『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

『面倒臭い』『残念な』人

2018年11月30日 | ジジイの呟き

世の中には色々な人が居る。
僕はどんな人でも、滅多に嫌いになる人は居ないけれど、
それでもやっぱり『苦手』な人はいる。
『苦手』が高じると、『嫌悪感』になっていつしか面倒な存在になる。
いわゆる『残念な人』になってしまうのです。

今年は何故かその『残念な人』にかき回されることになっちゃった。
その『残念な人』とは、フェイスブックが生甲斐みたいな大船渡の人。
元々、精神的にちょっとおかしな人で、地元の人から敬遠されていたのだけれど、
何故か、震災後にちょっとした有名人になっちゃって、
本人は自分中心で地球が回っているような気分になっている。

アパートの集会所を私物化して、とにかく全ての人が、
自分を訪ねてくると思っている。
来訪者の持参した土産も、全部自分に持って来たものだと思い込んで居る。

SNSでは『いいね』を貰うのが生甲斐みたいで、僕が『いいね』しないと
周りの人に文句を言うらしくて、面倒くさい。
自意識過剰で、自分は特別な存在だと思われていると勘違いしているみたい。
僕が他の人と会ったりすると、ストーカーのように動向をチェックしている。
それで『あなたを特別視なんてしていません』とお断りしたら
また、その事で周りの人に文句を言って行くらしくて、本当に厄介。

実際に、同じアパートに住んでいる住民からは疎まれている。
いつか『村八分』にされるんじゃないかって、そう見ています。

とにかく面倒くさいから、SNSの関係もシャットアウトした。

その面倒で『残念な人』が、今度は先週あったノースジャーニーの事で
主宰者にクレームをつけた。
なんでも参加しないと言っていた僕が、突如現れたって・・・・

僕が行こうが行くまいが、こっちの勝手です。
会いたい人たちに会うために大船渡まで行って、イベントに顔を出しただけで、
逆に『残念な人』には会おうと思っていなかった。
ところが、僕が居る事を察知していて、顔を合せたら無視したって・・・・
きちんと声をかけたんですけどね・・・・

その事で主宰者からも、電話が来て『どうなってるんだ?』みたいな感じ。
面倒くさいから、今後はいっさい情報が漏れないようにして行くことにします。

世の中には思いもよらない『面倒臭い』『残念な』人が沢山居ますね。
そんな人と出会ってしまった今年。
僕の人生における汚点と言っていいでしょう。

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30年ぶりの再会

2018年11月29日 | 定年退職後の人生

今日は思いがけない人からメールが来ました。
メールの内容は
『娘が荻窪でライブのサポートをするので、良かったら聴きに行って』。
そのライブハウスは、僕が良く行くライブハウスの北口店『荻窪ルースター・ノースサイド』。
僕が住んでいる『秘密基地』から青梅街道で信号2つ、歩いて5分の所にあるお店。
帰る時に嫌でも前を通るので、断る理由もない。
ここの店長は南口にある『荻窪ルースター』本店で顔見知りになった青年。
店に入ると『あれ?今日はどうしたんですか?』って、きょとんとした顔をしていた。

今日のライブは直江泉という女性シンガーらしいけど、良く判らない。
ただ、その子のサポートで友人の娘がピアノで伴奏するとの事。
友人の娘さんは斎藤夕希さん。
https://aimerlamusique1234567890.amebaownd.com/pages/1229456/page_201707090656
うちの次女と同い年の子で、スイスのベルンに留学する準備中と言う話。
HPで見て解るように、音楽家としての道を歩んでいる夕希ちゃん。
この日のライブは、そんな彼女がサポートするような内容じゃなかった。

直江泉さんと言う今日の出演者。
声優を目指し、女優も目指していたと言うけれど、結局挫折したみたい。
今日のライブも、アニメの声で朗読したり唄を唄ったり・・・・
唄は音符の芯を外した、いわゆるチューニングの合っていない楽器みたい。
来ている聴衆も、アニメおたくみたいなオジサンが数人。
何だか場違いな所に着てしまったと苦笑い。

実はこの夕希ちゃん、結婚前に9年間付き合っていた彼女の娘。
彼女とは納得して別れたので、いまだに連絡を取り合っていて、
今日のライブの話を聞いたと言う訳。

その彼女と、ライブ会場で遭遇した。
『そのうち、逢えるでしょ・・・・』と言い続けて10年以上。
別々の道を歩もうと言って別れてから、実に30年ぶりの再会は意外な形で実現した。
お互いに歳を重ねたけれど、彼女は昔と変わって居なかった。
30年間の話をするわけでもなく、殆ど会話もせずに居た。

僕が一言
『お互いに、想定外の人生だったようだね(笑)』
『うん、でも良い人生送って来たんじゃない?(笑)』
と彼女。
この会話だけで、昔話をするわけでもなく・・・・。

ただ、あの頃と変わらずに居た彼女に逢えて、嬉しい夜になった。

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弾丸旅行(東京→大船渡):最終回『大人の対応』

2018年11月28日 | 定年退職後の人生

今年4回目の大船渡訪問。

付き合いが深くなれば、それだけ見えなかった事が見えてくる。
特に僕が頻繁に訪ねて行った、河原アパートの実情は、
初めて訪ねた去年の7月の印象とは、全く違うものだった。

具体的な事をここで書くのは止めておきますが、一番感じたのは『大人の対応』。
『大人の対応』っていうのは、自分の言動に『二面性』を持たせる事。
聞いていた住民間の問題も、表面的な対応を見ると話とは全く違う。

本当は歓迎されていないのに、表面的には歓迎しているような対応をされて、
東京から押しかけた人間は、勘違いをする。
結局、我々が東京に帰った途端に『ほっ』とされていたり・・・・
僕が感じるのは、どっちが本当の顔なんだろう?という疑問。

被災地の復興住宅に集団で生活して行くためには、そういう『大人の対応』は
必要不可欠な事なのかな?って、今回はつくづく感じた。
部外者の我々は、そういう事もわきまえて付きあって行かないと駄目ですね。
思った事がストレートに言動に現れる僕には『大人の対応』は苦手な事だと思いました。

そう云う意味で今回の訪問で、
『もう、ここ(川原アパート)と関わるのは終わりにしよう』
って思いましたね。

被災地に関する思いも、東京に居る僕と現地の人の感じ方では全く違う。
東京のテレビでは『あの日を忘れるな』と、被災時の人たちの話が
毎日のようにNHKで放送をしている。
あの復興支援ソング『花は咲く』だって、被災地の人達は余り好まない。
『花は咲く』を聞いて元気など出ない、嫌な事を思い出すだけ・・・・
被災地の人達にとって、元気が出る唄は誰でも知っている
『北国の春』だったり、昭和30~40年代に流行った歌謡曲だったり。
そんな話を聞いて、はじめて『あぁ、そうだろうなぁ』って思う。

ただ一部に変な人が居る事で、せっかく知り合って心が通じ合ってきた人達と
疎遠になるのは勿体ないから、今後は大船渡へ行く時は、面倒な人は避けて、
会いたい人とだけ会うようしようと思います。
少なくとも大船渡は、僕にとって心が癒される場所ですからね。

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弾丸旅行(東京→大船渡):その4『会いたかった人たち』

2018年11月27日 | 定年退職後の人生

まだ11月だけれど、今年は出会い、別れ、再会があった一年だった。
昨日も書いたとおり、今回の大船渡行きの目的は4つ。
①居酒屋『神菜月』のマスター健さん
②津軽三味線の中村夫妻
③今年知りあったり、世話になった人たち
④川原アパートの御姉様達
といった『会いたかった人たち』と会って、顔を見て、挨拶してくる事だった。

①居酒屋『神菜月』のマスター健さん
②津軽三味線の中村夫妻
については昨日書きましたね。今日はその続き・・・・

今年、大船渡で新たに知り合った人が数人います。
その一人がNPO法人 おはなしころりん代表の江刺由紀子さん。
今年オープンした大船渡防災観光交流センターの2階の、NPO法人『おはなしころりん』で
子育て支援等の活動をしたり、大船渡市以外の場所でも活動範囲を広げておられる。
友人から『ボールプールとかシルバニアファミリーが大量に有るけど・・・・』
と相談を受けて、大船渡の知人に利用できないか?と訊いてみたところ
紹介されたのが江刺さんだった。
8月上旬の大船渡花火大会の日に、たまたまホテルが取れたので、
その時に玩具を持って行くことにした。

玩具を渡して、防災センターの館内を見せてもらった時に
『翌月の敬老の日に、ここで何かお年寄り対象のイベントをやれたら良いですね』
と話をして、江刺さんと別れて来た。
結局、9月に入って突然、条件が整って江刺さんに
『敬老の日のイベントをやりますので場所を確保して!』とお願いして、
あのウェディングドレスでの撮影会が開催できたと言う訳です。

実は、その時に地元の岩手ブライダルセンターにも声をかけていた。
出来れば協力して貰えないかな?という期待と、もしも駄目だとしても
営業妨害にならないか?ちょっと心配だったのでね・・・・
それで、電話をしたら大船渡の責任者である及川さんと言う女性が応対してくれて、
結果的には協力できないと言う事だったんだけれど、イベント自体には問題無いと
取りあえず、地元の営業妨害だけはしたく無かったですから安心したのでした。

後で衣装協力してくれた山梨の社長にその話をしたら
『ブライダルセンターが絡むと、お客さんが営業目的と勘繰る』
と言われて、納得した次第。
結果的に『ウェディングドレスはこんなに素敵なんだよ・・・・』
と、周りにアピールできれば営業妨害どころか、営業的にはプラスになるとの事。

その時に知り合った及川さんとも会って、お土産を渡したら喜んでくれた。
今度は一緒にランチでも・・・・と言う話になりました。

そして最後は河原アパートの御姉様たちに会う事。
ここで一番世話になったのは、時江さんかな?
いまは、東京に居る娘さんのところに来た時に会う仲になっている。
それと、顔を見るだけで癒される人達。

NJをやって居る集会室は色々と面倒な人が居るので、集会室の中には入って行かずに、
若い恵美ちゃんの部屋を覗いた後に、時江さんの部屋に恵美ちゃんや御姉様方を呼んでもらった。
この間行った時に会えなかったヒロさんに会えて、逆にヨシコさんには会えず
それでも大好きな栄子姉さんに会えて、本当に嬉しかった。

男性陣は一番会いたかった菊池さんと会えなかったのが残念。
でも、帰りの新幹線の中で菊池さんから電話を貰って、こちらも嬉しかったなぁ。

つづく

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弾丸旅行(東京→大船渡):その3『津軽三味線・中村夫妻』

2018年11月26日 | 定年退職後の人生

大船渡へ行くと必ず立ち寄る、居心地の良いお店『神菜月』。

スタッフのお客さんへの気配りが行き届いていて、凄く温かさを感じる。
食べるものも美味しくて、店もオシャレ・・・・となれば、居心地が良いのは当たり前なんでしょうけれどね。

僕はマスターの健さんのファンなのです♪
屋台村で出会った時に、何かひきつけられるものがあったんですね。
昨年5月にオープンしたキャッセンに店を出すと聞いて、『必ず行く』と約束した。
そして去年の7月に再会して、今回で8回目の大船渡行き。
その都度、必ず店に行き、最近は手土産に関東の日本酒を持って行くようになったのです。

24日の晩に持って行った手土産は『来福』という、茨城産の『超辛口』。
健さんと言うよりスタッフの姐さんの好みに合わせて買って行ったのだけれど、
僕や健さんからすると、ちょっと辛過ぎで、まるで『料理酒』を飲んでいるようだった。

それと、前回の訪問時に健さんの『甘い物好き』が発覚したので、
お店のスタッフ全員に『舟和の芋ようかん』を持って行ったら大好評。
『舟和の芋ようかん』は何処へ持って行っても喜ばれるので嬉しいですね。

酒飲みは『辛党』と言うのは嘘で、実は『甘党』の酒飲みは多い。
健さんはどちらかと言うとそっちの組みかな?いわゆる『両刀使い』ですね。

そしてその『神菜月』で、『中村夫妻』と待ち合わせして、話をした。
『津軽三味線・中村夫妻(ゆにっと・なかむら)』と知り合ってもう5年ほどになるのかな?
NJ(The North Journey)の会場の屋台村にひょっこり現れた中村夫妻。
僕は、その時中村さんが持っていた三味線に目が行って、『聴きたいなぁ』と思った。
相方の承諾を得て『僕らのステージの時間を譲るから、演奏してくれ』と頼んだのが始まり。

その時は『三味線は準備に時間がかかるのですぐに演奏できない』
と言われ諦めたのだけれど、僕らの演奏が終わった後に一緒に飲んで、
翌年から参加すると言う約束をして別れた。

その翌年、僕らがバスで大船渡入りすると、バスの到着を待っていた人が居て
ドアが空いた途端に『ゆうじさ~ん』と言う声が聞こえて
『なんだよ、他にもゆうじってやつが居るのかよ』って相方と話していた矢先、
中村さんがバスの中に入ってきて、それが僕の事だったと気が付いた次第。

前年の口約束なんて、正直なところ信じて居なかった。
僕は『また来ます』とか言ったら必ず行く。
その気が無いのにそういう事を言うのは『嘘をつく』事になりますからね。
逆にその気が無い場合や、約束できない場合には『機会があったら・・・』と前置きします。
そう云う意味で中村さんは自分と同じような人間なんだと思った。

以来、メール交換をしてお互いのブログを見て近況を確認しながら、
毎年NJで中村ご夫妻に会うのを楽しみにしていた。

実は中村さんの奥様の事がずっと気になって居た。
奥様は何かを背負って、抱えちゃっているような・・・・
そんな『邪気』を感じていたから、その事を話したくて、
ずっと富山の高岡にある中村さんの所を訪ねて行こうと思っていた。
ところが、なかなか時間の折り合いがつかず、NJの時期になってしまった。

僕は今回、NJに参加しないつもりだったのだが、中村さんが参加と聞いて
このチャンスを逃すと、また先送りになってしまう・・・・と、
今回の『弾丸旅行』に踏み切った理由は、そんなところにもあったのです。

でもね・・・・杞憂に終わりました(笑)
奥様に再会した時、別人かと思うほど顔つきが変わって居た。
抱えていた『邪気』も、全く感じない。
いろいろ話を聞いていて、今年は四国の札所巡りの遍路に行って、
そこで色々と払い落してきたのだ・・・・と思いましたね。
今まで訊きたくても訊けなかった事を、奥様の方から話してくれたり・・・・
なんだか、凄く嬉しくなりました。
The North Journey2018 Unit NAKAMURA

つづく

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弾丸旅行(東京→大船渡):その2『また会いましょう』

2018年11月25日 | 定年退職後の人生

11月23~25日に、今年で7回目になる『The North Journey2018』が開催されていて
僕はサッカーの大会が重なって、参加しなかったのだけれど、本当の所ははちょっと違う。
まぁ、参加しなかった人間があれこれ批判するのは礼儀に反するのでここでは止めておきます。

今日は10時にホテルをチェックアウトして、その足で一番近いキャッセン大船渡にある
『岩手ブライダルセンター』の及川さんにお土産を持って行った。
でも、あいにくその時間は席を外していて、仕方が無いので先に防災センターの2階にある
NPO『おはなしころりん』の代表、江刺さんへ挨拶しに行った。
今年の9月に開催して好評だった『敬老の日のイベント』の会場確保や告知などで、
イベントの人集めなどを支援して頂いた。
ところが、その江刺さんも出かけていて30分ほど戻らないという事で、
どうしようかと思っていたのだけれど、暫くすると江刺さんが帰って来て、
防災センターのロビーで今年のイベントの話をした。
イベントは思いのほか好評で、来年も開催して欲しいという要望もあるらしく、
衣裳を提供してくれた山梨の社長も承諾してくれているので、来年もやろうと言う事に決まった。

この日は防災センターの入口にある『ピロティ』で、『The North Journey2018』のイベントが開かれ、
丁度中村夫妻が演奏する時間になっていたので、演奏を聴いて時江さん達が来るのを待つことにした。
The North Journey2018 Unit NAKAMURA
中村さんの演奏する三味線は気候に凄く影響される楽器で、冬の屋外演奏は大変そう。
屋外でなくてもギターもケースから出して、暫くしないと音が安定しませんからね。
ましてや太鼓の様な皮を張って鳴らす三味線は、相当大変な気がします。
中村さんはこの演奏の後、車で富山の高岡まで10時間かけて帰るそうだ。

丁度、中村夫妻の演奏が終わって、『また会いましょう』と挨拶をしている所に、
大船渡で仲良くして頂いている時江さん一行が現れた。
ランチを一緒にしながら話をしようと言う事で、プラザホテルのレストランへ行って4人でランチ。

2時間ほど色々な話をした後に、それぞれ車に乗って川原アパートへ戻った。

僕は、川原アパートで開催している『The North Journey』のイベントが終わるまでの時間を使って
『カモメの玉子』の体験教室に参加して家族のお土産用に『デコ・カモメの玉子』を作った。
 




飾りの部品が小さいので、ピンセットが無いと指先が不器用な僕は上手く作れませんでした。

その後、川原アパートの御姉様たちの所へ行って、挨拶をした後は、
キャッセンに戻って、さっき会えなかったブライダルセンターの及川さんの所に顔を出して、
『The North Journey』の親分、マイスター鈴木さんに『先に帰ります』と声をかけてから、
BRTの駅に急いで向かったら、時江さんと野澤さんが見送りに来てくれていた。
何だか凄く嬉しかったですねぇ・・・・・
夕方16時30分発のBRTに乗って、来る時と全く逆のコースで東京に戻った。

大船渡への弾丸旅行。と言っても、時間的には片道6時間。
乗り継ぎ時のロスタイム込みだから、実質5時間半でしょうかね?
車で行くと、どんなに頑張っても片道600km弱、6時間半はかかるから
時間的にはさほど変わらない気もするけれど、やっぱり新幹線は体が楽です。
東京の自宅には夜10時半に到着しました。

一年間付き合って、のべ4回の大船渡訪問で色々と見えてきた大船渡の川原アパートの運営問題。
もしかして来年は川原アパートで『The North Journey』のイベントは出来ないかも知れません。
明日以降、そのあたりの話を書くことにしましょう。 

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弾丸旅行(東京→大船渡):その1『本当に忙しい一日』

2018年11月24日 | 定年退職後の人生

今日は朝7時半に家を出て、新宿区の生涯学習館という公民館の会議室の予約。
3か月前に、登録団体の事前予約の日で、この日は5コマ(区画)の予約が出来る。
更に午後1時から3コマ取れるので、合計4日分の予約が出来る。
朝9時からなので、車で出かけたのだけれど8時20分に到着した時には、
既に2組が並んでいて、僕は3番目。
お年寄りの団体が多く、とにかく朝早くから並んでいるのです。
なんと、先月に続いて最終的に43団体が押し寄せて大変だった。

今日の予約は2月分。
後半から唄の稽古も始まると言うので、下旬の方から予約。
午前中の受付は5コマなので土日の昼間、夜間を2日分、昼間のみを一日分確保。
こちらは問題無く確保できたのだけれど、レクリェーションホールの予約で
何処かの劇団と、ダンスグループが競合。
くじ引きで決める事になって居るのに、係の人が『まず話し合いで・・・・』
なんて事を言うものだから、それで揉めちゃって・・・・

団体A:『我々はずっと昔からここを使って居るので譲って欲しい』
団体B:『我々も他に場所が無いのでここに申し込みに来た』
団体C:『ここは公共施設だから、誰でも借りられるんでしょ?』

こんなやりとりを延々とやって、挙句の果てに団体Aの人が
『我々はずっと昔からここを使って居て他に借りる場所がない』
なんて事を言いだして、話が平行線のまま・・・・
結局、くじ引きで団体Bがゲット、これに団体Aが泣き落としにかかる・・・・
ルールなんだからさぁ・・・・仕方が無いじゃない。
自分中心に物を考える人って言うのは、何処にでも居るのですねぇ(苦笑)

この間、僕らは取得した場所の手続きを30分以上待たされる事になって
結局、僕が申し込み手続きを終えて利用料金を払ったのが9時半過ぎ。
おまけに、僕は手続きの時にお年寄りに割り込まれて、3番目のはずが9番目になってしまった。
怒るのもなんだから、黙っていたのだけれど、ここにも自分さえ良ければ良いという人が居た。
さっさとくじ引きにしてくれたら30分早く帰れたのに、こう云う時に図々しさが足りないですね(笑)。
取りあえず、午前中の目的を達成。
一旦帰宅して、今日は午後から岩手に出かける予定なので、今度は電車で東中野まで。出かけた。
午後1時から残りの3コマの追加予約。
こちらも希望通りの日程を確保できたので、僕のノルマは達成。
その足で新大久保まで歩いて出かけて、山手線で池袋に向かった。
西武デパートで予約した、おばあちゃんたちへのお土産『舟和の芋ようかん』を取りに行って
品物を受け取ったその足で、埼京線で大宮まで移動した。

30分早い電車なのだけれど、この日は電車が遅れていて結果的に正解。
大宮3時発の『やまびこ』に乗って2時間ちょっとかけて一ノ関まで。
待ち時間が40分だったけれど、思ったより暖かく東京とおなじ服装で大丈夫だった。


そこから在来線の大船渡線に乗り換えて1時間半かけて気仙沼まで行き、

さらに震災で失った、レールの跡を走るBRTで気仙沼から大船渡まで。大船渡に到着したのが8時半。
昨日から大船渡では『ザ・ノースジャーニー2018』が開催されていて、仲間が大勢いるのだけれど、
サッカーの大会が重なったのと、僕の考えとちょっと違う催しになっているので今回参加しない。

今回の岩手行きは、10日前にホテルが取れたので、急遽決めた事。
最初は車で来る予定だったけど、風邪気味で薬を飲んでいたりで新幹線に変更した。
そして旅行は、
①行きつけの居酒屋『神菜月』のマスター健さんに、日本酒の手土産を持って行く
②今年も参加している津軽三味線の中村夫妻と会う
③今年知りあったり、世話になった人への年内の挨拶
④川原アパートの御姉様達の顔を見て、挨拶してくる
のが目的なので、ギターなども持参していない。

ホテルのチェックインをして、部屋に荷物を置いてロビーに降りたら、
何と時江さんがロビーまで来て出迎えてくれて、さらに同じホテルに泊まるらしく、中村夫妻ともロービーで遭遇。
中村夫妻は、着替えた後にすぐ後に『神菜月』で、落ち合う事にして、
時江さんとは、翌日の昼間にランチする約束をして、その場は別れた。

『神菜月』では偶然、健さんの同級生の役者さん、横道さんもその場に居合わせた。
この人と会うのも、3か月ぶりくらいかなぁ・・・・

詳しい事はまた明日以降書きましょう。
とにかく、今日は朝早くから本当に忙しい一日でした。

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AH杯(昭島ー八王子定期交流戦) 奪還!

2018年11月23日 | 定年退職後の人生

今日は毎年11月23日に開催されるている、昭島市と八王子市のサッカー協会が
カテコリー別に仕合をして、その勝ち負けで覇権を争う定期交流戦、AH杯でした。
試合のカテゴリーは
①小学生6年生以下 8人制 
②小学生5年生以下 8人制 
③少女6年生以下 8人制
④中学生3年生以下 11人制
⑤女  子中学生以上  11人制
⑥社会人高校生以上  11人制
⑦壮  年40歳以上 11人制
⑧熟  年50歳以上 11人制
⑨Over6060歳以上          の9カテゴリー。

僕の場合⑦⑧⑨の試合に出られて、実際に一昨年までは40歳以上と50歳以上の試合に
出ていたのだけれど、今年は肋骨の骨折が完治せずに断念。
僕らの3試合前に60歳以上の試合と、ひとつ前の試合で50歳以上の試合を見ていた
僕のチームのメンバーが
『ジジイなら、無双できるな・・・・』
なんて、お世辞とは言いながら、その気にさせる事を言ってくれる。

実際、一昨日まで50代のチームでも出場して、スピードや体力なら大丈夫だったけれど、
いかんせん、仲の良い連中だけでパスを回すから、一緒にやって居てつまらない。
その上、50代のチームより60代のチームの方が上手くて、楽しかったり、
そんな事もあって、そちらの試合からはちょっと離れて、自分のチームで
チームメイトの許しが有る限りは、若いところで競り合いたいと思っています。
まぁ、それが原因で夏に肋骨を骨折しちゃったんですけどね・・・・

さて試合はキャプテンが台湾出張で急遽離脱して11人ギリギリと思われたところ、
ゲームメーカーの郁也が結婚式の後に合流。
それに40歳になったばかりの『ペレ』こと小林君が加わり、
さらに普段は子供のコーチで来られない『元エース』の幸司君が加わって13人、予想外の戦力が整った。

会場の戸吹運動公園のグラウンドは、人工芝の素晴らしいグラウンドなのだけれど、
難点は照明施設が6基しかないナイター設備の貧弱さ。
暗いうえに、照明の位置が低いのでコーナーキックの時は照明が目に入って、ボールを見失う。
ただ、それは相手も同じなので、やり難さはあっても試合の勝敗には関係ない。

前半は酔っ払いの郁也と、『元エース』の幸司を控えに回して様子を見た。
早い段階にFWの点取り屋『デカ』が、相手のミスを誘ってボールを奪取、
GKの位置を冷静に見て、頭越しのシュートを流し込んで先制。
初参加の『ペレ』も、なかなか味方との連携が上手く取れない中で
前半終了間際に、味方のミスから同点にされて前半を終了。

後半から郁也、幸司を投入すると、チームが見違えるような変化を見せた。
ディフェンスラインを高くして、殆ど相手陣内で試合を進める。
相手に攻め込まれても、ディフェンスが冷静に処理してくれた。
唯一のピンチは、この日GKをやった剛君のファインセーブで凌いだ。

後半、幸司が2点目を奪うと、続いて『ペレ』がネットを揺らし3点目。
試合はそのまま、3-1で昭島代表の我々が勝利した。

AH杯と記念ボールを授与

昭島代表『マスターズ』(僕のオーナーチーム)
後列(左から):中島、間宮、吉野、今村、中原、大堀、石川
後列(左から):一仁、郁也、石倉、ペレ小林、桒原、幸司

優秀選手は初参加ながら、随所で活躍した『ペレ』
久しぶりに、ウチらしい良いサッカーを観た気がしました。
本音を言えば、最後の5分くらい出たかったですね。

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いい夫婦の日

2018年11月22日 | 定年退職後の人生

11月22日は、その数字をもじって『良い夫婦』の日だそうです。
ひねくれ者の僕はこの『いい夫婦』って『何がいいの?』と訊きたくなる。

例えば僕と嫁さん。
別の場所で暮らすようになって5年になる。
離れて生活するようになって、意外にも前より『仲』が良くなった。
というか、お互いに気を遣うようになったと言う方が正しいですね。
かといって『仲良し夫婦』かと言うと、それは違うような気がする。

週末に家族で外食に出かける以外は、殆ど一緒に居ない。
僕はサッカーや芝居の稽古、旅に出たりするのも殆ど独り。
嫁さんも休日は映画に行ったり、友人や娘とTDL(ディズニーランド)へ行ったり
自分のやりたい事を、それぞれやっている感じ。
夫婦でTDL・・・・なんて、人混みが苦手な僕にはちょっと考えにくいかな・・・

定年後に仕事を辞めた途端に『粗大ごみ』なんて言われることが
世間一般では多いみたいだけれど、
『散々働かされて、それは無いだろう』と言う前に、定年までに
『自分のやりたい事』を一つでも明確にしておくことですね。

ちなみに『いい夫婦』と言える関係とは
①必要無い時は、同じ空間に居ない(亭主元気で留守が良い)
②お互いに好きな事を、別々に出来る
③1日1回は、何かしらの話をする
④お金の事でゴチャゴチャしない
⑤旦那が馬鹿になりきれる、嫁さんはそれを容認できる
ことじゃないでしょうかね?

僕の場合
①別居している
②お互いに別々の趣味を持っている
③メール、ラインで毎日数回やり取りが有る
④お金の管理は嫁さんに任せている
⑤自然にこういう構造になっている
ですね・・・・・
僕ら夫婦は『いい関係の夫婦』なのだと思っています。

 

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風邪ひきました

2018年11月21日 | ジジイの呟き

やっぱり風邪を貰ってしまったようです。
職場に休む旨を伝えるために電話したら、出てきたのがパートのおばさん。
『風邪ひいたみたいだけれど、急ぎの仕事も無いから今日は休む』
と言ったら
『あらぁ、私が伝染しちゃいましたねぁ、お大事に・・・・・』だとさ。

会社に居るだけで、仕事が無くても定時間内居れば給料がもらえる。
休んだ分は残業をして、手取りが減らないようにする。
これが通用したのが、このおばさんが前に居た会社です。
だから、その会社は倒産して、今の会社が社員ごと引き取ったのだけれど、
こういう環境でやってきた人は、意識が低いのですよ。
『仕事の対価』ではなく、『会社に居る事』で給料がもらえると思っている。

世間一般で、残業をする人間は、一生懸命働いているように見える。
それを評価する人間も、時間当たりの仕事の量や進捗状態で
評価する人間は殆ど居なかった。
僕は部下を評価する時『技量(仕事のレベル)』『結果(成果物)』『時間』
を物差しにして、出来るだけ絶対評価をしてきた。
要は『出来ない奴ほど残業する』という僕の物差しはハッキリ数値化出来た。

ところが僕がそう云った評価をしても、総務や人事部のような部署が
残業(仕事をしている)した時間が多い人間を高く評価したり、
有給休暇(休んでいる)の取得が少ない人の評価を上げたりする。
仕事の内容で部下を評価できるほどのスキルを持っていない、
上層部にとって都合がいい人間を管理職に据えてしまうから、仕方がない。

まぁ、今の僕はそういった事はどうでもいい。
体調が悪いのに、大して仕事の無い職場に1時間半もかけて行く気も起きない。
夜中に咳が出て、良く眠れなくて頭もちょっと痛かったから、
仕事を休んで、医者に行って来た。

この分だと明日も休んだ方が良さそう。
そのまま、来週の月曜日まで6連休です。

2日で体調を戻して、23日はサッカーの試合を観に行く予定。
土曜日は劇団の稽古場を確保しに朝一番で出かけて、
昼過ぎから東北まで出かける予定。

しかし、腹立たしいなぁ・・・・

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あぁ、むかつく・・・・

2018年11月20日 | ジジイの呟き

やばいなぁ。

何となく咳が出る。背中がゾクゾクする・・・・
風邪でもひいたような感じ。

うちの事務所に居るパートのオバサン。
パート社員だから、休んだ日は給料が貰えない。
今月は風邪をひいて、だいぶ休んだので来月の給料が目減りする。
そんな理由で、生活が苦しいから無理して仕事に出てくるんだけれど・・・・
健康保険に加入していても医者にも行かずに市販薬で済ませる。

前の会社でも、風邪をひいてもマスクをしないで咳をしている人間や、
マスクをしていれば大丈夫とばかりに、ゴホゴホと咳をしている人間が居て、
僕はそういう人が出社してきて、傍に来られるのが一番嫌だった。

少し体調が良くなって、咳が治まると、マスクもしないで出てきて、
頻繁ではないけれど、ゴホゴホと咳をする。
パートのオバサンは、まさにこういうタイプの人。

咳が完全に治まるまでマスクはするべきでしょう?
僕は風邪などの病気をばら撒いて伝染す人は、傷害罪なんじゃないかと思います。

こんな事を言ったら失礼かもしれないけれど、正直な事を言えば
この人が居ないと仕事が滞る訳でもなく、居なくても大丈夫。
生活のために来るのは仕方がないとしても、風邪をひいたら
せめて他人に伝染さないように、最低限マスクはして来るとか、
咳が出なくなるまで、治してから出勤するとか、他人に対して、
そういった気遣いをした上で職場に来てほしい。

あぁ、むかつく・・・・

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思わず微笑んだ瞬間

2018年11月19日 | 定年退職後の人生

今日は仕事へ行く時に楽しい事がありました。

いつも通り、新宿発の準特急に乗って京王堀之内まで行ったのだけれど
今日は電車の中で居眠りして、気が付いたら一つ先の駅『南大沢』に着いていた。
電車通勤の良いところは、居眠りが出来る所なのだけれど、
このところ、今日みたいに寝過ごして次の駅まで行ってしまう事が多くなった。

南大沢で降りて、階段を上って向かい側のホームで電車を待って
一駅戻るのだけれど、実はそれでも京王堀之内の駅に到着する時間はさほど変わらない。

やってきた電車に乗り込んだら、座席に異様に大きなクマが2匹座っていた。

ぎょっとして、良く見てみたらぬいぐるみ。
しかも持っている女の子よりも確実に大きなサイズ。
てっきり中に彼氏でも入って、コスプレしているのかと思った。

僕がギョッとしたのを見て、女の子たちが『ごめんなさい』と言う。
『彼氏でも入っているのかと思った』と話をしたら『まさかぁ…』と笑う。
余りにも可愛いので写真を撮りたいと言ったら
『顔は映さないならOK』と言う事で写真を撮りました。

そのシーンを見ていた、車内の他のお客さんたちの顔がほころぶ。
次の駅まで一駅の時間だったけれど、彼女たちはぬいぐるみをオンブして
電車を降りる時に社内の人たちに
『お騒がせしました』と挨拶して、そそくさと降りて行ったのだけれど、
残された社内の人たちはみんな笑顔で、なにか和んだ雰囲気に包まれた。

下車してから階段を下りて、改札を抜けてどこかに消えて行きました。

こういうの好きですね。
人が微笑むのを見て、気分が悪くなることはありませんから・・・・

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一人で生きるよりも

2018年11月18日 | ジジイの呟き

僕のバンドのオリジナル曲に、この題名の曲があります。
原曲を相方が作ったまでは良いけれど、ほったらかしで演奏できるレベルに無かった。
それで僕が譜面にして、曲を作り直した。
そういう意味では作曲・Charlie野村、編曲・UG谷中と言ったところですかね?
この曲、出来上がって二人で演奏してみたら思いの外、いい曲になった。
それでライブでは最初か最後のいずれかに、必ず演奏していた曲です。

今日は昼間、部屋に居て夕方から自宅へ行こうかと思っていたのだが
長女は出かけて、次女は休日なしで仕事。
嫁さんでも誘って何か食べに行こうと電話したのだが、面倒臭いと言う。

結婚前は一緒に何処かへ出かけるのが楽しくて、毎週会って居た。
映画に行ったり、食事をしたり・・・・
『いつも一緒に居たい』と思う気持ちが『結婚』の理由なのに、
やれ『忙しい』だとか『人の事まで構っていられない』と言って敬遠する。

それが理由ではないけれど、僕は数年前から家族と離れて『別居』をするようになった。
実家の荷物を整理しきれていない、子供が大きくなって3LDKのマンションは手狭になった…
等など、理由は色々あるけれど、僕自身も常々『自分の部屋』が欲しかったですからね。

『別居』をするようになって、逆に嫁さんとメールや電話でのやりとりが多くなった。
普段はお互いに好きな事をやれば良い。
最近は休みに日になると映画を観に行ったり、嫁さんは自分の時間を楽しんでいる。
僕は週末にサッカーや芝居の稽古、平日はライブハウスに行ったりして好きな事をやっている。
そう云う意味では僕ら夫婦は結婚前の関係に近くなった気がする。

ただ、一つだけやっぱり寂しいのが『食事』。
40代に夜遅く帰宅する事が続いた時期に、毎日外食していた時に
嫁さんが『一人で食事できるなんて羨ましい』と言って居た。
子供の食事を作り、後片付けをしたりが面倒くさかったのだろう。
確かにそれは理解できる。

けれど、少なくとも僕は独りで食事するのが凄く嫌。
誰かと一緒に何かを食べると、その副産物として会話も発生する。
あまり美味しくない物でも『これ、不味いねぇ・・・・』と言って
食べると、何だか楽しくなったりする。

お袋が独り暮らしをしていた時に、毎週末に出かけて行ってやって居た。
食事が凄く貧困で、栄養失調に陥った事もあるから・・・・。
『独りで食べても美味しくないんだよ・・・・』
その時に、お袋がそう言って居た。

『別居』して夫婦の関係が改善されたけれど、食事をするたびに
何だかちょっと寂しい気持ちになる。
そんな時に、自分たちのオリジナルソング『ひとりで生きるよりも』
と言う曲を思い出すのです。
ちょっとシチュエーションは違いますけどね・・・・(笑)
今日はラストになりました・・・・

『ひとりで生きるよりも』   Written By Charlie&UG
ひとりで生きるよりも、ふたりでいたい
君と一緒に居たい・・・・
君と話がしたい・・・・
君の姿を目の前に おいておきたい

ひとりで生きるよりも、ふたりで居たい
君の瞳がくもるのも 君のまつ毛が濡れるのも
君の瞼がとじるのも 見つめていたい

いつまでも君と二人で いつまでも ずっと居たい
いつまでも君の笑顔を ずっと見つめていたい
(間奏)
君の瞳が曇るのも 君のまつ毛が濡れるのも
君の瞼が閉じるのも 見つめていたい
見つめていたい・・・・

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お気に入りの店『タカセ』

2018年11月17日 | ジジイの呟き

今日はちょっとした買い物で池袋の西武デパートに行ってきました。
そのついでに・・・・と言うより、本当はこっちが本当の目的。
買い物なら、わざわざ池袋まで行く必要が無いですからね。

その目的地は、先週の金曜日に出かけた老舗洋菓子店の『タカセ』。

大正 9年初代 森茂吉が四国から上京し、池袋駅前にてパンの製造販売を創業。
昭和10年屋号を"森永ベルトラインストア"とし、パン・洋菓子の製造販売と共に
森永チェーンの一環としてレストランを経営。
昭和20年東京大空襲で池袋が戦災を被り一時休業。
昭和21年「森永」の名称によりパン菓子の製造販売及び喫茶部を再開業し、
昭和37年商号を初代森茂吉の出身地が現在の香川県三豊市高瀬町であったことから
社名を『タカセ』に変更し、自家製の洋菓子・パンの製造販売で今日に至る。

この日に注文した『レディースセット』

好きなケーキ1個に、サンドイッチと珈琲のセット。
本業が洋菓子、パンの製造と言うことも有ってサンドイッチのパンは滅茶苦茶美味しい。
コンビニや作り置きの物に慣れてしまっている今日この頃だが、触感と言い味と言い、
久しぶりに『美味しい』と思って食べたサンドイッチでした。
この味こそ、お袋が好んだサンドイッチの味だったのかな?

そして先週も書いたコーヒーの味。この日も美味しかった。
つまりまぐれじゃない、常に美味しい珈琲を提供してるんですね。
ケーキも美味しくて、もう一個食べたくなるほどでした。

窓から見える池袋の街は、子供の頃に見た景色とさほど変わって居ない。

店はお世辞にも綺麗とは言えないけれど、昭和の良き時代の雰囲気が漂って、
年配の方が、友人同士だったり、親子連れや孫を連れて家族できている。

ウェイターの方が運んでいる中に、白い飲み物。
そう『アイスミルク』です。
『アイミー』と格好つけて呼んでいたメニューですが、その当時の彼女が
最初は『なに?アイミーって・・・・』と思わせて、出て来たのが牛乳。
『牛乳なんかにお金払って、馬鹿じゃないの?』と言わしめたメニュー。
ガムシロップを入れて飲む、『アイスミルク』が当時は格好良かったのです。
それでメニューを見てみたら・・・・・ありましたよ。
『ミルク』と書いたメニューが・・・・(笑)

味は良くて、居心地も良い。
おまけに懐かしの『アイスミルク』までメニューにある。
やっぱり『タカセ』は僕にとって、凄くお気に入りの店のようです。

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ハゲを増す会:冬季定期大会

2018年11月16日 | 定年退職後の人生

今日は恒例となっている『ハゲを増す会』の冬季定例会合。
我々の間では『定期大会』と呼んでいます。
いつもの店で、いつもの時間に、いつものメンバーで・・・・。
いつもの店は立川駅から歩いて5分の所にある『石炉端(いろは)』
いつもの時間は概ね6時集合。

僕は5時半に仕事を切り上げて、6時半合流予定だったけれど、
幸いなことに所長が多摩センターまで車で送ってくれたので、
モノレールに乗って、6時過ぎには到着した。
店に到着すると5時に会社を出た3人が、すでに飲み始めていた。
メンバーの殆どが『裁量労働制』の本部長や部課長以上になったので可能な事。

僕の飲み仲間は大きく分けて5つの関係に分類できる。
まずはサッカー関係。
このグループは年に1,2回かな?サッカーをやる事がメインなので
飲み会よりも練習試合の方が多い。
車で集まるので、飲み会にはなかなか発展しないのが実情です。

2つ目は音楽関係。
こちらは相方を始めとしたバンド関係の仲間の飲み会。
これも最近は殆ど集まらなくなりました。

3つ目が演劇関係。
まぁ、これは殆どM谷氏とのマンツーマンに、たまに誰かが加わる程度。
その他は劇団の忘年会や、公演後の反省会が主ですね。

4つ目が秘密部隊。
前の会社で担当していた超高圧電子顕微鏡の関係者。
僕がバカダフィー大佐、おバカ大統領以下、中隊長、小隊長、歩兵の5人。
たまにゲストが加わる程度かな?
この集まりも年に2、3回の集まりを今でもやっている。

そして最後は今日の集まり、系統的には『政治関係』ですな。
今日は珍しく豚さんと、万年幹事の小僧が1時間ほど遅れて来た。
小僧は僕のオーダーでバイエルンミュンヘンのファンショップで
エース、レバンドフスキのジャージを買ってきてくれた。

政治関係の集まりと言いながら、今日は政治の話は殆どしなかった・・・・
と言うより、敢えてやらずに置いた。
仕事の話、会社の運営の話などで盛り上がる。
奇しくもスパイ1号とデラックス(最近は豚さんと呼んでいる)は
同じ事業本部で本部長と部長の間柄。結構、真面目な話をしていた。
それを聞かないふりをしながら、他のメンバーは他の話をする。
そして最後に、長年の案件だった『裏執行部合宿』の決議。

組合が扱っている共済の分配金が戻ってくる時期に、それを旅行代金に充てて、
この仲間が最初に出会った熱海へ行こうと言う事になった。

解散後、スパイ2号から組合のOB会をまた開催すると言ってきた。
たぶん、来年の国政選挙がらみで、手を貸すと言う話でしょう。
面倒くさいなぁ‥…(笑)

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