ある作家が亡くなって、小林清親を描いた作品で賞をとったという。このことを知り、最後の引用資料を探るため借り出すことにする。
昼過ぎ図書館へ行ったら杉本章子著(東京新大橋雨中図)が届いていた。期待していた團團珍聞の所が最後の所で出てきた。明治の15年頃までの話となっている。まだまだ小林にはその後の波乱人生があったのに惜しい人を亡くしてしまった。
小林清親は福島事件の浮世絵頒布事件に参加している。彼が花香恭次郎を事件以前から知っていたのではないのだろうか。
戸田欽堂と原胤昭はキリスト教で繋がっている。戸田と長井家は大垣戸田藩と黒船来航時の関係から明治になっても繋がっていると感じる。維新後失業した元幕臣長井昌言を工部省鉄道局に世話したのが高島嘉右衛門と思われる。嘉右衛門の姉が大垣戸田家に側室として戸田欽堂を生んだ。明治5年鉄道開業時花香恭次郎が横浜に行ったのも長井の指図と思われる。また花香は銀座の公益問答新聞に新聞記者となれたのも二本松藩(県)公用人の服部誠一が社主だった縁だろう。