この前、練馬の美術館で開催された明治浮世絵小林清親の展覧会で講演した人の本を読んでいる。
激動期の美術 幕末明治の画家たち 清親の見た文明開化 岡本裕美
この本で小林清親と原胤昭の付き合いはかなり前から会ったようで築地のキリスト教時代までさかのぼりそうだ。鶯亭金升が塾に通っていてとき団団珍聞の投書していた。この団団珍聞という風刺漫画雑誌をどのようなルートで知り読むことが出来たのだろうか、当時母子家庭で収入の乏しかった長井家が手に入れていたか不思議だった。
次のように推理したらどうだろう。大垣戸田家は幕末期目付まで出世した明治初め長井昌言と付き合いがあったようだ。長井昌言が工部省鉄道局に就職できたのも高島嘉衛門等の力があったようだ。花香恭次郎が横浜へ行ったのも長井の世話と思われる。鉄道開業後、まもなく長井が亡くなり花香は横浜を去った。大垣藩戸田欽堂との関係から鶯亭は団団珍聞を知ったと思われる。
もしこのようなことが事実だったら、戸田欽堂、原胤昭、小林清親の関係から福島事件の浮世絵配布に繋がる。鶯亭金升の結婚の仲人は小林清親で花香恭次郎はおじ・おいの関係である。