初詣に行く途中に、スーパ-オオゼキの前を通った。なんと3日まで休み。確かライフストアは同じく休み。昔の小売店の繁盛している頃は東京市場の正月休みに合わせて3日まで休んでいた記憶がある。従って年末はほぼ元日早朝まで仕事をしていた。喧噪の大晦日が終わると気分一新の正月となる。
SNSの盛んな今、正月はやはり女子の世界と初詣の参拝客で感じる。そこで休めない、休まない量販店は多分30代以上の高齢女子で店舗運営を行くしかない未来が見える。正月の休めない量販店はピチピチの女子高生から嫌われ徐々に衰退すると感じる。ある程度金が出来れば次にほしいものは物欲だが使えない物を買うだけでは行き詰まる。正月は人と気兼ねなく会える時でもある。
リタイアして、時間持ちとなったが、きまった日程は病院予約であとはフリ-タイム。なんでもできる時間があるが金銭の消費を抑えないと今の日本の老後の生存維持システムはオレオレ詐欺師より巧妙で、さらに政府主導で少ない現預金をだまし取ろうとしている。冷静に考えれば脳死状態で3か月に一度の転院制度は医療費の無駄と思うが誰も医療業界の権益を打破するところがない。そこで庶民が自己防衛するしかない。唯一権力と対峙する政党も、こと医療となると権益保持者へ支援が回る。そこで少子化が進み予算が足りないとなって、増税が怖い議員、子供節約に走る庶民。
昭和21年から25年くらいまでは今よりはるかに日本は貧しかった。希望あったのは平和だった。だから爆弾の落ちない生活で子供に未来を託した。その昭和20年代より良い今は将来に不安があので子供の魅力に欠ける。あらゆる日本の法制度は細かく見ると隙間があって、そこを専門家を使って節税する。
路上で次の選挙の候補者が消費税廃止と叫んでいる。もし廃止となれば介護予算は削られ、その不安からさらに節約行動で失業が増えるだろう。税金はある意味で国民からの搾取で貯金させず、国家予算として強制消費となる。今はかく家に物があふれている。新製品の魅力が消え、タンス在庫という言葉も消えつつある。なぜならタンスは今では有料家具で捨てるのに運び出し賃、処理代がかかる。田舎の土地の実家は負け不動産となり、国に売ろうとしても処理費用が掛かる。すべてはバブル時の越後湯沢マンション価格になりつつある。固定資産税と管理費が割高なことから来ている。人口が減れば地方には住めない割高な地域となり、さらに都市集中となる。
江戸時代の初夢は1月2日の夢で、布団の下に絵を入れて寝たという。その絵になすびが描かれているのは寒い冬に夏野菜の茄子を食べる夢という。でも江戸時代でも文献から冬に江戸では茄子を食することが出来た。今の江東区でゴミの発酵熱と油紙で温室を造っていたようだ。
4日はゴミ出し初日。そして粗大ごみの予約行動。