年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

ポツンと漬物屋

2019年11月06日 | 宅老のグチ

昔大分県で桃栗植えてハワイへ行こうという運動があった。村の産業を興す運動だった。これが全国に広まり、国等の予算もつき、多くの加工食品が生まれた。東京都の職業別電話帳サイズの本と記憶している。全体のページ数の40%位は漬物であった。多くの漬物工場が販売先が確立しないで前例があって予算が付きやすい漬物製造となった。今でも生き残っているところもあるが”いぶりガッコ”くらいしか盛業している記憶はない。地域振興の名でコンサルタントが活躍し地域がさらに荒廃する。今ある食品産業は長い時間がかかってここまで来た。

 村は農協と郵便局と学校で支えられている。子供が減り支えるのは金融を行うところなのに最近の低金利で

地域いじめが蔓延しているようだ。まだまだ工夫すれば隙間があるのにその隙間は外国人によって見出されている。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする