『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

恥ずかしい人

2025年01月15日 | ジジイの呟き
元アイドルグループでSMAPのリーダーだった中居君。
女性問題で法外な慰謝料を支払って、涼しい顔で会見したまでは良かったが
その後、どうなるんだろうね?
観覧客がいるバラエティー番組で自身の結婚観を話す時、
はたまたイベントでファンを前にトークをする時に決まって言い放ったのが
「俺は雲の上の人間だから」というセリフ。
“お前ら(ファン)にはどんなことがあっても手が届かない人間”であると、
テレビで見た際に『こいつ、はずかしい奴だな・・・』と思ったものです。

去年の7月14日のブログ『なんか、聞いていて恥ずかしい・・・』にも書いたけれど、
そもそも、この人に限らず「俺は雲の上の人間」みたいなことを自分で言う人は、
恥ずかしいのを通り越して、何だか哀れで、可哀想になってしまうのですよ。

かつて、このブログに頻繁に登場していた元上司の『生き字引様』も
その『はずかしい奴』の一人。
なんせ、自ら『俺は生き字引』と言って、威張っているだけで
若手に指導したり、さりげなく実力を披露する訳でもなく、
いつまでも『俺は第一人者だから』などと、さらに恥ずかしい言動をしていたものだから、
子会社に移動した直後に一度だけ、その『生き字引様』と技術的な会議で
顔を合わせる事になって、コテンパンにやっつけてやろうかと思ったけど
そんな場所で恥をかかせても、僕が後味の悪い気分になりそうなので
放っておいたら、暫くして『生き字引様』の立場が悪くなっていたらしく、
周りの人間から物笑いになっていたと、当時の仲間から話を聞いた。

いわゆる『裸の王様』ですね(笑)
笑われてもいいから、そういう人間にだけはなりたくないですね。
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自分なりの物差しを作る事

2025年01月13日 | ジジイの呟き
昨日のブログに、ご飯の炊き方の事を書きましたね。
御飯を炊く方法は、色々あるみたいですが僕は硬めの御飯が好き。
でも、気を付けているのは米の量と水加減だけ。
電気釜による炊飯はその二つしか要素が無いのです。

昨日、モモちゃんに訊いたらお米は計量カップで摺り切りにするという。
僕の場合は、計量カップで山盛りにしている。
これに理由が有って、計量カップで摺り切りにした後にトントンとカップを叩くと、
カップの中の米が摺り切りの位置より下になる事に気が付いて、
それで何度か試してみて、摺り切りの位置になる量を調べた事が有る。
そんな話をしたら、モモちゃんの実家で営んでいたお茶屋さんで
お茶の量り売りをする際に、袋に詰める時にお茶の袋をトントンと叩いて、
袋に詰めていたことを思い出したそうです。
それならば水の量を加減すれば同じこと、だと思う人が多いんじゃないかな?
確かに、それも正解かも知れません。

ただ、ここで言いたいのは、要は本などに載っている誰かが書いた
レシピ通りにやっても駄目で自分なりの物差しを作る事が大事だと。
自分の納得するものを作る際には、自分なりのこだわりがあって良いと思う。

これはご飯の炊き方に限らず、仕事などの全てに通じるものだと思いますね。
かつて僕が携わっていた電気設計の仕事でもそうだった。
設計でも、コピー&ペーストで図面を描く人が大半でした。
確かに同じようなものは作れる。
でも、新しく図面を描くという事は、何か他に理由があるはず。
つまり同じじゃないのに、コピー&ペーストを駆使して図面を描く。
コピー&ペーストするなら、それを採用する理由がはっきりしていれば
設計したのと同じで問題ないのですが
『以前のものと同じです』『今までこれで問題が無かった』
と、解らないから同じにしている人が殆どでしたね。

料理や仕事でも、マニュアル通りやらせる人や会社が多いですが、
それは自分の脳味噌を使って居ないのと同じです。
コピー&ペーストで同じものは作れないように、マニュアル通りやっても
そこそこのものしか作れないのは、どんな事でも一緒です。
物差しと定規の使い方の違いに似ているかも知れませんね。
定規:直線や曲線を引くときに使う
物差し:物の長さを測るときに使う・物事の価値を測るときに使う
「定規」「物差し」の言葉の定義です。
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芝居観賞

2025年01月11日 | ジジイの呟き
今日は池袋にある豊島区民センターの多目的ホールで開催された
<豊島区国際アート・カルチャー特命大使/SDGs特命大使 自主企画事業>
なるイベントの芝居、『太陽の王冠 第五期公演 WITHZZ』を観に行って来ました。
この芝居は、劇団の歌唱指導と演出助手をして頂いている石崎先生が指導していて、
元劇団員の山中君が出演しているという事で、案内が来たものです。

主催は塾花会(共催:金田誠一郎演戯塾)
芝居は『OZの魔法使い』を現代風にアレンジしたミュージカル。
舞台はいわゆる大道具となる立て込みのセットが無く、
バックのスクリーンにプロジェクターで画像を映したもの。
シンプルと言えば聞こえが良いけれど、何だか安っぽい感じ。
舞台デザインを元に、舞台セットを作る我々の劇団公演とは、
基本的に芝居に対する考えが違う気がしました。

肝心の芝居は、セリフのやり取りが巧妙で、良く聞こえた。
ただ、テンポがずっと一緒で、いわゆる『一本調子』のやり取り。
最初こそ心地よいのだけれど、そのうちに観ていて疲れて来る。
この芝居の演出を手がけた金田誠一郎氏の芝居は、何度か観ていますが
いつもこんな調子で、何だか独りよがりな感じをいつも感じます。
うちの座長がしきりに言う、台詞にもっと抑揚や間が有ったら違うんだろうなと思ったり。
他人の芝居を観るというのは勉強になりますね。

しかし、何故か芝居の内容は覚えていないのです。
帰宅したら、すっかり芝居の内容すら忘れている。
心に響いてこなかった・・・というのでしょうか?
良く『心に残る芝居』という芝居では無かったという事ですかね?
芝居が上手いというのは、テクニックのこと。
それは、ある程度学べば身につくし、そう言う意味では
演技の上手い人なんて数えきれないほどいる。
でも、人の心に残る芝居って、上手さとはまた別のものという気がします。

我々の劇団は間違いなく『ヘタクソな劇団』です。
でも御来場頂いたお客様に我々のエネルギーを感じてもらって
『俺も頑張ろう!』って感じて貰えれば・・・と思ってやっています。

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贅沢な悩み・・・かも?

2025年01月09日 | ジジイの呟き
今月で69歳になります。
という事は、どう考えても元気で居られるのは10年。
頑張ったとしても20年が僕の残りの人生だと考えている。

墓場まで金を持って行けないので、家族に残してあげられるのは、
不動産や有価証券くらいで、現金は殆ど自分のために使って居る。
と言っても、年金はほぼ全額が自宅で暮らす家族が使って居るので
僕の小遣いは、年120万円ほどの仕事の収入と、月5万円の個人年金。
これだけでも月に15万円になるから、小遣いとしては働いていた頃より
遥かに多い額になるけれど、生活費を差し引くと丁度いい程度かな?

秘密基地を建設していたここ数年は、この小遣いの範囲で
建設用の材料を購入していたので、金銭的な余裕はなかった。
でも、1年前にその作業もほぼ終了したので、今は少し余裕が出て来た。

そういう意味では『老後の生活設計』はうまく行っている気がします。
ただ、これからは生活を小さくして行かないとなりません。
大量に買い込んだ工具類も、この先は処分しないとならないし
一番ネックになるのは、ギターの処分でしょうね。
50年前に購入したマーチンD-35や、オベイションのエリートなどは

それぞれ10万程度にしかならない。
ヤマハのAEXシリーズや

Godinやマルチネスなどのギターも、買った時こそ高かったけれど、
いざ売るとなると全部でせいぜい50万円程度でしょう。
売るとなるとそれぞれに思い入れがあって躊躇してしまう。
でも、冷静に考えたら、もうバンド活動などやることは無いでしょう。
つまり、保有していても飾りにしかならないものになっている。
どうしたものか・・・色々考えています。

贅沢な悩み・・・かも知れませんね。
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正月休みも終わり

2025年01月05日 | ジジイの呟き
今日で9連休だった正月休みが終わりになって、明日から仕事始めの人が殆どですね。
僕のように一年中『毎日が日曜日』の生活をしている人間には
スーパーやお店が休んでいる以外は、年末年始と言っても生活自体に変化はなく
普段と全く変わらないんですけどね。
今年は仕事がそこそこ有るけれど、納期が先なのでゆっくりやるつもり。
のんびり、マイペースの生活は今年も健在ですね(笑)

しかし、今日は冬日らしく凄く寒かった。
東京でこんなに寒いんだから、能登半島の被災地は大変でしょうね。

東北の震災時は、復興支援で何度も東北へ足を向けたけれど、
そういった活動をしていた『The North Journey』の連中も、

能登半島の被災地に対しては、全く動くような気配がない。
東北の時に盛り上がっていた連中も、今となってみれば独りよがりで、
音楽の演奏をしても、地元のライブハウスの乗りを東北に持って行っただけで
地元の人から見向きもされず、聴衆は出演者ばかり・・・
結局は、被災者の喜ぶことを考えてイベントをやったのではなく、
自分たちの露出欲求を満たすのが目的だった気がします。

それに疑問を感じて、僕は『The North Journey』を離脱して
敬老の日に『ウェディングドレスを着て写真を撮る』というイベントを
独自に開催したりしたのだけれど、その時は地元の協力も得られて、
来場者も予定していた以上の人が集まり、新聞で紹介された。

何かをやる時には『誰のためにやるのか?』がハッキリしていないと、
人も集まらないし、集まった人の心も揺さぶれない気がします。
そういう意味では、僕らの劇団は目的がはっきりしている。
一生懸命芝居をやって、舞台の上に居る我々が楽しむことです。
その姿を見に来てくれる同世代のお客様に、我々のエネルギーを感じてもらう。

サッカーも同じかな?
こちらは自分たちのためですね。
勝ち負けに拘らず、まずは自分たちが楽しむこと。
そういう僕らのチームを見て『いいなぁ・・・』と感じてもらって、
羨望の眼差しで見られる事でしょうか?

今年はそういった目標がハッキリしたことを続けたいと思っています。
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2025年元旦

2025年01月01日 | ジジイの呟き
遅まきながら、明けましておめでとうございます。
今年も楽しい1年になるようにしたいです。
皆さんのご多幸をお祈りします。

今日は嫁さんと二人で、歩いて八幡神社まで初詣に行きました。
嫁さんが枯葉を踏むときのカサカサとした音を楽しんで歩いているのを見て
若い頃を思い出したりして、楽しかったです。
子供たちは別行動で、神社で長女の一行と遭遇したのだけれど
皆30歳を過ぎた大人になっていて、誰が誰だかわからなかった(笑)

自宅に戻ってから、年賀状を受け取って雑煮を食べて秘密基地に帰還。
僕の場合は、昔から年賀状は元旦に書くことにしているのだけれど、
最近はLINEでのやり取りが主流になった新年のあいさつ。
かつては200枚近くも出していた賀状も、今年は50枚足らず。

年賀状はメールやLINEなどとは違う、単なる挨拶じゃないと思うけれど
今はなんでも『簡単だから』『楽だから』と賀状を止める人が多くなった。
簡単で楽だから、気持ちが入らない・・・・というのが僕の考え。
写真にある賀状の、左側の空いた箇所には
たった一言のコメントでも、手書きで書きこんで送っています。
それを見て、こちらの様子を想ってくれたらと思いますね。

まぁ、そんな時代の流れに乗れない爺さんですが、
今年もよろしくお願いします。
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2024年回顧録その⑤:5年間『新秘密基地建設』を十分楽しめた

2024年12月30日 | ジジイの呟き
今年は4月に姉が帰国するのに合わせて、何とか『新秘密基地』を完成することが出来ました。

2020年の5月に、アパートの隣の空き家を購入したのが始まりで
その年の6月に2階の天井や
壁をぶち抜いて
1階の床を全部剥がしたりして

セルフリフォームが始まった。

去年の3月に、知り合いの娘にアパートを貸すことになって
既に一階がほぼ完成していた『新秘密基地』に移住することにして、
住みながら、気が向いた時にリフォームをしていたのですが
姉貴が帰国する際に、泊まれるようにと急ピッチで2階のリフォームを再開して、
床にコルクマットを敷いて何とか『新秘密基地』の内装が終りました。
リフォームを開始してから、丸4年かかったという事になりますね(笑)

4年の間に命の危険があった事も数回。
危うく電動工具で切腹する寸前になったり、

足場を踏みはずして2階の床を踏み抜いて、天井に穴を空けたり
と、色々ありました(笑)

その後、姉貴が居る間に兄弟の家族が大勢集まって
その人数が集まれる新秘密基地を作った事はそれなりに意味があったかなと思います。

さて次は何をしようか?
なんて考えていたのですが、冷静になって考えたら『新秘密基地』は
僕が元気なうちに売るなり、建て替えるなりを決めないとなりません。
そう考えるとちょっと寂しい気もしますが、
この5年間は本当に楽しく、『新秘密基地建設』を十分に楽しめたと思います。


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2024年回顧録その④:二兎を追うもの

2024年12月29日 | ジジイの呟き
今年は劇団の公演が12月だった事に加えて、主役だった事もあって、
怪我などをする訳に行かなかったので、9月以降はサッカーを控えていた。
9月以降はサッカーの大会が多いので悔しかった。
勝ち負けではなく、気の合った仲間とやるサッカーは
芝居と同じように、『一人では出来ない遊び』なので尚更です。

今回の芝居は主役という事に加え、最初から最後までずっと出番があって
休むと稽古が進まないので、公演までは芝居のみに集中していました。
その代償として、素晴らしい公演が出来た気がします。

でも終わってみて思うのは、僕にとって12月という公演の時期が悪かった。
前に書いた通り、9月から12月というのはサッカーの大会が多い。
サッカーが出来ない生活は、僕にとって凄くストレスになります。
今のチームはそのために作った、僕のオーナーチームでもあるからです。

出来る事ならば、公演は10月上旬くらいに終わらせたい。
ただ、そうなると稽古の時期が猛暑の7月から9月になるので
年寄りの多い劇団メンバーには厳しいですね。
理想は暑くなる前の7月までに、公演を終わらせたいところです。

来年は年明け早々に69歳になります。
残りの人生はそんなに長くはない事を思うと、『今できる事』をやりたい。
サッカーは体力的にも、そろそろ限界が来ている気がする。
芝居は劇団が存続しているならば、まだ10年以上は出来る。
そういう意味で、劇団を存続させることも重要ですが、
新たに自分のやりたい芝居が出来る集団を作る事も考えています。

そんな事を考えると、来年はサッカーをやる事を優先しようかと・・・・。
ただ、
二兎を追うもの、一兎をも得ず・・・・
にならないようにしないといけませんね。
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生活を小さくする事

2024年12月28日 | ジジイの呟き
『秘密基地』に移住して、早いものでもう2年近くになります。

たまたま、アパートの隣が袋地で
(右図1の黄色部分の土地のように他人の土地に囲まれて道路に接していない土地のこと)
僕のアパートが囲繞地(いにょうち:袋地を取り囲んでいる土地※下図参照)

のためこの土地を購入した人から、囲繞地通行権
(道路に出るために囲繞地を通行する権利。法的に認められている。)
を主張して裁判になり、僕が土地を購入することで和解した。
そんな訳で、この場所に建物を建てるにはアパートの土地を繋げて
建物を新築できるようにはなったけれど、今さら新築するには金がない。

そんな経緯で、4年もかけてコツコツと自分でリフォームしたのが『新秘密基地』
しかし、人気のある中央線沿線にある東京23区の杉並区の荻窪という事で、
知り合いからは、羨望の場所である処が自慢ではあります。
『秘密基地』は男の憧れである『自分だけの趣味の部屋』をアパートに作った事に始まり
今やそれを通り越した、ボロ屋だけれど『自分だけの趣味の一軒家』という建物。

ところが、冷静になって考えると、この生活をいつまでするのか?
が問題だと思い始めています。
僕が死んだら、土地を売るのも簡単には行かない。
それよりも、トランクルームと化している『新秘密基地』に保管している
捨てるに捨てられないでいる荷物も、そのうち処分しないといけない。

10年後には僕も80歳になるので、生活を小さくして行かないといけないなって
最近はこれ以上、『新秘密基地』に手を入れる事は止めることにしました。
この先、どうなるんでしょうねぇ・・・・(笑)


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今や秘密基地は、トランクルームと化している

2024年12月25日 | ジジイの呟き
気が付けば25日、クリスマスでした・・・。

家族と離れて一人暮らしするようになったのに加え、
子供たちを喜ばせる行事だったクリスマスも、娘たちが成人して、
家族でクリスマスを過ごす機会は、ここ数年で皆無になった。

そもそも、僕は無宗教でイエス・キリストの誕生(降誕)を記念する
聖誕祭、降誕祭、ノエル などと呼ばれるキリスト教の宗教的な年中行事には
興味が無かったうえに、通っていた高校がクリスチャンだったので、
尚更クリスマスは、自分には無縁のものと感じていたから、
バブル期に、『クリスマス』にホテルを予約して過ごすことに
血相を変えていた恋人たちの事も、
『馬鹿みたい』と、冷やかな目で見ていた記憶がある。

それでも秘密基地には、自宅のリビングに飾っていた
大きなクリスマスツリーや、テーブルの上に置く小さなクリスマスツリー、
玄関に飾る電飾類など、捨てられない物を保管してあって、
今や秘密基地は、さながらそういった物のトランクルームと化している(笑)

今年も残り1週間。
『毎日が日曜日』の僕にとって、妙な慌ただしさだけを感じますね。
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2024年回顧録その③:サッカー

2024年12月24日 | ジジイの呟き
今年はサッカーが思うように出来なかった。
図々しくも、熟年(O-50)のカテゴリの大会に出ようと思っていたら
2月にあった三多摩大会に僕は監督としては登録していたけれど、
選手の欄に名前を記載しなかったために、選手としては出る事が出来なかった。
昨年まで、同じ登録をして出場できたのは、運営側のミスだったとか・・・。

その日のために、昨年の暮れにお揃いのウィンドブレーカーを
登録メンバー全員にプレゼントして

大会の時にビシッと決めたかったのになぁ・・・

リーグ戦も、若い人を優先に出場させてきたのに加え、接戦が多かったので
勝ち負けに関係なく、点差が開いたら出場する『オーナータイム』も
今年は殆ど無かった。
リーグ戦の最終戦で、お情けで残り10分程度出場させて貰ったけれど、
ボールに触る事もなく、ただグラウンドに居て走っていただけ・・・

郁也が地元のグラウンドを確保して、何度かナイターでゲームをしたけれど
夏場の猛暑でリーグ戦などが延期になったりで、ボールを蹴る機会が少なかった。
8月以降は劇団の稽古が始まり、主役という事もあって休めない上に
怪我をするわけにも行かないので、ひたすら我慢の4か月だった。

サッカーの仲間と会うのは、試合に出なくても楽しいです。
年が明けたら、僕はすぐに69歳になるので大台にリーチ。
そんな爺さんでも、一緒にプレイしてくれる仲間をはじめとして
15歳年下の郁也には、いつも気をかけてくれるので心から感謝しています。
『俺の歳まで続けろ』
とチームのメンバーには言っているんだけど、
最近は郁也が
俺の方が先に辞めそうだぁ・・・ジジイ、いつまでやるんだよ!』
と、憎まれ口を言うようになりました(笑)

一番若いメンバーは、僕の孫世代の高校3年生で18歳。
親子で一緒に出場するのが、僕のチーム作りの目標だった。
小さな子供ではなく、大人になってから親と同じチームで、
ガチンコの試合に出場して戦う。
親父のアシストで得点したり、その逆だったり・・・
こういったチームは、他には無いんじゃないかと思っています。
残念ながら、僕にはサッカーをやる男の子が居ないので
親子で一緒にプレイする仲間を見ると、羨ましく思ったり。

身体が動くうちは、皆に迷惑をかけながら続けるつもり。
公式戦で得点するのが目標ですね。
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厄介な代物

2024年12月23日 | ジジイの呟き
厄介な代物と称した秘密基地の柱時計。
この時計はドイツ製のユンハンス(junghans)というメーカーのもの。
正確な話かどうかは分からないが、祖父が『戦利品』として何処かから頂いてきたものだと聞く。
この話が本当なら、この時計は買ったのではなく、奪ってきたものですね。
ちなみに、この時計は骨董品屋が8万円の値をつけた代物です。
という事は、市場では少なくともその3倍くらいはするのでしょうね。

ゼンマイ式の振り子時計なので、1週間に1回はゼンマイを巻かないとならない。
オマケに、時間がしょっちゅう狂うのでその都度調整しながら使って居ます。

これは小学校の理科で習った通り、振り子の長さが長くなると周期が長くなり、
逆に短くすると短くなるために起きる、物理現象なので仕方がない。
機械式の金属製振り子が熱膨張などの影響で、気温によって周期が変化する。
夏と冬とでは時間の進み方が明らかに変わるし、冬は暖房を入れた途端に遅くなる。

これを加味して振り子の長さを調整するネジをほんのちょっと動かして
1㎜以下の錘の位置調整をして、時報通りに時計のチャイムを鳴らすのが
拘りというか、一つの楽しみにもなっている。

この作業をすることで判った事もある。
子供の頃に我が家にあった柱時計は、1秒間に1往復して1分60回。
ところがこのユンハンスは、測定したら1分間に50回だった。
つまり、デジタル時計の表示では合わせきれないのです。
一番確実なのは、メトロノームを1分間50回にセットしてそれに合わせて
振り子を同期させてみたのだけれど、それも長時間かかるので諦めた。
なので、今は気が付いたときに微調整をしながら使って居るのです(笑)

厄介な機械式時計だけれど、僕は逆に好きですね。
アナログの典型的な機械ですから尚更です。
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2024年回顧録その②:劇団公演

2024年12月22日 | ジジイの呟き
劇団の公演に去年まで使って居た東京芸術劇場は、
今年の1月から改修に入って、来年まで使えないため
今年は公演場所を新宿区にある箪笥区民ホールへ変えて、
休日が取れなかったので、12月の平日に開催することになった。

今年は出演者が10人と、過去最少の出演者。
今年の芝居が今までの芝居と明らかに違ったのは、主役がハッキリしていた事。
それまでの芝居は主役が二人居たりで、主役の存在感は今回ほどでは無かった。
今年の芝居は主人公が一人、主人公はいわゆる『朴訥(ぼくとつ)な男』

飾り気がなく無口で、実直で素朴な男としての役作りを求められた。

その周りに居る人達との関りで、生きる事に後ろ向きだった主人公の生き様が、
ダンス教師である、50年前の恋人と再会したことによって
その彼女にそそのかされて、不本意ながらダンスチームに参加する事になり

仲間に頼られるうちに、いつの間にか仲間の中心に居るようになって
少しずつ生きる事に前向きになって行くという話。

その主役を任された僕は、最初こそ今までと同じ感覚で稽古に臨んでいたのだけれど、
座長から
『枯れてないんだよなぁ・・・・エネルギーがみなぎっている』
と苦笑いされてから、そういった『枯れた人間』の事を考えたりした。
稽古が進むにつれ、自分の芝居に違和感を感じ始め、自分の役作りや、
僕の芝居が脚本にある人物像とは違って居る事に気が付いて、悩んだ。
台本を何度も読むうちに、自分の芝居にますます違和感を感じ始めてもいた。

そんな訳で、10月後半から夜中でも声を出してセリフの言い回しの練習を2~3時間、
秘密基地の利点を生かしてほぼ毎日、気が付いたら夜が明けていたことが何度もあった。

芝居はあまり動き回らず、ほとんど動かずに芝居をする事が多く
それだけに、顔の向きや立つ時の姿勢等を姿見の鏡に映してみたりもした。
ラストの5分間は、ほぼ僕独りの芝居だったので、舞台上の動きなどを
芝居で使うBGMに合わせて、黙々と反復練習する毎日でした。

そういった事もあって、今回は今までとは違った『やり切った感』がありました。
本番の出来の良し悪しはともかく、自分が出来る事は全てやったと自信を持って言えます。
その証拠に今回は、今まで一切見なかった公演の動画を見ようという気になった。
今までは、自分の芝居が嫌いで一切見なかったんですけれどね、
そういう意味でも努力が足りなかったのだ・・・と反省もしました。

来年の公演はまだ未定ですが、来年も今年と同じ気持ちで芝居に臨めるのかなぁ・・・・?
なんて、そんな事を考えてしまいます。
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『電動』と名の付く物

2024年12月21日 | ジジイの呟き
最近、電動と名の付く乗り物が蔓延っている。
電動アシスト自転車、電動キックボード、電動バイクといったものですね。
今は電動のアシスト自転車、キックボードは、自転車の延長で乗っている人が多く、
一方通行や信号無視、通行区分違反などを平気でやっている。
本来、原付免許はその名の通り『原動機付き自転車』から来るもので
自転車を漕がない状態では走行できないアシスト付自転車は『軽車両』。
漕がなくても動く電動バイクや電動キックボードは『原動機付き自転車』に分類され
基本的に免許証が必要なはず・・・
これが歩道を走ったり、一方通行を逆走して来たり、一時停止をしなかったり
まさに無法状態で使って居る人が多いですね。
警察に言いたい
『電動バイクや電動キックボードの取り締まりを強化せよ!』

僕の世代は基本的に『電動』と名の付く物といえば
電動ドライバーや丸鋸、のこぎりといった工具類のイメージが強く、
それ以外では歯ブラシや髭剃りという感じ。
僕が所有して使う電動のものはアパートのメンテナンスに使う道具

物置には草刈り機やチェーンソーの他に、高圧洗浄機やスチームクリーナーが収納してある。

2階の納戸にはリフォームに使った丸鋸やレシプロ鋸、
サンダー4個と電動ドライバーなどがごっそりある。
電動の髭剃りは髭の長さを揃える時にバリカンを使う程度で、
他は全部、一本歯のカミソリで手で剃っている(笑)

そういえば先だって、車の修理中に代車で借りた『NOTE e-power』。

いわゆる電気自動車で、運転には問題ないけれど、乗った感じは
『クルマ』というより電気で動く乗り物という感じで、
その運動特性にも馴染めず、全く好きになれなかったですね。


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アナログ人間

2024年12月20日 | ジジイの呟き
昨日も書いたように僕は『アナログ人間』。

『アナログ』は連続した量(例えば時間)を他の連続した量(角度など)で表示すること。
『デジタル』が連続量を、とびとびな値(離散的な数値)として表現するのと対峙した関係にある。
電気工学の世界では、情報を電圧・電流などの物理量で表すのが『アナログ』、
デジタルで表現できない部分の誤差分も加味して物事を判断する。
対して、誰が見ても同じ数値になる、数字で表すのが『デジタル』、
分かりやすく言えば、針で時刻を示す時計と、数字で示す時計の違いですね。

僕が『アナログ人間』なのを良く表しているのが家にある時計ですね。
僕は家の中の何処に居ても時計が目に入らないと気が済まない。
今、パソコンを使って居るリビングには

デジタル時計の他にテレビの時刻表示があって、

さらにアナログの代表格のゼンマイ式の柱時計と、

電池で動く針式の壁掛け時計が2つ掛けてある。
その他にも家の中の動線に、必ず時刻が確認できるように、時計だらけです。

デジタルの時計は正確なのですが、僕にとって時刻は感覚的なものなので
アナログの時計で『こんな時間かぁ・・・』的な見方しかしないので、
どちらかというと、針式の時計が好きですね。

20個近くある腕時計も、デジタル式のものは皆無です。

この中でもゼンマイ式の柱時計は、正確な時刻を示すためには
週に一回は、調整をしないとならないので一番厄介な代物です。

その厄介な作業については、改めて書きましょう。
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