今日から3日間、芝居の稽古もお休み。
平日に仕事をしている人が多いので仕方が無い。
僕は、午前中に洗濯や掃除をして、午後から仕事の絡みで
休日返上とまでは行かないけれど、母校へちょっと顔を出して、
打ち合わせをしてきた。
昨日で、一連の稽古を終えたんだけれど、稽古中に転倒して
左手の親指の付け根を微骨折、いわゆるひびが入った人が出た。
それでも大事に至らず、公演には何とか出演できるそうで一安心。
その昨日の稽古。
僕は最後の最後で、嫌な気分で稽古を終えた。
何年か前に若い子を『卑怯な態度』と若手の態度に対して
ブログにはっきりと綴ったことがあるが、今回も似たようなもの。
劇団の若手は、そういう意味では相変わらず、非常に意地悪で卑怯です。
昨日の段階で、振り付けの先生から、主役の女性に注文が入って、
ラストシーンの部分の動きに、ちょっとした変更があった。
僕は、それでどう変わるのか?良く判らないから、
とりあえず今までどおりのやり方で芝居をやった。
変更して、ちょっとやり辛くなったのか?
それで、僕の動きに注文が来て、その話を聞いた。
僕の動きが、『予定調和』だと言われて、耳を疑った。
もしそうだとしたら、今まで散々やってきた時に言えば良い事。
今回、主役の子が動きに変更を入れて、変わったのだから
それをこうしたいと言えば言いだけの話。
こっちに向くタイミングで芝居をやったと言ったら、
こっちに向くかどうか判らないとか、他人を馬鹿にしたような
意地悪としか思えない事を言って、こちらに非が有るようなことを言うのは
単なる、意地悪か無神経な態度にしか、僕には映らない。
それに加えて、僕と組んでいるおばさんが、
今まで動き出すタイミングを僕に委ねていたから、
そのせいで、僕のタイミングが合わなかったことが原因と言う事を言ったら
何を勘違いしたのか?
『人のせいにしないで!』などと言われて、カチンときた。
それならば、自分なりに演技を考えてやって頂戴。
何かと言うと、演出から指示が出ていないと言ったり、
言われたとおりにしか芝居が出来ない人が、何を言ってるの・・・?
僕にも、責任があるかも知れないけれど、
芝居と言うチームプレーでやる事を、自分の立ち位置や、
台詞だけを考えて、他の人とのやり取りなどを考えないで、
芝居をやっているような人から、ガタガタ言われるのは心外です。
僕は常日頃から、チームプレイを大事にしてきている。
下手糞でも、一緒にやる以上はお互いのことを尊重してね。
だから、「人のせい」とか言う言葉を発する、人間の脳みそが
理解出来ないのです。
公演が近いから、もう忘れてポジティブに気分転換。
でも、こういう人とはもう二度と組みたくないなと思ったのでした。
最後の最後に、ちょっと残念な出来事でした。
3連休の最後は東中野にある生涯学習センターの
レクリエーションホールで最後の通し稽古。
音響の実吉先生とお弟子さん、照明の塚本先生とお弟子さんに
舞台監督をやっていただいている瀬川さんを加えたスタッフの前で
通し稽古をやって、本番前にスタッフが最後の打ち合わせを行うもの。
夕方6時からの通し稽古の前に、石崎先生に来て頂いて、
音楽を中心に最後の指導をしていただくはずでした・・・・。
ところが朝、10時前に嫁さんから、
『次女が自転車で転倒して、顔面を強打して血だらけで帰ってきた』
と言う内容のメールが舞い込んで、慌てて電話したところ
休日の救急医療は当番制で、治療を受けられないと聞き、
急遽、消防署の紹介してくれた病院まで車でつれて行く事にした。
三鷹の自宅周辺には、救急医療を扱っている杏林病院や
野村病院、日赤病院などが歩いて行ける距離にあるというのに
休日は当番制という言い訳が出来て、何処も診てくれないとは
驚きだが、そんな事を言っても仕方が無い。
近所で受け入れてくれると言う、小平の一ツ橋病院まで治療を受けに行った。
次女を見たら思いの外、怪我は軽かったみたいだけれど、
それでも鼻血が大量に出た上に、おでこのあたりが腫れているから
僕の見る限り、鼻骨の骨折はしているだろうなと思って
とにかく病院へ連れて行って、一安心。
帰りは電車で帰ってもらうことにして、僕は車を置きに急いで帰宅して
稽古場の東中野へ飛んで行った。
稽古場に着いたのが、2時ちょっと過ぎ。
丁度、僕が参加するM2の練習が始まったばかり。
それで、着くや否や唄に参加・・・・・疲れました・・・・
『一緒に居なくてもも大丈夫?』って、皆が娘の事を心配してくれたのだけれど、
僕は
『そうならば、来ませんよ。大丈夫!』と言って、みんなにお礼を言った。
それで、稽古の方は順調に進む。
心配していた唄も、リズム音痴のおじさんも調子良かったし・・・
ところが、通し稽古の途中で3人姉妹の長女役が転倒して手を骨折してしまった。
稽古場のレクリェーションホールは、ダンス用の固いフロアの上に
舞台で使うハイヒールの慣らしのために履いていたらしいのだが
いつもと段取りを変更したのが伝わってなくて慌てたらしく
勢い余って、足を滑らして宙を舞ってしまった。
救急車を呼んで、慶応病院まで搬送してもらったのだけれど、
その後は一人居ない状態で通し稽古を続行。
それでも、今日はスタッフのための通し稽古なので問題なく終了。
しかし、一日に2回も事故に遭遇したので、解散のまえに
『皆さん、今日は気をつけて帰ってください』って伝えて別れました。
2度あることは3度・・・・って言いますからね。
ちなみに怪我をした女性は、ギブスをして芝居に出るそうで
座長がそれを台本に盛り込む変更を入れるそうです。
流石は、座長!
臨機応変さが無ければ、芝居なんて出来ませんね。
さぁ、あとは金曜日に通し稽古を一回やるだけで本番です。
今日は、実質的に最後の稽古。
唄と振り付けの最終チェックの後に、音響スタッフによる
音撮りがありました。
振り付けに関しては、僕の関わる部分は基本的に殆ど変更なく
夕方の音撮りまで、時間を使ったのは二人で唄うナンバーの
三曲の、練習に多くの時間を割いていました。
今回の芝居で、僕が唄う曲は4曲。
相変わらず、ソロで歌う場面は回って来ませんけど、
今回は、得意とする高音パートを一人で唄うのが楽しい。
コーラスの低音部の厚みが足りないので、
僕が低音部に回ることになったたんだけれど、
石崎先生からオクターブ上の声で唄えるか?と訊かれ、
「大丈夫です」と、返事をして決まったことです。
しかし、久しぶりに出す高音パートは、思った以上にきつい。
若い頃なら軽く出ていた音域なんだけれど、最近はバンドでも
ハモを取ることが殆ど無くなったので、高音が出なくなっている。
やっぱり、何事も普段から訓練していないと駄目ですね。
それでも、何回か唄っているうちに声が出てきた。
自慢になりますが、僕はコーラスパートはその場で出来るのが特徴。
と言うのも、元々僕らのバンドはコーラスが売り物のバンド。
かと言って、いちいち譜面にしていたのでは即興が出来ない。
それで、我々の中ではある程度パートが決まっていて、
主旋律にハモを付けるのが当たり前のように若い頃からやってきた。
コーラスの秘訣は、全パートを覚えること。
それで、たまに誰かのパートを間違って唄ってしまっても、
「椅子取りゲーム」といって、残ったパートを埋める約束事があった。
そういうことを30年もやってきているので、
譜面がある芝居のコーラスは、楽な方かも知れません。
ただ、高音部はアタックが遅いと凄く目立つので、
譜面を見て、頭の音の立ち上がりを意識しないと駄目ですね。
劇団の男性は、ほぼ全員音のレスポンスが悪くてキレが無い。
声楽をやっていたと言う御仁でさえ、全然駄目ですからね・・・・
だから、先生に「出来る人がやるしかない」と言われました。
でも、そういうことを言われたり、先生から注文が来るのは嬉しいですね。
夕方から、そのコーラスを録音しました。
舞台では音が拾いきれないので、動きのある唄は録音をした音源を
かぶせて使うのですが、口パクではありません。
あくまで補助なので、サボるとばれてしまいます。
まあ、サボるおじさんが何人も居るのも、劇団の特徴でしょうか・・・(笑)
今日から3連休。
連休の初日は、永代橋の近くにある「ダイヤビル」の大会議場。
この会議場は、劇団員に元取締役が居る関係で、
破格でお借りしている我々の本拠地みたいな場所。
都内で劇場のサイズを丸々取れる稽古場は、他に見たことが無い。
まぁ、稽古場というよりは3スパンある大会議室を、ぶち抜いて
大きなスペースを作っているのだけれど、こういう場所を
何気なく借り切ってしまうのが、我劇団の特徴ですね。
毎年、この場所に来ると本番が近いという気持ちになります。
今日は衣装を着けて、最後のドレスリハーサル.
着替えの時間も含めての通し稽古です。
衣装デザイナーの小林巨和(みわ)先生に来て頂いて、
衣装の最終チェックや、着こなしのアドバイスをして頂く。
僕は今回、遊びに使っているスーツがメインの衣装。
このスーツ、実は30年前に作ったスーツなんだけれど、
バブル全盛期のものだけ有って、生地や仕立ては凄く良い。
去年、ダイエットして体重が12kgも減ったお陰で、
ずっと眠っていたこのスーツが楽に着れるようになったのです。
大事に取ってあったから痛んでいないし、僕は流行に囚われないので
最近、ここという時に着る遊び着として復活したもの。
芝居をご覧になる方は、ちょっと注目してみてください(笑)
稽古の方は、衣装の着替えにちょっと問題あり。
というのも、今回は過去のシーンをモノトーンの舞台にするので
そのシーンでは白と黒を基調にした衣装に着替えないとならない。
最初の着替えは、場面転換の際にナレーションが入ったりで
何とか間に合ったのだが、逆に元の衣装に戻す時に殆ど時間が無い。
着るのが精一杯で、着崩れしてしまったりでみっともない。
それを見た巨和先生が、時間が足りなかったら上着は着ないでも良いから
着た物を、きちんと整えて出るように・・・とのアドバイス。
そりゃそうだよね。
前のチャックが開いていたり、ズボンが捲くりあがったり、
シャツが出ていたり、襟がひっくり返ったり・・・・
そういうことが凄く目立ってしまうのが舞台なのです。
とは言え、今回は衣装が2種類。
数年前みたいに、タキシード持参なんていうことが無いから
荷物はかなりスリムになっています。
お客さんは衣装なんて見ちゃ居ないし・・・・・
それなのに、一生懸命着替えをするのが好きな人も居ます。
さて、本番では上手く行くのやら・・・・
さて、この三連休は全部、芝居の稽古です。
本番の舞台のサイズが丸々取れる、永代橋にあるダイヤビルの
大会議室をワンフロア借り切ってやる、贅沢な稽古。
毎年、この場所に来ると、本番間近と言う気持ちになります。
最初の土曜日は、衣装を着けてのドレスリハーサル。
ここで、衣装デザイナーの小林巨和(さんに衣装の最終チェックと
着替えの時間と着こなしなどを総合的にチェックするのが目的。
その後は、音響と小道具などの確認をしながらの通し稽古になる。
二日目は通し稽古と唄と振り付けの最終チェック。
夕方からは音響スタッフによる、音撮り。
唄の厚みが足りない部分や、ナレーションの録音です。
三日目は新宿の稽古場に戻って、細かい部分の修正の後、
音響、照明、舞台監督の前で、通し稽古をやります。
まぁ、ここまで来たらとにかく一生懸命楽しむ事ですね。
なんでもそうだけれど、お客さんに見せる前に僕らが楽しまなくちゃ
見ている人が楽しい訳が無い。
楽しむには、一生懸命やるしかない。
必死・・・とは違う。
楽しむためには、手を抜かない。
人と比べてどうのと言う事も無い。
自分のベストを尽くす事です。
この週末から会社は10連休の長期連休に入ります。
前半の三連休は全部、芝居の稽古。
平日の4月30日、5月1日、2日は、仕事の人が殆どなので稽古はお休み。
5月3日は午後から一回だけ通し稽古で、稽古場から荷物の搬出。
夕方から、稽古の打ち上げでしょう。
4日は一日休んで、翌日の5日、6日が公演になります。
連休と言うと皆、こぞって遠出したりするけど、
僕はわざわざ混雑している所に出かけて行く事が嫌い。
子供達が小さいときは、ディズニーランドへ行ったり
サマーランドの屋内プールへ出かけたりしていたが、
ここ数年は、子供達が部活で忙しいので、
家族揃って出かける事が殆ど無くなった。
僕としては、間の平日3日間でアパートの管理や
秘密基地の片付けもやりたいし、暖かくなってきたので、
この間に冬服と夏服の入れ替えもやってしまいたい。
それと、ちょっと仕事がらみで母校に行きたいと思っていたから
それもこの連休の間に済ませてしまおうと思ってます。
今週はフットサルも、サッカーもちょっと我慢してます。
公演を前に怪我をしたら、皆に迷惑かけちゃうし、
去年の暮れから休まずに続けてきた稽古が無駄になっちゃう。
逆に、芝居の公演が終わって一区切り着けば、
サッカーも音楽も思い切り出来る。
幸い、この間のリーグ戦も雨で開幕が延期になったので、
初戦から参加できる。
まずは一つの事に集中・・・・てことですかね?
僕は・・・また、やられた。
些細な事かもしれないけれど、何だかモヤモヤする。
毎年、公演のチケットをそれぞれが売るわけだけれど、
一昨日の話ではないが、ここでもちゃっかりしている人が居る。
二週間ほど前に、チケットが余っていないか?ある人から打診があった。
毎年、チケットは希望の枚数が割り当てられる訳じゃ無いのと、
やっぱり長くいる人達のリピーターが多いので、
そちらが優先になるのは仕方がない。
そんなわけで、僕はチケットの確保出来た枚数を確認してから
友人に声をかけるようにしている。
だから、いきなり余ってないか?と訊かれても、即答できないのです。
僕の悪い癖で、そういった事でも催促する事がいやなので、
ぎりぎりまで返事が来るのを待っているのです。
それで、この間の日曜日に概ねの枚数がわかったので、
頼まれていた枚数の三枚を工面してあげようと、
家族の分を別の回に変更して、3枚を確保したとメールを差し上げた。
ところが、返って来たメールは
『チケットは日曜日の昼間も含めて完了してしまいました。』
と言う、たった一行の返事・・・・。
エェ・・・・ちょっと唖然。
用が足りていたなら、連絡くらいくれても良かったし、
僕なら、ありがとうの一言ぐらいは普通に書くけど・・・
家族の予定まで変えて、用意したチケットが、
結果として余ってしまった。
なんだか、空しい感じがしたけど、
要は僕がお人好しなだけなんだろうね。
世の中には色々な人が居るものです。
先週起きた、ボストンのテロ事件。
9.11の時よりも、むしろ怖いなぁって思ったりする。
背景には難民としてアメリカに来た人たちの子供が
差別の中でアメリカと言う国に失望して、その結果
イスラムの考えに傾倒して、テロへ繋がった気がする。
実は今回の芝居は、その難民救済センターが舞台。
座長が、稽古の前に皆を集めて、難民の気持ちを考えて
芝居に生かせと言う話をした。
今回の芝居のネタをばらすようだけれど、芝居の中で
過去にタイムスリップして、難民ではなく移民の救済センターの
運営をしてきた一家の話が出てくる。
移民と難民。
何も考えずに居ると、この違いはさほど無いように思う。
しかし、移民は希望を抱いて、自らの意思でやってきた人たち。
失望して、行き詰まったら故国へ帰るという選択肢も無くはない。
対して難民は、故国に居られない状況でアメリカに来ている。
希望を抱いてと言う点までは一緒かも知れないが、
行き詰まった時に、帰れない・・・・と言う点では決定的に違う。
決して許されないことではあるけれど、今回のテロの背景にある
人の感情や、差別的な立場にある人達が不満の捌け口として
テロにしかそれを見出せなかった気もする。
座長の素晴らしいところは、こういったタイムリーな話題を
きちんと芝居の中に生かそうとすること。
例えば、難民が仲間同士の軋轢が有ったとしてもどこかで
希望を持って、アメリカと言う国に馴染もうと努力する姿や
帰る場所が無い中で、生まれ育った故郷を忘れずに
新天地での生活に臨む姿を、芝居の中で表現しろと・・・・
僕は座長と知り合ってから、世の中の見方が変わった気がする。
組織を考える時に、僕は必ずサッカーチームのことを引き合いに出すが
自分の日常生活に始まって、街中で見かける人の仕草や
表情を、結構しっかり見るようになった。
芝居は、何でもネタになるんだなぁって思うし、
それゆえに、世の中をそういった目で見ようと思うようになった。
考えてみたら、芝居なんてSFやホラーで無い限り、
題材は身近にあるのだということに気が付くのです。
さて今回の芝居では、そういった事を何処まで生かせますかねぇ?・・・
さて、昨日の稽古でいよいよ本番サイズの稽古場として使っている
永代橋にあるダイヤビルの大会議場へ稽古の舞台を移します。
このダイヤビルに行くと、毎年「公演が近い」と感じます。
来週は土曜日にドレスリハーサルの通し稽古があって、
翌日はまた同じダイヤビルで通し稽古。
ここで、音響の最終的なチェックと、録音などをするので
芝居の細かい直しなどは殆ど出来ない。
そして翌日の祝日に新宿で通し稽古をやって終わりです。
そういう意味では、昨日の通し稽古で公演に向けて
やるべきことは殆ど終わったと言って良いでしょう。
僕は、この間の稽古で僕のやっているシーンで、
今ひとつテンポが欲しいということで、長い台詞のある部分の
見直しをすることになったんだけれども、それは自分で考えろと
台詞の直しを含めて、そのシーンを任された。
何だか、凄く嬉しかったけど、その宿題が結構大変で
今日も一日中、暇があれば台詞の言い回しを考えていた。
会社まで歩いて行く間も、ブツブツと台詞を言いながら歩いてるし
気が付くと、身振り手振りまでやってるから、傍から見たら
変なおじさんが歩いているように見えるんだろうなぁ・・・・
連休前半の3連休が終わったら、金曜日に一回だけの通し稽古。
翌日をゆっくり休んで、5月5日から公演になります。
連休前に怪我や、病気にならないように気をつけないとね。
芝居の稽古も、佳境に入って来ました。
毎回、座長が団員に対する言動を見ては、感心するばかりです。
これまでの人生で出会った人で、『この人と一緒に何かをやりたい』
と思う人は、意外に少ないものです。
その一人が音楽を一緒にやってる相方。
僕は彼を人間的に凄くリスペクトしているから、この人に関しては
何をしようが、文句を言う気はサラサラない。
とにかく、この人とは付き合い始めてから、かれこれ30年以上になる。
一生の付き合いになるんだと思って、お互いのプライベートをを尊重し、
余計な部分では関わらない。
かと言って、何でもそうかと言うとそうでもない。
頼まれれば対応するし、出来ない事はハッキリ言う。
今、一番尊敬しているのは劇団の座長。
稽古の日は、この人の発する言葉に、いつも耳を傾けているんだけど、
とにかく一日に一回はメモしたくなる言葉がある。
今日の稽古では、歌唱指導の石崎先生、振付の河岡先生の言葉からも
勉強になる事が、幾つも有った。
面白いなぁと思うのは、表現方法が違ってはいるものの、
伝えようとしている事は同じで、3人のベクトルが合っている事。
例えば今日の一言
座長①
『普段、無意識にやっている事を意識して表現するのが役者』
これは、そう云った事を表現できれば、
見ている観客にとっては自然に見えると言う事。
なるほどなぁ・・・・と思ってしまった。
座長②
『どんな時でも笑顔でお客さんに接して居るのがサービス業』
看護婦さんや、介護ヘルパーなど患者さんの前では常に笑顔で居る。
これがプロフェッショナルなんだと説く。
芝居の中で、役作りが出来ていない人に小言を言った時の話。
石崎、河岡、両先生③
『舞台の上で、許される事がある』
これは唄や振付、芝居での話。
自分の気持ちを前面に出したり、なりふり構わず表現できるのは舞台の上だけ。
日常生活で言えなかったり、出来ない行動も舞台という
非日常の世界では許されるのだ。
つまり、芝居では別の人格を作りなさいと言う事か・・・・
この中で②に関しては、自分の仕事にも通じる事。
こんな事が毎回、稽古の場で得られるんだから楽しい。
座長の素晴らしさは、芝居の事の事だけではなく、この他にも沢山ある。
今度、機会を見て座長の事を書いてみるつもりです。
『品格』というのと、『品』があると言うのはちょっと違う気がする。
例えば、ブランドのようにその名に恥じない・・・・
と言うのが品格だと思うし、そうでなければ品格なんて
感じないと言うのが僕の持っているイメージかな?
実際、辞書で品格を調べてみると
『その人やその物に感じられる気高さや上品さ』とある。
対して『品』はというと、
『人や物にそなわっている、好ましい品格・品質』とある。
要は品とは、その品格が備わっているか?なのだろう。
なんでこんな事を考えたかと言うと、その『品』のない行為に直面したから。
以前の日記にも書いたかと思うけれど、僕の家は普通の中流階級の家だったけれど
こう言った『品』に関しては、子供の頃からうるさく言われて育ってきた。
はしたない行為、見苦しい行為、他人様に不快な思いをさせる行為などが
祖父母や両親に、うるさく言われて育った。
例えば、電車に乗る時に我先に席を奪に行く人だったり、
長い列に割り込んだりする行為は、はしたない行為と言われてきた。
祖父と出かける機会が多かった僕は、電車で祖父のために
席を確保した時でさえ、『みっともない事をするな』と窘められたり、
とにかく『自分さえ良ければ良い』と言う感覚を持つ事は我が家でご法度だった。
そういう『品』という物を意識しているからこそ、『下品』な事が
どんな事なのか?と言うのが解ったりするのです。
先週の日記に書いた『気配り』も、そう云ったことから来ているのかも知れません。
で、今日遭遇した『品』の無い行為とは・・・・?他愛のない事です。
人によっては、そんなの常識じゃん!って言われるような些細な事です。
僕が去年の相手役だった幸代さんと、チケットの話をしていた時の話。
幸代さんは最終日の夕方のチケットが欲しくて、僕は初日の夕方が欲しかった。
それで、チケットを交換しようかと思って居たところ、
横で話を聞いて居た人が『私の買ってよ』って言って割り込んで来た。
僕も最終日の夕方のチケットは5枚ほど残っていたので、
交換すればお互いに良かったのに・・・・です。
それで、僕が『なんだよ、横から・・・』と不快な顔をしたところ、
『えへへ、早いもの勝ちよ』と言って、ちゃっかりしている。
どうも、関西や九州出身の人にこの手の人が多くて、苦手なんだけど・・・・
不思議なくらい、僕の周りには僕と同じような人しか居ないから、
こう言うタイプの人間とは、基本的に深く付き合いたくないのですよ。
つまり我が家で言われていた『はしたない行為』に感じただけ。
他の人から見たら、他愛のない普通の事なんでしょう。
僕が勝手に『品の無い人』と思っただけの話です。
今日は、夕方から恒例の会合『ハゲを増す会』
秘密基地での会合は今回が2度目。
今朝は、予定通り朝から休みを取って、午前中はアパートの掃除。
通路に入ってくる砂埃を掃き出して、モップで通路を水拭き。
階段も綺麗にして、通路の蛍光灯が暗くなっていたので交換して、
エントランスは水撒きをして、デッキブラシで擦って水で流す。
最後はゴムのスクレパーで水を切って、その後はモップで拭き取る。
高校の時に、ビル掃除のチーフをやっていたので手馴れたもの。
アパートの前の私道やゴミ捨て場の掃除をしたり、
午前中に予定していたアパートの管理業務を終わらせた。
午後に刺身用のマグロ、スルメ烏賊に、鯵の刺身の造りを買ってきた。
マグロは柵で買ってきて、烏賊は自分で捌くのが簡単だけど、
さすがに鯵は、時間がかかるのでここのところは手抜き。
烏賊は、うまく切れてなく繋がってて、皆に笑われたけど・・・・
サラダはポテトのアボガド和えみたいなものを買ってきて、
次回は自作にチャレンジする予定。
もう一つは、なすのおひたし風マリネ。
ポン酢ベースにごま油でたれを作って、ナスを浸す簡単なもの。
酒の手配はすでに完了。
ナベに使うネギ、15本を細く切り、ナベの出汁を作って仕込み終了。
夕方、4時に組合の委員長、チェコが到着。
午後は休暇にしてきたらしい。
続いてきたのが、豊橋から出張帰りの御用聞き。
彼は前回参加できなかったので、楽しみにしてきたみたい。
食いしん坊のデラックスが、頼んでいた氷と柿の種持参で参上。
その後、会議で遅くなるはずのスパイ1号がビールを片手に到着。
丁稚がすぐ後にスイカ持参で来て、間もなく会議で遅くなった
テーブル男も、シャンペンを片手に到着。
残すは一番若い小僧と、スパイ2号のみ。
お土産に小玉スイカを買ってきてくれたので、氷で冷やす。
イチゴもあって、これは冷蔵庫に。
7時頃に小僧も到着。スパイ2号は、時間的に無理と連絡が来た。
宴会は恵比寿プレミアムで乾杯!
他にベルギービールや、持込のシャンペン。
シャンペンのコルクを、ギターめがけて飛ばそうとするデラックス。
取り上げて、僕が開けようとしたら力を入れすぎてちぎれちゃったり、
あれやこれやで、ビール20本、シャンペン一本、それに
角ハイボールを一本分くらい・・・良く飲んだ。
スパイ一号は、勝手にロフトに上ってごそごそやってるし、
しまいにはいびきをかきながら寝て、屁もこくし・・・・
外で飲むのと違って、寝転んでもOK.
だから、少しばかり狭くても秘密基地での飲み会は楽しいのかも?
デラックスは塩シャブの肉を、死ぬほど食べてたし、
仕上げにかけご飯をと思って、炊いておいたご飯も美味しかった。
しかし、8人も来ると後片付けで洗うグラスや皿の量が半端じゃなかった。
結局、皆が11時前に帰って行った後、洗い物を終えたのが1時でした。
スパイ2号が、一人だけまだ来ていないので、
もう一回秘密基地で会合をするという案が出た。
もう、勝手にしろい・・・・
「秘密基地」でやる事になっている。
なので、一日休暇とっちゃった。
やっと、人が来て座れる場所を何とか確保したものの、
明日の来客8人は、ちょっときつい感じもする。
前回は、仏壇も戦前の蓄音機も全てクローゼットの中にあって
冷蔵庫の隣にもキッチンラックが無かったから、
床面積として丸々6畳以上あった上に、来た客(客ではないが)も6人。
僕はキッチンで料理や食べ物を出したり、飲み物を出したりで
色々とやる事があるので、一人椅子に座って居間続きのキッチンで
飲み食いするから、来客6人だと単純計算して、一人あたり
約1畳のスペースが有って、結構ゆったりしていた。
今回は仏壇や、古いレコードラックなどの家具類が増えた分、
居間の部分が狭くなったうえに、来る人数も8人と、
一人あたりのスペースが半畳くらいになってしまったイメージ。
それでも、奴らは文句を言いながら、寝転んで飲むんだろうな・・・
外の店で出来ない飲み方が出来るのが、唯一の楽しみかも知れない。
さて、明日のメニューは好評だった『豚の塩シャブ』の再リクエスト。
今日のうちに、明日の前菜用の材料の野菜類に加えて、
荻窪タウンセブンの佐藤精肉店で最高級黒豚のロース肉を2kgも仕入れた。
店の人も、月に一回はこの高級肉を大量に買って帰る僕を覚えて
くれるようになって、買うときにちょっとした会話をするようになった。
『今日はいつものお姉さんが居なくてごめんね』
なんて言われちゃって、まるで僕がその女性を目当てに行ってるみたい。
でも、そう言われてまんざらでもなかったり・・・・
対面販売って言うのは、こういうのが良いんだよね。
明日は朝から休みを取って、午前中はアパートの掃除をしたり、
通路やゴミ捨て場の掃除をしたり、アパートの管理業務をする。
午後に刺身にするマグロ、烏賊に鯵かカンパチでも買ってくるかな?
サラダは一つだけ作って、もう一種類は買ってくる予定。
酒の手配はすでに完了。
明日は楽しい飲み会になれば良いのですよ。
本社から子会社に転籍してから、ずっとやっていなかったから
実に3年半ぶりのピンポンなのです。
サッカーと違って、体の疲れが少ないわりに汗が異常に出る。
同じ屋内でやるフットサルで、筋肉がつりそうになるまで
走り回っても、ジャージの裾から汗が滴り落ちる事は無いから
卓球は、体の中からエネルギーを年そうしている感じがする。
それと、いつも酸欠になる。
卓球でラリーを続けていると、その間は殆ど息を止めている。
だから、しまいには苦しくなってハァハァやってるんだけど、
そういう呼吸法一つ取っても、サッカーとは全然違って
何だか、凄く新鮮な気持ちでスポーツしている自分が居るのです。
それに相手をしてくれるのが、昭島のシニアチャンピオン。
だから、ゲームも11点先取なのに8-0から始めるんです。
要は僕が3点取れば勝ち。
なのだけれど、2点取ると本気を出して勝たせてくれないのです。
時には舐めた真似をして、ラケットを逆の手に持ち替えて
スマッシュしてきたりするので、『このやろう』てな感じで
ヒートアップしてしまうのです。
2時間もやったら、汗でシャツがびしょびしょ。
でも、普段使わない筋肉を動かすのは気持ちが良い。
また、暇を見てピンポンしようと思うのです。
決して、よそ様の呼び鈴を押して逃げる
『ピンポンダッシュ』ではありませんぞ・・・・
そっちも、いい運動になりそうだけど(笑)
今週末は、元組合役員の仲間『禿を増す会』の会合。
それも、また僕の秘密基地でやる事になって、
生活感が漂い始めた部屋の片付けに時間を費やしているのです。
そもそも、二十歳になった長女と、高校三年になる次女が、
だいぶ前から自分の部屋を欲しがっていたのが始まり。
親の住んでいた七部屋もある実家をリフォームして、
子供たちにロフト付きの部屋を作ってやろうとした。
だが意外にも、新築の場合の建築費用と大きな差がなかった上に、
古い家は、駐車場も無く、中庭があったりで土地の使い方にも
無駄が多いので、新築の一軒家にしようと考えたのだけれど、
僕の年齢では新たにローンを組むのが難しい上に、
そのローンを支払うために定年後も働かなくてはならないのが
僕としては嫌なので、自宅の半分を貸部屋にして、
ローンだけは返せるように計画を変えた。
ところが、肝心の娘たちが、幼稚園の頃から住み続けている
三鷹から生活拠点を変えるのを嫌がった。
子供の頃に転校を繰り返した僕とすれば、
その気持ちが判らないでも無い。
そんなわけで、自宅の建て替えはアパート建設に計画が変更になった。
アパートが完成した後に、実家にあった仏壇やアルバムなどの、
簡単に棄てられない荷物を貸部屋の中でも一番家賃が安い部屋に保管して、
ついでに自分のギターなどを持ち込んで、秘密基地にして遊んで居た。
実家から持って来た古い物や、いらないものを少しずつ処分して
片付けて行くうちに、何だか単なる倉庫では勿体無い気がしてきて、
それならば、娘を独立させて安い家賃で住まわせようかと思ったけれど、
それもあっさり拒否されて、それなら行き場の無い仏壇を面倒見ながら、
僕が別居生活する事にした。
自宅のマンションの自室に溢れかえっていた荷物を全て秘密基地に移し、
空いた部屋は長女が使い、娘たちは念願の個室をゲットしたのです。
そうしたら、今度は秘密基地の方が荷物で溢れかえって、
また少しずつ片付けて、やっとここへ来てフロアの荷物を何とか片付けて
今週末にまた、いつもの悪い仲間と飲み会をやれる部屋になった。
でも、そう言う予定が無ければいつまで経っても片付かない。
そんなわけで、部屋を整理整頓する癖をつけるには、
月に一回くらい人を招くのが良いのかも知れないと思うのであります。
てな訳で、以前よりは生活感が漂った部屋にはなったけど、
少し片付いて、また秘密基地らしくなったかな?