年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

堺市南宋寺の石灯篭

2012年06月04日 | 福神漬
堺観光ボランテア協会ニュース 平成23年1月1日号
堺市南宋寺 鐘楼北側角にある石灯篭が堺奉行より献納されている。竿の表に『献納長井筑前守昌言』、裏『元治乙丑2年4月建之』(年号は元治2年4月7日より慶応となる)長井昌言は最後から二人目の堺奉行となる。1500石という。在任期間は元治元(.1864)年11月10日から慶応元(1865)年11月10日でその後京都町奉行となり病を得て辞職する。長男の鶯亭金升(長井総太郎が慶応4年(19868)に生まれているので京都町奉行辞職の理由は仮病かもしれない)
騎兵頭(キシャ)は長井家の仕事で鶯亭金升の(明治のおもかげ)で三代キシャと言っていた証拠である。昌言は明治に入って工部省鉄道局に勤める。汽車。鶯亭金升は新聞キシャとなる.
また長井昌言は寄合から文久3年6月25日から文久3年8月14日まで神奈川奉行だった。この時期は生麦事件の後で横浜は英国との戦争一歩手前だった。文久3年は神奈川奉行が一年で10人代わった。また当時の名前は長井五右衛門昌言だった。(横浜市稿政治2巻120頁)
一寸前まで検索に出てこなかった人物である。長井昌言はペリー来迎時にアメリカ国書を受領した戸田伊豆守氏栄の3男で、この5男の鉄丸を千葉万歳の花香家を養子先に斡旋した人物と思われる。明治に入って花香恭次郎の経歴の陰に長井昌言がいたと思われる。
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