに持ってゆかないと、いずれゴミ情報で量の多さで貴重な事実報道が消えてゆく。そして時間の経過というフィルタ-で真実が判った時には次の新規のゴミが生まれる。
 従って新聞記者の役割は、資源ごみの人達が回収作業している時の風景を観察していると、素人分別を経験で手際よく、再分別し、トラックの指定のカゴに入れている。その様な情報のゴミ分別を今の記者に要求するしかない。真実の声は時には小さい声で大きな声に紛れて聞き取りにくい。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 何か想定外の事が起きそうな | トップ | ポカホンタス・聖路加病院の... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。