明け方、老柴犬が起き出し、目を覚ましたが喉が痛い。コロナ感染ではないが鼻水がタレ、夜に無意識に口を開けて寝ていたようだ。犬を連れて夜明け前の道に出て空を見ると大きな月が寒空に光っている。間も無く夜明け。
コロナ開国でそろそろ浅草寺周辺を歩いてみたいが家人の脅しに屈している。それよりも寒さで出る気が起きず、さらに外出を減らすため宅配がやってくる。TVがないので週間天気予報が見えず、天気アプリでは週末には雨もありそうだ。もう2週間ほど雨が降っていない。
今年の元旦から新聞購読を半年ぶりに再開し、TV不在でもなんとかなりそうだ。今の記事ではロシア・ウクライナ戦争でインフレが加速し、デフレに馴染んだ国ほど節約志向があるようだ。そこに各国の政治が絡んで表面上は見えない。日本も外貨が急速に減っているが、まだ貯金というものでエネルギ-を買うことが出来る。これからの経験から地方の家は自然エネルギ-で日常の電力を賄い、余剰電力を蓄電池に保管し、夜間に費消することが宣伝になるだろう。苦い経験は記憶に残る。先の戦争の苦い経験は言葉に出さなくても記憶に残る。
京都に行きたいと思う。孫に東山の京都霊山護国神社へ行って、叔父の栗原義雄の名が刻まれている特攻兵士の慰霊碑を参拝したい。すでに判明している叔父の慰霊碑は靖国神社、埼玉護国神社、 京都霊山護国神社 で知覧の記念館は未確認。さらに沖縄戦に参加していてどうやら慰霊碑があるようだがこれも未確認。少しずつ判明してきた叔父の航跡から、大正の震災からの迷走で人生の楽しい思い出が無かった気がする。あの厳しい戦闘機乗りの訓練で最後は特攻隊の隊長に選ばれたのはなぜだろうという想いが残る。他の陸軍特別操縦1期生よりひと月遅れで入隊・訓練した。他の同期性よりひと月短い訓練期間だった。叔父は遺書も消え、親族の記憶から消されたのはいまだに理解できない。戦後に何があったのだろうか。私の父の写真帳にあった叔父たちの最後の宴会の集合写真の意味がようやく、下北沢で活躍しているきむらけんさん、叔父の同期の特攻隊員の妻・中田芳子さんの著書で解明できた。
父の言い伝えでは昭和20年2月1日に横須賀の海軍に徴集され、トラックで物資の運搬をしていた。入隊すると古参兵にいじめれれ、日にちは不明だが陸軍の少尉となった栗原義雄が横須賀まで面会に来て、古参兵のいじめが消えたと。特攻ということが知れ渡っていて、もし英霊の兄をいじめたらと言われたという想いが古参兵にあったと父は語っていた。その父は集合写真を持っていた。
戦争の記憶は当事者では苦い記憶で語りたくないものである。福神漬の調べごとで辻褄の合わないことが多く、さらに記憶の合成があって自分史でも加工していることも見える。東京毎日新聞記者で文芸欄で活躍していた鶯亭金升もかなり人生で不都合な頃をさりげなく書いたり、誤記もあって調べごとに難儀した。今は火付盗賊改という役職は長谷川平蔵を美化した小説で認められているが池波正太郎の小説以前は幕府の治安維持機構の中で一番評判の悪い役所だった。事件が少ないと平気で冤罪となるような仕事をしていて、恐れれていた。当時は取り調べの番屋の衛生環境が悪く、すぐ牢獄から出るには金が必要だった。
そんな事情も知らないで福神漬の命名の背後に隠れていることをコロナ期間で資料の再確認で知った。蕨の河鍋暁斎記念美術館で暁斎画伝を読んでいた時に違和感があって、やはり暁斎と福神漬を命名した梅亭金駕との間で当時の新政府批判を入れた気がする。でもこの感覚は暁斎の研究者たちは関心がない様だ。