『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

『活き活きしている時の自分が好き』

2019年11月30日 | 定年退職後の人生
今日は山梨県甲府市に一泊で遊びに来ています。
明日、北杜市の長坂と言うところに工房を構える友人の所に遊びに行く予定。
日帰りで行ける距離なのだが、中央高速は渋滞が多くて、
何も無ければ1時間半で到着するはずが、必ずと言って渋滞に巻き込まれ、
ひどい時は東京を脱出するのに2時間以上かかった事がある。

明日も午前中に長坂へ行き、午後は甲府へ戻ってちょっとした相談事。
なので前日に甲府へ行き、時間を有効に使えるようにと言う訳。
そう云う時に限って、渋滞は無く午後2時に出発して、途中で休憩して、
甲府に到着したのが4時すぎ。
余裕をもって出かけたのと、午後の空いている時間が功を奏したのかも知れません。

ホテルにチェックインして、夜は一階に有る居酒屋で社長と待ち合わせ。
以前から今後の事を相談していたのだが、その経過報告も兼ねて、
色々と話したい事が有ったので、社長にお願いして時間を作ってもらった。
社長の秘書みたいな立場のモコちゃんも一緒にやってきて、一杯やりながらの話になった。

話の内容は、駅前の物件を借りて、そこでやろうとしている計画の話。
結論として僕と社長の考えは、ほぼ同じ。
月30万円の家賃を払って、無理してやる必要はないと言う事でこの話は止める事にした。

社長は僕が話している時に、ずっと僕の顔を見ていたそうだ。
『ワクワクして、いつも通り少年みたいな顔して話してるね』
と、話の内容より僕のそういうところを見ていたようだ。
横でその話を聞いていたモコちゃんも、社長の話に笑って居た。

でも、そういった話をしている時に、何処かワクワクしている自分自身を感じた。
もう45年の付き合いで、今や僕の良き理解者である、モモちゃんも
『好きな事をやって居る時のゆうちゃんを見て居ると、こっちも楽しくなる』
と、ここ数年はボランティアの手伝いをしてくれたりして、一緒に行動する事が多くなった。

実は僕自身、そう云う活き活きしている自分を感じて居るのです。
そういう僕の周りには、沢山の人が居て見守ってくれている。
『好きな事に夢中になっている自分が好き』
『活き活きしている時の自分が好き』

いい歳して、そんな事を思う今日この頃なのであります。
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『進化の日』

2019年11月29日 | ジジイの呟き
きょうは『進化の日』と呼ばれる日らしい。

160年前、進化論を唱えたダーウィンが「種の起源」を出版した日にちなむそうだ。
環境の変化に適応できない生き物はいつかは淘汰(とうた)されていく。
人類も例外ではないんでしょうね。

人間は常に未来を意識し、今を生きている。
人間は弱い存在ゆえに集団性を強め、その過程で
仲間が考えている事を「想像する」という事をするようになった。
『想像は一人ひとりが異なり、その多様性が生き残りのカギとなった』
とは誰かが言った言葉。

裏を返せば、『強い者はその強さのために変化を望まず、多様化しにくい』
と言う事なのかも知れない。
元サッカー西独代表ベッケンバウアーの言葉
「強い者が勝つのではない。勝った者が強いのだ」

でも、本当に人間は生き残れるのかなぁ?
地球の温暖化が、生命を脅かしている現在でも、
中国やアメリカは自国の利益のために温暖化ガスであるCO2の排出を減らそうとしない。

日本だってG7の中で唯一、いまだに火力発電所の建設を進めている国。
アメリカや中国と程度の差こそあれ、やってることは変わらない。
日本には『水力』という資源があるのに、コストを理由に採用しない。

農業用水路に小型の発電機を沈めて、発電する方法だってあるのに
そう云った小さな技術には、眼もくれない。
大手メーカーが儲からない技術は、国も助成しないのですよ。

『進化の日』とは何とも皮肉な名前です。
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サラリーマンは『大名にお仕えする家老や家臣』

2019年11月28日 | ジジイの呟き
今日は社長が来るという話。
前回の来社時に、所長に頼まれて朝9時前に出社したのだけれど、
来た事すら判らず、顔も合わせずに出かけて行ってしまったので、
今回は『特に用事や話したい事が無いから来ない』と告げてあった。

何と横柄な態度だと、自分でも思うのだけれど、社長のご機嫌を取るために
出社するような事をするのは、自分の意に反する行為なので仕方がない。
今年9月11日に書いた『価値観の違い』

ここに書いた通り、社長や上司のご機嫌取りは
『大名にお仕えする家老や家臣』に感じるのです。
時代劇で『お家のため』『御殿様のため』と言う感じにね。
ほとんどのサラリーマンにとって、会社は『お家』、社長や創業者は『御殿様』ってこと。
僕は前の会社で『野武士』と言われるほど、そういった生き方が出来なかったから、
僕のような人間は、会社にとって必要な人材ではなかった。

実は、昨日ちょっと気になる話を聞いていて、心配事が・・・・
それは今話題の『パワハラ』。
会社から異動を告げられた社員が、辞める、辞めないでゴタゴタしている。
社長は、ちょっとヒステリックになって、強い口調になってしまう癖があって、
以前から、社長と本社の取締役などの言動がちょっと気になっていて、
そういった状況でちょっとした言動が『パワハラ行為』と言われそうな心配があるのです。
杞憂に終われば良いが念のため、忠告するつもりで昨日のうちに所長へメールしておいた。

午後から出社して、最初に会ったのが本社の取締役。
僕の顔を見るなり『俺はパワハラしないから大丈夫・・・・』なんて言ってきた。
だからぁ・・・・、自覚がない人こそ危ないって言うの!

ご存じのとおり、定年前に僕はあからさまなパワハラを受けた事があって、
その時に調べた記事があります。
気になる方はこちらへ

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『諦めた瞬間に全てが終わる』

2019年11月27日 | ジジイの呟き
昨日、一昨日と貸し物件の話で不動産屋さんに交渉を依頼したけれど、
結果は変わらず。
『先方の考えは変わらない』
という連絡を貰って、この話はひとまず区切りがついた。
時間を潰したけれど、あとは僕が借りるかどうかの判断をするだけ。
ただ、もう一度米屋の御主人に会って、話がしたいと思うだけ。

今週末は山梨に行く用事があるので、その時に僕を支援してくれている社長に会って、
ここまでの経緯を話して、どうしようかと相談しようと思って居る。
そんな訳で、不動産屋さんには、少し返事を待って貰う事にした。

でもね、自分のやりたい事を考えて居る時のワクワク感。
こう云う事は本当に久しぶり・・・・といった気がします。
少なくとも、そう云う時間は楽しいし、幸せな感覚になる。
ただ、何でも思い通りには進まない。簡単じゃぁ無いです。
だから面白いし、出来た時の達成感や到達感が有るんですよ。

このブログにいつも書いている『簡単に勝てる試合』は面白くない。
裏を返せば、簡単な事や楽に出来る事は『誰もが簡単にできる事』ですからね。
そう云うのが好きな人はそれでいい。
でも僕はそうじゃない、『簡単じゃない』ことだから、僕の心に火を付ける。

考えてみれば僕の人生は会社人生も含めて、いつもそうだった気がします。
その影響を与えたのが小学校5年生の時の先生。
その当時、僕は『空飛ぶ少年』などと言われ、学校で1,2を争う足の速い子供だった。
だから学校の代表になって市や県の大会に出るのが当たり前のように思って居た。
ところが、学校の選考レースで、スタート時にミスして負けてしまった。

夢破れた感じで諦めきれず、その後も仲間の練習をずっと見ていた所に
担任でもない、年配の女先生から『それで良いのか?』と訊かれて、
『諦めたら終わり、諦めた瞬間に全てが終わるんだよ』
と説かれて、練習を見ているくらいなら一緒になって走った方が良いと思い、
翌日から、勝手に練習に参加して、友達から文句を言われた。

でも、陸上チームの先生からは文句を言われなかったんだよね。
負けたのに毎日休まず参加していた、そんな僕の姿を見ていた女先生が、
『もう一度チャンスを与えてやって欲しい』
と陸上の担当の先生に相談して、再レースが実現し、そのレースで僕がトップでフィニッシュした。

だからと言って、代表になれるとは思って居なかったのだけれど、
先生の提案で100mのレースだけで、リレーには出ないと言う事で学校代表になれた。
市の大会は、予選こそトップ通過したけれど、決勝ではまたミスをして6位に終わった。
簡単に勝てると思って油断して居たんじゃない、その程度の実力だったのですよ。
この時に『上には上が居る』と感じたのです。

その時の経験がその後の人生に凄く影響した。
『上には上が居る』
『自分のやりたい事には、労を惜しまず全力を注ぐ』
『諦めたらそれで終わり』

は、今回の話で久しぶりに思いだした感覚だった。

だからと言って勘違いしないで欲しいと思う事があります。
僕が『全力を注ぐ』のは自分にとって価値のある事にだけ。

やれる事をやって、駄目だったら『簡単に諦めて、次の事をする』のですよ。

お陰で何度も女性に振られても、すぐに立ち直って来れました(笑)
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出来る事は全てやったかな?

2019年11月26日 | 定年退職後の人生
今朝は朝8時に、昨日訪ねて行ったお米屋さんの御主人に電話したところ、
忙しくて電話に出られないとのことで、電話を切ったところ30分くらいして
その御主人から電話を頂きました。

単刀直入に言って、米屋を継続する予定はなく、店は不動産屋に委託して、
借り手を探している状態なので、そちらへ訊いてくれとの事。
そんな訳で、午前中に友人と一緒に不動産屋へ出向き、物件を紹介して貰った。

駅から1分、10坪の広さ。家賃は一か月26.5万円、税込みで30万弱。
権利金など初期費用が160万円。
店内にはガスが引かれておらず、飲食店の転用はあまり好ましくないとの事。

不動産屋さんは、契約に関する全てを任されている委託をされているので、
大家である米屋さんに直談判しても、駄目だと言う。
それで『米屋を継続させて貰いたい』と言う主旨の話を、
不動産屋さんから交渉して貰う事になった。

正直言って、駅から1分の好立地とは言え、周りは繁華街では無く住宅地。
その中にあるいわゆる『駅前商店街』みたいなところなので、客層も限られる。
そんな中で家賃30万円は、ちょっと厳しいかな?
オマケに飲食店には貸したくないと言う意向。
飲食店に貸すと、油などで汚れて後で困るから・・・・
と言う理由だろう。大家の考えは理解できる。

単純に30万円の家賃を支払うには、ひと月で60万円以上稼がないとペイ出来ない。
週一で休むとして1日2.4万円は、簡単じゃない。
ましてや儲けなんかどうでも良い、客単価の低い商売を考えている僕には
この家賃は大きなハンデになってしまう。

あとは不動産屋から大家に思いが伝わって、考えが変わるかどうかです。
珍しく昨日、今日と朝から外出して、積極的に動いた。
やっぱり自分のやりたい事に対しては、労を惜しまないんだなって自覚した。
これで僕が出来る事は全てやったかな?
朗報が来れば良いけれど・・・・・
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失うものなんか何もない

2019年11月25日 | 定年退職後の人生
今日は午前中、晴れ間も見えて温かくなりそうだったのに、
夕方からまた雨が降って、真冬の寒さになった。

今日は午前中に、あるお米屋さんの所へ出かけて来た。
定年退職後、僕は技術者の道を捨てて、新しい事をやるつもりで居た。
毎日、お客さんと接してその方を笑顔にしたい。
金儲けのためじゃなく、なにか皆が楽しくなるような、
そんな空間を作って、商売としてやりたかった。

飲食店という訳では無く、なにか人が集まって皆が笑顔になる場所。
そんな事を考えているうちに、とあるお米屋さんが店を閉めた。
西武線沿線の駅から1分の好立地。
商店街の中に有るというのに、店主が高齢になり仕事が厳しくなった。
娘しかいない上に、後継者としてやる気がない。
店は本店が大塚に有って、支店だった場所を10月末を以て閉店し、
テナントとして貸し出す事になったと言う。

実はそこで働いていた人が知り合いで、その話を聞いて、
ご主人に色々聞いて貰おうと思ったのだけれど、結局はよく解らない。
それで本店に出向いて話をしてみようと思って出かけたのです。
あいにく、ご主人が配達に出てしまったのだが、代わりに奥さんが話を聞いてくれた。
いきなり『無給でやりますから、店を続けませんか?』
と、切り出したら、奥さんがキョトンとした顔で、僕の話を聞く。

僕はお米屋さんの業務を無報酬でやる代わりに、
お店のレイアウトを変更して『ご飯を食べさせる店』をやりたいと・・・・
お米屋さんの営業は続くし、お米もさらに売れる。
僕は出来るだけ安くご飯を提供して、皆に食べてもらう。
こんな良い話は無いじゃないかって、自画自賛・・・・・
でもこの日はこちらの意向を伝えて、奥さんの反応は悪くなかった気がした。

その話を友人にしたら、ビックリして、
『本当にやりたい事になると、後先考えないんだね・・・・』と言う。
『でも、その行動力はゆうちゃんらしいね』とも・・・・

やりたい事があったら、行動しないと何も起こらない。
どうせダメ元、失うものなんか何もないですからね。
明日、ご主人が電話して来てくれるとのこと。
良い返事が来たら良いなぁ・・・
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米寿のお祝い

2019年11月24日 | 劇団ステージドア
今日は劇団の顔、劇団最年長の瀬戸口さんが今年、米寿を迎えられて、
そのお祝いを、九段下にある『ホテルグランドパレス』で開かれる事になって、
僕も劇団員の一員として、ご招待を頂いた。


瀬戸口さんと出会ったのは2005年。来年で丸15年になります。
僕が演劇を始めるようになったきっかけを下さったのは、瀬戸口さん。
2005年の劇団公演『絵画泥棒』には、僕の叔母が出演する予定だった。
ところが、公演直前に急逝。
叔母は日本舞踊の花柳の名取で芸者をやっていた。
若い頃は渡辺プロで芸能人に踊りを教えていた事もあった。

その叔母が、今の劇団の座長や瀬戸口さんらと共に、
前身である故遠藤周作さん率いる『劇団キザ』に参加し、
その後、座長らと『劇団ステージドア』を立ち上げた。
僕は叔母からその劇団に来ないかと、何度か誘われていたのだけれど、
『ふん、素人の劇団なんて興味ないよ』
と言って、叔母が亡くなるまで一回も公演を観に行くことが無かった。

叔母の葬儀に出席されていた、瀬戸口さんの存在に気が付いて、
親戚の中では、何故か接待係みたいな役割の僕が声をかけた。
その時に頂いたチケットで劇団公演を観に行って、愕然とした。

若い頃に自分が舞台関係の仕事をしていたことも有って、
その時の舞台は、素人が手掛けたものじゃない事もすぐに判った。
上手い劇団じゃないけれど、何か伝わってくるものがある。
そして公演後に、座長を紹介され
『お話は聞いていましたよ、一緒にやりませんか?』
と言われて、二つ返事で劇団に加わることになった。

それからの僕は、芝居をやる事で人生が活き活きしてきた。
芝居を通じて学ぶこともものすごく多い。
そんな楽しい人生のきっかけを作ってくれたのが、今日の主役瀬戸口さんだったのです。

米寿になっても、劇壇では存在感が抜群です。
芝居は決して上手くない、台詞だって良く忘れる。
でも、存在感は他の誰よりも大きくて、僕の友人にも瀬戸口ファンは多い。

僕にとって、人生の目標にする一人、とても大事な人です。
いつまでも元気で、たとえ車椅子の生活になっても、
命ある限り、ずっと一緒に芝居を続けて欲しいですね。

お祝いの会は劇団員の唄あり、コントあり、瀬戸口さんの友人のフラダンスや、
ウクレレの演奏などで楽しい余興の連続。

写真は振付担当の河岡先生とのツーショットです。
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久しぶりの大敗

2019年11月23日 | 中高年サッカー
今日は冷たい雨が降る中、朝からサッカーの試合。
八王子市と昭島市の代表チームがカテゴリー別に対戦して、
勝ち数の多い方がその年の優勝と言う、定期交流戦『AH杯』。

去年は3-0で勝利して今年も連覇を目指していたのだけれど、
試合開始直後こそ、圧倒的に攻めていたのだけれど、
その時に何度かあった決定的なシーンでゴールネットを揺らせない。
そういう時は、ミスをして失点する・・・・いつものパターンです。

でも、GKをやりながら後ろから見ていると、負けて当たり前だと思った。
相手は無理にボールを取りに来ない。
パスコースが空いているように見えて、相手チームの選手が程良い距離で散らばって居て、
意外とパスを通すスペースは塞がっていて、しかもそこを敵が張って居る。
対して我々は、選手同士の距離が遠くて、中途半端なスピードのパスになり、
敵の狙い通りの展開になってしまった。
先だって行われたキリンカップで、日本代表がベネズエラに大敗した時とよく似て居ました。

終わってみれば0-5で完敗。
まぁ、こんなものです。

試合はずっと雨が降り続き、GKの僕はシャワーを浴びているようなずぶ濡れ。
GKはこう云う時にしんどいポジションです。

試合は10時半に終了し解散、午後から劇団の稽古があるので一旦帰宅する余裕もなく、
そのまま新宿にある柏木地域センターまで、車で直接向かう事にした。
こう云う時に限って、渋滞するんだよね・・・・
結局、高井戸で降りて、裏道を使って新宿まで行き、12時半に到着した。

雨が降って居るので、オバチャマを迎えに行こうと電話したら、
明日は、お祝いの会があるので今日は無理せず休むと言う。
今は台本の読み合わせだから、無理して来る必要はない。
居るだけで存在感のあるオバチャマですからね。

5時に稽古が終了して、座長と室さんの他に2人を新宿まで送って帰宅。
帰宅してから、さっそくシャワーを浴びて、一休み。
朝から自然のシャワーを浴びたままでしたから、気持ち良かった・・・・

シャワーの後は、今日の試合で使ったユニフォーム14着を洗濯しました。
最近はユニフォームを持っているメンバーが来なかったりで、
新しいユニフォームを毎年買い替えるのが僕の趣味なので、
去年、新しいものを買った時に、それまで使って居たユニフォーム一式、
20枚を僕が全部回収して管理しているのです。
今日は雨と言う事もあって、前のユニフォームを使ったので、洗濯の量が半端じゃない。
シャツとパンツを分けて洗わないとならないので、洗濯終了まで2時間要しました。
まぁ、これも遊びの一部ですから苦にはなりませんけどね・・・・・
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奇跡の財布

2019年11月22日 | ジジイの呟き
なんと、昨日失くした財布が、再び出てきました。
しかし、この財布はよほど縁があるのでしょう。
プレゼントしてくれた嫁さんの愛情が込められているから・・・・かも知れません。
外国じゃまず出て来ないでしょうけれど、日本では出てくる。
日本と言う国は、本当に凄い国ですね。

スイス、岩手、木曽とここ数年で出かけた旅行だけでも何回落としたか・・・
スイスではユングフラウの観光に出かけ、昼ご飯を登山電車の発着駅がある
クライネシャイデックのレストランで食べて、支払いを終えた時に
財布をテーブルの上に無造作に置いてしまった。
これ、良くやるんですよ。
それで、移動先の100㎞離れたルツェルンへ向かうバスの中で
『Yさん、ポーチを忘れていませんか?』
と、ツアーガイドから訊かれた。
僕はその時『ポーチ』という言葉を聞いて、
『僕はポーチなんて持っていません』と何かの間違いだと答えた。
僕は財布は『ウォレット』だと思っていましたからね。
で、調べてみたら財布がない・・・・
結局、翌日にツアーを離脱して、一緒に行ったツアーの人から
お金を借りて、一人で再びユウグフラウまで行って、事なきを得たのでした。

その後、岩手の大船渡に出かけた時も2回ほど紛失。
ついこの間、木曽福島へ出かけた時もトイレで財布を置いて出て来ちゃった。
そのたびに、周りの人間が大騒ぎになりました。

そして今回もまた・・・・
今度こそ出て来ないなと思ったら、またお店に忘れたらしく出て来ました。
中に入って居たクレジットカード、キャッシュカード計4枚、
買ったばかりの6か月の定期券Suica、健康保険証と診察券、プリペイドカード4枚に、
下ろしたばかりの現金6万円は全て無事に帰ってきました。

昨日は吐き気がすると言っていた、その嫁さん。
『これからは小分けして首からぶら下げろ』
と、厳しく言われました。
はい、これからはそうしようと思います。

とは言え、めでたし、めでたし・・・・・
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あぁぁ、ついにやってしまった・・・・

2019年11月21日 | ジジイの呟き
財布が無い・・・・・。

一昨日、帰りがけに近所のスーパーへ寄って、買い物したまでは有ったのに、
何処かで落としたか?
それとも、いつも通りレジで支払いをした時に置いて着ちゃったか・・・・
とにかく、出かける時になってその財布が無い事に気がついた。
部屋中探したけれど見つからず、バッグや上着のポケットにもない。

中に入って居たのは、クレジットカード、銀行3行と証券会社のキャッシュカード計4枚、
買ったばかりの6か月の定期券Suica、健康保険証と診察券、プリペイドカード4枚に、
昨日、下ろしたばかりの現金6万円。
その財布を落とした事に、朝出かける時間になるまで気がつかずにいた。

そんな訳で、今日は午前中に買い物に行ったスーパーへ行ってみて、
そこには無かったので、午後から遺失物の届け出で警察署まで出かけたり、
クレジットカードの利用停止等の電話連絡をしたりでテンヤワンヤ・・・
お陰で、仕事に行く気力も失せてしまい、今日は休みにした。

流石に今回は出て来ないかなぁ・・・・
そんな事を思っていたら、証券会社の担当者から電話が有った。
『カード、紛失しませんでしたか?』
なんと、証券会社で作った株の売買や、配当金を受け取る為のキャッシュカードが
昨日買い物した近所のスーパーに届けられたと言う連絡。
証券会社の方でカードのロックをして、使えない状態になったので、
その連絡と再発行手続きをする案内の電話。
こちらから連絡するつもりだったので、僕にとっては好都合だった。

それとクレジットカードの停止手続きをして、銀行のキャッシュカードは、
明日の午前中に三菱UFJ、郵貯、信用金庫の3か所に出向いて、
カードの再発行をして貰う事にした。

証券会社のカードだけ出て来たんだとしたら、財布は拾われて他のカードは
捨てられてしまったのかなぁ・・・・

その話を嫁さんに電話で話をしたら
『息苦しくなってきて、吐き気がする』と予想通りの反応。
まぁ、仕方が無い・・・・

スイス旅行に始まり、国内旅行などでも数回。
散々落として来たのだけれど、そのたびに出て来た財布。
今回はついにその記録もストップしそうです。

あぁ、現金6万円・・・・
来年の正月に行く『ハゲを増す会・贅沢三昧旅行』の金が・・・・
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ワクワクする事

2019年11月20日 | ジジイの呟き
見ぃつけた。
具体的な事はまだハッキリするまで言えませんが・・・・
とにかく、その事を考え始めてから心がワクワクして、
最近は良く夢に出てくるようになった。

そうなると、今の仕事は一区切りつけなくちゃっ・・・・て、
昨日書いた内容の話になった訳です。

不思議なことに、まるで他人が僕を見ているがごとく、
心がワクワクしている時の自分が活き活きしていることに気が付く。
なんか、おかしいですね。
こういう感覚は、本当に久しぶりの気がします。

でもきっと、そういう僕を見る友人や家族は嬉しいんじゃないかな?
前の会社ではワクワクしながら仕事をしていた時間が多かったけれど、
そうじゃないときも、何度かあった。

希望を出して、子会社に異動する前には、会社で辛い目に遭わされて、
それが高じて、家に帰ると嫁さんや子供に当たったり、物を壊したりして、
家族から『破壊王』と呼ばれるほどひどかった。
家族にとって恐怖の時間だったに違いない・・・・・。
実際、おびえていましたからね。
そんな弱い自分を思い出すたびに、今でも申し訳ない気持ちになります。

だから定年前にパワハラに遭遇して、再び精神的におかしくなった時に、
その二の舞をしないようにと、一人暮らしをするようになった。
今はそのお蔭で、家族の距離が以前より縮まった気がします。

今はワクワクしている自分が凄く好き。
そういう時は決して誰も傷つけないですからね。
定年後に好きな事をしようと思ったのは、定年退職の直前にあった
辛くて情けない時間はもうコリゴリと思ったからです。

今のワクワクしている自分が凄く好き。
僕の周りにいる人も、楽しくなってくれると良いなって思います。
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貴重な自分の時間を捨てたくない

2019年11月19日 | 定年退職後の人生
僕は、時間を管理されて働く事は、定年退職で終わりにした。

だから今の仕事はいわゆる『自由出勤』という条件で手伝っているんだけれど、
最初に言っていた『設計事務所設立』は4年経っても、一向に人が集まらず、
結局、山梨の本社から来た設計部隊にチンタラやる、息抜きの場を与えている。

話が違うから辞めると言い続けて、『居てくれると助かる』と言われ、
所長が居ない時に所長の代行をやったりして、少しは役に立っていたみたいなので、
小遣い稼ぎと割り切って居たのだけれど、それも気が付いたら4年が経ってしまっていた。
それで、今日は所長と今後の身の振り方、働き方について話をした。

この4年間は、最初こそ開発のような装置作りをして楽しかったのだけれど、
その後は、クリエイティブな仕事は皆無。会社に居ても仕事が無い日が多くなった。

そう云った、仕事が無い時に出社すると、僕の人件費で『赤字』になるのが嫌で、
『自由出勤』という特権を使って、出来るだけ遅く行くようにして来た。
それでも、何だか行かないといけないような義務感みたいなものがあって、
自分の意思とは違う時間の使い方に、何とも言えないストレスを感じるのです。

それともう一つは来年の1月で64歳になる年齢。
1年後には老齢年金と、個人的に積み立てて来た個人年金が貰えるので、
それまでに仕事のやり方を変えて、心身ともにもっと気楽にやりたい。
以前から言っているように、残り少ない人生の時間を自分のために使いたい。
仕事なんかに時間を取られず、楽しい事をやって生きて行きたいと思うのです。

ここ1か月くらいかけて、今の会社と僕を直接雇っている人材派遣会社に
大きな損をさせず、なおかつ僕も今くらいの収入を得る事が出来る、
3者がお互いに損をしない提案を色々と考えて来た。

僕が今やっている仕事は技術的なアドバイスと、電気回路の修理。
技術的なアドバイスは、月に1~2件。日数にして4日程度ですね。
今月も真空機器の誤動作対策について相談されて、アドバイスをした。

その機器を納めた相手が、前の会社と言うのもお笑いです。
僕が出向いた方が話は早い気もするけれど、そこは僕の仕事じゃない。
あくまで相談を受けて、原因追求や問題解決のアドバイスをするだけ。

そのコンサルタント業務を、1か月40時間程度の固定給にして貰って、
電気回路の修理は、見積もった金額の半額で請け負う。
ひと月2台修理の依頼があれば、3社ともに黒字になって、僕の時間単価も上がる。

そんな提案をして、来年は事務所に来る時間を減らしたいのです。
所長は僕の提案を『良いんじゃないか』とは言って理解してくれたけれど、
山梨の本社の反応は如何なものか?
それが駄目と言うなら、いよいよ辞めるしかない。

仕事なんかのために、これ以上貴重な自分の時間を捨てたくないですからね。
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『レベルの差』を自覚しない限り、それ以上にはなれない

2019年11月18日 | 定年退職後の人生
どんな事でもそうなのだけれど、僕は他の人と一緒にされたくない事があります。
特に仕事ではそうかな?
今の事務所のメンバーは明らかにレベルが低い。
設計者として来ている前の会社の先輩でさえも、僕から見ると同じレベルの設計者じゃない。
ここで『レベル』と言っているのは、能力の話じゃなく、発想や考え方、仕事の進め方など、
仕事に対するスタンスの話です。

僕は、前の会社で誰も手を出さずに放置されていた『研究開発装置』の設計を多く手掛けた。
そういう仕事は失敗も含めて、すべて自分一人でやらないとならないから、
仕事の進め方や納期までの日程を、他部署と相談しながら全て計画する事も仕事の一部だった。

今の事務所に居る設計者は、いわゆる『研究開発装置』の仕事をして居る訳じゃない。
何かの問題を解決するために実験などで試行錯誤しながら進める仕事ではないのです。
当然、そういう人たちは誰も経験した事がない問題を解決するようなことは経験していない。
クライアントに言われたとおりの仕事をこなすと言う意味では、『良い技術者』なのでしょうけれどね。

僕と彼らの決定的に違うところは『計画性』
僕はまず、仕事全体にかかる時間を見積る。
ここでまずクライアントの要求する納期に間に合うかを判断する。
無理ならばキャンセルするか、納期を替えて貰うかのどちらかになる。
前の会社でもそうだったけれど、往々にして納期が決まって居る事が多かった。
まずはクライアントの要求する納期が最優先ですからね。
なのでそこから納期を意識して、そこから逆算して日程を立てる。

自分の立てた日程通り進まない時は、残業したり、時には徹夜で、
とにかく自分の立てた日程を守ることはやり通した。
これは僕のいわゆる『弟子』たちも、当たり前のように思ってくれていた。

ところが今の事務所の連中は、そう云った『計画性』が無い。
日程表はどうなっているんだ?と訊くと、
『頭の中に有る』という。
具体的に書けないのは僕にとって『出来ていない』事なんだけどね。
遅れが出ても『※▽□で・・・』と、『自分は悪くない』と云った態度。

組み立て作業も行きあたりばったり。
次の作業や手順も考えていないくせに『頭の中にある』の一点張り。
色々とアドバイスしても『うるせぇなぁ』という空気が漂う。
色んな意味で『レベル』が低いのですよ。

それでも、会社って成り立ってしまうんですね。
前に居た会社は、色々な面で『プロフェッショナル』の多い、
意識レベルの高い、素晴らしい会社でした。

だから『設計者』などと、そう云った『プロ』と一緒にして欲しくないですね。
『レベルの低さ』、『レベルの差』を自覚しない限り、それ以上にはなれないのですよ。
教える以前の問題です。
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そろそろ真面目に『遺言』を・・・

2019年11月17日 | ジジイの遺言
昨日のナイターの練習試合で、アップもせずに、いきなり試合に臨んだせいで、
最初の10分間は異常に心拍数が上がって、息苦しくなった。
普段は1分間で40前後の心拍数なので、動悸息切れっていう感じ。

試合中だと言うのに、その時に思ったのは
『やばい・・・・死ぬかも?』
と言う感覚が頭を過ぎった事。
正直言って63歳の爺さんが、若い連中と一緒にやること自体に無理があるのです。
それでも、昨日はゴールを決める事が出来たから、止めようとは思いませんがね・・・。

そんな事もあって、昨日は帰宅して風呂にゆっくり浸かって居る時に、
『いつ倒れるか判らないから、もしもの時の事を考えておかないとなぁ・・・』
なんと事を、真面目に考えてしまったのでした。

それで今日は、家族と食事に出かけた時にその話をした。
・もしもの時の連絡先。
・携帯電話、パソコンやキャッシュカード等のパスワード
・銀行や保険会社など、連絡しないといけない所のリスト
・アパートの管理など

まぁ、これは死んでしまったら教えようがないですからね。
考えてみれば、嫁さんには職場が移転して電話番号すら教えてなかった(笑)

そのついでに話になったのがお墓等の話。
僕は葬式などやらなくていい。墓も要らないから無縁仏で構わない。
都内のコインロッカーみたいな場所も要らない、共同墓地で十分。
アパートなどの資産は食い潰して構わない。

家の名前がどうだとか、血がどうだとか、僕にとっては全く興味のない事。
名前なんていつかは消えるものだと思っているし、継いだところで何のメリットもない。
嫁さんなんか結婚して名字が変わって居るので尚更でしょう。

娘たちも、こう云う話をする年齢になったんですねぇ。
そろそろ真面目に『遺言』をまとめておく必要がありそうです。
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怪物爺さん、見参!

2019年11月16日 | 中高年サッカー

今日は久しぶりにナイターで練習試合。
来週末に開催される『AH杯』に備えて、体慣らしと言うところです。
久しぶりにフルコートでやる試合、しかも今日はGKが居るのでフィールド。

秘密基地から瑞穂までは片道30km弱なのだが、行く時は1時間半以上かかる。
今日も6時前に出発したのに、到着したのは7時半過ぎ。
夕方の時間帯の下り車線は、ラッシュ時間に重なるらしく、とにかく時間がかかる。
同じ道を使って帰りは、制限速度で走って40分で到着しますからね。
そんな訳で、到着してアップする時間もなく、着替えたらすぐにキックオフになっちゃった。

今日の相手は、郁也が主宰する瑞穂町のチーム『シャネル』。
メンバーは、ほぼ身内のチームなので、練習試合と言っても紅白戦に近い。
なのに郁也はいつも自分のチームで参加して、僕のチームに負けるのを嫌う。
だから、逆に僕は奴のチームから点を奪ってやろうと思う。

でも、アップなしでやったものだから、最初の10分は心臓がバクバクした。
僕は一回、心拍数を上げて、落ち着かせた後からじゃないと駄目なので、
最初は『やばい・・・マジに死ぬかも・・・・』と思ってやって居た。
体が温まって、動きも少し良くなってきたところだったけれど、
ちょっとしたミスで『シャネル』に先制点を許しちゃった。

その後、うちのチームのリズムが良くなって、パスが良く繋がるようになり、
相手の動きも少し落ちて来た処で反撃開始。
右サイドから来たボールに、反応出来て相手の裏を取れた。
ここで慌てることなくGKの横を狙ってサイドネットに向かってシュート。
ちょっとコースがズレたけれど、狙い通りにネットを揺らした。
64歳間近の爺さんのゴールで、郁也が悔しそう。
しめしめ・・・・・

その後、3点を奪って前半は4-1となって終了。
後半は15分で僕が50歳年下の中学生と交代。
せっかく来たのだから、試合に出してやらないと可哀想ですからね。
後半になって、僕の膝が少しきつくなっていたから丁度良かった。

その後、試合は2点返されたけれど、4-3のまま時間切れ。
久しぶりに得点出来たけど、明日は体中が痛くなりそう。
でも『怪物爺さん、見参!』
と、相手も含めて皆が褒めてくれたので、嬉しかったなぁ。

命の危険と隣り合わせのサッカー。
幾つまで走れるかなぁ・・・・
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