天保のころで江戸時代の文学史は消え、次に明治の中頃まで日本文学史では空白の時代となる。ところが福神漬の命名に関して調べていくうちに明治初期でも様々な出版活動があったことを知った。今ノ学校教育では明治初期は福沢諭吉等の啓蒙書しか残っていないように見える。
明治初期は少部数の木版印刷から大量印刷できる活版印刷へ向かう時だった。本の価格が下がり、出版業界が活気を呈していたようだ。貸本屋が増えた本需要に見合う作家不足が戯作者の一時的復帰があった。明治16年、梅亭金鵞が「七偏人」を再出版したのも時代の要請であった。幕末維新の混乱で江戸時代池之端にあった3軒の香煎茶屋は酒悦の店だけが残っていた。そのため七偏人の香煎茶屋は酒悦を示すこととなり、酒悦の店主は梅亭に新製品の漬物の命名を依頼したようだ。当時の作家は作品で生活をできる人は皆無で様々な副業で生計を立てていた。梅亭金鵞が引き札の印刷を内職でしていたのはそのような生活事情があった。引き札とは今のチラシ広告のことである。