区の高齢者の銭湯割引券の申し込みをした。一回の利用料金は200円。自宅に風呂があるが大きな風呂に入りたいという希望が家族にあって、申し込むことになった。
築地市場内に公衆浴場的なものがあったという話を聞いたことがある。場所的には旧築地市場正門の裏というべき付属商の所だという。そして記憶にあるのが晴海のごみ処理場に併設されていた温浴施設という名の風呂でかなり中央区高齢区民には安かったが今は閉鎖され、新しくなると公民館的なものになり温浴施設が消える。このゴミ処理場も中央区と江東区の争点で築地のごみが江東区で処理することに文句を言っていた。当時の中央区のごみの最大の量が出るのが築地市場だった。
築地の移転で何かと江東区が文句を言うのは古からある中央区民の見下し行動から来ているが実際は事業所を中央区に構えていても、住まいは江東区という人が多い。今は橋が多いが長い間勝どき橋しかなかった。それは石川島に造船所があって、橋を架けることができない歴史だった。佃大橋が架かり、地下鉄が通り中央区と江東区は隣になったが過去の遺恨の記憶がまだ残っている。豊洲へ移転して気が付くのは役所関係所に行くのが不便だと気が付く。税務署、保健所、区役所等々。全ての交通網が都心に向かっていて、役所関係はバス便となる。
今から思うと豊洲移転でなく晴海移転もあったと思われるが、ごみ処理施設が面積を取りすぎ、議論には出なかったという思いがある。江東区は江戸の大火の後のゴミ置き場から、遊郭、温室栽培の野菜、小名木川水運、野菜の肥料となった下肥の流通で生計を維持していた。当然のように江戸市民が見下していたがいざ江東の人たちから文句が出ると生活に困る。何しろ江戸時代の物流の中心は水運で、徒歩の運搬では無理だった。それゆえペリ―が黒船で浦賀を封鎖して江戸の町が混乱した。
今なら沖縄が浦賀のようになっていることを日本国民は自覚していない。