佐多稲子の『私の東京地図』という小説に出会ったのは台東区中央図書館の郷土資料のところだった。この小説は大正時代のの上野付近を詳しく書いてある。
長崎から上京し、上野の桂庵(職業斡旋所)で紹介されて、上野山下で働くようになった。上野の料亭・ 清凌亭で女中の見習いから始まった。ある時、清凌亭女主人から池之端の福神漬(酒悦のこと)を買ってくるように頼まれたが女将さんが嫌いなあるものを交ぜないように依頼された。朝早い池之端の開店間際の店舗観察をしているうちに、指示された交ぜてはいけないものを忘れてしまった。佐多は気転を利かし、福神漬屋の中に入り、店員に福神漬に入っているものを聞いた。大根、しその実、こぶ、なた豆と店員が言ったとき、思い出し『なた豆』だけは交ぜないでくださいといって用を果たした。
清凌亭女主人はなぜ福神漬の中の『なた豆』を交ぜないように指示したのだろうか。何か言い伝えや風習があったのだろうか。料理屋の女将となれば『なた豆』関しての民俗学的言い伝えを聞いていてもおかしくない。