年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

天保六歌仙

2019年11月27日 | 福神漬

歴史への招待19 昭和56年

明治の講談師松林伯円の天保六歌撰の話は黙阿弥によって歌舞伎となった。明治7年(1894)河原崎座で上演され、さらに新しい場面や登場人物を加え、今も上演されている(天衣粉上野初花)が明治14年3月に新富座で上演され、大当たりした。

 明治16年9月1日の福島事件の判決後、原胤昭が小林清親の浮世絵を天福六歌仙と名付け無料配布した。この伯円の講談は中込重明氏の研究によると、麹町二番町に留守居として隠居していた筒井政憲の隣の家に出入りしていた伯円が筒井家にも出入りするようになり、筒井が南町奉行時代の事件を聞き出し講談にしたという。

 歴史への招待という本は中込氏の研究以前の本でこの件は触れていない。NHKの本では御仕置例類集の文政七申年御渡の事件で41人がこの事件にかかわっているという。

 NHKと中込氏の研究を合わせると、南町奉行の管轄外となる武士への捜査は火付盗賊改となるがこの時期は長井五右衛門昌純(文政8年まで)だった。南は筒井で火付は長井だった。後に筒井の斡旋で戸田氏栄3男が途絶えそうになった長井家に養子の斡旋をした。(出典・鶯亭金升日記)

 もし河内山宗春が武士なら、同じ二番町の近所付き合いで連携したかもしれない。筒井は南町奉行所に住んでいたが、火付盗賊改の仕事場は自宅となっていたので、二番町で事件処理されていた。

この部分は今は誤りで、長井家の中では河内山宗春の事件は処理されていない。
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