『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

2015年回顧

2015年12月31日 | Weblog

今年も残すところあと少し。
いろいろな事があって、精神的には決して楽な一年ではなかったけれど、
何とか定年前の休暇にたどり着いて、息を吹き返した感じ。
本当にお世話になりました。

仕事は相変わらず干されたままで、ピッチに立てないサッカー選手のように、
気持ちが落ち込んで、挙句の果てに不眠症に陥ってしまい
精神科のカウンセリングを受ける羽目になりましたが、
カウンセリングを受けて、気持ちが楽になった。

仕事がなければ、好きなことをやっていればいい。
成果を出そうとか、会社に貢献しようとか、余計なことを考えず
居心地の悪いデスクで、楽しいことを考える毎日に変えました。

6月にカウンセリングをいったん終了。
それからは『カウントダウン』をしながら11月には定年前の休暇をとって
のんびりと生活できるんだと、心も前向きになりました。

項目別に一年を振り返ってみました。
★サッカー
・正月早々に昭島市のチャンピオンとして小平市長杯に招待チームとして参加。
決勝まで勝ち進んだけれど、決勝でミスが出て1-2で西東京選抜に惜敗。準優勝。
・昭島代表で三多摩大会に出場。町田選抜に敗れ敗退。
・昭島市壮年大会で優勝。この大会は公園直前で欠場。
・市民大会(8人制)で優勝。
・八王子代表との試合で1-2で敗戦。3年間保持したカップを失う。
・リーグ戦は7位で終了。

★音楽
今年は相方の事情で開店休業状態。来年以降の継続は微妙。

★芝居
・長年親しんだ青山円形劇場から、東京芸術劇場シアターウェストに会場が変わりました。
第24回公演『幸せの値段』で2日間で延べ1000人のお客様に御来場頂きました。

★フラワーアレンジメント
今年は後半になって、なかなか時間が取れなかったけれど、1週間に一度のペースで
色々とアレンジを楽しみました。
年末に正月用アレンジのワークショップに参加して、充実しました。

★病気・けが
・三多摩大会の試合でセービングの着地に失敗。
この時に右肩腱板損傷して、右腕が上がらなくなった。
リハビリに4か月要したけれど、いまだに右腕は動きが悪い。
・市民大会で相手が左手を踏み、いまだに痛みが取れない。
・左奥歯と親不知を抜歯。2か月間、痛みと戦う羽目になった。
・7月下旬に小腸炎で8日間の入院。

★イベント
・残った休暇を使って、2年連続でスイス旅行。
紅葉を楽しむ予定が、降雪に遭い真冬の景色になったけれど、
逆にスイスの冬山を満喫することが出来て堪能して帰ってきました。
・60歳の還暦を祝う同窓会開催。

色々あったけれど、会社以外の生活では楽しんで充実した一年でした。
元気をくれた劇団のメンバー、励ましの言葉をくれた多くの仲間、
同窓会の幹事会、プライベートの友人に感謝。
一番は、僕を自由にやらせてくれる家族に感謝です。

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一年で一番忙しい一日

2015年12月30日 | Weblog

12月30日って、一年で一番忙しい気がする。
今日は朝のうちに最後のゴミを出して、松飾を買いに駅まで出かけ、
帰ってきてすぐに、アパートの入り口のドアに飾った。
門に門松を取り付けて、終了・・・・
と言いたいところだったけれど、何かが足りない。
よく考えたら、輪飾りがない。
最近は、鳶の職人が作ったお飾りを売るところが無くなって、
正月の飾りは、スーパーでしか買えなくなった。

ところが、スーパーでは輪飾りを扱っていない。
だったら鳶の職人に任せろよ・・・・って思うんだけど、
スーパーって、なんでも人の仕事や、品物を奪ってしまうんだね。
結局、三鷹でいつも買うところで買うことにした。

肉屋で最高級の豚肉を1㎏購入。
今夜は久しぶりに『豚の塩しゃぶ』を作ってやることにした。

その後は、神棚と台所に飾るお札を貰いに、荻窪八幡神社まで。
帰りに郵便局へ行って、年賀状を100枚購入。
足りない分は、後で買えばいい。
年賀状の原稿は、写真を入れ替えるだけで済むようにしてある。

午後から三鷹の自宅へ戻って、家族で年末の買い出し。
いつもの松飾を買うところへ行ったら、今年は早く売れたそうで
我が家の分が残っていただけ。
子供たちが小さい時からの付き合いの、嫁さんと同世代の女将さんも
娘の顔を見るのを、毎年楽しみにしてくれている。
話を聞くと、輪飾りはやっぱり職人のところでしか手に入らないらしい。

お飾りを買った後は、ユニクロのバーゲンで子供たちの服を買い、
スーパーマーケットで、大晦日の夜に食べるお菓子を大量に購入。
大晦日は一年に一回だけ、食べたいだけお菓子を食べる日だからね。

帰ってから、僕が『塩しゃぶ』の支度をした。
昼間、何も食べずに出たので、みんなお腹が空いていたため、
この日は4人で1㎏の肉を、ぺろりと食べてしまった。

帰宅して、年賀状の原稿制作に取りかかったので終わったのは夜中だろうな・・・。
とりあえず、明日の午前中に印刷すればいつも通り。

何だか、慌ただしい一日だったけれど、逆に年末らしい。
すでに夜中になってしまい、日付は大晦日。
明日は今年を振り返ってみようと思うけれども、
そんな余裕があるかなぁ・・・・

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年末に思うこと・『一つの区切りをつける時』

2015年12月29日 | Weblog

お袋の日記は、亡くなる半年前に途絶えたものを最後になったけれど、
それまでに書き綴っていた大量な数の日記を、僕の秘密基地で保管したままになっていた。
それを見つけた最初の頃こそ、ずいぶん目を通したけれど、暫くしてからそれもやめた。
読んでいて、何だか悲しくなったというのが理由なんだけどね。

その日記を片付けようと、たまたま一番上にあった昭和62年の日記が目に入り、それを開いてみた。
昭和62年というと、僕が今の会社に入社した年。
その当時は、まだ独身でウィンドサーフィン三昧の生活だった頃。
お袋の日記には、『ゆうじくんは、正月から帰って来ない』とか、
一日に1回は、僕の事を記述してあった。
考えてみれば、その頃は兄貴と姉貴は海外に居住していたし、
弟も結婚し、相手の親と同居していて、兄弟で家に居たのは僕だけだった。

僕の家庭は父親が火災保険の営業をやっていて、何故か親父には
大口のお客さんが沢山居た関係で、地方の支店や営業所への
転勤が3~5年の周期で頻繁にあった。
兄貴と姉貴は東京勤務時代に生まれ、その後親父は宮城県の
仙台支店に転勤になり、東北大学病院で僕と弟が生まれた。

僕が5歳のときに埼玉県の浦和へ転勤になり、駅から2分くらいのところに
支店と併設した一軒家の社宅へ引っ越した。
兄貴は中学校進学と共に、お袋の実家である荻窪の中学校へ
祖父母の家から通うようになって、別々に暮らすようになった。
4年住んだ浦和から、今度は埼玉県熊谷市に転勤。そこで4年間暮らした。

4年後に今度は東京勤務になり、保谷市(現西東京)へ引っ越した。
姉貴はその時をきっかけに荻窪の高校へ編入試験を経て入学。
その後、弟が中学校入学をきっかけに荻窪へ移住。
兄弟3人は、祖父母の元から学校へ通うようになった。
そんな訳で4人兄弟で、一回も両親から離れず暮らしたのは僕一人。

親父は若い頃に両親を失い、お袋は一人っ子。
そんなこともあって、いずれはお袋の両親の面倒を看ようと考えていたのだろう。
お袋の実家である荻窪の家を建て直して、祖父母を含めた8人で暮らすことになった。

その後すぐに、兄貴は商船大学の寮に移り、卒業後は就職して家を出た。
弟も大学卒業後、長いこと付き合っていた彼女と結婚。
彼女の家は2人姉妹で、お姉さんが結婚して家を出た関係で、
彼女の両親と一緒に暮らすことになって、家を出て行った。

その間に祖父、親父が他界して、家は祖母、お袋、姉貴と僕の4人になった。
姉貴はずっと独身で過ごし、僕と一緒に暮らしていたが、
その後、狭き門の日本人学校の教員試験に合格してオーストラリアに移住。
現地で知り合った男性と国際結婚して、そのままシドニーに在住となった。

結果的に、僕が祖母とお袋と一緒に暮らすことになった。
僕が31歳のときに結婚し、初めて家を出た。
と言っても、家には殆ど居なかったんだけどね。

そんなこともあって、僕はお袋にとってずっと子供のまま。
一旦出かけると数日帰ってこない僕を、いつも心配して居たんだなあと
今更のように思う。

そんなお袋の心情や、開くと必ず『ゆうじくん』がどこかに書いてある日記。
僕の知らなかった心の葛藤が綴られている日記を、簡単には捨てられずに居る。
でも、来年はそういった物を整理する時期に来ている気がします。
過去を捨てるのではない、一つの区切りをつけるためにです。

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年末に思う事・『転換期』

2015年12月28日 | Weblog

今年も残すところ4日のみ。
年末は、ただ慌ただしいだけで、年賀状の印刷さえ未だに手付かず。
僕の場合は、毎年のように大晦日にならないと年賀状を書かないから、
あまり気にはしていないんだけどね。

昨日も書いたけれど、年末になってから部屋の模様替えをしていたら、
実家にあった古い物や、三鷹の自宅から持ってきた物やが沢山出てきたり、
最近では、会社から持ち帰った個人的な設計の記録などが有ったりして、
とにかく片付ける物が多いことに、ちょっとうんざりしてきた。

人生には、転機がいくつもある。
幼稚園に始まって、小学校、中学校と義務教育が修了し、高校、大学といった
『卒業』と云うイベントは、一つの転機。
社会に出て、僕のように転職を繰り返した人間にとっては、
その都度が転機だったと、ずっと思っていた。

でもね、転換期なんてものは、それまでのものを捨てて初めて起きる物。
そう言う意味では、学校の卒業なんてものは転換期になるのは高校以降。
僕のように転校を繰り返してきた人間はそうそう居ない。
殆どの人は、ほぼ同じ人間関係で中学校卒業まで過ごす。
だから、一旦虐めに遭うと、それがずっと続くことも希な事ではない。
言ってみれば、片付けたり棄てたりすることが出来ないことが延々と続く。
高校へ進学して、初めてそういった柵(しがらみ)から離れられるから、
人生での最初の転機は、中学卒業なのかな?

親が亡くなった時に、兄弟がやっと独立したと感じた。
僕が引き継いだ実家の存在は、その象徴的なものだった。
お袋が住んでいた頃は、正月になると兄弟がみんな家族同伴で集まった。
その理由は『お袋に会うため』だった。
ところがお袋が他界し、僕がその家を引き継いだ時点で、
兄弟が実家に集う理由が無くなった。
海外に住む姉貴が、その事実に気が付いて納得するまでに相当の時間がかかった。

僕が実家を引き継いでも、今まで通り自由に使えると思っていたらしい。
只でさえ、建て替えが必要だった家は、病気のお袋が建て替えを拒否した。
家族が引っ越して住むには、あまりにも古く無駄の多い家だったから、
建て替えを検討したのだけれど、そこに姉貴のために部屋を確保して、
いつでも自由に使って貰うようなことは、考えられなかった。

これが僕や兄弟にとって、親から完全に独立したという時だったと同時に、
それまで当たり前だった考えを、捨て無くてはいけない、
兄弟や家族にとって一つの転換期だった気がする。

会社の定年退職も、雇用延長して会社に残っていたら、
仕事のスタイルや収入が変わっても、生活のスタイルが大きく変わるわけではなく、
人生の転換期という感じではない気がする。
そういう意味では、定年後の転換期は『今の仕事を捨てた時』なんだと思う。

色々な意味で『捨てる』って難しいし、勇気が要ります。
仕事をリタイヤしたら、やることが無くて…
なんて言って会社にしがみついても、いつかは『転換期』がやってくる。
僕のように捨てるものがない人間にとっても、勇気が要るものだった。

でもね、物を捨てる勇気がない。
会社の資料も、古い写真や、実家にあったお袋の日記や人形などの品物も、
どこかのタイミングで捨てる時がやってくる。
来年は定年退職という一つの区切りで、そういったものを処分するつもり。
出来るのかなぁ?・・・・・

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秘密基地の模様替え

2015年12月27日 | Weblog

今週は部屋の模様替えをやってるんだけど、何かが出てくるたびに手が止まる。
昨日も書いたとおり、子供の写真やら思い出の品が色々。

秘密基地は実家の跡に建てたアパートの一部屋。
実家に有った物で、いまだに捨てる踏ん切りがつかないものが
大量に秘密基地のロフトや、納戸の中に納まっている。

実家に有った物のリストを書くと以下の通り。
☆着物
貰い手を捜したが、母親の体が小さかったので、
仕立て直しをしないと今の人には着られないものが殆ど。
☆人形
これは一番困っている。
そもそも、人形なんてお袋と姉貴のもの。
雛人形は明治時代の7段飾りのものと、姉貴の7段飾りが2式。
そのほかに博多人形や、こけしが大量にあるのです。
人形は顔があるので、ゴミと一緒に処分するのは気が引ける。
荷物の半分以上はこの手の物で、いつになったら処分できるのやら・・・・
☆食器
我家は最大時10人家族だったせいもあって、食器が異様に多い。
それでも、だいぶ処分したんだけれど、僕自身が食器好きなので
場所を喰って仕方がない。
食器棚のほかにダンボール3個分ほど、アパートの倉庫に眠っている。
☆写真
両親と家族の写真は、自分の歴史みたいなもの。
これはいつか電子化しようと思って取ってあるけれど、
なかなか出来ずに来てしまった。
写真だけでダンボール3個分ほどある。
☆日記
お袋の日記が大量に有って、これも捨てられずに居る。
中を見ると、親父が亡くなってからの事が書いてある。
特に僕に関する記述が多いのも、捨てられない理由かな?

そんなわけで、とりあえず秘密基地が物置から脱却できるかの改装。
もう、友人を呼ぶこともないだろうけどね。
そういえば、僕の家族も、兄弟も一回も来た事がない。
一番来ているのが、長女だけれど、それも数回。
嫁さんと次女は1回しか来た事がない。

片付いたら、家族で秘密基地に集まるのもいいかな?

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今年も残り5日かぁ・・・

2015年12月26日 | Weblog

今年も残り5日。
12月に入って、何だか急に一日が短くなった気がする。
これって、皆が感じる年末の慌しさなんだろうか?

僕は年末のこの時期に、部屋の模様替えをしています。
ロフトがある部屋なのに、ロフトが殆ど荷物置き場状態。
下に寝ると、寒いので畳の収納家具を買ってその上に寝ていたんだけど
これがあると、何だか凄く狭く感じる。
友達を呼んで、飲み会をやるには『居酒屋バージョン』

にして、結構重宝してはいたんだけれど、
最近はそういった飲み会もやらなくなった。

それで、ロフトの奥にある2畳サイズの納戸へ、畳の収納2個(120×60)を移し、
残りをロフトの壁沿いに2個半(60×180)を並べた。
残りはギターラック(4本を床において立てかけるタイプ)にある
ギターを壁に吊り下げることを、どうしようかと言うところまで来た。

僕は結婚したときから、部屋の床へはなるべく物を置かないことに拘ってきた。
秘密基地も最初はそうだったのに、生活しているうちに
妙に所帯じみて来て、雑然とした部屋に変わっちゃった。
畳収納家具が無くなっただけで、凄く広くなった気がします。

ただね、片付けってなかなか進まない。
写真が出てくれば暫く見ているし、ギターを移動しようとすると
ちょっと弾きたくなって、そのまま数時間弾いていることの方が多かった。

考えてみれば、引越ししたり、子供が生まれたり、親が亡くなったり、
人生の転換期には物を整理することが多いと思う。
それでも、思い出のあるものはなかなか捨てられない。
特に自分の場合、僕自身のものよりも、子供や親などに関わる品物のほうが
意外と処分しにくいような気がするかなぁ?

今回の荷物のほかに、会社から持ち帰った荷物も増えている。
これももう、要らないかなぁ?なんて思いながらも、
30年間の設計の記録や、メモ書きを簡単に捨てられずに居る。

こういうものは今後、二度と見ないと思うのだけれどね。

年内に部屋の整理が出来るかどうか?
正月前にすっきりしたいものです。

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仕事納め

2015年12月25日 | Weblog

といっても、僕には関係ない。
サッカーの蹴り納めのついでに、出向先の社長や上司へ年末の挨拶をして、
その足で本社で世話になった人のところへ顔を出してきました。

今日は出がけにちょっと手順が狂って、いつもより1本遅い電車になっちゃった。
会社の最寄駅に着いたのが11時58分。
そこからジョギングで約7分間走って、何とかミニゲームには間に合った。
と言うか、僕は走って行ったので体が温まっていて、丁度良かったくらい。

蹴り納めのゲームは、人数が多くてあまりボールに絡めなかったかな?
それでも汗をかいて、仲間と楽しい時間を過ごせてよかった。
新年早々に、昭島代表として招待されている『小平市長杯』制覇に向けて
いい感じでの蹴り納めが出来た気がします。

サッカーを終えて、昼ご飯を食べに昭島駅まで歩いて行って、
来客の接待で2時まで予定が入っているという社長に挨拶しようと
打ち上げ用の酒を2本購入して持って行った。

総務の取締役に挨拶をして、差し入れの酒を渡して社長室へ。
ところが社長は来客中のままらしく、仕方がなく自部署の若手に会って声をかけた。
それと、休暇に入る前に労いの言葉を頂いた取締役に挨拶。
隣のデスクにいた阿呆役員は無視。向こうも無視してたから気にしない。

3時まで待って、社長室のドアを開けたら社長が居ない。
探したけど居場所が判らないので諦めて、本社に移動した。
本社の常務は3時から4時の間だけ時間が空いていると言っていたので
約束してあったから仕方がない。

常務とは色々と雑談やら、仕事のことやら・・・・
あまり大きな声では言えないような事も含めて、
お互いに言いたいことを言って、1時間を過ごした。

常務と別れた後に、恩師である大御所に挨拶して、
帰りがけに資材部にいる『ハゲを増す会』のスパイ1号こと
資材本部長のところに顔を出して、年末の挨拶は終了。

夕方4時になると、もううっすらと暗くなっていた。
これから少しずつ、日が長くなって行くんだなぁ・・・・
そういえば今夜は満月だった。クリスマスの満月は何十年に一回らしい。

今年は色々なことがあったけど、去年ほどは辛くなかった。
冬至を過ぎた後に、明るい時間が少しずつ長くなるように
僕の気持ちや先行きも、少しずつ明るい方に向かっている気がする。

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クリスマスイブならぬ、最後の旗閉い

2015年12月24日 | Weblog

今日はクリスマスイブ。
昨日は自宅に戻ろうかと電話したら、長女は友達と出かけて夜も遅い。
次女は就活で、昨日も出かけて疲れて寝ていると言ので、行くのを止めにした。

今日は『クリスマスイブ』だけれど、嫁さんは仕事。
長女もアルバイトながら仕事に出かけて、次女も学校へ行き、夜まで居ない。

考えてみたら長女は23歳、次女も20歳になったばかり。
もう大人なんですね。
いつまでも家族で『クリスマスイブ』なんていう事は無くて当たり前。
親も、子離れしないといけないのかも知れません。

そんな訳で今日は、いつも通り好き勝手な一日。
午前中はゆっくり寝て、10時半にサッカーのジャージを着て、
車で会社に出かけた。
帰りに本社のロッカーにある荷物を持って帰る目的もあったのでね…。

途中、渋滞に巻き込まれ、会社に着いたのは11時50分。
それでも電車で行く時間とほとんど変わらずに到着出来た。
着替えて、いつも通りミニゲームをして、ひと汗かいて、
そのまま、ジャージを着て帰ってきた。
途中、同窓会の仲間から電話があって、帰宅が遅くなったけど
3時には秘密基地に帰ってきた。

朝から何も口にしないで居たから、ちょっとお腹が空いていたので、
セブンイレブンで野菜サラダと、お気に入りの『から揚げ棒』を2本買って、
帰宅してから、前の晩に作ったコーンポタージュの残りと、
トーストを焼いて、遅い昼飯。

今日は夕方から、組合の仕事納め『旗閉い』があるので出かける予定で居た。
定年退職前の、最後の『旗閉い』。
多分これが最後になるので、挨拶を兼ねて顔を出すつもりだった。
ただ、6時に始まるのに合わせて行くと、退社時間に重なって、
会いたくない人に会いそうで嫌なので、ひと区切り着くであろう
7時ごろに顔を出すように、時間調整して出かけた。

行ってみると、案の定半分くらいは帰った様子。
ところがそこに、意外な人間がいた。僕の一番弟子。
『なんで、お前がここに居るのだ?』と訊いたら、
奴は、係長会の会長をやっているらしく、組合員の代表的な立場。
それでも、僕が現れて明らかに
『あぁ、着ちゃった・・・・』と言う顔をする。
と言っても、僕と弟子の関係がいい時にしかこういうリアクションはない。

弟子もなんだかんだ言って、僕を立ててくれる、ありがたいですね。
今や弟子なんて言うほどの関係じゃない。
明らかに奴らの方が若くて、実力もあるのだから。

でも『旗閉い』に参加してよかった。
弟子と久しぶりに顔を合わせられたし、最後の最後まで手を煩わせた組合にも
挨拶することが出来た。
僕にとって、組合は『組織論』『リーダー論』を体で教わった場所。
組合員で無くなった後も、実は組合はそういう人の面倒をみている。
これは意外と知られていないし、そのために苦労している組合役員のことは
殆どの人が知らないでしょう。

僕は退職手続で、組合の役員にまた迷惑をかけちゃったみたいだし…
この件については、改めて書きましょう。

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あぁ、デブ街道まっしぐら・・・・

2015年12月23日 | Weblog

定年前の休暇に入って、早くも2か月。
朝は10時まで思う存分寝て、気が向いたらサッカーに出かける。
それ以外は、ほとんど秘密基地に立て籠もり、ギターを弾いたり
芝居の台本を読みふけったりの毎日。

ここへきて、何となく体が重い。
気になって血圧を測ってみたら、115-70と正常値。
心拍数も45前後と、相変わらず低い値。
それで、体重計に載ってみると、体重が74㎏、体脂肪率19%。
たった2か月足らずで、両方とも増えている。
デブ街道まっしぐら・・・・

4年ほど前に、思い切ってダイエットをした。
その頃の体重は84㎏、体脂肪率25%と明らかな肥満。
ダイエットを始めて、体重が68㎏、体脂肪率13%まで落ちた。
ところが、風邪などのちょっとした病気をしやすくなった。

この4年間でインフルエンザ、百日咳に罹患。
医者に『栄養不足』と言われて、肉を食べるようにして、
代わりに炭水化物を夜9時以降に摂取しないようにしたお蔭で、
多少体重や体脂肪率が増えたものの、体重は71㎏、体脂肪率16%を、
この2年ほど、ずっと維持してきたのでした。

休暇に入ってから、食事を一日2回しか食べなくなった。
動かないからお腹が空かないのです。
朝のトースト以外は、炭水化物もほとんど口にしないで居た。

次の仕事をする予定の事務所に、先月は頻繁に顔を出してきた。
行くのはお昼ちょっと前、帰りは5時半には帰宅する。
片道1時間半の道のりなので、最寄りの荻窪駅に着くと
すでに7時を過ぎていて、それから帰宅して食事の支度をすると
食べるのが8時くらいになってしまうので、つい外食。

外食と言っても、定番は『富士そば』のミニどんぶりセット。
かけそばに茶碗一杯の、天丼を食べるのが多かったかな?
この外食、以前も外食で体が太った経験がある。
今回も明らかにその悪い兆候が・・・・

それで先週から昼に会社まで出かけて、サッカーをやっている。
たった30分のゲームでも、ジョギングなどに比べたら運動量ははるかに多い。
これで体重が減るとは思わないが、少なくとも何もしないよりはマシ。

定年後は、運動不足をどう解消するか?
元気な老後の生活を送るには、これが一番大事な気がします。

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毎日、ぼけーっと過ごしているのがすごく好き

2015年12月22日 | Weblog

昨日は秘密基地に潜伏していた、引き篭もりの日だったけれど、
今日は一転して、外へ出ていろいろやった一日。

朝は7時に起きて、朝ごはん。
最近、太り気味なので珈琲にトースト2枚だけ。
一昨日の試合で着たユニフォームが、乾いてはいたのだけれど
部屋に移して、エアコンから出る暖房の風が当たる場所にぶら下げた。

10時になったので、運動不足解消のためサッカーをやろうと会社まで。
11時の直通電車に乗ると、11時55分に会社に着く。
着替えて、グラウンドへ一番乗りして、まずはボールを蹴り始める。
いつも通り12時10分にミニゲーム開始、約25分間のミニゲームで
走りまくって、2ゴール決めて終了。良い汗をかいてきた。

着替えて会社を出たのが12時50分。
たった1時間、25分間のゲームのために、片道1時間の道のりを往復。
それでも外へ出て、気の合う仲間たちとサッカーをやって汗をかく。
定年退職後は、こんな楽しい時間が無くなっちゃうんだなぁ・・・・
なんて、また少し後悔している自分がいます。

帰りがけに花屋に寄って、黄色いチューリップが目に入りました。
こいつ、また『連れて帰って』って話しかけてる。
他にカスミソウと、正月が近いので万両を買って帰ってきた。

夕食は低カロリーの豆腐のナベ。

我が家では冷奴ならぬ『煮奴』と呼んでいた代物。
鍋に豆腐を入れ、醤油とみりんを少々入れて煮込む。
これに削り節とネギをふんだんに乗せて食べる。
味は、温かい冷奴…と言う感じかな?
シンプルだけれど、僕はこの味がすごく好きです。

食後に『花いじり』
チューリップをカスミソウで包むようにして、万両を添える。

こんな感じで生けてみました。
チューリップの背丈を、少し変えた方が良かったかな?

毎日、ぼけーっと過ごしているのがすごく好きです。
定年後にまた仕事が出来るのか?
ちょっと心配になる、今日この頃です。

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引き篭もり?

2015年12月21日 | Weblog

今日は一歩も外へ出ない一日でした。

前日、サッカーの試合で疲れているはずなのに、なぜか夜になっても眠れない。
布団の中で、テレビを見ながらウトウトするけれど、眠れなかった。
結局、5時半になってやっと眠りについた感じ。(ここまでは覚えている)

考えてみれば、昨日はクラブW杯の決勝戦と広島が出場する3位決定戦の
放送があったことも、すっかり忘れていてニュースすら見なかった。
そもそも、自分がやるサッカー以外に大した興味がないので、
録画することも無いから、頭に全く無かったのかも?

7時に目覚ましで再び起きて、ゴミだけアパートのごみ置き場に置いてきて、
部屋に戻ってトースト2枚、コーヒー、バナナ1本とリンゴ半分をヨーグルトと混ぜて、
いつもより少なめの朝ご飯を食べた。

その間に洗濯物。
洗濯機の中に、昨日の試合で着たユニフォームが水につけたままになっていて、
洗剤と柔軟剤を入れてスイッチを押す。
洗剤は『アタックネオ』、柔軟剤は『クレア』を選択。
昨日の試合は人工芝だったので大して汚れていないからね…。

この間、僕の還暦祝いのサッカー大会で僕の『背番号10』を着た仲間が
『やなさんのユニフォーム、なんだかいい香りがするなぁ…』
なんて言われて、ちょっと誇らしいやら、恥ずかしいやら・・・・・

午前中にサッカーチームの仲間に、メールしたら11時。
なんとなく眠くなって、横になったら眠っちゃったみたい・・・・
目が覚めたら、2時過ぎ。

おもむろに起きて、アパートの通路を掃除してまた部屋に戻る。
たぶん、外に出たのは朝のごみ出しと、この時だけ。
部屋の中を整理していたら、古いサッカーのビデオが出てきた。
1997年、今のシニアチームのビデオ。
今は無き『昭和記念公園サッカー場』で、3部時代の試合。

たしか、この試合は僕が1ゴール1アシストして、2-1で勝った試合。
自分の絡むシーン以外は倍速で見たんだけど、18年も前の自分が妙に若い。
昔のユニフォームなので、お尻なんかプリプリで時代を感じる。
思いのほかパスがよく回っているし、よく走っている。

そんなものを見ていたら、目が回ってきてまた横になった。
気が付いたら夜7時。
朝飯の後は何も口にしていなかったので、さすがにお腹が空いた。
作り置きの豚汁にうどんを入れて、これが美味かった。
目が回ったのは、単純に空腹だったみたい・・・・阿呆です。

定年前の休暇は、用事がなければ今日みたいに外へ出ないことが多い。
運動不足のせいか、体重が74Kgと通常より2㎏増えているし、
体脂肪率も19%と4%近く、上昇しちゃっている。

定年後に心配していたのは、お金や仕事のことではなく、運動不足。
先週は試合前だったので、3日ほど昼のサッカーをやりに行ったけど
このままだと、また4年前の体重84㎏、体脂肪率25%の
『豚男』だった姿に逆戻りしそうです。

明日はサッカーをやりに行こう!
定年退職後は、夜にジョギングでもしないとダメかな?
駅前のスポーツジムで、エアロビクスやジャズダンスでも習おうかなぁ?
(下心なんかありませんよ)

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市民リーグ最終戦・『トリオ160』

2015年12月20日 | Weblog

今日は市民リーグの最終戦。
2週間前に50歳になった『怪人』I倉と、51歳の『ジュピロ』M宮、59歳の僕で
合わせて160歳の『トリオ160』が同時にピッチに立つという企画の試合。
劇団の稽古が、完全に被ってしまったので稽古はお休み。

ところが試合前に、来るはずのメンバーが一人来ない。
おまけにそのメンバー用のサブのユニフォームが行方不明。
そうなると出場できなくなるので、その場合は僕がGKをやって
背番号10はそのメンバーに使わせることにした。

今日の『トリオ160』を企画した郁也が難色を示すが、オーナーの僕としては
参加メンバー全員に楽しんでもらいたいから、ギリギリまで待った。
先発メンバーの提出時間になったので、とりあえず僕がGKをやって
試合を開始することにした。これで今日の計画は全てお流れ。

試合は一方的に支配する試合になったけれど、ちょっとしたミスで
一点献上してしまったのがご愛嬌。
試合は勇ちゃんの先制点で始まり、郁也が追加点を奪った後に、
いつもは20分で退く『ジュピロ』M宮が前半に得点を決める。
そして郁也が、この日2点目となる追加点をさらに奪う。

前半のうちに4-1とリードしたので、ここからはオーナータイム。
後半から『怪人』I倉と一緒に、僕がフォワードに入り、3トップに変更。
念願の『トリオ160』が10分間だけそろい踏み。

そのおかげで今年から加入したO崎が、一人だけ後半の途中からになっちゃったけれど、
そこは次のトーナメント大会があるので、フォワードで先発フル出場と言うことで、
納得して貰って、埋め合わせしようと思っている。

後半に入って、ゲームはさらに一方的になる。
僕が一点を奪い、5点目。
それをアシストし、役目を果たしたナベちゃんが封印を解き6点目を奪う。
その後は僕とI倉の絶妙のパス回しで、I倉が7点目を奪う。
これで『トリオ160』は全員得点と言う目標を達成。

その後は、後期絶好調の一仁が、ディフェンスのポジションながら得点を挙げ、
最後は『ゴリゴリ君1号』中原が得点して、試合終了。
終わってみれば9-1の圧勝で、今年最後の試合を締めくくった。

僕に何度もパスを出してくれた仲間に感謝。
それがなければ、逆に何点入っていたのか?と思うような内容。
それでも相手が弱いからで、まだまだ今のままでは他では通用しない。

年明けに招待されている小平市長杯も去年は決勝で敗れているし、
その後の三多摩大会も町田市選抜に敗れている。
11月下旬にあったAH杯でも、八王子代表に負けているので、
昭島市と言う狭いところで無敵を誇るシニアチームも、
一歩外へ出れば、普通のチームに様変わりしてしまう。

でも、リーグ戦はそういうシニア大会のための練習試合と思っているから
僕の場合は、市民リーグでは勝ち負けよりも内容を優先する。
それよりも大事なのは、全員が楽しみ笑顔で解散すること。
今日は出番が少なかったO崎が、文句も言わずに帰ってくれたことが嬉しかった。

今年も僕の遊びに付き合ってくれたチームメイトに感謝。
ありがとう。

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今日はまた、劇団の稽古

2015年12月19日 | Weblog

年明けに始まるであろう立ち稽古の前に、台詞の稽古をみっちりやっています。
今日は一回、通してセリフの稽古をやって、座長がそのたびに
セリフの言い回しや間のとり方、それに強弱を加えた喋り方を要求する。

セリフも言い方ひとつで、ニュアンスが変わるからね。
これは何も、芝居に限ったことじゃない?
語尾を上げると受け取る方の、感じ方が変わることがあったり
普段の生活で発する言葉にも、同じようなことがある。

芝居になると、妙に意識してしまう部分があるのかも知れません。
特に僕は、自分の喋り方が大嫌いなので、それが悩みの種。
太い声の人が、すごく羨ましく感じるのです。
だから、今回の芝居はできるだけ声を低く保とうと思っているのですが
芝居が進むにつれ、僕の怒りの感情を表現しなくてはならず、
そのあたりが悩みの種になっているのです。

今回の芝居は、意外と一対一のシーンが多いのです。
僕の場合は、弟役の石井君と絡む、2回のシーンがその一つ。
体調不良でずっと休んでいた彼が、久しぶりに出席して
二人で休み時間に、色々と話し合った。
まずは僕の考えを伝えて、それについて意見を交換する。

お互いにその場面をどう作ろうと思っているのか?
そういうことを判っていると、動きが加わる立ち稽古になってから
動きの意味も理解できたり、舞台の使い方も変わったりする。
うちの劇団は、基本的に場面での役者の動きについては、
よほどのことが無い限り、演出から細かい指示は出ません。
それだけ役者の自主性を重んじてもらっていると思っています。

今日は2回通して、稽古は終了。
座長と役作りについて、色々とアドバイスを貰いました。
明日は、僕のために仲間が集まってくれるサッカーの試合。
稽古の時間と重なってしまったので、稽古はお休みです。

また何か言われそうだけれど、ずっと前から決まっていた事なので仕方がない。
そう言う訳で、年内の稽古はこれで終了です。
年明けの立ち稽古までに、セリフをしっかりと入れておいて、
台本を持たずに立ち稽古に臨む予定です。

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『励ます会』がいつの間にか『ハゲを増す会』に・・・・

2015年12月18日 | Weblog

今日は『ハゲを増す会』という、組合役員の同期会。
組合の同期に役員を始めて、その後2期続けた仲間のうち、
現執行委員長だけが、組合に残った。

組合を離れても、組合の存在意義などを一般社員に広めようと
陰ながら色々と勉強させてもらった組合への恩返しや、
そして同期の中で一人残った仲間の手助けをしようと
定期的に現執行委員長を励ます会として、6人で発足したもの。

ところが15年もたつと、ご多分に漏れず年齢と共に頭部の様子も変わる。
仲間の頭を見て、最初は『ちょっとヤバくなってきた』と言うようになり、
最近ではオデコがM字になっているだけでなく、てっぺんも怪しくなってきて
下を向かせたらOMと髪の毛で書いたようになっている(笑)。
『励ます会』がいつの間にか『ハゲを増す会』となって行ったのも納得です。

いつの間にか12年の歳月が流れこの間に、メンバーが3人増えて総勢9人の集まりになった。
最年長で主宰者だった僕が、60歳の定年退職を迎えることになり、
この会で初めて定年退職する人間となった。

今日の飲み会は、僕の慰労会ではなく、春夏秋冬と年4回開く定例の集まり。
次回は僕の慰労会を兼ねて、熱海あたりで『合宿』の飲み会を
計画して、その件について話すはずだった・・・・。

しかし、それも全然進まずいつも通り会社の問題点などについて
真面目に話し合って、色々な提言や情報交換をする会になっていた。
皆が共有しているのは『自分の会社が好きだ』と言うこと。

良い会社である、大きな理由に『組合』の存在があること。
だからこそ、この会が12年も続いてきたのです。

一人残った仲間は、執行委員長になり、この秋に上部団体である
JAM東京・千葉の執行委員長にまでなった。
残すは上部団体JAMの執行委員長か、組織内議員として国会へ送り出すくらい。
そういう意味では、僕が主宰した『ハゲを増す会』の役目は終わった気がする。

しかし、この飲み会ははっきり言って阿呆です。
今日はウィスキーの『白州』をお店に3本用意してもらった。
いつもその店にある分、全部を飲み干して帰るから・・・・
今日も実質6人で、3本飲み切ってきました。

お店との付き合いも10年以上になる。
我々も『いつもの店で、いつもの時間』と言う連絡だけで、日にちを決めるだけ。
その『いつものお店』も、メンバーの顔を覚えてくれて、
今では名前を言わなくても、予約席へ案内されるほど・・・・
これは気分がいいですね。
それなりに金額は張りますが、食べ物は何をとっても文句無く美味い。
その上、5時間もダラダラ飲み出来る店は他になく、
コストパフォーマンスで勝る店はほかに見当たらない。

楽しい飲み会は、ちょっと飲みすぎましたが皆、いい気分で解散したのでした。

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異次元のサッカー

2015年12月17日 | Weblog

今日は珍しく、自宅でサッカーのテレビ観戦。
アジアで、絶対的な強さを誇り、ACLチャンピオンとなった中国の広州恒大と、
欧州チャンピオンズリーグを制したバルセロナの対戦。

MSNと呼ばれるメッシ、スアレス、ネイマールの3人のうち、
体調不良でアルゼンチン代表のエース、メッシが欠場したほか、
足の怪我で大事を取ったブラジル代表のエース、ネイマールを欠いたものの、
ウルグアイのエースストライカー、ルイス•スアレスをセンターフォワードに置き、
世界一のミッドフィルダー、イニエスタや、ピケなどの世界を代表するメンバーが
出場する、豪華なメンバーが先発に名を連ねた布陣。

試合はお世辞にも善戦したとは言えない、一方的な内容。
アジアで絶対的な強さを誇る、中国の広州恒大であっても全く通用しない。
パススピードも速く、そのくせトラップミスなど全くと言っていいほどない。
前後半を通じて、ピッチの半分しか使わないようなバルセロナのサッカーは、
異次元のサッカーに見えた。

こんなんじゃ、アジア代表がいくら頑張っても勝てないなって・・・・
よく言われる100年遅れていると言う日本のサッカー。
広島が頑張って準決勝まで勝ち上がってけれど、所詮は南米代表や
欧州代表のチームの練習試合程度のレベルにしか見えない。
アジアチャンピオンでさえ、バルセロナと戦うには実力不足。

ルイス・スアレスはストライカーだけれど、見ていると前線で
ディフェンスの起点となって、しっかりと攻守の切り替えスイッチを入れている。
スアレスの個人技に圧倒されて3-0でバルセロナの勝利。

やっぱり、アジアのサッカーは面白くない。
ワクワクしないもの・・・・

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