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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

遠州掛川広楽寺というセリフ

2023年01月26日 | 宅老のグチ
2回目の国立劇場最終公演観劇 遠山桜天保日記
 北町奉行の御白州の場で遠山金四郎さんが判決を言い渡した時、掛川の広楽寺へ所払いだった。築地の大谷図書館で前回の台本で見かけなかったのでメモして、家で調べると三代目尾上菊五郎の墓があって縁があるようだ。2008年の上演時に押上の最教寺というセリフは隠しメッセ―ジで本当は役者寺で有名な大雲寺の事をセリフにしたかったが敷地が隣接していた最教寺となったようだ。大雲寺はやはり尾上菊五郎の墓がある。今は関東大震災等で寺院が焼失し、江戸川区に移転しいる。初演の明治のころは観客の通人は知っていたのだろう。令和の今、掛川広楽寺が何を意味するか何人が知っているのだろうか。昔の常識は今の人には通じないものがある。
 明治の初めは、芸者は芸を売ることで生計を立てていたが野暮な薩摩長州のナマズ髭の新政府官僚が権妻を得るため体を売る方向にもっていった。新聞記事で校書のところにゲイシャとルビが振ってあった。中国の女流漢詩人で日本の感覚では清少納言か紫式部のような才能があって、酒席に出ていた。明治20年代の古参の芸者が『今の若い娘は芸を磨かず』と嘆いていた。要は色気で権妻の地位を狙っていた。
 芸の優れていた清元のおわかは 明治のころの台本では押上の最教寺の裏となっていた。従って身売りされても年季明けになる可能性があった。遊女の年季明けの生存率は意外と少ないという。それゆえ苦界という。
こんどの遠山桜天保日記は現代人にも理解しやすく改変されているが初演の台本が理解できなかったことの解明は進まない。日本にフランスのユーゴ―の巌窟王(レ・ミゼラブル)が翻訳されたのが明治30年代で、この台本と数年の時差がある。もともとの冤罪から始まった犯罪の輪で遠山は全て減刑してしまった。
 正月の歌舞伎ということで死人もすべて生き返るという流行りの韓流ドラマの展開と思った。
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梅の開花情報で

2023年01月26日 | 宅老のグチ
東京で梅が開花したというので皇居東御苑のネット情報を見ると、梅林坂で咲いている様だ。近所の梅の花を見る。やはり咲いているが一分咲き位か。
 ここ十年で最高の寒波が来ていて、警戒していても仕事で雪渋滞で巻き込まれている様だ。
 梅には鶯だが一名(春告鳥)ともいう。しかし自分が和歌山の南部梅林で見た梅林の鳥はメジロだった。
ウメは産めに通じ、高齢男性議員によって、国会で議論中。中国でも韓国でも高齢政治指導者が赤ちゃん問題で論議している。チャンチャラおかしいい。どうして選挙権のない女子高生の意見を聞かないのだろうか。

昔に国語で和歌の花というのは桜を意味していて、いつの間に花という言葉が梅から桜に変わったと言う。どの時代なのだろう。同様の問題が香道というのがあって、会席の香の物が初期は味噌漬大根のようで、江戸時代からタクワン漬に変化した。このことを調べている学者はまだ見つからない。膨大な茶道や俳句、川柳の句を読み、食文化に変換しないと説明不能となる。

 香道は源氏物語の知識がないといけないし、さらに劣化した嗅覚では見学者で十分な気がする。さらにタクワン漬の名称の変遷も茶道と江戸時代前期の政情を知って、比喩としての沢庵という知識が必要と今は感じる。

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