年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

戦友会の今

2021年09月17日 | 陸軍特別操縦見習士官1期
 靖国神社の図書館というべき所の前が集会室となっていて、上京した人たちの休憩・集合場所となっている。戦友会の資料が図書館にあってその内容に関心があった。多くの部隊ごとの記録は戦友会が纏めている。図書館から借り出した本では予想通り、慰霊と親睦が中心だった。もう戦後76年になるので戦争に直接参加した人たちが消えてしまったので多くの戦友会が解散・もしくは休眠となっている。このような感想を持つのは10年ほど前から知覧の特攻の慰霊祭から案内状が届いていて、急に特攻遺族になってしまって、無関心という態度でいることが出来なかった。それは築地市場の前に朝日新聞があって、しばしば営業時間に騒音をまき散らしていて業務を阻害していて、反感を持っていた。右翼は本当に戦死者をどう思っているか判らない。今の韓国の事例でもあるように戦争死者・被害者の扱いは彼らは英霊と言って金づるの手段としか思えなかった。何かが違うのだがまだわからない。政治家がパフォ-マンスで靖国神社に参拝している意味が本当に慰霊しているのだろうか。票集め行動なのだろうか。
共同研究・戦友会 高橋三郎編著 1983年出版
 この本のあとがきで戦友会というものは(慰霊・親睦・体験の語り合い)という。叔父の特攻で被害にあった米軍のLST808にも戦友会があって、そこの更新とか親睦の会合の連絡が2005年位で終わっている。他の米軍の太平洋戦争の戦友会も同じ頃に活動が終わって、まとめ役がいるようだ。米軍は日本との戦争後、朝鮮・ベトナム・湾岸戦争・イラク戦争・そしてアフガニスタンと戦争の休みがない。従って記念日以外には古い戦争は忘れる傾向が見える。しかし米軍は記録が残っていて、日本や中国と違って、都合の悪いことも記録として多く残っている。叔父の記録もまだまだ解明できない部分があって、なぜ遺書が消えたかは解明できない。
 韓国でも朝鮮戦争とかベトナム戦争で参加した兵士の戦友会はないのだろうか。
 沖縄の資料で気になるのはひめゆりの塔で那覇師範学校女子部の生徒という。陸軍の軍事教官の教育で自決を教えていたのだろうか。師範学校での軍事教育の内容が解からない。海軍と比べて人気のない陸軍特別操縦見習士官の受験を強制されたと感じる。しかし、叔父は意図的に落ちたが埼玉師範学校の軍事教官が海軍の航空士官に同時合格した1名の欠員補充で繰り上げ合格となった。

 
コメント
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