『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

新しい妹が出来た

2010年11月30日 | Weblog
今日は午前中から告別式。
身内だけなので総勢で12人。
最後に花を一杯に入れて居ると、案の定涙が止まらない。
ボタボタと落ちるほど、涙が出て止まらなかった。
身内の葬儀、とりわけ関わりのあった人との別れは本当に辛い。
いい大人の男が、ハンカチで涙を拭いてるのって格好悪かった。

越谷斎場は、新しく出来た施設で本当に素晴らしい。
火葬も低温で焼くので、時間がかかる。
待っている1時間半は、控え室で馬鹿話。

我家の家系は、葬式でも乗りはいつも変らない。
控え室では、お約束どおり僕がボケをかまして従兄弟が突っ込む。
兄貴や弟がそれにコメントを入れるというパターン。
結婚式でも、正月の集まりでも常にこんな感じ。
笑いながら火葬が終わるのを待つのって、不謹慎なのかな?

そして、火葬終了の確認で僕と従兄弟らが立ち会う。
葬式を仕切るのが初めての従兄弟は「何で立ち会うのか?」って訊くので
「火葬した釜を開ける前に、違う人の物じゃないかって確認するだけ」
と説明してやると「流石は経験者」って、納得した様子。

前出の通り、越谷斎場の火葬場は低温で焼くので火葬後の遺骨は
東京の火葬場のようにバラバラになっていない。
背骨や肋骨、腰骨などがそのままの形。これには僕も驚いたね。
その話をしたら、兄貴は逆に「なんだか嫌だなぁ」って怖気づいちゃった。

で、思ったより遺骨がしっかり残っているので骨壷が小さくてサイズ変更。
バタバタしたけど、その後は初七日を終えて告別式は終了。
みんなで従姉妹の家まで移動して、遺骨を安置してやっと万事終了。

皆で夕方まで居て、色々とお喋りしながらお墓の手配や
納骨の予約まで済ませて、翌日は仕事なので解散となった。
皆が一気に帰ると、従姉妹が一人で寂しくなるだろうと
舎弟の従兄弟が最後まで残って・・・・・

帰りは高速道路を使って一時間弱で帰宅。
皆が帰ったら、急に寂しくなるだろうな・・・・
なんだか、そう考えると居た堪れなくなっちゃって
帰ってから、暫くしてから電話した。

「これからは僕の妹だから、何でも相談しろよな」って話をした。
実際、2歳の時に僕の膝の上で遊んで、大人恐怖症を解消した従姉妹。
そんなことも有って、僕の事を「ゆう兄ちゃん」って呼んでいたくらいだから、
従姉妹もそう言われる事に違和感は無いみたいだし、
僕は僕で、従姉妹の事を一番下の妹みたいに思って居る。

叔母が亡くなって、僕に新しい妹が出来た。
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『お清め』の夜

2010年11月29日 | Weblog
今日は夕方から先日亡くなった叔母の通夜。
僕は昼で仕事を終えて、一旦家に戻り着替えてから出発。
電車で行くのも考えたけれど、帰りの事を考えて車で行くことにした。
従兄弟が、一緒にホテルを取ってくれて、翌日の告別式も
ゆっくりと出かけられる。

通夜の時間になっても、叔母の兄上である叔父さんが来ない。
どうやら従兄弟が前日に『親族は16時半に集合』という話を、
電話で確認したのが逆効果で、六時半と間違ったんじゃないかって・・・・。
でもね、土曜日に叔母の納棺で集まって、その後にお茶を飲んだ時に
ちゃんと話をしたのを覚えているから、やっぱり叔父さんがまちがったのか?

従兄弟と僕は『大人の振りして珈琲にする』って、言ったのに対して
叔父さんは美味しそうに『クリームあんみつ』を食べていたので
また僕と従兄弟で『叔父さん、あの時あんみつに夢中だったんだよ』
なんて、皆が心配してハラハラしてるのを笑いでほぐしたり・・・・・
その他に手違いが多々あったけど、まぁそれなりに終了した。

従兄弟と僕は、通夜が終了した後にホテルへ行きチェックインした後に
『お清め』と称して、越谷市内の繁華街へ繰り出した。
かつて従兄弟が暴れまくった越谷の町で、黒服の呼び込みのお兄ちゃんが沢山居る。
僕も従兄弟もノータイの黒服で人相も悪いので、やくざかチンピラにしか見えないから
お兄さん達も、全く声をかけようとしない。

で、2人で居酒屋風の店に入って、ビールで『お清め』。
つまみは「君のお勧めを4,5点持ってきて」と、お店のスタッフにお任せ。
その後はウィスキーの「フォアローゼス」のソーダ割りを頼んで3,4杯飲んだかな?
それで「意外と上手いな・・・」って言いながら、
「次はシーバスのソーダ割にしよう」って頼んだら、
なんと今まで飲んでいたのがシーバスだったらしい。
「お前も酒の味知らねぇなぁ・・・」って、2人で大笑い。

亡くなった叔母の話になって「俺が最初に女性を意識した女」って言ったら
なんと従兄弟は僕の姉が「最初に女性を意識した女」だって言う。
叔母の一人娘が天涯孤独になるのが心配で、
僕が勝手に我家の墓に埋葬するって決めた事を話したら、
従兄弟も「それで安心した」って、今後は一人娘の従姉妹を気にかけて
僕らと同じように、いつも兄弟みたいに扱おうって話になった。

従兄弟と『一緒に酒をじっくり飲むのは初めてだな・・・・』なんて言いながら
あれやこれや、話しているうちにお店がおしまいになっちゃった。
明日もあるので、二日酔いにならない程度で・・・・
といいながらウィスキーのソーダ割を7,8杯飲んだのでいい気分。

明日の告別式は、身内だけで済ませるから何となく寂しいかな?
大好きな人が、また一人居なくなっちゃった。
また、涙が止まらないんだろうな・・・・・格好悪い・・・
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ナイスゲーム!

2010年11月28日 | Weblog

市民リーグの最終戦。
今日は若手チームから二人の助っ人を呼んで14人。
前半はオヤジたちでやれるところまでやって、
後半は若手にチェンジしてもらって、勝ちゲームで終わる計画。

相手は2部から落ちてきた若いチームなので簡単じゃない。
おまけに最終戦は「背番号10」をつけて、FWをやるつもりだったのに
GKが来ないので、結局僕がゴールキーパーをやることになった。
相手チームのユニフォームカラーと、どうしても重複するので
サブのユニフォームを上に着て、結果的に「背番号10」。

なんだか格好悪いし、不本意だけど仕方が無い。
勝つにしろ、負けるにしろ試合が途中で決まってしまったら
誰かと交代してもらおうかと思ったけど、それも面倒臭いので
結局、僕がGKをやることにした。
膝も先週、練習中に痛めて、まだちょっと痛かったしね・・・・。

試合は前半、上手く守っていたし攻撃もなかなか良い感じで攻めていたのだけれど
ちょっとしたディフェンスのミスで、裏を取られてしまい
僕と相手FWが1対1になってしまって、僕が下がってしまった瞬間に
シュートを打たれて、足の先に何とか当てたのだけれど
無情にも、ゴールマウスの中にボールが転がって入ってしまった。
そのまま、前半は1:0のまま終了。

後半は若手の助っ人を投入。この二人は都リーグで活躍する攻撃的MF。
それと後半から右サイドに、とにかくガッツのあるDF、カズヒトを投入。
ラインを下げず、後半開始15分にこのカズヒトが後ろから駆け上がって
こぼれ球を強烈なシュートで枠を捉えて同点。
ところがその後、攻めればいいのにまたDFラインを下げた時に、
また簡単に一点奪われちゃった。

その後、攻めるしかなくなった我々は、後ろに一人残して攻撃に転じる。
横へのパスで相手を揺さぶって、外から中へ入れて中で勝負。
残り10分のところで、また悪い癖が出た瞬間に前半と同じ1対1になった。
これ以上点を取られると、残り時間からして負けが決定的になるので
前半のミスを生かして、思い切って前に出て勝負に出た。
それに焦った相手FWのシュートが僕の身体に当たり、思惑通りゴールを守れた。

そして今度は、相手ペナルティーエリアの5m前でFKを得る。
この位置のFKの決定率が5割以上の助っ人が蹴る。
ところが壁が立たないので、得意の壁越しのシュートではなく普通のFK。
惜しくも枠を外してしまった。

残り3分、サイドから上げたボールを中でFWが競りあって、
こぼれて来た球を、うちのエースが押し込んで同点。
そして最後は、もう一人の助っ人がサイドからドリブルで相手を抜き去って
中に居たIKUYAに、センタリング。
これが絵に描いたような、ドンピシャのシュートとなってついに逆転。

その後、試合終了のホイッスルが鳴って最終戦を見事な逆転勝ちで終了した。
サッカーの試合で3:2で勝つというのは、やる者の醍醐味。
点を取り合って最後に勝つ・・・・というわけで、それが出来てみんなご機嫌。
僕も1対1で一点防いだし、助っ人の二人も本当に楽しかったみたいで良かった。

交代した後にベンチから、細かい指示を出して結果的にそれが勝利につながった。
FWも取るべき人が点を取り、後ろからゲームを組み立てたK玉も良いパスを出し続けた。
最終戦は、試合終了の挨拶の時に審判が『ナイスゲームでした』とコメントするほど
良い試合内容で終わった。

また、来年もこの笑顔が何度も見れたら楽しいだろうな。
とりあえず『終わり良ければ、全てよし』の試合でした。
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叔母の旅支度

2010年11月27日 | Weblog
今日は一昨日、亡くなった叔母の納棺。
夕方から、叔母の兄姉である叔父と叔母とその子供の従姉妹に
僕と弟が加わって、叔母を送り出すための身支度を行った。

僕と弟は祖父母と親父の時に経験しているけれど、
他のメンバーは身内の身支度は初めて。
かと言って、我家の親戚の葬儀はいつも皆が陽気に振舞って
メソメソする事無く、冗談を言いながらというのが通例。

決まってお笑いを言う役割が決まっていて、僕はその一派。
ふざけてるんじゃないんですよ。
亡くなった人を、みんなで送り出してやるのに暗い雰囲気を作るのは
我家の家系ではみんな、好まないのです。

叔母が「豆ちゃん」と呼んで好んで使っていた、ソラマメの枕を使わせて
お棺の中に一緒にいれてやったのだが
『絵的にちょっと変だよなぁ・・・・』と言って、みんなで笑う。
娘が最後に口紅を引いてやった時も、
『プルプル系の唇になっちゃったなぁ・・・・』とか
他人が見たら、不謹慎に見えるだろうけれど、うちの家系の葬儀は
いつも笑いと笑顔を絶やさないように、皆がして居る。

脚絆のヒモを結ぶ時に『かた結び』にしたり、足袋を逆さに履かせたり
色んなしきたりがあるのも久しぶりに聞いて思い出したり
三途の川を渡る旅で遣うお金を入れる袋を『ずた袋』と呼ぶのを聞いて
ちょっと驚いたり・・・・・

『ずた袋』って、肩掛けのバッグや首からぶら下げるバッグを
お袋がそう呼んでいたから『ずたずたにボロい袋』の事だと思ってたんだけど
本来、『頭陀袋(ずだぶくろ)』って言って、僧侶が衣食住の欲を払い落とす“頭陀行”を行う時に用いるものだったらしい。
ここでも『へぇぇぇ』なんて、感心しながら間抜けな空気が
皆の居る空間を和ませていた気がした。

それでなくても、叔父が用意した戒名の書いてある布を見たら
なんだか込み上げてきちゃったり、やっぱり和んでいても、楽しい訳じゃない。

斎場の関係で、月曜日まで通夜が延期され告別式が終わるのが
火曜日なので、休暇を取って叔母を送り出してやるつもり。
告別式は身内だけでという事だから、一人っ子の従姉妹は
寂しいだろうし、僕らもそれは本意じゃない。

儀式が終わって納棺して、叔父さんを囲んで近くのファミレスで
昔話に華を咲かせて、通夜にまた集まろうと言って別れた。
僕は弟に最寄の駅まで送ってもらって帰って来た。
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そんな年頃になったんだなぁ・・・・

2010年11月26日 | Weblog
昨日は叔母が亡くなって、休暇を取った。
叔母の娘、つまり僕の従姉妹に当たるんだけれど、
父親のDVに遭って、2歳の時に父親から逃れて年末に我家に逃げて来た。
叔母が子供だけを抱えて、着の身、着のままという感じだった。

酷いDVに遭った従姉妹は、いわゆる男性恐怖症になっていて
オヤジや僕、弟の顔を見るだけで泣き出して、見ていて切なかった。
その頃僕は、19歳で高専の卒業試験も終えて、卒業論文を書いて
提出した後で、年末から卒業式のあった2月上旬まで、殆ど家に居た。

ある時、従姉妹が母親に連れられて買い物から帰って来た時に
僕が茶の間に居るのを見て、いつも通り怖がったのだけれど、
返って来る前に、毛糸の手袋で人形を作っておいて、
それを抱っこするようにして、動かして見せたら興味を持って
今まで怖がっていた僕の傍に近寄って来た。

それがきっかけで、従姉妹は僕に対する警戒心がなくなったみたいで
お袋や姉貴と言った女性以外で、唯一遊んでやれる男性になった。
それから、毎日膝の上に乗せて遊んでやったり、一緒に外を散歩したり
僕に話をするようになって、僕も従姉妹が可愛くて仕方が無かった。
相変わらず、弟やオヤジには一切近寄らず、母親が仕事から帰って来るまでは
ずっと僕が面倒を見ていた状態だった。

子供に暴力を振るう、叔母の旦那はいわゆる『ヒモ』みたいな男。
いつの間にか我家に居る事をかぎつけて、何度も訪ねて来たけれど
オヤジが一切面会や接触をさせなかった。
そういう状態になって、もしもの事を考えて叔母と従姉妹は
さらに目の届かない叔母の姉の家に引っ越して行ったのだけれど、
その時に、叔母と従姉妹が『ゆうちゃん、本当にありがとう』って
言いながら、ずっと手を振って別れて行ったのを思い出した。

従姉妹はそんな事はすっかり忘れてしまっているみたいだけれど
叔母はその事をずっと覚えていてくれて、以前にも増して僕の事を
気にかけてくれていたようだった。

その頃に僕が付き合っていた彼女の事を、叔母に相談した事があって
その時は彼女の事も気にしてくれて
『彼女と上手く行ってるの?』なんて、逆に励まされたり・・・・
彼女と別れちゃった時、叔母はガッカリしてた。

明日は叔母の納棺。
身内で集まって、あの世への旅支度をしてあげる事になっている。
なんだか、どんどん身内が減っているような・・・・
そんな年頃になったんだなぁ・・・・・って、ちょっと寂しくなる。
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『今まで本当にありがとう。』

2010年11月25日 | Weblog
また大好きな人の一人、叔母が亡くなった。
昨日の夜に連絡があって急遽、休暇を取得して朝から出かけたのだけれど
最寄の駅に着く直前に、亡くなったという連絡が入った。

「またかよ・・・・・」
6年前に祖母が危篤になって、会社から車を飛ばして病院に駆けつけた時も
たった30分の差で間に合わなかった。
昨日の夜に行こうかと思ったのだけど、後の祭り。
こんな時に、「たら」「れば」は本当に悔いが残るなと思った。

病室に入って、叔母の表情を見るとまだ生きていて
ぐっすり寝ているような穏やかな表情。苦しまずに済んだようで良かった。
寝ている叔母の頭を触ると、まだ温かく本当にタッチの差。
74歳とは思えないほど、肌も綺麗で本当に穏やかな最後だったみたい。
僕は額を撫でながら『今まで本当にありがとう。』って声をかけたら
涙が出てきちゃった・・・・・。

看護婦さんに、最後の支度をしてもらい娘の従姉妹が最後に口紅をさしてやる。
僕はそういう姿を見るのが切なくて、外で待っていたんだけれど、
従姉妹はもう一人の叔母と目を真っ赤にして部屋から出てきた。

親父や祖母の時の経験から、こんな一日は何故か時間が経つのが遅くて
それだけに一日が終わるとぐったりするほど疲れる。
友人のオヤジさんが亡くなった時に、葬儀の準備をしていた奥さんが
急死した事も有って、従姉妹より昨日の晩から付き添っていた叔母が心配で
『今日は一日が普段の5倍くらい長く感じるから、疲れないようにね』
って、叔母に休むように促した。

亡くなった叔母は、ずっと僕の事を気にしてくれていたらしく
親父の時も、祖母の時も、そして今はお袋の面倒を姉貴が看ているけど
それまではずっと僕が色々とやってきた事を知っていて
『いつも、ゆうちゃんばかりで本当に可哀想』といつも話していたそうだ。

結婚してから、連絡を取る事が少なくなっていたけれど、
いつも気にかけてくれたなんて、子供の頃から可愛がってくれていた叔母らしい。
斎場の関係で、通夜と告別式は来週明けまで待つ事になったが、
土曜日に身内が集まって納棺する事になった。
その時に『今までありがとう』ってもう一度声をかけてあげようと思って居る。
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嬉しくない休暇

2010年11月24日 | Weblog
先週末、20日(土)の日記【時には、『嘘』も必要】に書いた叔母が、
危篤状態で今日、明日が峠という連絡が夜遅くに入った。

先週の土曜日に見舞った時は、本当に奇跡的に元気だったらしく
その日以外は、急激に病状が悪くなり、今や呼吸も困難らしい。
僕が行った時、あんなにしっかりして話をしていたのが嘘みたい。
神様が、憧れの叔母に会って話をさせるために気を遣ってくれたのかな?
そんな訳で急遽、休暇を取る事にした。
嬉しくない休暇なんだけれど、仕方が無い。

明日は会社に行ってから叔母の所へ向かおうかと思ったけれど
やっぱり気になるので、朝一番で行く事に決めた。
最後に、会えたらいいのだけれど、また神様が味方してくれないかな?

僕と叔母は20歳違い。僕が中学生の時、叔母は32歳。
その頃、訳有って我家へ一時期身を寄せていた事があって、
僕は襖一枚向こう側に、素敵な女性の叔母が寝ているのを
ドキドキしながら暮らしていたのを覚えている。

小学校へ入った頃は、一緒にお風呂に入っていて、
ネックレスが凄く印象に残っていた以外は、女性なんて意識は無かった。
ところが思春期の僕に、32歳の叔母は眩しかった。
スケベな話になるかもしれないけど、僕はその頃叔母の事ばかり意識して
叔母がお風呂に入っている時は、妙に落ち着かなかった。
元々、モデルをしていたからスタイルも良かったし、
叔母は、ネグリジェ姿で寝る直前まで僕に色んな話をしてくれて
ネグリジェに透けて見える下着や身体の線が気になって仕方が無かった。
パジャマしか知らなかった僕は、そういう点でもドキドキしていた。
『女性』って言うのを意識した、初めての人だった。
今考えてみたら、映画の『青い体験』みたいな感じだね。

そんな叔母が、危篤状態。
最後に話が出来て、笑顔を見せてくれて良かった。
明日、もう一度叔母と話が出来て
『楽しい時間をありがとう』
って言ってあげられたらいいのだけれど・・・・
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やっぱり待っていたんだ・・・・

2010年11月23日 | Weblog
今日は午後から、寝坊した長女を学校まで送り届けて
その足で、お袋の様子を見に出かけた。
嫁さんと次女は、渋谷に買い物へ出かけた。
来年封切りの映画『鋼の錬金術師』の先行予約でもらえるグッズ目当て。

僕が実家に着いた時、姉貴はスカイプを使って、授業中。
いわゆるテレビ電話みたいなものだね。便利になったよなぁ・・・・
今は、インターネットの普及でオーストラリアと日本を簡単に繋いでしまう。

お袋の部屋には、ヘルパーさんが居て姉貴が仕事をして居る間を
見てもらい、そのお陰で姉貴は安心して仕事が出来る。
これを提案してくれた城西病院の体制が万全なのを確認した感じ。

僕は姉貴の邪魔にならないように、ソファに横になっていたら
いつの間にか眠ってしまったみたい・・・・
三時半になって、姉貴の代わりに駅まで買い物。
途中でお土産を持って実家へやって来た、嫁さんと次女とにすれ違った。

買い物は、頼まれたものが、なかなか見つからなくて手こずっちゃった。
夕方、部活が終わったら迎えに行くって長女と約束していたけど
間に合わなくて、長女は電車でくることになった。

実家に帰ると、嫁さんたちがお袋と話をしていた。
お袋は話をすると疲れたらしく、いつの間にか寝てしまったので
茶の間に移動して、長女が来るのを待っていた。

暫くすると長女が到着。
折角来たのだからと、姉貴がお袋を起こしてくれた。
お袋は姉貴の介護を受けて、トイレに立ったついでに
茶の間のソファで皆の話に加わった。
退院以来、茶の間に座ったのは初めてのこと。

実は、お袋は入院した時からずっと長女が来るのを待っていたんだよね。
ちょっと変った子なので、いつも僕が『あの子は変な子だから』と言うと
必ず窘められて、どんな時も長女の事を庇ってきてくれた。
進路についても、ずっと心配していて、いつも何かと気にかけてくれている。

そんな事も有るんだろう、今日は茶の間で皆のお喋りに混じって、
元気な頃のように笑いを誘って、陽気なところを見せてくれた。
ずっと、長女の事を待っていてくれたんだなぁ・・・・
本当は辛いのだろうけれど、長女が来たので元気を出してくれた。
ありがとうね。いつも長女と次女、とりわけ長女の事を
いつも心配してくれている、優しいおばあちゃんです。

余り長居をすると、また翌日に熱を出してしまいそうなので
7時になったのを見計らって、帰ることにした。
お袋は、またベッドに戻ろうとして、軽いめまいと息切れ。
やっぱり、無理してるんだな・・・・本当にありがとう。

子供達は、思いの外お袋が元気に振舞ってくれたので安心した様子。
それよりも、ずっとお袋が我家の子供たちを待っていたのだなって
そんな事を感じたのでした。
子供たちも、少しそんな事を感じ取ってくれたようで、
今日は良い一日になった気がします。
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面倒臭いから

2010年11月22日 | Weblog
今日は月曜日なんだけど、翌日がまた休日。
何となくやる気が湧かない。
スケジュールを見ると、なんと午後から一時間単位で4つの会議。

最初はクレーム対応の会議。
担当者が出ているので、僕は端っこで会議の様子を伺う。
クレームの対応策は、電気設計が担当で日程を決めるだけ。
ところが、担当者がなかなか対策を提示しない。
で、イライラして僕が『この会議で、何を決めるんだ?』って質問。
結局、僕が対策の内容をホワイトボードに書かせて、
『その内容なら、年内に終わるな』って言って、その日程で決定。
その場で会議が終了となった。
やる事がはっきりしてるんだから、最初からさっさと決めれば
15分で終わった内容だった。

続いて、今度は機械系のトラブル対応。
こっちは、僕がシミュレーションのアドバイスをした内容を関係者に説明。
僕が、その正当性を補足する役で参加したんだけど、なかなか結論が出ないので、
『大丈夫、これで駄目なら最初から考え直すしかない』と言って会議を終わらせた。

その後の会議は5分で終了。
その後、予定外の会議に参加して今度は『そんな実験は意味なし』
って、実験の見直しを指示して会議は終了。

もう一つの会議は、なんだったか?内容もくだらない確認のための会議。
こちらもさっさと結論を出して、終了させちゃった。

要はね、物事を決める会議なんて簡単に終わらせなくちゃ駄目なのよ。
それと、殆どの会議はやる必要が無いと思うような会議。
どれだけ会議好きの人間が会社に居るのか?って、いつも思う。
逆に議論しなくちゃいけない会議に限って、意見が出なかったり・・・・

面倒臭い会議は、さっさと終わらせちゃう。
翌日が休みのときは、特にくだらない会議は終わらせちゃう。
無駄をなくすという意味では、大事な事なんだけどねぇ・・・・・。
会議の回数、何とかならないのかなぁ・・・・
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あはは、やったぁ・・・最年長公式ゴール

2010年11月21日 | Weblog
今日は都リーグの最終戦。

人数も揃いそうなので、休もうかと思ったけど、
今年最後の試合なので、応援だけでもと思って出かける事にした。
と言っても、時間がわからない。確か午後からだったような・・・

それで早めに行ったら、グラウンドでは試合をやってる。
そうしたらそのチームの監督から声をかけられた。
そう、もう25年の付き合いになる『昭島ホリデー』のKさん。
『まだ、やってるのか?』って言われて、『現役だよ』って応える僕。
都リーグの試合前に、ホリデーの紅白戦があって、ちゃっかり混ぜてもらった。

15分くらいなんだけど、もしかして出番があるかも知れない
都リーグの試合のアップとして守備的な位置のボランチで加わった。
初めてのチームだったけど、意外とボールを回してもらえて
オマケにこの間試合をしたばかりなので、誰がキーマンか?
判っていたから、それなりにパス回しも出来て楽しかった。

ひと汗かいて、お礼を言って、年末に合同で練習試合をする
約束も取り付けて、続いて行われる都リーグの最終戦での出番を待つ。
相手は試合が成立する8人しか揃わず、大量点が入れば
もしかして出場機会が回ってくるかな?って、期待しながら
都リーグの試合が始まった。

ところが、試合が始まってみると全然点が入らない。
相手はトップに一人残して、6人でゴール前を固める。
それなのに、我チームは6人が後に残って居る。
6人に対して4人で攻撃では、普通にやっても点は入らない。
外から『二人残して全員で攻めろ』って指示を出しても一向に変わらない。
結局、11人で8人相手に前半は0:0のまま終了。

後半も同じメンバーで開始。
一点目が入って、やっとエンジンがかかったような感じ。
後半15分までに6点が入って、試合はほぼ決まった。
ここで控えに居たもう一人のMが、残り20分で出場。
五分後の残り15分で、キャプテンが『入ってください』と合図してきた。
お情けとは言え、一年間控えの人数合わせ要員として来た
僕に対する心遣いが有り難かった。

最初はディフェンスの最終ラインだったんだけど、途中からトップに交代。
残り時間を控えに居たMと、ロートルツートップで試合する。
最初にMが得点。すぐ横に僕ともう一人がフリーで居たのに
強引にシュートをねじ込んだ。
『愛がねぇよなぁ・・・』って、冗談を言いながら、Mがもう一点入れた。

皆、ゴール前に来て自分がシュートを決めるんだって言う迫力が出てきた。
そして・・・・・
後半終了の5分前に、僕のところへ浮き玉のパスが来た。
ワントラップも少しボールが浮いてしまったが、思い切ってシュート!
当たり損ないだったけど、それが功を奏して今日は再三好守を見せた
相手GKが、バウンドを合わせ損なってボールがゴールに吸い込まれた。

Goo~L!
公式戦で、公式記録に残るゴールを決めちゃった!
会社のサッカー部史上、最年長公式ゴール。
僕が尊敬してきた先輩達の記録を、また更新した。

試合終了の笛が鳴り、今期の試合は終了。
9試合で7勝1分け1敗の二位。一位は全勝で9試合で80点以上入れた
慶応BRBが優勝。このチームは、かつて天皇杯で何度も優勝している古豪。
最近、復活してまた上を目指して居るチームで、基本的にレベルが違う。
そのチームと運悪く一緒のブロックになってしまったのだが、
負けたのは、このチームからの1敗だけ。良く頑張った一年だった。

来年度以降を闘うには、良いチームになってきた気がする。
そんな連中に、出場機会を貰って点まで取らせてもらって、
なんだか、凄く気分の良い一日を過ごさせてくれた若手の心遣いに感謝したい。
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時には、『嘘』も必要

2010年11月20日 | Weblog
今日は、親父の妹の叔母の見舞いに行って来た。
お袋と同様に、癌に侵されていて先が短いと従姉妹から連絡があってのこと。
従姉妹も、お袋の見舞いに来てくれたんだけれど、
みんな揃って「近所まで仕事で来たから」とか、口裏を合わせて
言ってみれば、『嘘』をついているのです。

叔母は僕と20歳違い。叔母というより「○○姉ちゃん」と呼んできた。
親父と年齢が16歳離れている叔母は、親父の両親が若い頃に他界した関係で、
親父が面倒を見て、僕が子供の頃は一つ屋根の下で暮らしていた。
二十代の綺麗なお姉さんが自分の家に来たってイメージかな?

そんな関係で、小学校の頃の僕はよく一緒にお風呂に入ったり
叔母の部屋で遊んだり、一緒の布団に入って寝たりと、
凄く甘えさせてもらっていた。

その後、五年ほど別れて生活したが、叔母は失恋して、睡眠薬中毒になり、
再び親父が引き取って、また暫く一緒に暮らす事になった。
若い頃にモデルをやっていた叔母は、美人でスタイルもよく、
この頃は僕も中学で、叔母を女性として意識していた記憶がある。
と言うか、女性を意識するきっかけを作ったのが叔母だった。

結婚して子供に恵まれたが、今度は旦那が家庭内暴力で娘を虐めるので、
また僕の家に子供を抱えて逃げて来た。その時の子供はまだ2歳。
卒業後、舞台の仕事が無い日は僕が毎日、面倒をみていた。
その子は母親が仕事から帰って来る時間になると、玄関に出て待っていた。
なんだかそれが不憫で、出来るだけ寂しくならないように家族で面倒を見ていた。
そんな事も有って、何かと関わりの深い叔母だった。

そんな叔母が病魔に襲われ、元気なうちに会う為に、
『サッカーの試合で近くまで来たから、ついでに来たよ』
と調子の良い嘘をついて、叔母が変に思わないようにしたと云うわけ。
もちろん、叔母にはお袋も元気を取り戻して来春に生まれる
ひ孫を楽しみにしているって、ここでも『嘘』。
7年前に余命3ヶ月って言われたお袋が、元気に生きて居るのを引き合いに出して
とにかく、『生きるんだって気力が奇跡を呼ぶんだよ』って励ましてきた。

叔母の所からお袋の居る実家へ向かう途中、
子供の頃にお袋と良く出かけた浦和の町や別所沼公園の近くを通過。
東京オリンピックの時に、聖火を見に行った県庁前の道が
子供の頃と同じだったとか、実家に行って、その様子を話してやった。
勿論、ここでも叔母は元気だったと『嘘』をついて、思い出話で盛り上がる。

実家に着いた時に、姉貴が叔母の事は話さない方がいいって言ったんだけど
僕は『嘘』でも、叔母に会いに行ったことは話したかった。
叔母が元気だったという事以外は、『嘘』じゃ無いからね。
叔母の家は広くて見晴らしが良かったとか
2歳だった子と久しぶりに会って、大人になっていた事に驚いたとか
お袋も、姉貴と僕の話に混じって楽しそうだった。

こういう『嘘』は、ありだよね?
騙す『嘘』じゃなく、安心させるための『嘘』。
神様も、こういった場面の『嘘』は許してくれるでしょう。
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とりあえず、一区切り・・・・

2010年11月19日 | Weblog
3週間かけて、設計検討した装置の設計方針が決まり
今日は営業部隊に説明して、納得してもらえるかどうか?
そんな会議が午後にあった。
今回の開発は基本的に若手中心で設計を進めるので
営業部の反応も、若い人たちがどう受け止めるのか気になった。

結果として、設計の案は承認されたんだけれど、なんとなく釈然としない。
営業が考えるコンセプトや、その市場に売ろうとしてるのか?
我々はそれが全然判らない状態で、とにかく自分達が作りたい物を検討した。

で、会議の最後に釈然としない部分を質問したんだけど
答えを聞いて『なんだ、結局何にも考えてないじゃないか・・・・』って言う印象。
対抗会社の装置を意識しているだけ・・・・
なんだか若い連中も、同じような印象を持ったようでちょっと白けていたかな?

まぁ、それでも3週間、良く検討したよ。
少し自信をつけてくれたらいいんだけどね。
とりあえず、一区切り・・・・
タイトな日程だけど、若い人たちが頑張ってくれるでしょう。
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『同じ手口』・・・・

2010年11月18日 | Weblog
今日は電車が遅れて、いつもより一本遅い電車になってしまい
送迎バスに間に合わないので、一つ手前の駅から会社まで歩く事になった。

電車の中で、かつて同じ部署に居たS君にばったり遭った。
『ブログ、見てますよ』って言われて、びっくり。
聞くところによると、会社の中で僕のブログの読者が意外に多くて
S君も良く覗きに来ているそうな・・・・

どおりで、ここ半年くらい一日のアクセス数がコンスタントに150くらい
多い日は300~500なんて事も有った。
逆に、下手なことを書くと会社中に知れ渡る事になりそう。

S君に『今何やってるの?』って訊いたら
今は輸出管理の部署に異動になったらしい。
『えぇ・・・・?』って言う感じで、ちょっと驚いた僕。
S君は確か、応用研究の部署に居て、活躍していたはずなんだけど
彼も僕と似たようなところがあって、上のいう事を
ハイハイとは聞かないから、同じように干されちゃったのかな?

そんな事を訊く前にS君が、
『半年、何も仕事を与えないで居辛くする、同じ手口ですよ』
なんて事を言う。

『手口』って言葉は、犯罪に使われる言葉だと思うんだけれど、
それを会社の中で使うのは、僕くらいだと思っていたら、
意外にもこの言葉が結構、多くの人間の間で使われて居るのに驚いた。

S君の横には、かつて僕と開発を共にやっていた機械設計の人間や
同じ電気設計の、それもスペシャリストだった人間が、
いまや設計に関係ない部署で机を並べている。

その連中は、殆どが僕と同じ。
上司が気に入らないと、嫌がらせをして追い出してしまう。
そのやり方が、いかにも嫌がらせで傍で見ていても露骨で腹立たしかった。
僕は、そういう行為に文句を言うものだから同類にされてしまった。
そしていつもの『手口』に遭う。

前の部署を出る前に、表情や動作に覇気が無くなっていたことに
気がついていた人間が沢山居て、異動して環境が変った途端に
以前の元気が戻って、『やっと、元に戻った』って、
仲間内で噂されていたほど、酷い状態の時期が有った。

しかし、そういう事をやる一派が定年になって、
会社から居なくなるから、せいせいすると思っていたら
そういう奴に限って、雇用延長で会社に残ってるんだよね。

そういう人間と、関わる事になったら立場が逆になったから
同じような手口で、虐めてやろうかと思うけど、幸いな事に
そういう人間と関わらないで済んでいるので幸せです。

会社を駄目にする人間が、誰なのか?
本当の意味で和を崩して来たのは誰なのか?
そういう事を、キチンと見ていない、見ても見ぬ振りする部署が
組織を駄目にして行くことが判らないんだから困った会社です。

僕は今の仕事や会社が、本当に心底好きだったんだけどね・・・・
そうでなければ、後継者を育てようなんて思わなかったもの・・・・
上のご機嫌取りが得意な馬鹿や、阿呆が組織を運営するのを、
見ているうちに『この連中と同化したくない』
って思うようになって、いつの間にか、
会社からも仕事からも心が離れ始めてしまっている自分が居る。
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一番の阿呆は・・・・

2010年11月17日 | Weblog
今日は福生市議会議員の小野沢氏の市政報告会に出席。
氏は、僕を議員にしようと10年以上前から目をかけてくれていた。
僕もまんざらでもなかったけれど、いつもタイミングが悪くて
そういうチャンスをみすみす逃してきた。

実は来年の統一地方選挙に、ひょっとして出馬要請が来るかと
そんな予感がしていて、自分なりに準備していた。
嫁さんには『次に頼まれたら断る理由が無いから受ける』って言っていたし
劇団には来年の公演には出ないつもりだと、話をしていたし
この春から始めたサッカーチームも、実はサッカー協会の上層部に
顔を売って置こうと思ったのも、チームを作る時に頭にあった事だった。

市内のグラウンドを芝生に換える公約にして、長年の間、嘆願しても
なかなか実現出来ないで居るサッカー関係者の夢がかなうとなれば
サッカー協会と子供の父兄がバックに着くって思ったから。
実際、サッカー協会の総会に出ると
『顔の利く議員を協会で応援しよう』とか
『市の行事に大勢動員してサッカー協会の存在をアピールしよう』だとか、
市政とのパイプがあって市民球場をリニューアルしてもらえた
野球協会との差に、悔しい思いをしてきて居る様子。

そんな事を考えても、自分から『選挙に出たい』なんていう事を言うのは、
もし別の人が決まっていて断られたら、格好悪いしプライドが許さなかった。
前回に、人選の仕方に失敗したから僕に声をかけるのが遅かった。
会社の組合も、市政に社員を送り込む事を真面目に考えて居るなら
向こうから、声をかけてくるが礼儀だろうと考えていたしね・・・

ところが、そういう僕の事を知っていたのは去年役員を降りた一番の親友、
僕の良き理解者だったS元副委員長だけ・・・・
年に数回開いている、僕主宰のOB会『ハゲを増す会』でも
それとなく匂わせているのに、現役副委員長のI崎が全然気がつかない。
一番の阿呆は、その上に居る組合のM委員長。

結局、被選挙権を得られる10月までに要請が無いので、僕は
『もう、政治にパイプを持つことは辞めたんだ』と判断した。
それで、10月になって来年5月の劇団公演に出る事を決めた。
サッカーをやりたいから・・・・とか、色々理由をつけて、
はっきりとした返事をしていなかったんだけど、意味が無くなった。
サッカーは劇団と両立しようと思えば出来てきてるからね。

正直言って、結構真面目に『組合に恩返ししよう』と考えていたんだけど
当の組合にその気が無いのでは仕方が無い。
自分から『やりたい』って言った方が良かったのかな?
でも、こういう事って盛り上げ方とか有るからなぁ・・・・

とにかく、その目は無くなった。
今更、地元で市議会議員をやろうなんて思わないし、勝てるあても無い。
ちょっと、ガッカリしたし、残念な気持ちにもなった。
というか、どこかで何か自分の中でくすぶっている感じがする。
4年後にまた誰も出ないなら、年齢的な問題を無視しても
今度は自分から名乗りを上げてみようかなと思う。
定年直前で、周りは盛り上がってくれないかも知れないけどね?
まぁ、それまで会社に居れば・・・・
いや、その気持ちが続いていれば・・・・・だけどね。
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『いい加減にしろ』

2010年11月16日 | Weblog
僕は人が好き。
だけど、最近はそうでも無くなってきた。
今日は、仕事で使えない人間って居るんだなぁ・・・て思った一日。

会社のルールって言うものを全く理解していない20年選手。
今まで、何を教わって来たんだ?と、言う気力さえ湧かない連中。
ルール無視して、勝手に業者へ発注かけて、手配を担当する本社の部署は混乱。
挙句の果てに、その部署の親玉から「今後は自分達でやってください」
とまで言われて、今日は謝りに出向いた。

当の本人は連れて行かなくていいや・・・って思っていたら
ちゃっかり一緒に付いて来た。
それと手配部署に連絡をする僕の会社の部署から一人。
この人間も、結局のところ仕事のやり方が判っていない。
それで、先方のメンツが立つ方法を僕が提案して、丸く収まったかに見えた。

ところが、その会議で約束した事を忘れて、担当者がまたミスをする。
それで、先方から
「さっき決めた結論を反故にするような要求は一切受けない」と
メールが舞い込んでくる。

それで慌てて僕が電話で、誤りを入れて・・・・
結局、先方との間で「使えない人間は連れてこないで」とまで言われた。
実は、このことは僕も感じていたこと。

そして、混乱の現況である僕の部下が、また勝手に業者へメール。
この内容が、また先方を怒らせる原因になる内容。
僕は業者の担当者へメールを入れて、謝罪。
とにかく、『いい加減にしろ』
って、怒鳴りたくなるほど頭に来た。

会社の人事って、何を基準に配属先を決めてるんだろう?
機械工学や電気工学を学んで、大学を卒業してきたはずなのに
基礎的な事も判っていない奴が居たり、
社会人としての資質が備わっていない人間が居たり、
この間、社長に『お前もそういう事を言うようになったか・・・』
って言われて、宥められたけれども
僕のような、非常識の代名詞みたいな人間から見ても
勉強不足や認識不足の人間が沢山居るんだから、
会社の人事って、人を見る目がないなぁ・・・って思ってしまう。

人事部なんていうのは、人を見るのが仕事なのに
それが出来ないなら、そういう部署にそぐわない人間なんじゃないのかな?

とにかく、使えない人間って居るんだ・・・・って思うこの頃。
ストレスが溜まって、イライラしてばかりいる。
そうそう、そもそも僕を管理職なんかにする人事、
それが能力の無さを証明してるね。

会社って、面倒臭くて嫌になってきた。
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