- 無実の罪を晴らして、身の潔白を明らかにすること。
今日の日本経済新聞の書評欄で初めて、雪冤の読み方がわかった。幕末から明治にかけて、新政府寄りの人を除くと、旧幕臣は雪冤の気持ちが重く、生き方の重石となっていたようだ。しばしば雪冤という言葉が出ていて、大方汚名をそそぐという意味だろうと理解していた。
大正のころ、大阪北浜銀行を追われた岩下清周のため築地の新喜楽で「雪冤」の会があった。無実の罪を晴らすという意味があったとは知らなかった。岩下清周を犯罪者に追い込んだねつ造記事が連日続くと、世間では事実と理解され始め、見逃していた行動も不信の目で見られるようになり、ついに犯罪者として仕立てられるようになってしまった。北浜銀行の経営者は見込みのある企業に融資する判断には博打のようなこともあった。近鉄の生駒山トンネルなどは冒険的事業だったといえる。大阪から奈良へ行くにはJRを利用しないで近鉄を使うのは岩下清周の判断が正しかったことを示している。JRは大坂から奈良行きの本数も少なく、時間がかかる。生駒山を迂回するためである。