コロナの緊急事態下で人のいない時間と場所を狙って江戸東京博物館図書室へ行ってきました。図書室は7階にあって、墨田区江東区から湾岸地域がよく見えます。この7階は江戸城天守閣の高さと同じと窓際の景色の説明に書いてありました。
予想通り、図書室は一人しかおらず、司書の方が数名だけでした。ここで町方書上6巻を手に取り、本所1丁目(戦前の地名だと厩橋1丁目)を調べました。
「町方書上」本所 江戸東京博物館友の会翻刻
文政期の本所
北本所番場町 174頁 今の本所1丁目
北本所新井町 172頁 今の本所1丁目・2丁目
南本所外出町 204頁 今の本所1丁目
南本所石原町 199頁 今の石原1丁目・2丁目 横網2丁目・本所1丁目
南本所新井町 214頁 今の本所1丁目
南本所石原町に小普請組長井五右衛門様支配 桜井弥五郎
小普請組世話取扱長井五右衛門様 長坂三之丞
この文献から、夢酔独言に出てくる麹町2番町の長井五右衛門は本所に住んでいなく、配下の武士のようだった。なお勝海舟の父の小吉は平山行蔵で剣の修行をしていたという。平山行蔵の弟子だった相馬大作を捕縛したのが長井五右衛門昌純で剣の達人であってもおとなしく捕まり、切腹した様だ。この件の文献で岩手県史では長井五右衛門の捕縛時のやり方の評判が悪い。従って、子孫である鶯亭金升も日記には詳しく書いていない。演劇の演目になったようだ。
南本所石原町は関東大震災と昭和20年3月10日の大空襲で被災した人々の慰霊堂があるところで、ほとんどの資料は二回の被災で焼失しているようだ。