年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

ことば遊び

2015年05月16日 | 宅老のグチ

 

明治10年代のことば遊びが知りたくて、この本を読み始めた。今は正岡子規のような文芸指導者から批判されて、過去の遺物として伝わっているに過ぎない。ただ下谷根岸に集まった文化人グル-プの遊びは過去の遺物というべき(ことば遊び)を楽しんでいたようだ。

 キンドルでためしダウンロ-ド。図書館で借りた古い年代物の本と電子本。

 

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激動期の美術

2015年05月15日 | 福神漬

この前、練馬の美術館で開催された明治浮世絵小林清親の展覧会で講演した人の本を読んでいる。

 激動期の美術 幕末明治の画家たち 清親の見た文明開化 岡本裕美

この本で小林清親と原胤昭の付き合いはかなり前から会ったようで築地のキリスト教時代までさかのぼりそうだ。鶯亭金升が塾に通っていてとき団団珍聞の投書していた。この団団珍聞という風刺漫画雑誌をどのようなルートで知り読むことが出来たのだろうか、当時母子家庭で収入の乏しかった長井家が手に入れていたか不思議だった。

 次のように推理したらどうだろう。大垣戸田家は幕末期目付まで出世した明治初め長井昌言と付き合いがあったようだ。長井昌言が工部省鉄道局に就職できたのも高島嘉衛門等の力があったようだ。花香恭次郎が横浜へ行ったのも長井の世話と思われる。鉄道開業後、まもなく長井が亡くなり花香は横浜を去った。大垣藩戸田欽堂との関係から鶯亭は団団珍聞を知ったと思われる。

 もしこのようなことが事実だったら、戸田欽堂、原胤昭、小林清親の関係から福島事件の浮世絵配布に繋がる。鶯亭金升の結婚の仲人は小林清親で花香恭次郎はおじ・おいの関係である。

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台風一過で暑い

2015年05月14日 | 宅老のグチ

 

天気予報のとおり、高速で台風が通過した。あと10分ほど雨が遅かったたら無事に済んだのだが間に合わなかった。この時期の台風の影響はどうだったのだろうか。そろそろ好天によって野菜が下がるはずだが聞こえない。今日も暑い予報。またパスワ-ド変更の案内が届く。ずい分長くなってしまった。既に15桁は超えている。

銀行より好感度のアンケ-トが来る。悪いことは書けないのでいつもボツ。銀行への提案は多くあるのだが許認可の事情を知っていると無駄な提案かもしれない。

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西洋人の見た朝鮮. 読み始めた本

2015年05月13日 | キムチ

いま読み始めた本

新聞書評で気になって1月ほど待って読み始めた。日本でも明治期の訪問した外国人(西洋の)の記述を気にした本がいっぱいある。同様の本と感じる。

 

西洋人の見た朝鮮-李朝末期の政治・社会・風俗-社会・風俗-

金学俊著 金容権訳

李朝末期の朝鮮を訪問した西洋人たちは、なぜ一様にこの国の将来を悲観したのか-

 

キムチのことを調べると日本と韓半島の近現代史を調べる必要となる。多くの日本食文化は大陸からやってきたが日本の食が今のようになった理由も政治経済の観点から調べている人は少ないようだ。現実に最近の日韓関係の悪化で食の交流も少なくなったようだ。次に良くなっても前とおなじようにならないのが消え物の食の運命で言い伝しか残らない気がする。文献に残るのは稀なことと感じる。

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築地市場に自販機のない時代から

2015年05月12日 | 築地市場にて

築地市場の中に飲食物の販売店が点在している。今度の豊洲市場の移転に当たってどのよう存在になるか情報がない。雑踏している築地市場で休憩地となっている。築地であったものが消えてゆくのだろうか。青果部周辺にコンビニがないとき、不祝儀袋を購入するのがキヨスク的存在の売店であった。今の太田市場内にコンビニがあるのだろうか。

 

5街区青果地区に併設されるガソリンスタンドにコンビニが作られる。ファミリ-マ-トとなるようだ。微妙な位置でもある。場内でもあり場外でもある。時代の流れで、衛生面の規制を強化する行政の自然発生的な場内販売店の既得権を消し去るのも豊洲移転への隠れた目的かもしれない。日本橋魚河岸からの築地への移転で何が消えたのだろうか。今は知ることも出来ない。あるのは日本橋界隈に残存する魚関連の食品企業である。

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5月の台風

2015年05月11日 | 梅干

風の話が出るとは驚き。コ-ス的には本土上陸は無いようだが紀州の南を通るので、大きくなった梅の実が風によって落果するかもしれない。大豊作予想が大不作となることもある。二年連続で豊作だったので在庫はあるので心配ない。しかし売りやすい大きさの梅が少なくなる気がする。

 災害の様子は山によって風景が異なる。大きな被害があった梅林の脇にまったく被害のないところもある。自然災害の不公平を感じる。

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久しぶりの夜勤

2015年05月10日 | 築地市場にて

 

夜中の築地は夕方の築地と違って、実に狭い。大型化するトラックと手降しが消え、かご搬出入の作業場が必要となり狭く感じる。五月の連休で消費された食材の補給が終わる。これからヒマとなるだろう。夜9時過ぎ雨となる。長い一日だった。

金曜帰宅後風呂、食事して仮眠4時間。しつこい目覚ましで午前1時に出る。築地午前2時着。場内配送を手伝い、到着した商品の整理。3時ころ出勤してきた人とあいさつ。品揃えの追加をして、仮眠3時間。8時ころ事務所で本日の打ち合わせ。夕方の用意をして現場にもどる。午後4時から銀座で会議。6時半過ぎ、銀座からタクシ-で築地まで。細かい金がないことを話したらスイカで決済を勧められた。そのまま築地で9時まで仕事。飲んでいたので電車で帰る。久しぶりに優先席に座る。いつもなら立っているのに。

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お洒落と駄洒落は江戸の華

2015年05月09日 | 宅老のグチ

 

テレビを見ていたら江戸小紋のところで『お洒落と駄洒落は江戸の華』という言葉があった。贅沢が禁止された頃、江戸の町民が裏地に凝ったことを思い出した。判じ絵というものもあった。

下町下谷の文化で落語の発祥地の下谷神社もある。江戸のシャレ文化が明治になって残っていても不思議ではない。問題はシャレのわからない人が出てきたときどうなるかである。」この問題は今でもあってイスラム風刺は命がけとなっている。

 

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創業60年を超えるところが消えそうで

2015年05月08日 | 築地市場にて

 

4月に食品情報誌に記事となっていた漬物の老舗のメ-カ-が中国漬物製造から撤退するという。工場要員はすぐ側に出来た中国国内需要の食品製造に向かうという。別の中国漬物工場も既に中国国内向け販売で黒字となって、日本向けは縮小しているという。漬物業はコストの安いところを求めて転々とする。

 寂しいけれど過当競争で疲弊した業界が正常の戻るまでの風景の一つかも知れない。戦前都内に数多くあった漬物屋も消えて今は業者のいない区も増えた。

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雨らしい雨がなかった

2015年05月07日 | 築地市場にて

 

連休中の欠品を防ぐため、過剰な在庫で悩むが、今年は雨がなくようやく終わりそうだ。連休が明ければ晴天のおかげで青果物の価格も下がるだろう。長い暇な夏が始まる。雨のなかった、少ない記憶がない。一日は雨で過ごした記憶がある。平常に戻るということは暇になるということ。

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世界経済の中で

2015年05月06日 | 宅老のグチ

 

築地市場を訪問する外国人が増えるたび、正門脇にある注意書きの言語が増えている。既に英語・中国語・韓国語があるがそろそろタイ語などの東南アジア系の言語の表示が増えそうだ。昨日夕刻聞きなれない言語で話していた観光客がいた。顔を見るとタイ語かまたは東南アジアの言語だろう。

 63人待ちだった『日本人のためのピケティ入門』を読んでいる。60分でわかるという。いわゆる格差社会論争を起こした人の本『20世紀の資本』の解説本である。一部の金持ちが非課税または低額課税国に資産を移しているため格差が広がっているという。彼は国際課税を提案しているようだが課税は政治の基本で難しい。このことから国際企業は節税の専門職を雇用して企業の肥大化を続け格差がさらに拡大したという。

 富者から子孫へ資産の移転で教育機会の格差が広がっているという。資産のある人の子でなければ高額の学費のかかる有名大学に入れないと現実がある。

今の日本の相続税増税はこの格差を広げる促進政策かもしれない。贈与税の免税で子孫の学費を高齢者の資産移転を図っているようだ。問題は有能な人材を学費のために教育機会をあきらめさせている。既存技術がすくに時代遅れとなる時に次世代を担う人材は何処にいるのだろうか。

 

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子供の名前

2015年05月05日 | 宅老のグチ

 

英国で女児が生まれ、命名された。解説によると色々な意味を持たせた両親の意志があるという。明治自由民権運動福島事件の被告人花香恭次郎はその父(戸田伊豆守氏栄)に鉄(鋳)丸と命名された。

 世界遺産の登録で「明治の産業革命」ユネスコで登録推薦を勧告したという。西洋以外で最も早く産業化した日本は幕末の先見性のある人物達は鉄が産業の基本であることを知っていたようだ。ペリ-を乗せた軍艦の巨大さにまけ開国した日本は軍艦を作る必要性があった。鉄が基本となることを浦賀の人たちは知っていたようだ。鉄と蒸気が明治の日本産業の基本だった。戸田の幼児の命名の意味が解る気がする

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小林清親と鶯亭金升の関係の謎

2015年05月04日 | 宅老のグチ

 

鶯亭金升日記を読み始めると明治23年頃、小林清親が仲人した話が出てくる。どうしてそうなったのかほかの所に書いていないので不思議だった。小林清親を中心とすると元南町与力の子であった原胤昭と鶯亭金升が結びつく。築地のキリスト教の縁で戸田欽堂と原胤昭が結びつく。

この件を知りたくて練馬の美術館の小林清親の展覧会を見に行きたい。

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なぜか解らぬ

2015年05月03日 | 宅老のグチ

 

今日、京橋図書館に小林清親の本を借りに行く。築地市場への帰りに築地警察署の脇を通り抜けるのだがいつも小林多喜二がここで惨殺されたことを思う。何故だか解らない。

 ふと今日思ったのだが小林多喜二を惨殺する理由があったのではなかったか。もし、行き過ぎた拷問の結果殺したのではなかったように考えてはどうなるのだろう。

高野長英が嘉永3年10月末に殺されたのは最初から取り締まる町与力等が殺害する希望があったと思う方が自然である。江戸市中に潜伏していて何年も捕まえることなく獄中で逃亡生活を話されては南町の与力のメンツが立たない。高野長英の投獄理由と小伝馬町獄舎から逃げた件と分離して考えたとすると高野を匿った内田弥太郎を見逃す理由の一つとなる。内田は下曽根金三郎の配下として、嘉永年間浦賀で働いていた。嘉永年間の浦賀奉行は戸田伊豆守氏栄である。下曽根は南町奉行だった筒井政憲の次男だった。筒井は戸田の3男を長井家との養子縁組をまとめた。この複雑な関係が福神漬の由来を調べてゆくうちに気になってくる。

 

小林多喜二は蟹工船、北洋漁業の缶詰産業である。福神漬の缶詰を調べてゆくと蟹加工の重労働が必要性となることを知ることとなる。三菱商事が食品を扱うようになったのはロシア革命前後の北洋漁業の缶詰産業から始まる。大正12年7月三菱商事会議室での会合で福神漬の由来が鶯亭金升(戸田氏栄の孫)によって語られる。

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半値市

2015年05月02日 | 築地市場にて

 

5月2日は築地場外市場半値市。今年は爆発的な中国人観光客と日本人が築地にどれだけ集まるのだろうか。1日夕方の人気のない波除神社に欧米系の外国人がたむろしていた。4月は雨が多かったがようやく帳尻をあわすように晴天が続く。これで連休明けには青果物が安くなるだろう。連休明けから1週間ほど忙しく、過ぎれば長い暇となる。

価格改定の波の第二段が来ているようだ。

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