年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

小伝馬町の牢獄の模型

2021年09月14日 | 宅老のグチ
河鍋暁斎と梅亭金駕の暁斎画談で何か違和感があって、その違和感を調べるため、中央区京橋図書館の郷土資料室を訪問した。京橋図書館は都外の人から稀に地下鉄京橋駅付近で探す人から電話があると郷土資料室たよりに書いてあった。一番近いのが新富町駅で二番目が築地駅で3番目が東銀座駅だろう。
 郷土資料室の司書の方に頼んで小伝馬町牢獄と石川島人足寄場の絵のある史料を探してもらった。小伝馬町は十思プラザに模型があるという。
 石川島の資料は重松一義氏の石川島徒刑場絵図という明治4年の絵のある文献を出してもらった。その文献だと明治4年の石川島監獄場は33500坪ほどあったようだ。石川島は火付盗賊改の職で有名だった長谷川平蔵が犯罪者の厚生施設で菜種油を作るところで、さらに人足寄場内で野菜栽培をしていたようだ。
 図書館で教えてもらった、十思プラザは20年ほど前にべったら市の調査の時に訪問していたのでうっすらと覚えていたが地図を見ないで行ったので、小伝馬町駅付近で迷った。ようやく小伝馬町牢獄で死去した人の霊を慰める寺院を見つけ、十思公園で案内板で概要を知るが肝心の牢獄の模型のあるところが見当たらなかった。十思公園はもともと小学校の跡地で前の時はまだ校舎が残っていて今とは雰囲気が異なっている。やっと十思プラザに入ったが受け付けの人が昼休みで通りすがりの人に尋ねると別のところだという。プラザを一周しもう一度受付に戻り、ノックをして休憩中の案内人に聞くと隣の温泉施設にあるという。プラザは中央区の介護施設となっていた。
 温泉施設に入ると、聞く前に小伝馬町牢獄の模型があった。大きさは畳2枚を超える。河鍋暁斎の画談に描いてあった牢獄はどう見ても二階建てで今までの文献ではそのようなことはなく違和感があった。さらに女性と男性の牢獄が絵では一緒でこれも違和感があった。模型ではやはり区分けしてあった。さらに流人の牢獄も別にあって、ここの春秋の2回の島送り船の出発まで小伝馬町で待機していたようだ。
コメント
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