年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

英霊と犬死との間で

2021年09月29日 | 陸軍特別操縦見習士官1期
叔父の事から特攻遺族となってまだ15年ほどしか経っていない。普通の遺族とは違っていて、なぜ特攻隊員になった理由を知らせなかったかとか直系遺族から話さなかったかの解明が進んでいない。
 日本の親族の定義で、養子に行くととかく戸籍から離れたから血は繋がっているが法事の席などから疎外され無視される。一時は兄弟と生まれていて、気分は親族だが、苗字が異なると扱いは別となる。それゆえ口出しはしないでいたが亡くなった叔父があの世で直系親族から忘れ去られて歯がゆい思いをしていて、我々にチョッカイを出しているように感じる。
 それでも法事の席で少し出てくる叔父の話は英霊でもなく犬死論が多く聞こえた。戦後の扱いから来ていると感じていた。その違和感がどこから来ているか今でもわからない。一応調べた限りでは親族の中では一番優秀な頭脳と体力があった。6か月の即席パイロット養成システムの中でさらにひと月ほど招集に遅れたにも関わらず、同期と卒業し、激戦地であるインパ―ル作戦で英軍と戦い、レイテで後方支援、そして台湾で特攻するというのに親族では英霊扱いにはなっていない。何か戦後に周囲から酷い扱いになった気がする。何も知らない人から特攻隊長として4人を引き連れ、さらに米軍記録にも残っている攻撃死だった。日本の新聞の大本営発表では同日同時刻に知覧から出撃した振武隊の方が報道され、印象は薄い。連携攻撃で台湾の方を気にしていなかったと思われる。
 日本経済新聞の私の履歴書から山本耀司さんの連載が始まったが最初の文章で彼の父がフィリッピンの山地で戦死したという。この中で戦後に坂口安吾の(続堕落論)を読んで涙したという。同感の思いがある。
 山本の言葉で(無念さ)という言葉がある。今一番探していた言葉だった。将棋のブ-ムがあって(捨て駒)という言葉を知った。叔父も捨て駒だったのだろうか。上級者は捨て駒を生かす戦いをする。叔父の人生というコマを今生きている自分たちがそれに報いる仕事をしているのだろうか。単なる時間つぶししかしていないと言われそうだ。
 今は叔父の記録発掘しかできない。何とか解明し無念さを晴らしたい。



 

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