慶応3年、福沢諭吉が二度目の米国行きから帰ると謹慎を命じられた。ある日中島三郎助がやってきて『どうして引っ込んでいるのか?』『斯く斯く云々という次第で引っ込んでいる』というと中島が工作をして謹慎を解かせたという。この件で木村芥舟日記によると目付けだった長井昌言にも手を回したようだ。アメリカで購入した本の差し押さえが謹慎解除後もなかなか差し押さえが消えず、長井筑前守昌言に解除の依頼をしていたようだ。浦賀与力だった中島三郎助と浦賀奉行戸田氏栄の3男(長井昌言)が福沢諭吉の謹慎解除で協力していたとは人生何があるかわからない。
慶応3年、福沢諭吉が二度目の米国行きから帰ると謹慎を命じられた。ある日中島三郎助がやってきて『どうして引っ込んでいるのか?』『斯く斯く云々という次第で引っ込んでいる』というと中島が工作をして謹慎を解かせたという。この件で木村芥舟日記によると目付けだった長井昌言にも手を回したようだ。アメリカで購入した本の差し押さえが謹慎解除後もなかなか差し押さえが消えず、長井筑前守昌言に解除の依頼をしていたようだ。浦賀与力だった中島三郎助と浦賀奉行戸田氏栄の3男(長井昌言)が福沢諭吉の謹慎解除で協力していたとは人生何があるかわからない。