『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

期待を完全に裏切られた男

2015年11月30日 | Weblog

土曜日の同窓会では、もう一人会うのが楽しみだった男がいた。
中学校から同じ高専に進んだM。
中学校時代は、並外れた身体能力で皆から羨望の眼差しで見られていた男。

ところが、この男の欠点は自己顕示欲が強い事と、暴力的だったこと。
高校に入っても、何一つ変わらずに3年まで進級した。
同じサッカー部で、奴は準レギュラー。
僕は言わずと知れた補欠だったから、奴はいつも上から目線。

それだけなら良いのだけれど、その上手癖が悪かった。
僕が2年生の時に全国大会で準優勝して、翌3年の時に2年連続で出場を決めた。
その試合の帰りに、相手校との間で問題を起こして、
それが原因で出場辞退ということに追い込まれた。

当然、奴は3年で退学。
学校の温情で、3年の高校卒業ということで学校を去った。

その後、42年間の間、僕はMと会うことがなかった。
僕が行方不明だというときに、何度も実家へ足を運んでくれたらしい。
そんな事を聞いて、さぞかし立派な社会人になっているんだろうと
同窓会で再会するのを楽しみにしていた一人だった。

ところが、最初こそ久しぶりで腰が低かったMだけれど、
時間が経つにつれて、昔と同じような態度になってきた。
『俺が学校を辞めた理由を知ってるか?』と、何だか自慢げな口ぶり。
僕は『そんなの知ってるし、聞いても意味がないからパス』と言った。
お互いに『お前』って呼び合って話していると
『いつから俺をお前って言うようになった』と言うし・・・・
終いには『俺はスポーツでは誰にも負けなかった』とか
挙句の果てに『お前らを俺が全国大会に連れて行ってやった』
なんて、耳を疑うような言葉・・・・

これで期待を完全に裏切られた感じ。
早々にMから離れて、他の仲間と話をするようにした。
人を選んでいるのか?知らないけれど、高校生の時のつもりなのかな?
とにかく、ちょっと楽しい雰囲気が壊された気がしました。

大人になっても変われないのかなぁ?
そういう僕も、全然変わって居ないのかも知れない。
2次会で『お前は変わらずに、その生き方を続けてくれよな…』
なんて、他の仲間から言われたんだけど・・・・・

明日は、その時にちょっと感動した話を書きましょう。

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我儘な性格は変わっていない

2015年11月29日 | Weblog

昨日は楽しい同窓会だった。

今回、楽しみにしていたのがで45年ぶりに野球部で一番仲が良かった男Kと再会する事。
野球部では、僕がキャプテンをやっていたのだけれど、Kは副キャプテン。
決して上手くはない、全く勝てない野球部だったけれど、
チームメイト同士の仲は凄く良かったので、楽しいクラブ活動だった。

僕らが2年生までは、クラブの監督をしていた先生の方針で、
基本的に3年生がレギュラーだった。
今、考えてみれば、その先生は『勝ち負けよりも試合をする楽しさ』を
学校のクラブ活動で体験させたかったのではないか?と思う。
当時、多少自信があった僕は『なんで2年生も出してくれないのか?』
なんて、疑問に思ったのだけれどね・・・・。

そして晴れて3年生になった時に、監督が若い体育の先生に代わった。
そうして、実力主義に転換したため、今まで我慢してやってきた
3年生のうち、レギュラーだったのは4人だけ。
幸い僕はその4人に入れたけれど、ずっと一緒にやってきた仲間が
凄く可哀そうで、なんだかクラブ活動でやる野球が急に楽しくなくなった。
そんなこともあって、3年になったとたんに出て来なくなったメンバーも居た。

僕らはレギュラーにはなったけれど、6月早々に敗退。そのまま引退になった。
僕はどうせ勝てないなら、2か月間を今までの仲間と一緒にやりたかった。
そんな思いがあってその後、僕は中学生の分際で、監督に反旗を翻した。

夏にある市民大会に、3年生とサッカー部の仲間に声をかけて、
『ひばりクラブ』と称したクラブチームをでっち上げて、こっそり大会の申し込みに行った。
幸いなことに、学校からは野球部が申し込みをしていなかったから、
登録メンバーも、野球部のレギュラーではなく、3年まで一緒だった仲間と
助っ人のサッカー部の仲間の名前だけで登録した。
完全な確信犯。

後日、学校に参加案内が来たときに、それが発覚した。
監督の先生から職員室に呼び出されて
『これ、どういうこと?』と訊かれた。
僕は『「ひばりクラブ」は野球部ではなく、野球が好きな仲間の集まりです。』
と答えた。
『三年間頑張ってきた連中に一度でいいから試合をさせて、卒業させてやりたい…』
ということを、正直に先生に話した。
先生は呆れながらも、笑って
『お前のやりたいようにやれ』と許可してくれた。

その大会では3年間、ずっと練習だけで終わったT君が、初めて試合のマウンドに立った。
僕が2年ぶりにマスクをかぶり、バッテリーを組んだ。
体を低くして構えて、低めに球を集めようとしたけれど、やっぱりコントロールが悪い。
横に揺さぶろうにもコントロールがままならない。
仕方がなく、タイムをとってT君に
『打たれてもいいから、ど真ん中に投げよう』
そう言って、試合に戻ったのを覚えている。

結局、接戦になったけれど負け、いちばん活躍したのは助っ人のサッカー部の連中だった。
悔しいけれどそれは事実だから野球部の連中は、受け入れていた。
試合には負けたけれど、そこそこの試合が出来て楽しかった。
案の定、その後はサッカー部より弱い野球部と言われ、
還暦になったいまでも、馬鹿にされ続けているけれど、
3年間一緒になってやってきた仲間と試合が出来、
中学校の野球部の思い出として残す事ができたので、それで良かった。

考えてみれば、あの頃から『自分の思うことは、何としてもやる・・・・』
という我儘な性格は変わっていないようだ。
思いが強ければ、何とかなる・・・・と思うのも、この頃からだった気がします。

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還暦の同窓会

2015年11月28日 | Weblog

今日は中学校の同窓会がありました。
オリンピックの開催年と同じ、4年に一度の同窓会なのだけれど、
今回は卒業して45年、ほとんどの人が還暦を迎えるとあって、
1年前倒ししての開催となった。

僕自身は3度目。初めて参加したのは2008年。
その時に、懐かしい仲間と再会した時の感動は今も忘れない。
それ以来、なぜか僕は幹事になってしまい、前回は事務方だけを
引き受けたのだけれど、今回は幹事会の会合にも参加して来た。

幹事長がおっとりタイプの女性なので、皆にあれこれと指示を出すタイプじゃない。
僕は幹事会なんて会社じゃないのだから、皆が出来ることをやればいいと
そう思ってやってきたのだけれど、実はそうじゃなかった。

幹事、特に男性幹事はどうも『組織』をピラミッドみたいにしたいみたい。
会合の中での言動に、どこか上下関係みたいなものを意識した言葉があり、
こういったボランティア活動は、出来るだけフラットなものにするべきだと
思っている僕にとって、違和感のあることが間々有った。
それでも、なんとか開催に漕ぎ着けることが出来たのでした。

この日、野球部で一緒だったK野と45年ぶりに会うことが楽しみだった。
僕が主将、K野は副主将だった。
K野は最初からサードを守り、僕は子供のころからやっていた
キャッチャーのポジションを後輩に奪われ、レフトからショート、
最後はセカンドのポジションと転々と守備位置を変えられた。

その頃からK野は優しい顔つきで、いつもニコニコして居て、
ひょろりとした体つきの割に、サードのポジションをしっかりと守る、
僕はただ声が大きいだけの、選手だった。

二人でゆっくり話をしたのは3次会から。
K:『あのチーム、滅茶苦茶弱かったけどよく練習して仲が良かったね』
僕:『そうだなぁ、俺はチビでただ声が大きかっただけだったね』
K:『そんなことないよ、お前がみんなを引っ張ってたんだよ』
僕:『でも、楽しくて仲が良かっただけという思いでしかないね…』

K野は高校へ行ってから、野球をやらなくなってバドミントンをやっていたそうだ。
僕は野球からサッカーへ転向して、還暦直前の今でも続けている。
『また、あのころのメンバーと野球がやってみたいね』
『そうだね、弱くても楽しかったあのチームはいい思い出だね』

この話は、決して懐古主義の話じゃない。
楽しかったあのころのような時間を、これから先も続けて行きたいっていう感じ。
同窓会って、そういういい思い出を語り合う、貴重な時間です。

K野は相変わらず飄々とした出で立ちで、女性が周りに沢山いた。
気取らず、格好つけず・・・・昔から、本当に優しい奴だった。
そんなK野にちょっと嫉妬してしまったかな?

『また、野球やってみたいなぁ・・・・俺はもうボールを投げられないけど…』
と僕が言うと
『うん、やっぱり野球やりたいね』
聞けば、中学の仲間とたまに野球を楽しんでいるそうだ。
45年ぶりに会って、何だか野球をやっていた頃に戻った気がした。

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Coco華 コンサート

2015年11月27日 | Weblog

今日は夕方からCoco華さんのコンサートに行ってきました。

会場は三鷹にある、三鷹芸術文化センター。
自宅から10分ほどの所にあって、かつて娘のピアノ発表会に使った記憶がある
キャパ200人ほどの中ホールです。

Coco華さんは、赤坂の神輿おやじの後輩にあたるらしくて、
そのオヤジを通じて、フェイスブックで繋がったのだけれど、
実は10年ほど前に出会っていた可能性があった人なのです。

Coco華さんは、タップダンスの教室を開いていて、今でも続いているそうだ。
丁度10年前は、僕が芝居を始めたころで、ミュージカルの中で
ダンスが出来たらいいな・・・・って、ダンスを習おうかと思っていた時期。
クラシックバレエや、ジャズダンスなども考えたけれど、
一番興味があったのが、タップダンスだった。

華麗なタップダンスを見せるフレッド・アステア、
バレエダンサーのような身のこなしで一世を風靡したジーンケリー、
80年代後半にサミー・デイヴィスJr.、サンドマン・シムズ、ジミー・スライド、
バニー・ブリッグスらのタップマスター達と共演し、グレゴリー兄弟が主演した
映画『TAP』を見て、憧れていたのです。

そんな折、同じ三鷹で、自宅の裏にある小学校の体育館を使って、
華さんがタップダンスの教室を開いていたのを知って申し込もうと思っていた。
ところが、そのころは仕事が忙しくて毎週6時からの教室に通うほど
時間的な余裕がなく、泣く泣く諦めたのでした。
そんな事もあって、今回のコンサートは本業の唄を聞こうと思って出かけたのです。

コンサートは、久しぶりにじっくり音楽を聴いた感じ。
ライブハウスのように飲食をしながら聞く音楽ではない。
聞く方も聞かせる方も、音楽にしっかり向き合うコンサート。
音のバランスもよく、聞いていてすごく心地がいい。
こういう気持ちの入るコンサートは久しぶりでした。

打ち上げに誘われて、参加したのだけれどバックミュージシャンも
すごく楽しいいい人たちばかり・・・・
同じような世代なので、音楽の話以外でも盛り上がって・・・・
結局、終電まで酒を飲んでいました。

また、機会があったら行こうと思っています。
Coco華さんは、自分の音楽や芸術活動に専念したくて、長年続けてきた
タップダンス教室も、今のクラスを最後に今年でやめるそうだ。
機会があったら、個人的に教わろうかな?
この日の打ち上げでの楽しい話は、別の日に書きましょう。

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相変わらず、我儘

2015年11月26日 | Weblog

今日は、僕にオファーをくれた男に相談事があって、
夕方に新しく仕事をする事務所へ来るというので、
昼過ぎから出かけてきた。
相談事とは、僕の仕事や仕事のやり方についての話。

僕は電気設計技術者として28年間、今の会社でやってきました。
特殊仕様の装置ばかりやっていたので、いわゆる汎用機については
あまり関わっていない。
そんな僕だから、いわゆる『一匹狼』的な仕事の仕方をして来た。

管理職になった時に、最初に勉強したのは『組織論』。
色々な本を読みました。
それで、学んだことは『いかに後継者を育てるか?』ということ。
本当は、専門職としてずっと現役プレーヤーで居たかった。

それでも、自分の抱える仕事が多くなって代わりにやれる人間を
育てないと、自分自身もつぶれてしまうと思っていました。
それで、最初の部下を『弟子』として2人ピックアップした。
最初は一緒に仕事をして、途中からすべて任せることにした。

幸い、その二人は順調に育ってくれて、今では僕のやった仕事の
尻拭いをしながら、一人で仕事ができる存在になってくれた。

今度の職場でも、同じように人を育てることが仕事。
ただ、今度の場合は仕事は彼らの方がよく知っているし、
それなりに勉強もしていて、感心するほどスキルが高い。

ただ、一つ気になるのは仕事の仕方が悪い事。
それをきちんと教えてやってほしいと頼まれたのです。

製造業に限らず、今はISO9000という品質保証の自己宣言があって、
たとえば設計前の仕様書を作成したり、設計したもののチェックや、
その記録を履歴として残しておくことが大事なのです。

ところが、町工場の乗りでやっている会社は、そういうことをやらない。
調整時の記録も、どんな測定器を使ったのか?
その測定器はきちんと正常な値を示すのか?
測定した環境はどうだったのか?
そういった記録がないから、問題が起きた時に再現性がなかったり
問題そのものが、よくわからなくなったりする。

いままで通り作っていれば問題が起きない。
そういう会社がすごく多い事。
僕の居た子会社も、その『町工場』でした。
問題をきちんと検証しない、仕方もわからない。
部品交換したら治ったから、問題解決・・・・なんてレベルです。
だから新しいものを作っても、何一つ真新しさがない。

そんな訳で、新しい事務所を『町工場』から脱却するための
仕事の仕方を、僕なりに教えようと思っています。

それにしても、今度の仕事場は遠い。
片道1時間半は裕にかかる。
往復3時間の毎日はとてもじゃないが続かないと本音を話した。
それならば、自分のペースで仕事をできるような契約条件にしようと
色々と画策してくれることになった。
相変わらず、我儘な僕。
それだけに期待には応えないといけないかなって思うのです。

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冬は大嫌いな季節

2015年11月25日 | Weblog

一昨日、木枯らしが吹いて、今日は各地で大雪や低温。
寒いのが大嫌いな僕にとって、冬という季節は大嫌いな季節です。

でも、今年はいきなり寒くなった感じがします。
それで、夏服と冬服の入れ替えがまだ出来ていなくて、
クローゼットには20枚以上のアロハシャツが下がっている。

休暇中に部屋の片づけをしようと目論んでいたのだけれど、
この3週間は毎日遅くまで寝ていて、何にも進んでいない。
でも、気ままな生活がとても楽しくて、このまま再就職なんて
しないでもいいかなって、思ってみたり。

仕事をするにしても、冬場の寒い日に出かけるのが嫌。
本当に我侭で、もうこの先は社会人として生きて行けないかも?
着る物が増えて、軽い服装じゃなくなるし、色も黒っぽくなる。
原色やビビットな色のものが好きな僕にとっては、
冬の暗いイメージは、何処か好きになれないのです。

中には、クリスマスやお正月があって楽しいとか言う人も居るでしょう。
スキーヤーやスノーボーダーはこの季節が待ち遠しいんだろうし・・・・。

朝はなかなか明るくならない、夕方は4時ごろに日が暮れて
暗くなってしまうのも、何だか好きじゃない。
人間は日の出と共に一日の生活を始めて、日が暮れたら仕事は止める。
そういう生活がしたいなぁ・・・・
大体、夜遅くまでスーパーや飲食店が営業しているのは日本くらい、
それも東京とかの大都市だけじゃないのかな?

田舎へ行くと、夜が早いって感じるけれど、逆にそれは世界標準で、
日本の都会はちょっとおかしいんじゃないの?
なんて思うことが多いのですよ。

とにかく寒い、暗い、重たいと言うイメージの冬。
冬は大嫌いな季節なのです。

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やる気無し・・・・

2015年11月24日 | Weblog

昨日は歳も考えずに2試合、トータルで75分間もサッカーをやってしまった。
今日はその疲れがあって、朝から体が言うことをきかない。

ここへきて左足首に、古傷のアキレス腱炎が再発して、
サッカーをやった後は、アキレス腱が切れるんじゃないかと思うほど、
アキレス腱が痛んで、歩くのもままならない状態になる。

それでも馬鹿だから、試合になるとその痛みを忘れてやってしまう。
さすがに昨日の試合は、1試合目の後に時間が空いたので、
2試合目のスターティングメンバーから外れて、後半だけにした。
前半は、アキレス腱をマッサージしながら試合を見て、出番に備えた。

そして一夜明けた今朝は、立ちあがるのもしんどくて、気力が消沈。
今日こそは早く起きて、出かけようと思ったのに、結局起きたのは
目覚まし時計が鳴った6時半から、3時間後の9時半。
その間に一回、洗濯機を回したんだけど、その後はまた布団の中。

体中痛いわ、眠いわで、外に出る気力は全くなし。
それでも、新しい事務所の若い人たちのことが気になって、
3時過ぎに出かけて、到着したのが4時半。

遠いんだよなぁ・・・・
こんなんじゃ通えないなぁ・・・・なんて、やる気のなさに拍車がかかる。

そもそも、定年退職後は他人が決めた時間で仕事するのは止めようと考えていたし、
技術職は会社に残らないなら辞めようと思っていた時期もあったんだよなぁ…
今は、それに逆行するような感じ。
何だか長続きしそうもないなぁ・・・・

やっぱり、自分のペースでお客さんの顔が見える仕事を考えようかな?

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惨敗と惜敗:『AH(昭島ー八王子)杯争奪定期交流戦』

2015年11月23日 | Weblog

今日は2試合やったけど、両方負けちゃった。

最初の試合は、50歳以上の昭島市選抜チーム。
去年のチームは平均年齢が60歳近くの高齢ながら、
サッカーの基本をしっかりとやるチームだったので、
個人プレイは必要なく、パスがよく回った。
チームスポーツの楽しさを、味わいながら勝ったので
選抜チームでやるサッカーは、楽しさも格別だった。

ところが、今年はチームが若返り、去年のメンバーがごっそり抜けた。
それはそれで、好ましいところなのだけれどね。
このチームは『寄せ集め』の典型的なチームになっちゃった。
パスは回さない、誰も指示を聞かない。
ボールに吸い寄せられて、ゴール前ががら空きになる。
前後半20分ずつの、前半だけで3点も取られてしまった。
僕が少し前に出て、ボールを受けて組み立てたのだけれど、
パスを回すと、そのまま返ってこない。
結局、ゴールを脅かすこともほとんど出来ずに4-0で完敗。

相手チームは50歳以上の単独チーム。
運動量はさほどでもないが、やっぱり普段一緒にやっているから
基本的に、チームとしての機能が格段に上だった。
来年はもういいや・・・・
60歳以上のチームに加わって、楽しませてもらおう。

その試合が終わると、スパイクのまま車を運転して会場を移動。
こちらは、いつものシニアチーム。
相手も八王子の壮年チャンピオンの単独チーム。

試合はうちが優勢に進めたにも関わらず、いつものセットプレイで失点。
前半のうちに同点に追いついて、後半も攻めていたんだけれど
肝心の決定力に欠けて、普通なら5・6点入るような展開で、
ことごとくゴールを外す。
案の定、ちょっとしたミスでカウンターを食らって、
GKがクリアしたボールが相手に当たって、そのままゴール!
これが決勝点になっちゃった。

いつもと違い、我々は交代メンバーなし。
相手の動きが止まるのを待って、攻撃する我々の戦術も、
リエントリー制(何度でも出入りできる)のルールを使って
相手がどんどんメンバーを入れ替えるので、足がなかなか止まらない。

その上、我々は30分ハーフの試合に慣れているので、
25分と時間が短いこの日の試合では、一番しんどい最後の5分で
相手の体力を奪いきれなかったことも手伝った。

しかし、2-1で惜敗ですが負けは負け。
相手の方が強かったというだけです。
試合後に相手チームの人に聞いたら、八王子市はシニアの
O-40のカテゴリーだけでも4部まであるらしい。
O-50 、O-60 も同じように単独でリーグ戦ができる環境。
そのチャンピオンだから、弱いわけがない。
昭島市はシニアチームのリーグ戦はないので、春の壮年大会の
優勝チームが出るだけ。層の厚さが全然違う。
まぁ、我々が無敵なのは昭島市という小さな場所だけ。
その『無敵』いう驕りが、どこかにあるんだろうね。

惨敗と惜敗。
これで2年間保持してきた『AH杯(昭島ー八王子定期戦)』は
八王子市に2つ持って行かれちゃった。
その両方に参加しただけに、がっかり感も格別でした(笑)

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劇団ステージドア『本読み』

2015年11月22日 | Weblog

今日から、自分の役での本読み。

この本読みっていうのは、いわゆる台本の解釈を確認しあう
最初の作業なので、意外と大事なんです。
そういう意味で、今回も休んでいる人は出遅れてます。

人によってセリフの解釈や言い回しが違う。
相手の言い回しによって、それに続くセリフも変わってきたり。
そんなことをやりながら、相手に合わせたり、自分のペースに持ち込んだり・・・・

人と話をしていても、経験があると思います。
たとえば、ちょっとした言い方で相手の気分が変わって言い争いに発展したり
逆に、言いづらい事も伝え方次第で、相手がすんなり受け入れてくれたり。
僕の場合、芝居のセリフは、そんなリアルな経験を加味して考えてます。

芝居の稽古で、座長によく言われていることも頭に入れている。
怒鳴らないから、逆に怒りを表現出来たり
泣かないから、その悲しさが逆に伝わったりする・・・・
そういうことは、誰にでも日常の生活に沢山あることなので
解りやすいのかも知れません。

芝居というのは、そういった相手とのやり取りを相談したり、
自分のペースに引き込んでコントロールしたり、
相手と息が合うと、すごく心地よく芝居が出来たりする。
いわゆる『個のプレイ』と『チームプレイ』ですね。

そんな処は、サッカーの試合と似ている部分が多々あります。
考えてみれば、両方ともチームでやるものですからね。

面白いもので、今日は台本を読んで来ている人とそうじゃない人の
差がハッキリと解る一日でもありました。
台本に沿って、セリフだけ読んでいる人も居れば、
最初からセリフに気持ちが入っている人も居る。

これもサッカーと同じ。
練習して居る人は、練習していない人と差が出るのです。
そもそも、練習をしないで出来るものなんて、レベルが低いのです。
それを、勘違いしている人が世の中には沢山いる。

年内はしっかり台本を読んで、セリフを体に叩き込んで、
年明けの立ち稽古は、台本を持たずにやりたいですねぇ。

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ご機嫌伺い

2015年11月21日 | Weblog

今日は昼過ぎから、秋葉原の伯父の所へ顔を見せにでかけました。
手土産は定番の『柿山』のお煎餅。
江戸っ子は手ぶらで行ってはいけない・・・・と言われて育ったので、
高価な物である必要も無いけれど、何かしら手土産を持って行くのが、
ちょっとした『粋』なのかも知れません。

実は、今日の目的は伯父ではなく伯母の話し相手になること。
伯父が居ると、なかなか話せないこともあって、伯母はいつも本音を話せない。
色々とあるだろう・・・・
亡くなった僕の母親もそうだったように、誰かに話したい愚痴や腹の内を聞いて、
少しでも気持ちを晴らさせてやりたいと、ずっと思っていた。

そんなわけで、伯父の予定を予め聞いておいて、わざと時間をずらして
伯父が出掛ける直前に行こうと思っていた、いわば確信犯だったのです。
ところが、伯父は僕が来るのを待って、わざわざ新橋にある老舗洋菓子店、
『巴裡・小川軒』http://www.ogawaken.co.jp/
のチョコレートエクレアを買ってきて、一緒に食べようとしていたらしい。
そんな、伯父の気持ちを知らずに行ったので悪いことしちゃった。

でもね、最初から伯父が居ない方が話しやすい。
伯母には話せる僕の部分もあるから、それから切り出して・・・・。

僕は子供の居ない伯父夫婦の事が気になっている。
と言うのも、伯父夫婦はとうに80歳をこえている。
元気な振りをしているけれど、やっぱり歳をとって来たなぁと感じるのです。

急な階段を上り下りする生活も、どちらかが病気した場合など
お袋の時のことが、頭にあるからとにかく気になる。

3時から3時間ほど、色んな話を聞いてやった。
子供が居ないことで、親戚から色々と言われて辛かった人生。
それでも、僕を含めた若い従業員を預かって、面倒を看て来た。
問題を起こす子も多くて、そのたびに警察へ行ったり、
親以上のことをやってきた伯母なのです。

何とかしてあげなくちゃ・・・と思い、通うようになったのは、
お袋が亡くなって、一区切りついた3年ほど前から。
お袋が生前に、伯父夫婦のことをずっと気にしていて、
そのたびに『一番世話になったあんたが、面倒見てあげてね』
と言っていたことも、僕の頭から離れない理由なのです。

少しだけ、伯母の気持ちもすっきりした様子。
伯父が僕の家族にと買ってきてくれた、『巴裡・小川軒』の包みを手土産に持たされた。
僕は『今度は伯父さんが居るときに、また顔を出すよ』
と言って、帰って来た。

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休暇前の会社生活と変わりなし

2015年11月20日 | Weblog

やっていることが『阿呆』な一日。
今日は古紙とペットボトルの回収日
早起きして、アパートのゴミ置き場を整理した。

その後に溜まっていたシャツ類を洗濯機に入れて回す。
朝ごはんを食べながら、洗濯が終わるのを待って、
洗濯物を干し終えたのが9時。

ちょっと雲行きが怪しかったけれど、特に用事もないので
サッカーの道具をデイパックに入れて、出かける準備。
そう・・・・
休暇中なのに、サッカーをやるために『会社』へ出かけたのです。

会社に着いたのが11時50分。
着替えたところで12時のチャイムが鳴り、僕はグラウンドへ1番乗り。
昨日のゲームで荒れたグラウンドを、大型の整備用ブラシ2本を引きずって
グラウンド全体の凸凹を均した。

メンバーが続々と出てきて、今日は総勢15名。
年寄りが混じった側が8人の7:8でミニゲーム。
昨日、練習したので今日は体が良く動いた。
一日30分のゲームとはいえ、毎日継続することの大切さを感じましたね。

ひと汗かいて、シャワーを浴びて帰ったんだけど、考えてみたら
休暇前の会社生活と、やっていることは全く変わらない。
変わったのは、朝の出勤時間に縛られないで良い事。
会社に居ても、仕事を全く与えられない日が続いていたから、
会社にはサッカーをやる以外、何もやることが無かった。
そういう意味では、休暇前と何も変わらないということが判り、
何だか『阿呆』みたいな生活をしていたのだなって・・・・

サッカーの後は、急いで帰宅して床屋に行ってきた。
前回行ったのが9月上旬だったから、随分髪の毛も伸びちゃっている。
短く刈って、さっぱり・・・・

床屋と言えば、昔は風呂屋と並ぶ地域のコミュニティーの場だったのだけれど
最近は風呂屋も殆どが閉店し、残っている風呂屋も昔のような
地域の人間が集まって、ワイワイガヤガヤする場所ではなくなってしまった。
そういう意味で、床屋は今でもそういった側面を残している気がする。
そんな床屋で、マスター(創業者の親父)とマネージャー(店長)との会話が
僕の楽しみになっている。

マスターが『ゆうちゃん、定年後はどうするの?』って訊いて来た。
それで、僕の定年後の計画について色々と話したのだけれど、
マスターに『いい選択だ』と言われて、なんだか安心した。

この親父、僕が20代の頃に『お金の使い方』を伝授してくれたり、
転職の際に何かと相談事に乗ってもらって来た。
付き合いももう50年近くになるが、この親父のアドバイスで失敗したことがない。
親父いわく『物事に対する、ゆうちゃんの姿勢が上手く行かせているのさ・・・・』
なんだか、ちょっといい気分になって髪の毛だけではなく、
気持ちも軽くなって帰って来たのでした。

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三つ目の称号

2015年11月19日 | Weblog

今日は、本社へサッカーをやりに行ってきました。
ちょっとサッカー部の若手に訊きたいことがあったので、いい口実でした。
でも、若手からは期待していた答えが返ってこなくて、用事は叶いませんでした。
でも、そんなことはどうでも良かった。

この所、運動不足でサッカーも全然出来ていない。
今日は12時の昼休みになるや否や、グラウンドへ出て行きました。
前日からの雨で、グラウンドの端に水溜りが出来ていたので、
皆が来る前に、その水溜りの水をトンボで掻き出して、砂を被せました。
『ファンタ爺スタ』と呼ばれるエースストライカー、『ヤナカシージャス』と言われるゴールキーパー、
それに、『グラウンドキーパー』という三つ目の称号を手にしました(笑)

最初に出てきたのが、意外なことにずっとサッカーから遠ざかっていたDera。
この男と僕がFWをやっていた20年前は、二人で本当に点を獲りました。
僕が10試合で7ゴールだったのに、Dはその上を行く9点。
二人で1試合平均2点近くの得点力だった。
それに高校を卒業したばかりのエースKDMが加わり、3人のFWの破壊力は抜群だった。
そしてその年に、10年ぶりに4部で優勝した。

遠い場所まで行く東京都社会人リーグの試合は、家庭を持って子供が生まれると
いろいろな意味で試合に行くのが難しくなる。
特にDeraやKDMは、生まれた子供が弱くて、家を空けられなかった。
シニアチームを立ち上げた理由の一つに、家庭の事情でサッカーから遠ざかったDeraに
もう一度サッカーをやらせる場を作ろうという、みんなの思いがあった。
そういう意味では、エースのKDMも一緒。
そんな連中にサッカーを続けさせたいという僕の気持ちは、みんなに伝わっているから
シニアチームは、気持ちの上でもチームワークや統制が取れている。

昼休みのミニゲームだけれど、久しぶりにDeraとパス交換をした。
相変わらず、フィジカルコンタクトが苦手で、その分テクニックで相手をかわそうとするする。
まぁ、上手くいったり行かなかったり・・・・
皆、Deraのプレイを見ながら『相変わらずだなぁ…』って、思ったに違いない。
今日は、そんな時間があったのでサッカーも楽しかった。

それにしても、運動不足は否めない。
なんせ、体重、体脂肪率も微増、そのせいか?
サッカーの後はアキレス腱が微妙に痛くなる。
来週の月曜日の祝日に、八王子代表との定期戦があって、
僕はO-50(50歳以上)の選抜チームでも出場する。
そのあとに、自分のチームがO-40(40歳以上) のカテゴリーで出場するから
そっちの方は、GKでもやろうかと思っているんだけど・・・・

明日は何も予定がないから、またサッカーをやりに行こう。
休暇中なのに、昼休みだけ会社にいるなんて、単なる『阿呆』ですね・・・・(笑)

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ディズニーランド

2015年11月18日 | Weblog

今日は嫁さんと娘たちの3人でディズニーランドへ出かけたみたい。
僕は朝早くに行くのと、人ごみが苦手なので、行くのは遠慮した。

子供たちが小さいころは、毎年のように年間パスポートを購入して
毎週のように行っていたのだが、そんなことを続けているうちに
子供たちも飽きてしまい、中学校に入学すると部活などで時間も取れず
結局、ディズニーランドへは行かなくなってしまった。

最初のころは、ディズニーランドの混雑もさほどでも無かったのだが、
いつからか、どこへ行っても人ばかり・・・・
おまけに、園内でビニールシートを敷いて、弁当を食べている人が居たりで
ディズニーランドが特別な場所でなく、以前のように楽しめなくなってしまったのも、
ディズニーランドへ行かなくなった一因だった。

今日は平日で比較的すいていたみたい。
午前中、天気が良かったのでアトラクションも楽しめたようだ。
午後から雨が降り出して、パレードもレインコートを着てやっていたらしいが
雨の中でも、それなりに楽しんで帰って来たみたい。

考えてみれば、僕は結婚前から通算して500回くらい行ったのかな?
毎週末、週に2回なんてことは当たり前だった時期もある。
入場制限をしなくなってから、ディズニーランドは人ごみばかり。
子供達も、並ぶ時間が長くて嫌になったのかもしれません。

子供たちも大人になって、最近は友達と行ったりしているみたい。
今回はテレビのコマーシャルを見て、僕が
『クリスマスファンタジーが懐かしい』
と言ってから、家族で行こうかという話になったのだけれど、
いざ行くとなったら、僕はやっぱり腰が引けちゃった。

やっぱり、歳なのかなぁ・・・・

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一つの転換期

2015年11月17日 | Weblog

定年退職で、この先の人生を考える時間が多くなった。
とりわけ仕事に関しては、オファーがあった会社に暫く身を置くけれど
それも、ずっと続けたいと思っているわけでもない。
最終的には儲けを考えずにのんびりと、自分のペースで出来る仕事、
出来ればお客さんと接する仕事がしたいですね。

プライベートの遊び、サッカーや芝居に関しては、今まで通り続けるつもり。
特にサッカーは、今38歳の連中が40歳になって晴れてシニアチームで
正式な試合に出られるようになるまでは、今のチームを維持するつもり。

芝居は、半年間の稽古期間とはいえ、今や僕の生活の中心になっている。
25年間続いているアマチュアの劇団を、今後も存続させる意味を
僕らの世代が強く感じているから、辞めるつもりもないし、
やればやるほど、深みに嵌って行く面白さは、何にも替え難い。

ただ、そんな中で音楽に関しては、一つの転換期のような気がしている。

昔からあまり練習が好きじゃない相方は、最近は特に家庭の事情もあってか、
やる気があまりないみたいに感じる。
そして相方は、ビートルズなどの英語の歌を歌うことを好む。
どこぞのライブハウスで洋楽を唄うのが好きみたい。
お客さん参加の店で、決して出演者じゃないんだけどね・・・・

僕は僕で、逆に英語の唄をいくら聞いても、心に響いてこない。
乗りのいい音楽は沢山あるけれど、自分でやる音楽はそういったものではない。
自分の思いや、感情を『表現』する場でありたい。
言葉だったり、心だったり・・・・
劇団の歌唱指導で教わっている、どうやってそれを伝えるか・・・・
心に染み込んでくる音楽っていうのは、演奏の上手い下手じゃないんだよね・・・・
だからオリジナルの音楽に拘って音楽をやろうと思っていたのだけれど、

いつだったか、僕らのライブを初めて聞きに来てくれた仲間から
オリジナル曲をリクエストされて、数曲演奏したところ、
『オリジナルの方がいい』と言われ、ちょっと戸惑ったことがあった。

要は洋楽をいくら聞いても、その人自身の音楽じゃないということらしい。
この考えは、僕と全く同じだったということもあって、
それ以来、同じ『カバー』ならば洋楽をやることよりも、
言葉を理解できる日本語の唄の方がいいと思うようになった。

ところが、お客さんの知っている曲をやった方がいいという考えから
いつの間にか『カバー』と称した、洋楽をやることが多くなった。
このあたりが相方と、音楽志向が違ってきた部分かな?

相方も僕も定年退職で、この先の人生を考えるとき。
サッカーや芝居に関しては、今まで通り続けるつもりだけれど、
音楽に関しては、相方と僕の音楽に対するスタンスの違いを感じ始めていて、
これを機会に今後、音楽をどう続けるか?考えようと思い始めています。

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残念だけれど、仕方がない

2015年11月16日 | Weblog

友人が発起人となって開催している東北復興プロジェクト『The North Journey』。
岩手県大船渡市への旅。早いもので、もう4回目になる。


復興の進み具合
を、自らの目に焼き付けておこうと参加して来て、
今年も行こうと思っていたのだが、参加を断念することにしました。

相方が一身上の都合で9月に離脱宣言した。
それでも僕は一人で参加して、ミュージシャンとしてではなく、
音響や車の運転手などの裏方として手伝う予定で居た。

今年の春の昭島市壮年大会に優勝し、11月23日に八王子市の代表チームと戦う
大事な定期戦の試合があるので、最初から前日の22日に帰京する予定でいたのだが、
先月になって、前日の22日に劇団の最初の台本読みが入って、
今回の芝居は中心的な役割ということもあり、抜ける訳にも行かなくなった。

それでも前乗りのグループに加わって、初日の昼に帰京するという選択肢もあったけれど、
金曜日に次の仕事の関係で打ち合わせが入ったので、それも不可能となった。

本当に残念です。

今年で屋台村もなくなるらしいので来年以降に関しては、どうなるか判らないけれど、
定年退職して、今後は時間に束縛された生活をあまりしたくないので、
こういった企画に乗るのではなくても、東北へ出向いて音楽活動をするのは
可能な気がしています。

ただね・・・・
相方は、今までのようにやる気が、あまりないみたい。
僕は僕で、音楽に対する相方と僕のスタンスの違いを感じ始めていたから、
これを機会に今後のことを考えようかと思い始めています。
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