年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

明治の女性問題を今の感覚で語ることは難しい。

2015年12月02日 | 築地市場にて

 

福神漬のことを調べていると、その販売拡大の力となったのは芸者の人達の口コミ宣伝があった。当時として高価な食品となってしまった缶詰入り漬物(福神漬)を販売するには様々な販売促進の手段がとられた。特に近代日本広告方法の先端を担ったのが池之端の薬老舗の宝丹だった。隣近所の宣伝方法を見習い広告方法を考えたのが酒悦主人だった。

 明治初期の東京の人口は旧幕府の多数の人たちが静岡に行き、大幅に減ってしまった。東京では今の都心で桑栽培が奨励されていた時期もあった。寂しい東京で新橋芸者と下谷の芸者がそれぞれの需要を取り込んで活躍した。下谷の芸者はどちらかと言うと新政府にはなじみがなく江戸の風情を求めていた。そのような時上野で福神漬が誕生した。缶詰入りの福神漬は土産として次第に普及していった。当時は酒の友であったようだ。

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