台東図書館の郷土資料で江戸切絵図を見る。弘化5年裏二番町には長井乙三郎,また嘉永2年には裏二番町長井音三郎、安政年間になると長井五右衛門となっている。弘化の前の天保はカタカナでナガイとなっている。
江戸幕臣人名辞典3巻では141ペ-ジ
長井筑前守 34歳
養父 長井義次郎(死)小普請
長井乙三郎(死)小普請
長井乙三郎も音三郎も語感から聞き違いかもしれない。
長井五右衛門昌純
文化10年3月15日御小姓組 佐藤美濃守組より
文政元年10月17日 徒歩頭より御先手 12月12日より加役
文政8年12月24日 は御先手加役(火付盗賊改)が終わり、小普請組支配となる。
天保9年10月24日 卒
ここで長井家の確かな記録が消え、最近までの歴史学者が出自不明とした理由である。
この後二代の後、戸田氏栄3男が長井家の養子となる。この養子の世話をしたのが筒井紀伊守政憲(鶯亭金升日記)