母を101歳で亡くして一年になる。最後は特養で大切に扱われ、低温火傷も消えていた。父の生母も1969年2月に老衰死だった。・危篤の連絡を受け、泊まり込みに行ったのだが、医者の話では病気ではないので治療はしないという方針で、自然死を待っていた。今なら点滴で栄養補給すると思うが何もせず、電気毛布で暖房を取っていた。もう50年前の記憶である。
このまえ、北海道夕張市の医療デ―タで老衰死の割合が多いという。財政破綻で夕張市には病院が消え、人口も減り、動けない高齢者が残り、緊急時には隣接の都市の病院に搬送されるという。日常は巡回医師で面倒を見ていて、多くの住民の死の判定で老衰の割合が増えているという。
101歳で亡くなった母の死の間際でも特養で救急車を呼び、コロナで受け入れ先が見つからず、やっと見つかった病院で老衰死となった。どうも調べると今の介護の制度では医療的判断は医師の範疇で看護師がいても、訴訟問題で病院にゆくようだ。同様にデイサ-ビスで体調が変化しても救急車を呼ぶようだ。
夕張の記事を見ていると病院の医師は今の3か月しか入院できない制度で、自然死という老衰という病名を付けたくないと感じた。ガンとかの病気なら治療ということで検査や医療行為をすることが出来る。しかし老衰は治療方法がない。あるのは当人の満足度だろうが誰も聞いたこともいない。
介護施設のお客様満足度という宣伝を見たこともない。ある特養のデ―タでは平均在室率があったが、特養では死で出る人と、病院へ行く人、介護する人の関係者によって退室することもあって、平均という言葉に馴染まない施設と思う。
人間はいつか死ぬ。日本の政治担当者は105歳になったら必ず希望すれば施設で保護する政策を出せないのだろうか。