『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

一生に1回の『華麗なゴール』。

2015年05月31日 | Weblog

久しぶりの試合。
と言っても、2月に右肩の腱板損傷してから、壮年大会は欠場したものの、
リーグ戦も2週間前に、15分間とはいえ予定外の出場をしたから、
ここでいう『久しぶり』は先発出場のこと。
おまけに、今日は過去に何度も対戦して負けたことがない、組みやすい相手。
いわゆる『お客さん』なので、僕はオーナー特権を利用して
『先発フル出場、ハットトリック』を宣言していた。

実際には、体力的に持つかどうか?肩の負傷も、医者からは
『絶対にGKはだめ!出来れば試合も控えなさい』
とまぁ、当たり前のことを言われていて、様子を見てやろうとは思っていた。

今週はそんな訳で火曜日に『フットサル』をやって思い切り汗を絞ったり、
このところ、炎天下が続いているので、その暑さに慣れる目的もあって
一週間、欠かさずにミニゲームもこなしてきた。

キックオフは昼の2時から。
この日の気温は5月の最高気温としては、観測史上最高の32度の真夏日。
それでも僕はあまり暑いとは感じなかったけど・・・・


相手が『お客さん』とはいえ、過去に何度も先制点を奪われて、
あわや・・・・という試合が、何度もあった。
この日も、攻めていながら点が入らないパターン。
僕が邪魔をしているかも知れないので、無視してやれと指示したんだけど、
風下ということもあって、ゴールネットを揺さぶれず前半は0-0で折り返した。

後半になって、いよいよ試合が動く。
まずは『オーナータイム』にするために、点を奪いに行く。
珍しく、郁也が気を遣って、調子が良いメンバーのために自分から交代を申し出た。
生意気な奴だけれど、気配りは人一倍する、いい奴。
こういう仲間が集まってくれて、みんなにはいつも感謝している。

試合は後半開始早々に、郁也に代わって後半からトップ下に入った、
N原が先制点を奪い、更にこぼれ球を拾って、ロングシュートを突き刺し2-0。
『こいつはきっとオーナータイム以前に、自分のハットトリック狙いだな・・・・』

その後は、エースナベちゃんがハットトリックを達成。
その後、僕が1点を入れて『オーナータイム』はひとまず成果を出した。
その後、後半から交代出場した、DFのヨッシーが1点。
終わってみれば7-0の圧勝で終わりました。

僕のシュートは皆の予想を裏切った、見事なゴール。
僕が下手糞で、前半は郁也やK玉の出す優しいパスに、
なかなかタイミングが合わせられなくて、シュートに持ち込んでも、
枠の中に決め切れなかったのだけれど、この時は違った。

僕が飛び出すのを見越してK玉が、ちょうどGK前で僕がフリーで受け取れる位置に
相手の間を通す絶妙なパスを出した。
僕はその瞬間、GKと1対1。
そのままボールを蹴ると、GKに当たりそうなので咄嗟にひらめいた。
後ろから来るボールを、右足のかかとの外側に当てて、GKの頭を越えるよう
フワリと浮かせた。・・・・・
これが、イメージ通りにGKの頭を越えた。
ボールがゴール前でバウンドして、転がる。
そのボールを左足のインステップで蹴りこんだ。
まるで、天才ストライカー『ルイス・スアレス』のようなプレー。

仲間は後ろでそれを見て
『あれ?・・・・行っちゃったよ・・・・(笑)』と、言っていたそうな・・・・
ツートップの相方、一人も『あぁ、またやられちゃった』と苦笑い。

多分、もう2度と出来ないし、そういう状況も無いでしょう。
一生に1回の『華麗なゴール』。

仲間はそれを認めながら、同時に思ったことは、
『明日からのミニゲーム、また暫く面倒くさいなぁ…』
だったのは、間違いないでしょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リハビリ⇒床屋⇒同窓会 多忙な一日

2015年05月30日 | Weblog
今日は午前中に肩のリハビリへ行ってきました。
毎週、土曜日の朝に1時間のリハビリ。
このリハビリが、とにかく痛いのは、前にお話したかと思います。

なんせ、僕的には1時間の間『プロレスの関節技』をかけられて
なおかつ、痛い個所をピンポイントで責められている感じ。
痛みに耐えかねて、柔道で関節技に『参った』する時に畳を叩く、
プロレスでは『タッピング』って言ったかな?
あれを、ずっと続けている感じです。

それでも先生は『ここ痛いですか?』と訊きながら、痛い個所を
ピンポイントでマッサージする。
マッサージなのか?虐めなのか?僕には後者にしか思えない。

でも、そう云った『荒業』の御蔭で、右肩はだいぶ良くなりました。
今では痛みこそ残っているものの、悪く無い左肩より動きが良くなった。
このリハビリも6月一杯まで続けるそうです。

リハビリが終わって、秘密基地へ戻ると体がクタクタになっている。
それでも、洗濯したり部屋の掃除をしたりで午前中は終わってしまう。

髪の毛が鬱陶しくなってきたので、昼過ぎに床屋へ行きました。
自分では4月の中旬に言ったつもりだったのだけれど、実際には3月下旬。
前回より更に短く、更に髪の毛の量を減らして貰った。
そして、前髪の処にピンポイントである白髪。
これはそのままにして、メッシュを入れたようにして貰った。

散髪中は、最初のカットをする15分だけで、すぐに爆睡・・・・・
カットが終われば、髪の毛にカラーを入れて貰ったりで、
寝ていても全く問題ない。
僕の行く床屋の椅子は高級な椅子を使っていて、2~3時間座っていても、
全く疲れない代物で、シートをリグライニングして貰うと、
本当に気持ちよく眠れる。
そんな訳で、この床屋での時間は、僕の癒しの時間にもなっている。

散髪が終わって、帰宅したら4時。
突然、電話がかかって来て『今日の幹事会は出られる?』

そうだった・・・・・今日は中学校の同窓会の幹事会だった。
すっかり忘れていたけど、こっちの会合はまた僕の癒しの時間。
中学の同窓生は、幼馴染み的なところが有って良い感じ。

中学校の同窓会は、五輪の開催される年に4年に一回開催していたのだけれど、
今年は皆、還暦になって定年を迎えるので1年前倒しして、
開催する事になった。
当初、予定していた11月7日は、高校の同窓会と重なるメンバーが多いらしく
結局、2週後の11月28日に開催する事で決まった。

それまでに事務的な事を手分けしてやる。
面倒でも、出来るだけ皆でやる事によって、一体感を持つ事以外に
いつ誰かが、居なくなっても、代わりができるように・・・・
そういう、この世に居なくなる人の事も考えないといけない歳になりました。

一杯やって、皆でワイワイ・・・・
このメンバーは『幹事会』と称した同窓会をすでに、毎年開いている。
親の転勤が多かった僕にとって、幼馴染と言う感じの仲間は、中学校の同窓生だけ。
だから僕は、この集まりが大好きなのです。

しかし、今日はリハビリ⇒床屋⇒同窓会と意外と多忙な一日でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やっと週末

2015年05月29日 | Weblog
週末になるのが待ち遠しい。
やっと週末・・・・と言うのが、最近の正直な印象です。
会社に居る時間は、僕にとって一番退屈でなおかつ不毛な時間。
デスクに居て、居眠りしていようが、完全に無視されているから、
誰も文句を言わない。
以前は『楽で良いね』と言われるのが、凄く辛かったのだけれど、
近頃は、開き直る事が出来て、自分で『楽で良い』と口にする。
それでも、僕の人生の貴重な時間を捨てている感じがする。

正月から4月末まで、毎週末は芝居の稽古が有ったので、
台本を読んで、台詞を覚えたりして居る平日の夜は、
あっという間に寝る時間になってしまったりで、意外と1週間が早かった。
ところが、公演が終わった途端に、そういう時間が無くなり1週間が長くなる。

今年は公演の後に14連休を取得したから、そう感じないかと思ったけれど、
休暇の間は、部屋でゴロゴロして居ても、退屈な時間に感じない。
寝ている時間なのだけれど、時間を無駄に過ごしている気がしないのでした。

今週は週末に試合が有って、今回は僕がオーナー特権のフォワードで、
フル出場して得点を狙うと、宣言して居たから昼休みのミニゲームの他に
夕方にフットサルをやったりで、充実して居たかな?

それにしても、やっぱりデスクに居る時間は退屈です。
本を読んだり、勉強したり・・・・
でも、勉強なんて目標が無いと身が入らないから、眠くなるだけ。
学校の授業と同じで、何となくやるものは身が入らない。

僕の会社での一日は、昼のサッカーのミニゲームをやる事に頭を巡らせるだけ。
『楽で良い』です。
だから、週末の金曜日が来ると嬉しくて仕方が無い。

定年後に『毎日が日曜日』になって、ボケちゃう人が居るらしいけど
僕なんか、毎日が『パワハラ』。
会社に居ながら『毎日が日曜日』なんだから、刺激的でボケようが無いのかも?

『毎日が日曜日』でも、給料はしっかり貰えている。
良い会社に居るって、感謝しないといけませんね。

さて、土曜日のお午前中は肩のリハビリで病院通い。
日曜日はサッカーの試合です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トレーニングシューズ

2015年05月28日 | Weblog

トレシュー、サッカーの練習用のシューズ、トレーニングシューズのことです。
今は、トレーニングシューズと言うものは店に置いて無くて、
フットサルのアウトドア用のシューズしか売っていない。
時代と共に、用具も変遷を重ねて進化しているんですねぇ…。

僕の会社のグラウンドは、元々は粘土質の土のグラウンド。
そのため、水捌けを良くするために少し大粒の砂がまいてある。
おかげで、雨が止めば3時間もすればグラウンドが使用できる。
ところが、晴れの日が続くと、表面が固まってサッカーをやるには
少々手こずるくらい、硬いグラウンドに変貌する。

そう言うグラウンドで、毎日サッカーをやると、膝に疲労が蓄積して、
僕のように膝に古傷を抱えている人間は、スパイクで練習しないで、
膝に食らう衝撃が少なくなるような練習用のトレーニングシューズを使う。

僕は、物持ちがいいのか?今日まで履き続けたトレーニングシューズは、
なんと、2年前に購入したもの。
ほぼ、毎日使っていたにもかかわらず、2年間も履けたのです。

僕の足は、いわゆる足の三重苦『ダンビロ、甲高、偏平足』の、ダンビロ、甲高。
アディダス、プーマと言った欧州系メーカーの細身の靴は、足に合わない。
それでも数年前までは、そう言うメーカーの本革のスパイクを購入して、
シューフィッターで目一杯広げて、なおかつ湿らせてから履いて、
自分の足にフィットさせてから、試合に使ったものです。

今日まで履いていたトレーニングシューズは、そういった本革のものなので、
普通の靴の倍以上の値段の上に、安売りしない品物だったから、
普通以上に大事に履いていた気がします。
とはいえ、2年もの耐用年数の品物を作ったメーカーの『ミズノ』には、脱帽です。

昨日、その靴が突然壊れた。なんと、靴紐を通す穴が裂けて、
紐が締まらなくたってしまったのです。
これは、致命的な壊れ方で直しようが無い。
それでも何とか履いて、ミニゲームに興じたのだけれど、
靴が足にキチンと固定されないから、ボールを蹴ってもコントロールが出来ない。
踏ん張れないから、蹴る以前にトラップも上手く行かなくなった。
2年間、良く頑張ってくれたトレーニングシューズとも、
いよいよお別れの時が来たようです。

それで、帰りがけに吉祥寺のサッカーショップD&M靴に立ち寄り、
2年ぶりにトレーニングシューズを新調しました。

購入したのは、前と同じミズノ製『モナルシーダFSAS』。
僕の足に合うトリプルEの、ワイドタイプ。
人工皮革で軽量とは言え、高校生の頃に購入したスパイクより安いんだね。
前の靴の三分の一の値段。
競技人口が増えて、製造コストも安くなったのですねぇ。

明日の昼のミニゲームで使うのが楽しみですが、天気の方が少々心配です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分の存在意義を感じたい

2015年05月27日 | Weblog

まだ5月だと言うのに、真夏日が続く。
連日の真夏日は140年の気象庁の観測史上、初めてらしい。

インドでは45度の気温で、死者も出ているらしいし、
東京湾にシャチの群れが紛れ込んで騒ぎになったり・・・・
どう考えても温暖化で、地球の環境がおかしくなっているみたい。

昨日は夕方から、3時間もフットサルをやってしまった。
体育館でやるので、膝や足首にかかる負担が凄い。
年寄りが、若い人と一緒にやるようなスポーツでは無いのかも?

その反動で、今日は体がクタクタ・・・・
かと言って、これで休むと筋肉痛が酷くなる。
そんな訳で、昼休みにいつも通りミニゲームをやりに本社へ出かけた。

ところが、やっぱり体が言う事を聞かない。
いつものように走る気力が湧かないうえに、膝が笑っちゃって
ボールのコントロールも間々ならなくて、凡ミスの連発。
昨日の『お手本』の上に『悪い』って書き足そうかと思ったくらい・・・・

さて、あと1週間で6月です。
うかうかしてると、いきなり定年退職が来てしまう。
雇用延長は今一つ、自分の存在意義を感じられそうもないし
かと言って、オファーのある会社に雇われるのも考えちゃう。
要は、組織の中で何かをやるのは、もう勘弁・・・・って言う感じ。

いずれにしても、お金を稼がないとなりません。
少なくとも、その日の食扶ちは稼がないと駄目かなって思う。
逆にそれだけ稼げば、良いのかなって思う。

自分で商売を始めたいけど、すぐに収入には結びつかない。
でも、自分のペースで仕事が出来るって言うのは魅力です。

ギター持って、旅をしながら色々なところでゲリラライブをやる。
これは東北の仮設住宅で実際にやってみたい気がする。
一人でも聞いてくれて、それで笑顔になってくれる人が居たら
僕の存在価値はある気がします。


僕にとって大事なのは、自分の存在を確かめられる事。
この2年間、会社に居ても『死に体』の状況。
居ても居なくても同じ。
僕にとっては、針の筵の上にずっと居る感じです。

そして、そう云う状況を、意識して作りだしているような、
『陰険』な組織、人間達とはおさらばしたいですねぇ。
御蔭様で、最近は慣れちゃって、気にならなくなりましたが・・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴールパフォーマンス

2015年05月26日 | Weblog

まだ5月だと言うのに、30度を超す真夏日が続く。
それでも、まだ湿気が少ないから助かっているけれど、
これから梅雨のシーズンを迎え、湿度が上がると、
暑さの質も全然変わって来るので、体を慣らすのが大変。

今日は昼休みに恒例のミニゲームをやりました。
会社のグラウンドは狭くて、正規のコートの半分しか無い。
そこに20人くらいが集まって30分間のミニゲームに興じる。

イメージとしては正規のグラウンドを半分にして縦長で使う感じ。
この狭いスペースに10人も居ると、トラップなんかして居ると
あっという間に敵に囲まれてしまう。
パスも狭いスペースを通さないとすぐにカットされたり・・・・

そう云う意味では、コンパクトなサッカーをするには良い練習。
うちのシニアチームが、他のチームと比べて圧倒的に強いのは
こう云ったゲームを毎日、同じメンバーでやっているせいでしょう。

それと毎日30分間、ゲームで全力疾走して居るのも大きい。
市民リーグは30分ハーフなので、体力的にも丁度いい。
相手が若いチームでも、後半になるとスピードが落ちるのだけれど
うちのチームはそれが無くて、前後半を通して、体力が落ちない。

まぁ、そんな訳でオジサンチームと若手チームが混じって
毎日ゲームをやっているので有ります。

僕は最近、練習で着るユニフォームによってポジションや
プレースタイルを変えて楽しんでいる。
そのユニフォームは、海外のクラブのショップで買ってきた
『本物のレプリカ』、いわゆるお墨付きの偽物です。

先週の木曜日に着たユニフォームは、数年前にACミランに居た
スウェーデン代表『イブラヒモビッチ』。背番号11。

これを着る時は、前でパスを受けひたすらゴールを習う。

そして翌日、金曜日は同じくACミランの『HONDA』。背番号10.

これを着た日は、右サイドをひたすら駈けあがり、パスを供給し
隙あらばゴールを狙うスタイル。

休み明けの月曜日は、バイエルンミュンヘンの『リベリ』背番号7。

真中から、サイドまで動き回り、ひたすら前に向かう。

そして、今日はマンチェスターユナイテッドの『スコールズ』背番号22.

本当は背番号18が欲しかったんだけど、現地で探させても無かった。
これを着た時は、守備的なポジショニングで、後ろからパスを受けて、
前に供給しつつ、スペースが有れば走り込んで、自らもゴールを狙う。

まぁ、これは遊びだから楽しいので、試合ではなかなか出来ません。

そこで今日はちょっとした遊び心で、アンダーシャツにマジックで、文字を書き込んだ
ゴールパフォーマンス用の仕込みをして、昼のミニゲームに臨みました。
それがこれ!

そして、その仕込みを披露出来ずに終わるのかと思っていたら、
最後の最後にチャンスが来て、真中の空いたスペースに走り込んだ。
そこへドンピシャのスルーパス。僕のトラップも完璧で
そのままインステップでミニゲームのフットサルゴールへ蹴り込んだ。

そしてユニフォームをまくり、パフォーマンスをする。
仲間はいつもの『またやられちゃった』と言う感じで、苦笑い。
それでも、僕がそう云う事を楽しみながらやってるのを快く思っているみたい。
『準備して来て、即結果を出す・・・・流石です!』
いつものヨイショが、また心地いい。

定年後はこう云った昼の遊びが出来なくなるのかなぁ・・・・
会社を離れるのがちょっと寂しいのは、そんな事を思うから。
仕事のためじゃぁ、有りません。(きっぱり)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中央線沿線 『荻窪』

2015年05月25日 | Weblog

杉並区の中央線沿線は色んな事で歴史が有ります。
僕の住む『荻窪』で有名なものは『ラーメン』
各地で御当地ラーメンと言うのが有名になって来ているけど、
醤油、塩、味噌で有名になった札幌ラーメン、豚骨味の博多ラーメン、
明治時代にラーメンが上陸した地、と言われる横浜ラーメンなどは
昔からある気がするけど、その他は何となく後付けのこじつけみたいなのが多いね。

そもそも、ラーメンなんて70年代以降、札幌や博多が有名になったのを真似て
車の普及などが重なって、広まったような気がします。
バブルの頃に、東京に色んなのが出て来た気がするなぁ・・・・

僕はそんなのが10代後半に食べた、赤坂麺店のダブルパーコー麺が
忘れられないなぁ・・・・
秋葉原の万世でも食べられるんだけど、その頃と味が違う気がする。

御当地の中でも結構古いのが『荻窪らーめん』。
有名になったのは30年ほど前だろうか?
それまでは『荻窪らーめん』なんて、地元の人間が知らないんだから・・・

確かに駅の周辺にラーメン屋が沢山あった。
駅前には、札幌道産子もあったし、今も残る駅の北側には
『丸信』『丸福』『春木屋』など、名前も覚えていない店が
ずらりと並んでいた。

今も残っているのは『丸福』2号店と『春木屋』くらいかな?
『春木屋』の隣、青梅街道沿いの『丸福』もとうの昔に店を畳んでしまって、
今は2号店だけ。味は元の『丸福』とは違う気がする。

『春木屋』なんて、地元では人気の無いラーメン屋だった。
それが、テレビの店再生プロジェクトで有名になって、
それ以来、列ができるほどお客さんが入る様になったみたい。
それでも、僕等のような地元民は『春木屋』には行かなかった。

魚介系のスープの代表は『丸長』かな?
荻窪では無いが、有名な『大勝軒』はこの店ののれん分けからだと聞く。
『丸信』も魚介系スープだった気がする。

僕は鶏ガラ系のスープ、細麺で作る『東京の醤油ラーメン』が好みだから、
この系統の店へはあまり行かなかったかな?

今は豚骨ラーメンやら、魚介系スープのラーメンが増えて
いわゆる『東京のらーめん』のラーメンは少なくなってしまった。
そして、その匂いがたまらなく臭い。
とある店の前なんか、僕は口で息をして通り過ぎるんだから・・・・

今は荻窪より吉祥寺の方がラーメン店が多い気がするけれど、
殆どがチェーン店で、かつて荻窪に個性豊かなラーメン店が
軒を並べていたのとは、ちょっと違う気がします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『総務』は社員相手のサービス業

2015年05月22日 | Weblog

会社に居ても暇なので、最近は色んな事を考えるようになった。
以前と違って、物事を客観的に見れるようになった・・・・と言うか、
今更、口出ししても何も変わらないであろう物事に対して、
意識やエネルギーを注ぐ事が阿呆らしくなったので、
他人事になったと言う感じかなぁ・・・・・。
そう云う目で見ると、会社組織って言うのは面白い。

今朝、調整部門の若者と話しながら一緒に駅から歩いてきた。
製造部門でも開発部門のように『フレックスタイム』だったら・・・
なんて、ぼやいていた。

うちの会社は設計・開発部門はフレックスタイム。
コアタイムと言って、10:30~15:20の間は、居なくてはならないが
出社や退社時間は、月間の来て規定就労時間を満たせば自由。

普通に仕事をやって、たまに早く帰りたい時にそれを利用する事が出来る。
ところが、往々にして出勤時間が毎日遅くなる『ズレックスタイム』になる。
それを『だらしが無くなるから』と言って、その制度を部署の管理者が放棄する。
特に、製造部門は昔さながらの時間管理を好むから、そうなってしまう。

僕は、製造部門のフレックスこそ製造部で活用すべきだと思う。
特に街中に走る車や、社内に人が歩く振動が無い夜中にしか性能が取れない、
電子顕微鏡の様な振動に弱い装置などは、夜中に性能評価をする事が良く有って、
残業時間の抑制や、法規制がある対策で出社時間を遅らせて、
夜中に効率よく、作業をやっていた時期が有った。

そう云う、制度が出来ると必ず現れる『だらしが無い奴』が居る。
前の日に飲んで、起きられなかったり、大事な会議のある日でも、
フレックスで出勤するような『だらしが無い奴』が現れる為に、
その部署は、フレックス制度を返上してしまった。

僕ならば、だらしが無い奴だけをフレックス勤務対象者から外すけど、
会社の連中は『悪平等』でも、それを理由に止めてしまったりする。

会社の場合は『賛成』『反対』と言うより、『出来る』『出来ない』なのかな?
僕はどんな時でも『こうすれば出来る』という方向で思考する。
フレックスタイムなどは、自己管理出来ない人間は対象外にすれば良いだけ。
ところが、半数以上の管理者はその『だらしが無い奴』を指導できず、
部署ごと、フレックス制度を返上してしまうのだ。
今まで通り・・・・が楽な人間たちが管理者に居る限りは無理なのでしょうね。

先だっての大阪都構想の反対者も、結局は似たようなもの。
一部の人間の為に、多くの人間が犠牲になる。
僕は同じ仕事をするなら、楽に楽しく出来る環境を作るのが管理者の仕事だと思っている。
みんな、たまには3時くらいに上がって、野球やサッカーの試合を観戦しに行ったり、
映画や演劇を見に行くゆとりが有って良いと思う。
逆に、そうなれば仕事にも気合が入る気がするんだけど・・・・。
『今日はサッカーの試合を観に行くから』
と、いつもより頑張って仕事をする日が有る方が、
仕事のやり方にもメリハリがつくと思うんだけどね。

こんな話をすると、いつも思い出すのが、
『総じて務める、読んで字のごとく『総務は全ての社員相手のサービス業』。社員が快適に仕事をする環境を作るのが仕事』
と、長年に渡って某ホテル経営会社の総務を仕切ってきた、バンドの相方の言葉。
『総務のプロフェッショナル』だなぁ・・・・・って思って、いつも尊敬していた。
ポリシーを持って、仕事をして来た人間の言葉です。

とは言っても、田舎の町工場の様な企業風土の会社には、
そう云った『社員相手のサービス業』は、見果てぬ夢なのかも知れません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヤナギ/水野たかしライブ@高円寺『稲生(いなおい)座』

2015年05月21日 | Weblog

気が付けば5月も下旬。
ついこの間まで、一生懸命稽古をしていた芝居の公演も終わって、
早くも1か月が経過した事になる。

昨日は『ミュージシャンの街・高円寺』北口の通称『純情商店街』に有る、
1978年に開店した、ライブハウス『稲生(いなおい)座』に出かけて来た。

出演者は、東北復興プロジェクトで知り合った『やなぎ』

そしてもう一人は、高円寺で『炎の雫』というライブバーを営む、
音楽プロデューサー兼、ミュージシャン『水野たかし』。

この二人との出会いなどは、以前の日記に書いてあるので、
気になる人は覗いてみてください。
☆ヤナギライブ@高円寺『炎の雫』
http://blog.goo.ne.jp/ug_d35_sky-gray/e/7b8fdfb0117ef11693226dd950ebcfbb
☆高円寺:『炎の雫』
http://blog.goo.ne.jp/ug_d35_sky-gray/e/90ca71ae8bfc6fd03fc46e39fe2dd470

高円寺の北口をブラブラ歩いたのは、本当に久しぶり。
商店街の奥まで歩いたのは20代だから、30年以上も前の事になる。
当たり前のことだが、その頃の店で残っている店は数少なく、
例外なく、飲食関係の店は殆ど入れ換わっている。

それでも、昔の雰囲気は今でも変わらず残っている。
こんな町に住んだら、また楽しいだろうなと思う街である。

杉並区と言うのは東京の中でも、とりわけ面白い区だと思っている。
まず、鉄道が北から西武新宿線、JR中央総武線、京王井の頭線が通り、
それが東西にほぼ並行して走って居る。
西武新宿線は東から下井草、井荻、上井草と3駅あるが、そもそも西武線は
杉並区民にとって交通機関としての印象が薄く、都心に出る時には、
殆どの人がバスでわざわざ中央線の駅まで行って、利用するほど。

井の頭線は吉祥寺と渋谷を結ぶ人気路線で、
永福町、西永福、浜田山、高井戸、富士見台、久我山と6駅もあるのだが、
杉並区の高級住宅街の浜田山には各駅停車しか止まらず、
この路線の沿線は、これと言った特徴が無く街の印象も薄い。

その点、中央線の高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪、西荻窪はそれぞれ特徴が有って
住んでいる人の『人種』もたったひと駅で、だいぶ様変わりする。
高円寺の『人種』はミュージシャン系の人が多い事かな?
小さなライブハウスや、スタジオが点在している事も手伝って、
必ずと言って良いほど、ギターを担いで歩いている人間とすれ違う。
まぁ、それについてはまた改めて書きましょう。

さて今日のライブ。
最初は『ヤナギ』。
約1年半ぶりに再会して、東北の復興状況などについて色々と話をしたけど、
『今年も東北へ行くよ・・・・』と話をしてから、ライブが始まった。
彼の唄は、ウディー・ガスリー等のアメリカンフォークを彷彿させる。
唄に心が宿り、そのエネルギーが伝わってくる感じ。
マイクなんか無くても良い、芝居に通じる『ライブ感』のあるミュージシャンです。



そして『水野たかし&カンパニー』。
水野さんは昨年末に脳出血で倒れられて、暫く静養されていたんだけど、
その間に、今まで突っ走ってきた人生のスピードを少し落とそうと、
考えていた時に、千葉の外房に物件を見つけて、そこへ移る事にしたらしい。

そんな訳で月一回のレギュラーだったバンド『水野たかし&カンパニー』も
今回が取り敢えず、最後のレギュラーライブになった。
この間もそうだけど、毎月やってるから何時でも行けると思ってたら
結局、最後のステージになっちゃった。

水野さんの音楽は『ウェストコースト』の匂いがプンプンする感じ。
それでも、CS&Nやドゥービーのようなコーラスを聞かせる感じでもない。
音楽志向が、70年代のアメリカンロックと言う感じかな?
誰かに似ていそうで、誰とも似ていない・・・・・個性が有るミュージシャン。

良いライブでした。聞いていて心地良かった。
何処か癒され、どこかその存在感に憧れる。
知りあってまだ2年足らずだけれど、水野さんと会うといつも
『あぁ…こう云うオヤジになりたい』って、いつも思う人。
これからもずっと付き合って行きたいと思う一人です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『民主主義の風雲児』橋下徹が好き!

2015年05月20日 | Weblog

つい先日あった『大阪都構想』の住民投票。
結果は『否決』。橋下徹氏が政界から退くという結末になった。

党代表の江田氏が言うように『稀有な政治家』である橋下氏が好きだ。
昔から抱えている色々な問題を解決しようと『真面目』に考えて、
問題解決するために、世の中の仕組みを変えようとするポジティブな人間が現れても、
必ずと言って良いほど、問題の本質を『真面目』に考えていない、
既得権を守ろうとするネガティブな人間が現れる。

まぁ、政治で喰っている人間には死活問題だろうからねぇ・・・・
でも、本当にあれで良かったのか?と、そもそも都構想が持ち上がった
原因が何処にあるのか?を投票者は真面目に考えたのかな?って・・・・・

明治維新の際、不要な役人(元武士)の削減による財政の健全化が課題だったように、
そもそも都構想は大阪府と大阪市との合併で二重行政と言われている部分の、
公務員、府議、市議の定数削減ができるか否か?が最大の問題だったはず。

そこで浮いたお金や、不要な工事を止めたお金を、地域サービスに回すのが
都構想の骨子だったように思うけど、それで一番恩恵を受けるはずだった、
地域の住民の多くが、反対に回ったことは無知としか言いようが無いね。

橋下改革によって様々な利権が消滅する総ての政党の議員や、市、府の役人が、
こぞって反対して既得権益を守っただけで、マスコミもそれに乗せられた感じ。
そう云う意味で、マスコミもジャーナリズムを失ってるね。
大阪都構想の頓挫で結果的に一番痛い目を見るのは、たぶん間違いなく、
低所得者層や高齢者と言った弱者なんだろうなぁ・・・・

大阪都構想、やってみなければ変わらないのにね。
でも、大阪が民主主義の姿を示してくれたのは嬉しいですね。
国もこう云った姿勢を見習ってほしいと、思うのであります。

今は憲法改正、原発、集団的自衛権等、全て国民投票で決めるべき、
こう云った案件を、安倍政権は短い議論で勝手に変えようとしている。

僕はこの3つについて全て反対だけれど、自分なりに意見を持っている。
☆憲法改正
『愚直なまでに戦争加担しない国』を固持する事。
それが世界中から尊敬される『日本』の有るべき姿だと信じている。
戦争体験した両親が、二度と武器を手にしてはいけないと言っていた。
9条はいかなる事が有っても守るべきものです。

☆原発再稼働は全て反対。
この3年間、電力不足になった事が無い。
核のゴミの廃棄処理が確立されて居ないのにゴミを出し続ける事。
原子力は簡単に停止出来ない事
事故が起きた場合に地球規模の災害になる事
が理由。
100%安全な原子力施設など、世の中に無いのですよ。

☆集団的自衛権
米軍にお金を出してでも、武器を手にしない努力をすべき。
ナイフをポケットに入れていつも握っている人と、握手できますか?
相手が持っているからこそ、こちらが丸腰で居る意味が有ると思うけど・・・・

とまぁ、『民主主義の風雲児』橋下徹がこれで辞めてしまうのが勿体ない。
そう思っているのです。
民主党寄りの松野なんぞが代表になった途端、この党は駄目になるね・・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『挨拶』をしない人間は、『礼儀』も知らない

2015年05月19日 | Weblog

よほど僕は、先週末の『元弟子』との飲み会が嬉しかったんでしょうね。
昨日も書いたとおり、何処か『憑きもの』が落ちたような気持ち。
そんな訳で、ちょっと書きたい事が出て来ちゃった。

先週末の『元弟子』との飲み会で、
『挨拶をしない人間は、礼儀も知らない』という話題になった。

そう言えば、前の部署で一人だけ残念な人間がいた。
とある国のプロジェクトを担当していた前任者が、仕事に万歳して退職し、
放り出された装置を僕が引き継ぐ事になって、ゼロからやり直して2年。
前任者から通算すると6年が経過していた装置開発にも、
やっと性能らしき物が出始めて、いよいよ東北大学へ納入と云う時期が来た。

その装置を最初から担当していた、僕より20歳年下の若者。
僕が引きついでから、その彼とマンツーマンで装置開発をして来た。
タダでさえ遅れているため、毎日遅くまで仕事をして、僕は追い上げに必死だった。

当然、帰りが12時を回る事が当たり前になって、終電の時間を気にしての毎日。
そんな訳で、仕事の切りが悪い所で中断する事が何度も有ったので、
僕が自家用車の通勤に切り替え、キリの良い所まで仕事をしてから、
帰りは飯を食わせながら、話をして、彼のアパートまで送って帰る毎日になった。

ところがある時、この男が反旗を翻した。
僕には全く理由が判らなかったのだけれど、一つ思い当たるとしたら
その男に『嘘』をついた事だろう。

その装置が、東北大学に出荷される直前に、その性能確認のために
東北大学から研究者が来て、装置でデーターを取り始めた。
専門的な話になるが『エネルギーシフト』と云う機能が有って、
具体的には装置の加速電圧200KV(20万)ボルトの電源電圧を、数ボルト可変する作業。

一見簡単そうだが、約10Vではなく10Vぴったりにする事は簡単じゃない。
電子顕微鏡は、物理現象でそう云った誤魔化しが利かない。
その時に担当者の彼が基準となる200KVをキチンと合せて居ない事を思い出した。
仕事をしながら『大体で良いんです』なんて言っていたからね。

ところが、そのいい加減な調整が、その時にネックになった。
研究者に『10V可変の設定をしたのに、移動量が小さい』と言われた。
それで担当者に変更してくれと頼まれたのだが、その時に僕は
『簡単には出来ない。やるんだったら2週間はかかる』
と答えたのでした。

コンピューターで1ステップ5V。20万ボルトを出すのに4万ポイント。
これでキチンと『物差し』を校正しておくのが常識だった。
調べてみたら、実際の電圧は数キロボルト低かった。
大きな問題にはならないのだけれど、そう云った作業をした時に目立ってしまう。
そして、学会に出すデータに200kVと書いてあるので、僕はその事を研究者に言えなかった。
それよりも、その事で担当者が信用を失うんじゃないかって言う心配の方が大きかった。

それで、僕は丸1日装置を借りて、可変幅の誤差を何度も検証して
誤差分を計算して、何処に改造を入れるべきかを机上で計算した。
そして、その翌日に改造を入れて、研究者に確認して貰った。
結果は良好。2週間かかると言った作業を2日で終わらせた。

ところがこれが担当者は気に入らなかった。
『貴方は2日で出来る仕事を2週間と言ったので、研究者にそう伝えた。』
と言われ、以前にもそう云う事が有ったので信用できないとも言われ、
それ以来、彼の僕に対する態度が急激に悪くなった。
自分が嘘をついたように思われるのが嫌だったのか?それは今も判らない。

とは言え、険悪な関係ながら納入も二人で行って、
半年かけて何とか性能を出して終えたのでした。

先に帰京して居た僕は、その結果が出るのをずっと待っていた。
すでに彼も出張から帰っていたにも関わらず、一向に報告が無いので、
本人に問い合わせたら、もう報告書は出してある・・・・と、言われた。

恩を売るわけじゃないけれど、せめて報告書を出す前に教えて欲しかったし、
『お疲れ様』の一言が有っても良かったんじゃないかと思った。
これほど『礼儀』も知らない人に遭遇するのは初めての事だったし、
仕事で空しい気持ちになったのは、後にも先にもこの時だけ。

先週の弟子と違って、この彼とは和解とかは無いでしょう。
恩を仇で返すような人間に、こちらから歩み寄る理由は有りません。
そんな事が有ったから、余計に先週の『元弟子』との事が嬉しかったのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

肩の荷が一つ下りたような感覚

2015年05月18日 | Weblog

先週の金曜日に『元弟子』二人を連れて飲みに行った。
色々な事が有って、僕自身の問題も重なって、不幸な状況を招いてしまった。
まぁ、そう云った事も、今になってみればどうでも良くなった。
一番良かったなと思うのは、その『元弟子』達と、心を開き合えた事。
そのせいか?
今週は、何か肩の荷が一つ下りたような感覚になっている。

この間、一つだけ僕が主義として曲げないものを『弟子』達に説いた。
それは『挨拶』
子供の頃から、これだけは厳しく育てられた。

僕は『弟子』達を集めた部署を作った時の最初に、「挨拶は必ずしなさい」と、言った。
困った事に、一番弟子は気に入らない事が有るとその「挨拶」をしなくなる。
本当に子供並みの精神の男だった。
そう云う時は、わざと傍に寄って行き「おはよう」と僕から声をかけていた。

理由は簡単。
『挨拶』をされて、気分が悪くなる人はまず居ない。
居たとしたら、その人はまともな人じゃない。何処かおかしい人なのだ。
『挨拶』をされた時に、嬉しく思う事もあるでしょう。
間違いない事は『挨拶』によって、「この人は敵じゃない」と感じるものなのだ。

朝は「おはようございます」、帰りは「お先に失礼します」。
製造部門の現場に行って、忘れてはいけないのが、この『挨拶』。
知らない人でも構わないから、とにかく大きな声で元気よく『挨拶』する。
僕はこれでかなり得をしている。

そして笑い話。
僕が部署を出た後に、用事があって本社に行った時の事。
一番弟子が、自動販売機で飲み物を買おうとしているところに、僕が通りかかった。
奴は、僕に気がついたのか?
お金を入れたまま、何処かに隠れるような真似をした。
余程、遭遇したくなかったのでしょう。(笑)

そんな子供並みの行動を、以前からする男だったので、笑って見ていた。
通り過ぎる時に、勝手に僕が飲み物のボタンを押してやろうかと思ったくらい(笑)
その日は気づかぬふりをして、通り過ぎた。

そして、別の日にまた奴を見つけた。
そっと近付いて、低い声で『久し振り~ぃ、元気にやってるか?』と、
声をかけたら、奴はびっくりしていた。
そして『挨拶くらいしろ!』と肩を叩いて通り抜けた。

『そんな事もあったよなぁ・・・・なぁ?』
それを聞いた二番弟子が大笑い。
『想像がつくから、面白い・・・・・』
一番弟子は、昔と同じように口を尖らせる。
こんな事も、やっと笑い話に出来るような関係に戻ったのだった。

僕は最後に
『いいか、自分の子供にも挨拶だけはきちんと教えろ。
「おはよう」「さようなら」だけじゃねぇぞ。一番大事な「ありがとう」という言葉も教えるんだぞよ』
と、偉そうに言った。

もしも僕が挨拶をしない人がいるとしたら、それは僕に嫌な思いをさせた人でしょう。
いや・・・・それでも、僕は嫌味だから逆に『挨拶』してやるかも知れないですね(笑)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2015年新ユニフォームお披露目

2015年05月17日 | Weblog

今年の開幕戦は芝居の公演があったので欠場。
僕にとっては今日の試合が開幕戦。

芝居の稽古で欠場したときに、壮年大会で圧倒的な強さで優勝。
その褒美という名目で、新しいユニフォームを購入した。
実は、そんなことに関係なく『安いユニフォームを毎年買う』というのが
僕のチーム作りを始めるときの方針。

メーカー品のユニフォームは確かに素材や作りがいいのだけれど、
会社のサッカー部のユニフォームは6年前に1式1万5千円で、
2着購入したものを、今でもそのまま使っている。
53歳の歳に作ったユニフォームは背番号53。
レギュレーションが頻繁に変わり、そのたびに数千円かけて手を入れる。

おまけにサッカーのユニフォームは毎年形が変わる。
6年というと、ユニフォームのデザインは3世代以上も前のものになる。
それならば、毎年1着ずつ1式5000円程度で揃うユニフォームを買って、
年間20試合に満たない試合を2着のユニフォームで乗り切る。
歴代のユニフォームです。
2010年~2012年メイン
2010年~2012年サブ(人気なし)
2013年~2014年    
2014年~ 

2013年に購入した冬用ピステ
2年で完全に入れ替えるほうが、僕の遊びとしては楽しい。
オーナーとして、とりあえず僕は威張れる。
皆は僕の方針でまとまってくれるしね。

そして今回購入したのは、イングランドのプレミアリーグのアーセナルモデル。 



欧州チャンピオンズリーグのアウェイ用の黄色とブルーのもの。
去年は水色のユニフォームを購入。
2年半前に購入した、アーセナルのモデルはすでに古い。

要は、古い形のユニフォームを着るのなら、毎年新しい方が楽しい。
そういう楽しみも、チームに人が集まる理由かも知れない。
実際、チームの一員の子供が『何枚ユニフォームがあるの?』
と質問するらしい。

もう一つは、他チームに対する見栄。
他チームは毎年同じユニフォームを着続けてやっている。
他チームが羨ましがる上に、うちのチームは強い・・・・
『そこらの壮年チームとは違うんだ』というアピールでもある。

でも、今日の試合は高校生まで居る若いチーム。
前の試合は、相手から9点奪って勝っている、手ごわい相手。
我々は『壮年チーム』だから、一泡食わせれば良いので、
負けても、簡単に勝たせなければ良いのです。

今日は前半、0-0で折り返し。
ハーフタイムに珍しく『今日は引き分け狙いで行きますか?』
なんて、負けん気の強い郁也が言うので
『攻めないサッカーなんてやる意味が無い』と一蹴。

結果として、後半の15分くらいの間に2点奪われてしまった。
でもその後は、相手のペースが落ちたのを見て、
何度かカウンターを仕掛けた。

出る予定は無かったけど、その郁也が怪我をしてしまったので、
後半残り15分で交代。久しぶりに試合に出ることになった。
チャンスを何度か作ったけど、ゴールが遠い。
後半、僕が決定機にシュートを放つも、GKのセーブに遭い試合は0-2で終了。

新しいユニフォームでまた負けちゃった。
でも、安物ながら新しいユニフォームを着て試合をするのを
楽しみにしてきた連中が、良い笑顔で解散したので満足。

資金が続く限り、この遊びは続けて行こうと思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『自分の子は一番可愛い』

2015年05月16日 | Weblog

今日も朝から、阿佐ヶ谷の河北病院へ出かけてリハビリ。
今日はリハビリの後に、先生の診断もあって、取り敢えず6月末まで
今やって居るリハビリ訓練を継続するらしい。

痛くて苦しい約1時間のリハビリを終えて、阿佐ヶ谷から荻窪へ戻る途中、
荻窪のドトールで軽い朝食。地元の岡田クリニックで
今度は首のリハビリと、高血圧の薬を貰うために内科の診察を受けた。
全て終わって帰宅したら、12時半を回っていた。

リハビリと言っても、整体のような事をやるので体がクタクタになる。
昼御飯を食べながら、部屋の掃除や洗濯を終わらせたのが2時半。
ちょっと一服したら、そのまま寝込んでしまい夕方になっちゃった。
最近の土曜日は、こんな事をやりながら過ごす日が多くなった。

昨日『元弟子』達と話をして感じた正直な気持ち。
今の子会社にも『弟子』として育てて来た若者が居るんだけど、
昨日の二人と、僕自身の思い入れが違うんだなぁって感じた。

『元弟子』たちは、僕が高電圧専門の部署を作れと上から言われ、
それならば若くて、ゼロから教えられる入社3年目と4年目の若者を引っ張ってきた。
1番弟子は僕が抱えていた『超高安定度高圧電源』の相棒と後釜として、
2番弟子は同じく設計を終えて、九州大学に納入する装置を組み上げ始める
『超高圧電子顕微鏡』の後継者として、製造部に頭を下げて物作りからやらせた。

僕はその他にも、前任者が退社して残して行った色んなトラブルを、
一つずつ潰しながら、その手伝いもさせながら、これから必要になる知識を
体験させながら覚えさせてきた。

そう云う意味では今の子会社の『弟子』も同じ事をやらせてきたのだけれど、
何処か『元弟子』と『弟子』のマインドが違うのが気になっていた。

実際『元弟子』達は、家出した父親のやっていた仕事を引き継ぎ、
ぐうたらオヤジながら、色々話してきた『やるべきこと』を、
自分なりにアレンジして、装置に組み込み実現して来てくれた。
昨日『あれは元のアイデアは全部、大佐(僕の呼び名)の物』と言ってくれて
何だか、それが凄く嬉しかった。

一方『弟子』は、親と引き離された途端に、何もやらなくなった。
色々と出来ない理由を言うのだけれど、僕には言い訳にしか聞こえない。

でも、昨日話をしていて気が付いたのは、この感覚がもしかして
『弟子』に伝わって居たのかも知れないと・・・・

要は『元弟子』は自分の作った部署で育てた、『自分の血を分けた子供』。
対して『弟子』は、子会社と云う元々あった場所に乗り込んだ、
いわば、再婚相手の家庭に居た連れ子で、所詮は他人の子。
同じように育てようと思ったが、怒鳴ったり、締めあげたりはしない、
何処か、他所の子を可愛がる乗りで、大事に育て過ぎた所が有る。

だから『元弟子』達は、今でも気になっているし可愛い。
子供は可愛いが、『自分の子は一番可愛い』と言う感じ。
同じ子供として育てたつもりだったが『弟子』に関しては、
『もう俺の手から離れて、どうしようもない・・・・』と思っている。

それがハッキリ判った昨日の飲み会。
今の部署の子は『弟子』だけでは無い、他の若者も僕を
『他所から来たオジサン』でしか無いのでは・・・・と思ってしまった。
そんな若者達が、思うように育たないのは僕に責任が有ったんだと実感した・・・・

でも、そうだからと言って方針転換・・・・と云う気にもならない。
同じように厳しい事を言って育てようとしたが、
僕が何も言えなくなった途端に、また元の楽な方に流れて行ってしまった。

少なくとも『元弟子』は、楽な道を選ばなかった。
苦労して『クソオヤジ』の遺産を引き継いで来てくれた。
その違いも、昨日の飲み会で感じたかな?

薄情な様だけれど、他人の子である『弟子』に対しては、
自分から喰いついて来ない限り『元弟子』達と同じような関係には
僕自身がなれないんだなって思った。

僕を慕ってくれる後輩たちは、皆『元弟子』と似たような関係にある。
僕が立ち上げたサッカーチームの連中も、同じように『自分の子』。
そんな感覚を、何処かで持っている。

定年退職後、きっと今の部署の事は頭の中から消えてしまうのでしょうね。
全ては、僕の責任です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『門下生』と飲み会

2015年05月15日 | Weblog

元部下と云うより『門下生』と云った方が正解かな?
子会社に来る前に部下だった『弟子』二人と7年ぶりに飲みに行った。

前の部署で、ちょっとした事で関係が悪くなった、一番弟子との確執。
今考えてみれば、そう云う事を上手く利用して、僕を追い出したかった人間がいて、
まんまとその策略に引っ掛かり、僕が部署を飛び出すきっかけになってしまった。
二番弟子はその事件に翻弄され、一時期誰とも接触しなくなった。
こちらは、1か月もしないうちにわだかまりが解けて、今でも、良い関係が続いている。

先月、何かのきっかけでその二人の報告書を見る機会が有った。
その報告書は、前だったら再提出させたであろう内容だったが及第点。
そしてその報告内容を見ると、2003年に僕が立ちあげた当時に、
『こんな事を考えているんだ』と、暇さえあればこの二人に話していた、
今後チャレンジして、製品にしようと思っていた技術だった。

僕が勝手を言って、飛び出した後もその事をきちんとやってくれていた。
それが嬉しくて、今日の飲み会でお礼を言うのが目的だった。

7年ぶりに会った1番弟子。
その頃の自分の気持ちを、伝えられなくて今まで来ちゃったらしい。
それは僕も同じ。
最初に乾杯して、取り敢えず全て『ノーサイド』。

弟子は言いたい事を言って、僕も思いを伝えた。
不思議と二人を引っ張って来て、3人で色々と苦労してやってきた、
10年前にタイムスリップしたみたいな感覚になった。
とにかく良く飲みました。楽しくて気が付いたら5時間半も飲み続けていた。

飲み過ぎて、帰宅したらもう頭が働きません・・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする