明治大学の刑事博物館の資料の中に長井五右衛門の名前があった。長井五右衛門は文政元年12月より文政8年12月まで火付盗賊改の職にあった。勝小吉(勝海舟の父)が頭と言っている長井五右衛門のことである。
河竹黙阿弥作『四千両小判梅葉』の小伝馬町牢内の場が牢内を活写した作品として有名であった。この歌舞伎が出来たとき佃島から自由民権家が脱獄した後だった。初演は明治18年だった。四千両小判梅葉と牢内深秘録は40%ほど一致すると言う。黙阿弥が参考に使った可能性があると言う。
鶯亭金升が小林清親の仲人で結婚し、池之端御前と言われた福地桜痴の家に間借りした理由はまだわからないが牢内深秘録の縁があるかもしれない。