『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

幕引き

2008年09月30日 | Weblog
最後の一日は挨拶の一日で終わっちゃった。
朝、出した異動の挨拶に返事が山ほど来た。
関係会社の社長や、取締役からも含めて数え切れないほど。

僕がメールチェックをしていると、すぐ近くの打ち合わせ場所で
なにやら揉めている。耳をダンボにして聞いてみると
「異動の最終日まで皆に連絡しないのは失礼だ」とか
「今まで一番貢献してきた人に対して、礼儀が無い」とか・・・・
自分の事みたいなので、聞くのが嫌だからタバコを吸いに
喫煙所まで行って、時間をつぶして席に戻った。

どうやら、僕の異動について誰にも伝えていなかった事と
誰が見ても当事者が逃げて出張に出たと言うことに対して
僕の同期で年下の同僚が、グループ長に食って掛かって居たそうだ。

そんな事は、もうどうでも良いのだけれど、同僚の気持ちは嬉しかった。

昼休みに、皆に挨拶してくれと言われていたけど、そういう事だから
「22年間、苦しいこともあったけど楽しかった。
もう少し選手で居たいから出てゆきます。皆、頑張ってください」
と、簡単に挨拶を終わらせた。

言いたい事はもっと沢山あったけど、最後の捨て台詞みたいになると格好悪い。
ここは、江戸っ子らしく見栄張らなくちゃ!

それで、本部長にも挨拶に行った。
「我侭を言って、申し訳ありません。」と最初に頭を下げた。
そして「また、次の場所で頑張ります」と言って、本部長と握手して別れた。

その後に、今回の事件の黒幕と思われる「生き字引様」にも挨拶をと、探したが居ない。
何度か席を訪ねたが、いつもは一日中席に居る人が、今日に限って居ない。
挨拶して「ノーサイド」にしようと思っていたけど叶わなかった。

夕方、出向先への挨拶から戻ったらちょうど終業時間。
さっきグループ長に喰って掛かっていた同僚が
「ご苦労様、長い間お世話になりました」と言ってきた。
そして、周りに居た若者も同様に挨拶してくれた。
今週末は、若い人が遅ればせながらの送別会を開いてくれるそうだ。

元々、自分が立ち上げた高電圧チームの5人は・・・というと、一人が新入社員。
残りの4人中、2人は出張。今日居たのは2人だけ。
一人は昨日の日記に出てきたM君。
挨拶しろとは言わないが、自分の感覚だと「お世話様」くらいは言うだろう。
気が付いたら、もう居なかった。
まぁ、そんなものかな?今の若者は・・・・・はっきり言って失望した。
そういうことを期待していた自分の卑しさが恥ずかしく思えた。

ところがもう一人の、18年と一番付き合いが長いMD君が、
「長い間、お世話になりました。有難うございました。」と、
帰り際の僕を待っていたかのように挨拶してくれて言葉をかけてくれた。
うれしかったなぁ・・・・これで、ノーサイド。

昨日も書いた、心ある人とそうでない人。
最後の一日は、どこか空しくあっけない幕引きになった。
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送る言葉

2008年09月29日 | Weblog
今日でマジック2。明日が今の部署で最後の日。
先週末に送別会を開いてくれたO先輩が、超高圧電子顕微鏡に関わる人たちに宛てて
週に2回のペースでメール配信している、超高圧電顕NEWSと云うものがある。
その中に僕宛のメッセージを、書いてくれた。
あまりにも嬉しいメッセージで読んでいて涙がこみ上げてしまった。
以下はそのメッセージ。名前はイニシャルに変換してありますがその他は原文のままです。
もちろんYとは僕の事。

「Y君へ
超高圧電顕の高電圧回路において多大なる発展に貢献してくれたY君が
10月1日付けでTECに異動されます。
日本電子グループ会社の年配者の中には昔、何らかの形で
超高圧電顕に携わった経験を持っている人が多くいますが、
おそらく、その人達の超高圧電顕に対する印象は、
『キーンという大きな音がしたうるさい装置』ではないでしょうか。
確かに、つくばの金材技研(現、物質材料研)の超高圧電顕までは
3kHzの大きな音が発生するうるさい装置でした。
それを汎用機と同じように人間の耳には聞こえない周波数20kHzで
1300kVの超高電圧発生回路を北大機で実現したのは
Y君の地道な努力の結果です。
また、現状のすべての装置の高電圧安定度が如何に問題多いかを
素直に理解してくれたのはY君であり、
北大機で、その改造に果敢に挑戦し見事、高安定化高電圧回路を
実現してくれたのもY君です。
これにより、彼が、
『TEM(透過型電子顕微鏡)における新しい高圧技術の扉を開いた』
と言っても過言ではありません。
更に高圧電気設計として人手が足りない時でも、M君を製造の人達の中に送り、
実習するようにアレンジしたのもY君です。
M君自身、製造の人達と一緒に仕事をする中で学ぶことが多かったと思います。
お陰で今、M君は超高圧電顕の電気設計者として、
責任を持って着実な仕事をするまでに成長しました。
そして、九大機の納入において、常に納入者のことを思い、
社内でのバックアップを率先して行ってくれたのもY君です。
一つ一つが敬服することばかりで、本当にありがとうございます。 
その後、Mirai-モノクロ機という超高安定度を要求される高電圧専任者として、
その実用化に努力してくれたのは、最近の話題として良く知られています。
しかし、今回、モノクロの商品機を世の中に出す前に、
その仕事から離れる事情になったのは、誠に残念です。
超高圧電顕の仕事を通して、Y君には、常にポジティブに考える力も、
仕事に対する前向きな情熱も備えていること私達は知っています。
同時に今だ、未知なる現象が多い高圧回路における問題に対して、
常に技術的な裏付けに基づいて対応しようとしている事も、
高圧回路を更に良いものにしていきたいというフレッシュな気持ちを
持ち続けている事も私達は知っています。
どうか今は、心機一新し、今まで自ら培った技術と経験をTECにおいてさらに発展させ、
大いに活躍されることを期待しています。
ありがとうございました。

追伸
Y君が、高圧チームから離れることは、正直言って不安がありますが、
残った人達は今まで以上の頑張りを発揮してくれることも期待しています。
以上」

こんなに気持ちが伝わってくるものは、今まで経験がありません。
涙が溢れて格好悪いから、目薬点してごまかしました。

一方で、22年間ずっと部署が一緒で、だらしの無い僕の面倒を根気強く
見てくれた女性に感謝のメールを送りました。そうしたら、
「うすうす気がついていたけど正式な話は今日になっても聞いていません。不思議な部署だなぁって思います」
と云う返事が返ってきた。
えぇ・・・・?嘘だろう・・・・異動だよ?
引継ぎすら、させてもらえないで来たけど
明日は昼礼でみんなに挨拶してくれって言われているのに・・・・・
最後までそういう扱いなんだ・・・・余程、嫌われているんだなぁ・・・・
おまけに今回の騒動の張本人たちは、揃って出張に出ている。
本当に失礼な部署だよなぁ・・・・・・

気持ちよく新しい道へ進んでくれと言う心ある人たちと、そうでない人たち。
大事にしなくてはいけない人たちは言われなくても決まっている。
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また、頑張ろうっと!

2008年09月28日 | Weblog
今日は初冬のような肌寒さ。
サッカーの試合が2つ重なって、一つは最近加入させて貰った市民リーグ。
もう一つはもう25年間も続けている東京都社会人リーグ。

市民リーグと云うのは、いわゆるJFA(日本サッカー協会)の傘下で
やっているものとは違い、独自のリーグ戦。
だから一番上のリーグで優勝しても、所詮は草サッカーに過ぎない。
かといってレベルが低いかと云うとそうでもない。
要は、地元でサッカーをやりたい人が参加するリーグ戦。

一方の東京リーグはJFAの傘下にあって、一番上はJリーグ。
選手登録証も、日本代表と同じ。
つまり、日本代表に間違って選ばれる可能性があるのです。

市民リーグの試合は8時半からだった。それに参加すると終わるのが10時半。
都リーグの方は14時半キックオフ。つまり両方参加する事は可能だった。
でも、都リーグの方は僕を入れて9人だと聞いていたので、市民リーグはパス。
それに今週は、今日の試合がフル出場になるだろうと思って、体の方も
いつもに比べてしっかりと作ってきた。つまり調子が良かったのです。

試合は2人、怪我を押してきてくれたので何とか11人揃った。
最初は僕がキーパーと云う話があったのだけれど、今週の頭に
左腕の靱帯を伸ばしてしまい、昨日まで腕に湿布とバンテージで固定していた。
昨日は相方と練習があってバンテージを外したのだけれど、実は左手の指が痺れていた。
今日もバンテージを外したけれど、腕の痛みと指の痺れはやっぱりある。
去年から指を怪我するのが嫌で、基本的にキーパーはやりたくないと
伝えてもあったから、キーパーは勘弁してもらった。

試合は数年ぶりにツートップのFW。
実のところ僕は2トップって好きじゃないんです。点を獲れる気がしない。
でも、一週間、走って足に負担をかけないように、体つくりをしてきたから
体の切れが、ここ数年では一番良かった。
実際、スピードはともかく、良く動いた割に前半が終わっても全然疲れていない。
前半終了間際に、一人メンバーが来た。これで交代が居るので思い切って出来る。

前半は押気味に試合を進めて、いつ点が入ってもおかしくなかった。
僕も最初のシュートがサイドネットに当たってしまったけれど、
次のチャンスは絶対に点を獲れる気がした。
前半は、ちょっとしたミスから失点。まぁ、それでもあまり気にしていなかった。
後半に入って、だんだん味方のパスの感じが判ってきて益々点を取れそうな
予感がしていたのだが、10分過ぎに審判から交代の合図。
誰が交代なのか?と思ったら、僕じゃないの・・・・・
キングカズじゃないけど、「俺?」って訊いちゃったよ。

だって、疲れていないしボールも回るようになってきて、1点差はすぐに
取り戻せる自信があって、交代させられる理由が思い当たらない。
汗もかいていないのに交代なんて・・・・・・
そして、僕が抜けた直後に相手にPKを取られちゃった。
キーパーが急造なので、2点目を献上。
ここからチームの勢いが見る見る落ちて、攻撃もチグハグになっちゃった。
ドリブルしちゃいけないところで、ドリブルして敵にボールを取られたり・・・・・
見ていて勝てる気がしなくなっちゃった。
結局、3点目まで取られてしまい結果的に惨敗。
勝てる相手に、大差で負けちゃった。

勝ち負けはともかく、今日はちょっと消化不良。
結局、年齢が高いというだけで外されちゃうチームなので、
やっぱり市民リーグでやる方が、自分としては楽しいと思った。
まぁ、こんな事もあるでしょう・・・・また、頑張ろうっと!
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今日はお稽古

2008年09月27日 | Weblog
久しぶりに相方と練習。
僕が芝居を始めてから、練習の事を「稽古」と言う様になった。

今日はこれと言って曲の練習をする訳でもなく、ひたすら遊び。
僕が最近凝っているレッドゼッペリンの名曲「天国への階段」を
一人でインストロメンタルで弾く。
そんなにすらすらと弾ける訳ではないし、まだ完成していないから
断片的に「こんなフレーズ入れたいなぁ・・・」なんて言いながら弾く。
別にライブでやろうなんて考えているわけでもなく
何となく好きだからやっている。

相方も笑いながら、チョコチョコとギターを被せてくる。
こういう事をやりながら、お互いに相方の癖を掴む。
特に僕の場合は、癖のあるギターを弾くからね。
最近は、いわゆる「手癖」と云うものがあるらしい。

この間完成したばかりで、いきなりライブでやってみた曲の
「More than live alone(一人で生きるよりも)」のギターを
ちょっと変更して、演奏してみる。
なかなか良い感じ。

そして、ついこの間僕が作った曲に歌詞をつけてくる予定だったが
今ひとつ歌詞が乗らないので、次回に持ち越しになった曲を
僕がギターでちょっと弾いてみた。
相方いわく、「やっぱり生の演奏を聴くとイメージが違う」
次の「稽古」までに、出来れば良いなぁ・・・・・

それと今度はカバーもやってみようとビートルズのナンバーを
やってみた。(曲名が解からない、僕はいつもそうなんです)
相方Charlieはビートルズの曲なら、殆ど唄えるから楽です。
これも良い感じ、次のライブでは演奏する事になりそう。

あれやこれやで、3時間。Charlieがちょと風邪気味なので
あまり唄わせたくないから、今日は本当に遊んだだけ。
でも、二人で始めた30年前もこんな時間が凄く多かった。
お互いの癖を掴むことは、凄く大切だった。
そのお陰で、今は唄でハモる時はピッタリ合わせるのも苦労しない。
いつだったか、ライブで二人の唄を誉められたことが有った。

「稽古」が終わって、珈琲タイム。
Charlieは、この後にライブを聞きに行く予定らしく30分くらいの時間。
話の内容が、ライブハウスの話から東京の文化についての話に変り
そして、お互いの家の家風の話とか、いつもの雑談。

次のライブの予定はまだ決まっていませんが、東京でやる場合の
候補になっていたライブハウスが閉店してしまったので
年内にやるのは、いつもの市川でのライブだけになりそう。
まぁ、とにかくどんな形でも続ける事が大切。
演奏できる場所がある事だけでも、幸せだと思わないといけない。

今日は、時間潰しみたいな緩い「稽古」だったけど、凄く楽しかった。
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ありがとう

2008年09月26日 | Weblog
いよいよ、来週2日で今の部署とお別れ。
今夜は、今の仕事でずっと関わってきた製造関係の人達が集まって
送別会を開いてくれた。

僕を含めて11人。先だって、二人で飲んだ因縁のO崎先輩を筆頭に
定年退職されて、今は雇用延長の立場で僕の最後の設計となった
オックスフォード大向けの装置をフォローして頂いているS本さん。

そして超高圧電源の試作からずっとコンビを組んできたT山さん。
この方はサッカー部の先輩で、言いにくい事も遠慮せずに言い合えたので、超高圧電源の実験も予想以上に捗った。本当に世話になった先輩。

それに同い年で機械系の組み立てをやってくれたA葉君。

一緒に仕事をすることこそ無かったが、いつも僕をフォローして
助けてくれた製造部の親分F縄さん。

製造から設計に異動して、今まで一緒にやってきたH江さん。

ゴルフ仲間で、何かと言うと助けてくれたM田ちゃん。

製造部の長老で、僕に色んな意味で勉強させて頂いたE藤さん。

サッカー部で一緒にプレーをして、仕事でも頼めばどんなことでも
協力してくれたI沢。

年下で生意気だけど、年齢に関係なく物を言い合い、
現場で何度も怒鳴りあったので、周りが凍りつくことが多かったT崎。
こいつは、本当に頼りになった。
いつでもお互いを意識しあって何でも相談しあえた仲。

そして、もう一人は残念ながら一回も仕事で絡めなかったが、
次の超高圧電子顕微鏡を背負って行くO田。

この子の挨拶で「二つありがとうと言いたい」と言われた。
彼は、僕が初めて作った超高圧電源を搭載した電子顕微鏡を納入した北大出身。
その超高圧電子顕微鏡を使って論文を書いて卒業した男である。
僕の作った顕微鏡が、性能が出るまで何度も出張して
何とか作りあげたお陰で、彼も論文を書けたと言うこと。
その当時の教授が他社の顕微鏡から乗り換えると言ったギャンブルをしてまで、
わが社の装置の性能に期待して完成を待ち、その期待に応えた事を
教授がもの凄く喜んだという事も話してくれた。
その教授陣は、今でも僕のことを名指しで話をするようだ。

それともう一つは、彼が入社したての頃の話。
半導体事業部に居て高圧電源を使った実験に6回失敗していた。
彼が欲しい電源を誰に訊いても、作れないと言われて凹んでいて、
悩んだ挙句に、他部署の僕へ相談に来て、僕に貰った電源を使って
その後の実験が上手くいったという話をしてくれた。

その二つのことに対して「ありがとう」だそうだ。
僕には単なる一つの仕事だったのだが、こういったことを
感じてくれる人が居たことが嬉しかった。

僕はこの製造関係の人達が大好きだった。
現場に行って、彼らの顔を見るとホッとする事が多くて
よく製造現場に足を向けた。
それだけにみんなを裏切るようで、今回の異動の話をしなくちゃと
いつものように現場へ行って見たものの、彼らの顔を見ると、
どうしても話せなくて席に戻ってしまった。
でも、彼らは僕の事情を判って来てくれていた。
本当に優しい、心の通った人たちです。

全員から、励ましの言葉を順番に頂いて恐縮した。
みんな、次の仕事でもきっと成果を出すって信じてくれている。
本社の連中を見返して、新しい流れを作れとも言われた。

そして感じたのは、僕にはこんなに沢山の仲間が居て
応援してくれていること。
みんなの言葉を聴いていて、最後に因縁のO崎さんから
励ましの言葉を頂いて、ついに涙が溢れてしまった。
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今日はデスクの整理

2008年09月25日 | Weblog
来週火曜日を以って、他部署に異動するから綺麗にしなくちゃ。
22年間、自分が設計した回路に使用した部品のカタログがキングファイル4冊。
思い切って捨てる事にした。
こういう物って、捨てると必要になったりするんだよね。
特に古い部品が壊れた時に、代わりの部品を調べるのに使うことが、
ごく稀に有ったりするので、今まで捨てられなかった。

それと20冊以上のノート。
ここ数年は、ノートに計算式を書くことが少なくなって、
もっぱら計算はパソコンの表計算ソフトがあるので、それを使って
数値を入れるだけのものを自分で作ってしまう。
パソコンが使われるようになったのは、ここ10年ほど。
その前は、全て手書きの計算。設計資料も、殆ど手書きでやっていた。

ノートを開いてみたら、意外と勉強していた事が覗われる。
今では殆ど出来ないであろう、ラプラスやフーリエと云った
殆ど数学に近い計算を、ノートにぎっしりやっている。
実験の計算、設計の検証など、全て手計算でやっていたから
自分で言うのも何だが、若い頃は本当に良く勉強していたなぁ・・・
なんて思っちゃった。
流石に、このノートは自分の歴史。捨てないで持って行く事にした。

本来なら、若い人にこの資料の内容を全部教えるつもりだったのだけれど、
顔を合わせてこちらが声をかけないと挨拶もしないような連中には教える気は無い。
訊いて来れば教えるけれど、まずそんな事は無いでしょう。

ダンボールにノートや、自分が携わった設計の資料を詰め込む。
それを見ていた僕のお師匠さんだった先輩がやってきて、
「昔は良く勉強してたねぇ。シミュレーションをいくらやっても、手計算の感覚が無いと駄目だよね」
と、いつも僕が若い人に言い続けてきたことを肯定してくれる。

その先輩も、定年後の雇用延長で一年ほど働いていたが、来年の春で辞めるそうだ。
「今度の部署は、また別の能力が生かせるじゃない?頑張って!」と励まされた。
そうなんだよね。
昔のノートを見ていたら、今やっている高電圧技術以外にも
電子の数を数える高計数増幅器を夢中になって実験、設計していた時期もあった。
真空技術の勉強も良くしていたのも、ノートを見るとその時代の事が浮かんでくる。
今の自分は、そうやって自分で作り上げて来たものなんだって自信が湧く。

明日は、世話になってきた製造部門の人たちが送別会を開いてくれる。
肝心の部署では、僕が異動することを皆、うすうす気がついているものの
正式には誰も聞いていないそうだ。
てぇ事は、今月の最終日にみんなに挨拶する必要も無さそうな雰囲気。
何だか、最後まで気分の悪い、嫌がらせをされている気分。

僕を追い出した張本人は、二人とも僕の代わりの出張で居ないらしい。
僕なら一人で行く仕事を2人で出かける。
そんなに時間と人に余裕があるなんて知らなかった。
まぁ、出張先も問題が起きてからずっと対応しないで放置していて、
先生がお怒りになってから慌てて対応するようだから、精神的にきついでしょう。

僕のアドバイスも、聞く耳持たないでいたのだから今更、面倒なんて見たくないし・・・・
僕に怒鳴られたり、キツイ質問をされてそっぽを向くような精神的に柔な連中だから
少し、嫌な思いをして来たほうが良いでしょう。
怒ったお客さんはキツイぞぉ・・・・

ノートやキングファイルが収まったダンボール一箱に、事務用品の入ったケース一つ。
サイドテーブルの引き出しもカラッポ。
机の上には、カラッポの本立てとブックエンド。
何だか、寂しいというより空しい気持ちになった。
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男女平等なんて・・・・

2008年09月24日 | Weblog
今日はいつもの通り、暇な一日。
今日の日記はちょっと真面目な堅い話。

明後日の金曜日に、組合大会が有るらしく議案書を持った若手から
議案書を見せてもらった。
我社は、組合員全員が参加する大会なので、会社の業務は休みになる。
今どき、会社が組合大会に協力的なのは珍しくて、
そういう意味でも、僕の居た組合は東京で有名な単一労組である。

来賓には本社社長をはじめとして、関係会社の社長全員と上部団体の役員、
国会議員、市議会議員を呼んで大会を開く。
組合員総数約1000名だから、市民会館の大ホールが満席になる規模。
僕は1999年から4年間、この大会を仕切る議長をやっていた。
1000名の前で、最初と最後に挨拶をするのだけれど、これが気持ちよかった。

自分が執行部をやる前は、大会の日は出欠チェックを誰かに頼み、
サボって海に行ってサーフィンをするのを楽しみにいたけれど、
自分が壇上に立つようになってから、出欠を2度取って
途中で居なくなった者は欠席扱いにする、
休憩時間以外はドアに見張りをつけて客席から外に出さない、
休憩時間以外は禁煙にするなど、色々な改革をやったのだけれど
考えてみれば、我侭で自分中心の本当に嫌な奴だよなぁ・・・・・
でも、理屈が通った事をやるから、誰も文句は言えない。
本当は自分が壇上に居るのに外でタバコを吸って時間を潰している奴や、
話を聞きもしないで帰る、かつての自分のような奴が許せなかっただけなのに・・・・

本当は組合に残って、労働運動に人生を捧げようと思っていたのだが、
会社との関係もあって、結局直前で降りる事になってしまった。
そんな後ろ髪を引かれた組合の議案書を見るのが、毎年この時期の楽しみでもある。

今回の議案書は、相変わらず変り映えしないものだった。
年間活動報告、そして来期の活動方針、予算計画等など・・・・
ところが後ろの方に、「女性のための組合」みたいな記事が乗っていて興味を持った。
入社して、結婚して、子供が出来て・・・この間に、祝い金の支給や、産休、育児休暇
などの諸制度が女性社員に関わる事だと、解説してあった。

「男女雇用均等法」なるものが出来て、何年になるのかな?
出来た当初は、女性が社会進出することを助成する法律と考えられていた。
しかし、実際には逆。男女が均等という事は、同じ条件で募集して男性だけ
採用しても問題が無い。さらに、昇進昇格についても男性の方が有利。
産休、育児休暇などを取るから、平等に見えて実は不平等。
それで今度は「男女共同参画社会基本法」だとさ・・・・・
法律作れば解決する問題じゃない。
こういった事は、個人レベルで戦っても限界がある。
こんな時こそ、労働組合の存在価値が示せる・・・・・
と、僕はこういった社会制度を変える力になりたかった、
というのが僕が労働運動に進みたかった本当のところ。男の仕事だって感じたのです。

ところがこの議案書を見て、ちょっとカチンと来た。
女性のために・・・・なんて事を、組合が言って良いのか?
男女参画といった事の本質が解かって書いているのか?
執行部でこの記述について議論にならなかったのか?
と、今でも親交の深い副委員長にメールで食って掛かった。

すると、副委員長はこう応えた。
本質が解かって議論できる人間は少ない。そもそも、男女なんて言葉を
言っていること事体、本質に触れる以前の話。
社会制度も、社会の仕組みもまだまだ女性差別の世界のままです。だとさ・・・・

全くそう思う。第一、女性専用車両だとか女性半額なんて広告に踊らされる日本。
そうじゃない人も沢山居るが、女性は差別されている・・・と云う本当の所に
気がついていない人がまだまだ多い。

女性と云う性を理解して、女性にしか出来ないことを認め、
男性には補えない部分をどうやって埋めてゆくか?・・・・・
かつて、男社会を批判した女性が実は女の敵で、男性社会を支えていた事を
女性はもっと知って欲しいとも思っていた。
僕は多くの女性に助けられて、今の自分が有るから余計にそう思う。

お笑いは「男子ロッカールームの入口に目隠しが無くて、女性が困っている」
という、議案書の中の記述。
見られて困っているのは、男の方なんだよ!
と、ついでに副委員長にメールしてやった。
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至福の時間、「大塚GRECO」で「FUGA」

2008年09月23日 | Weblog
今日は昼間に劇団の演技指導をして頂いている堀米先生が出演される
「葉っぱのフレディ」というミュージカルを観に行く予定だったのだが、
家でちょっとした用事があって、時間的に間に合わないのでパスしちゃった。

そして夜は、前から予定していた大好きなギターデュオ「FUGA」の
ライブを聴きに大塚になる「大塚GRECO」に出かけてきました。
「大塚GRECO」、そしてママの美好さんの顔を見るのも本当に久しぶり。
もしかして、今年に入って初めて?
僕の顔を見るなり美好さんが、僕を見て「痩せた」と言うのです。
確かに、この3ヶ月は会社でもサッカーしかやっていないので4Kg 痩せたからなぁ・・・・・。
髪の毛も短くなって、顔も日焼けして感じが変ったそうです。テヘへ・・・
そんな会話に始まり、いつもの席に座る。
やっぱりGRECOは全てにおいて癒される空間です。

今日の「FUGA」は師匠小畑さんが、珍しくZoomのギターエフェクターを
使っていた。いつもとはちょっと違う音作りで、また良い感じ。
結局、上手い人は何を使っても上手いのですねぇ。
一方の竹中俊ちゃんは初めて見るYAMAHAのガットギター。
触らせてもらったけど、トップが単板でなかなか良い音がするギターです。

ライブは二人のテクニックを堪能しました。
見ていて思ったことは、小畑師匠も俊ちゃんもギターを弾く指が自分とは全く違う。
二人とも、弦を押さえると言うより弦の上でタッピングしているよう。
ハンマーリング、プリングオフと言ったギターの基本的な弦の弾き方が本当に見事で、
当然のごとく音の切れも全然違う。
僕等の世界でもそうだけれど、プロとはこういった基本を普通に身につけていて
当たり前のようにやってのける所が、アマチュアとの差なんだなぁ。
ライブの内容は、書くと終わらないので気になる人は聴きに行った方が良いです。
つまりは「内緒」。へへへ

2回目の演奏の直前に、羊毛アーティストのAnemone巨匠がやってきた。
そしていつもの席、僕と椅子一つ空けて隣。カウンターの角に座る。
Anemone巨匠と会うのは、7月下旬にあった僕の芝居を観に来てくれた時以来だから、
約3ヶ月ぶりのご対面かな?
彼女は雑誌の取材やら、教室で地方巡業やら、テレビの仕事やらで相当忙しいはずで、
今日は来ないだろうと思っていたから、ちょっと意外で嬉しかった。
まぁ、彼女は「FUGA」の中毒患者みたいなものだから、意外でもないか・・・・・。
芝居での僕の役についての感想を聞かせてくれたりで、やっぱり楽しい。
明日は朝早くNHKで「おしゃれ工房」の録画撮りらしいです。
いよいよ、彼女の姿がテレビで見られますよ。放送は29日だそうです。

そして、美好ママと話をするのがまた一つの楽しみ。
いつも話しをしていると、まるで10代の女性と話をしているような感覚になる。
僕の話に対する反応が、凄くピュアな反応で驚いたり、感心したり・・・・・
その時の表情が凄く可愛らしくて、まさにマドンナ(古い表現かな?今はアイドルって言うような気がします) って感じです。
僕は話をしている時の美好さんの笑顔を見ると、本当に癒されるのであります。

「大塚GRECO」で、ギターデュオ「FUGA」を聴く。
僕には凄く贅沢な時間。今日は出かけて良かった!
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マジックもいよいよ「5」

2008年09月22日 | Weblog
明日はまた休み。
あと一週間で、会社を変るのだけれど気分はすっかり移動後の気分。
今日も午後から出向先に出向いて、若い人と一緒に電源の調査。
僕にも良く判らない現象を相談されて、一緒に調べようと云うことになって
「どういうチェックをしようか?」とか色々考えさせてから、
最終的に間違っていなければ、そのまま仕事を進めさせる。
迷ってしまった時や、どうしようかと質問してきたら、
僕がある程度の道筋を示して、また考えさせて仕事を進めさせる。

僕は昔からそうやって若い人を育てようと、やってきたつもりなのだけれど
今の部署の連中は、何でも本の知識で判っている気になってしまっているから、
こちらの言う事など、聞いている振りをして実は聞いていない。
聞く耳持たない奴は、結局大きなミスをしないと判らないのだ。

ところが、今度の部署の子はこちらが言った事を、まずはやってみようとする。
僕は 「俺の言う事を全部聞くなよ、あくまで自分で考えてからにしよう」と
何かやる時には、自分の判断でやるんだという事を植えつけるようにしている。
そうしないと、「○○さんに言われたので・・・」とか、責任逃れをするようになるからね。
これも今の部署でも同じようにやってきたはず。
受け手の違いなのか?とにかく、今度の人たちは何でも素直に質問してくる。
勿論、僕も即答出来ない事も有るので、そういう時は「判らない」とはっきり言う。

この3週間、そんな受け手の反応の違いを感じて仕事をしている。
判らない事を質問して、こちらの考えをきちんと聞く姿勢は嬉しいです。
言う事を聞くからじゃなく、質問してくる事と、解からないからする質問の
答えや、アドバイスをきちんと聞いてメモする事。
久しぶりに、いい気分で若い人と仕事をしています。

もう一つ、色々な人から送別会の誘いを貰う。
今週末はかつて一緒に納入へ行った製造部門の人たちが集まってくれるそうだ。
来週は、僕の居たチーム以外の若手が送別会を開いてくれるそうです。
マジックもいよいよ「5」。
という事は、来週から早起きしないとなぁ・・・・これだけは誤算でした。
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衝動買い?

2008年09月21日 | Weblog
今日はサッカーの試合も中止になり、長女と約束していた
誕生日プレゼントの「マウスピース」を買いに、店内で試奏が出来る
西東京市にある管楽器専門店「カワウチ楽器 BANDPIT」
http://www.kawa-net.co.jp/wind02.html に行って来た。
最近、ギターを弾いていて、自分にとって良い楽器とは手に合った物で
それに加えて、自分の演奏スタイルに合った物が良い楽器だと思うようになった。

トランペットのマウスピースも色々有る様で、物によって吹き難かったり、
やはり自分の口に合った物が良いようだ。
ただ、長女のトランペットは安物なので、高いマウスピースをつけるのが
果たして良いのか?それは自分には判らなかった。

店内に入ると、女性のスタッフが対応してくれた。
そしてマウスピースを見せてもらったのだが、こちらが心配していた通り。
長女のトランペットはいわゆる廉価版、初心者には良いけれど
部品、特にトランペットの心臓部であるピストンの精度が今ひとつ。
YAMAHAあたりの管楽器は平均して高価なのだが、ピストンの作りは
世界でも有数のクオリティを誇っていて、高価なのには理由があるという訳。

そして予想通り、長女のトランペットにはピストンにガタがあって
それゆえに思ったような音を出すのに苦労している様子。
安物にリペアって高くつくだろうな・・・・って思いながらも、
とりあえずスタッフの女性に訊ねてみたら、予想通りの答え。

そこで店に飾ってあったトランペットを見たら、買ってやりたくなっちゃった。
スタッフに頼んで、いくつかのお勧め品を出してもらい試奏させたら
驚くほど、音が全く違う。やっぱりなぁ・・・・・
それで娘が一番吹き易そうな1本の値段を見たら27万円強。
このお店は2割引で譲ってくれるとの事で、22万円ちょっとになるという。
一緒に行った嫁さんに「やっぱり安物の楽器は駄目だから買っちゃおう」
と言ったら嫁さんは文句を言わない。
見せてもらった3本の値段が定価で5万円ほど差があったのだが、
一番高いものを2割引すると5万円になるので、迷わず一番高いものを選んだ。

長女はマウスピースのつもりが、新しい楽器になって、逆に戸惑っていた。
店の中で、スタッフが色々と吹かせてみて、一番良い音で吹ける楽器が
たまたま一番高いものだったと言うだけ。
実際、今まで出なかった音が簡単に出たり、聴いていて音が全然違うので納得。
僕には音の質の違いしか判らないけれど、気持ち良い音に聞こえる。

一番感心したのは、店のスタッフが自分でも演奏するらしく
試奏のさせ方も、何処かのスクールのレッスンみたいな感じで1時間近く
リップスラーやらロングトーンやら専門用語で何度も吹かせている。
「今まで吹けなかったのは楽器のせいだよ」と、最近ちょっと悩んでいた娘も
ちょっと自信が出てきた様子。音もだんだんきれいな音になってきた
そうしながら、長女が一番良い音を出せるマウスピースも選んでくれたりと
なかなか素晴らしいお店である。
店内で思い切り音を出して吹けると言うのも、信頼できる店だなぁと思った。

そして、購入を決めたら次は手入れの仕方やオイルやグリスの選び方も
きちんと教えてくれた。
こうなると、全面的に信頼しちゃう僕。オイルやら手入れ用の道具一式と
トランペットを倒したりしないようにスタンドまで見繕ってもらった。

この店は次女の吹奏楽部の楽器を扱っている関係で知ったのだが
次女の楽器の事も相談して、次女にもサックスの手入れの方法を教えてもらい
ついでに手入れ用の道具も一式購入した。
思いがけず良いお店に出遭って、何だか嬉しくなっちゃった。

先月は次女の誕生プレゼントでYAMAHAのテナーサックスYTS-475を購入。
今月は長女のトランペットYTR-8335RGSを購入。
両方合わせて40万円以上の出費。
暫く、無駄遣いは控えなくてはいけないかな?
でも長女が私立高校に入っていたら、入学金で出費していたから同じ。
楽器は出来るだけ良いものを、楽器にかかる金はある程度仕方ないと
自分が散々、ギターを買っているので納得の出費。

一週間遅れで、長女に新しいトランペットを買ってやれて、
娘は嬉しそうな顔をしていた。それを見た僕のほうが嬉しくなった。
これでもう少しやる気が出てくれたらいいのだけれど。
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誰かと思えば、僕の弟

2008年09月20日 | Weblog
2週間後に姪の結婚式があるので、今日は伸びていた髪の毛を
切っておこうと床屋に行ったら、となりのお客が肩を叩いてきた。
誰かと思えば、僕の弟。実弟です。
2歳違いだが、子供の頃から背格好が殆ど一緒で、
いつもお揃いの服を着ていたので双子だと思われていた。

その弟と、ほぼ同じ時間に予約を入れたものだから床屋さんも
変だなぁと思っていたらしい。
弟は練馬区の光が丘に住み、僕は三鷹市在住。
40年の付き合いになる、実家近くの床屋に兄弟揃って通っている。

「今度の結婚式、お祝いはどれくらいにする?」と、
電話で話そうと思っていたことを相談。
僕が組織を飛び出して、違う子会社に移動になる事も話した。
実は弟は工学部で化学専攻。卒業後、グリースの会社に勤めていて
新製品の研究開発に携わっている関係で、僕の設計した顕微鏡のユーザー。

2年後には弟の会社が千葉に移転になるので、その時に古い装置を
移転時に一新すると言う情報も貰った。
そして、その装置を作っているのが今度行く子会社。面白い巡り合わせだ。

二人並んで髪の毛を切るのは初めての事で、何だか凄く変な感じ。
横目でチラチラ見ながら、「こいつ白髪が無いんでやがる」とか妙に意識。
僕が髪の毛を切る担当者に、ああしろこうしろと注文をつけながら
色々話をして髪の毛を切る僕に対し、昔から寡黙な弟は、
相変わらず眠りもせず黙って髪の毛を切らせている。

僕は髪の毛を染めるので、髪の毛を切るだけの弟は先に終了。
実家に寄って、おふくろの相手をしてくれている弟の嫁さんと一緒に
先に帰ると言って店を出て行った。
僕も一時間遅れて、実家にお袋の顔を見に行ったら弟が
「パーマはかけないみたいだから、あと一時間くらいかな?」と言っていたそうだ。

お袋の顔を見たら元気そう。
姪の結婚式の前に姉貴が豪州から帰国するのを楽しみにしている様子。
僕は夕方からマンションの自治会に出なくてはならないので、
お茶を一杯ご馳走になって、今度の会社の事を話して帰って来た。
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出会えて本当に良かった仲間

2008年09月19日 | Weblog
今日は会社のサッカー部の先輩で定年退職される7歳年上の先輩の慰労会。
二日続きで、呑みすぎてしまった・・・・

僕が会社のサッカー部に入って、25年。
その頃は会社のサッカー部の全盛期。
FWに11秒台で走るメンバーが揃い、そのうちの一人は
その当時サッカーでYAMAHA(今のジュビロ磐田)に入る予定だった男。
中盤は高校選手権に出場経験のあるメンバーがゲームを組み立てる。
ところが、ディフェンスは僕を含めてテクニックがある方ではなかった。
センターバックをやっていた僕のバックラインに右サイドバックとしてその方が居た。
試合中は、いつも僕に怒鳴られながらも、しっかりとしたディフェンスをしてくれて、
個人技こそ無かったが、チームワークで固いディフェンスをやっていた。

それでも、そのチームは東京都社会人リーグの2部で活躍したのだが、
1部昇格目前で最終戦を4:3で落としてしまい、昇格が成らなかった。
その上に行くには、もう一つ実力が足りなかった。

その後シニアチーム発足で再び一緒にプレーしたが、このチームは年齢の割に
強すぎて、あっという間に市民リーグの1部まで上がってしまった。
シニアチームは、勝ち負けをコントロールできる2部あたりでやっていれば
今でもやっていただろうが、そのチームは馬鹿だから、昇格をかけた試合で
本気になってしまい、勝ってしまった。
流石に1部では勝てなくなって、メンバーも集まらなくなり自然消滅。

そして、定年寸前の先輩は今でも若者と一緒にサッカーを続けている。

慰労会には僕が入部した当時の先輩達と一緒の第一世代。
先輩が抜けて廃部寸前まで部員が減り助っ人を頼んでまで続けて、
結局は4部まで落ちてしまった第2世代。
その後、第2世代が繋いだチームを次の世代がごっそり入り
3部昇格を果たした第3世代。
そして今の若手チームの第四世代。
この世代を超えたメンバーの心通っているおバカさんたちが一同に集まった。

この中で4世代に渡りプレーしているのは僕一人。
先輩が昔のメンバーは、試合終了と同時に殴り合いの乱闘になったとか
今も昼休みに一緒になってやっている若者を誉めたり、
とにかく上は取締役から、下は今の25歳のキャプテン。
そういったメンバーが、同じ立場で、冗談を言いながらの飲み会。
こんな同好会は、滅多にお目にかかれないでしょう。

そして、年寄りは若者がサッカーを続けるために幽霊部員となって
部費を払い続ける。若者は、先輩達の期待に応えるがごとく頑張る。
崩壊寸前の第2世代のキャプテンだった男が、先輩達にこう言われたそうだ。
「辞めるのは簡単、続ける事に意義がある。サッカー部の歴史を背負っている事を忘れるな」
実際、その時期にやっていた僕は、先輩の言葉が凄く印象に残っている。

サッカー部が創立されたのが、昭和37年。
まだ、日本はサッカーと云うスポーツが知られるようになったメキシコ五輪以前の話。
その当時は、パスを回すなんていう感覚が無く、ラグビーのようなキックアンドラッシュ。
先輩達が入った時期に、パスやトラップの重要性を説く高校秋田代表だった人が
我社のサッカー部にパスを回してゲームをする「近代サッカー」を持ち込んだ。
創部20年目に部に加わった僕は、その「近代サッカー」をするチームにのめり込んだ。

その後、一気に若手が増え、試合に出る機会が減った先輩達が、
試合がしたくて、シニアチーム結成のためにごっそり抜けて行った。
その先輩達の我侭のために、第2世代は廃部寸前になり苦労したのだ。

そしてその次の第3世代が皆40歳前後になった今、
僕に「シニアチーム」を立ち上げてくれと皆、口を揃えて言い出した。
でも、僕は
「今はまだ若い世代のチームが固定されていないから時期尚早」と
今日、若手を代表して来てくれた現キャプテンのチームが、
黙っていてもメンバーが揃うようになるまで見守りながら、力を貸してやろうと提案した。

こんな真面目な話も、きちんと聞いて意見を出し合う仲間。
「仕事でもこう有りたいねぇ」
と言いながら、大騒ぎに戻る。
先輩の定年慰労会は、いつの間にかいつものサッカー部の飲み会に変わっていた。
世代を超えた人間関係。今は、少ないんじゃないかな?
この部も4年後に創部50周年を迎える。
この部に入って、このメンバーに出会えて本当に良かったなぁと思った夜だった
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たった2人の壮行会

2008年09月18日 | Weblog
今日は、部内で一番信頼しあっている男と二人で呑みに行った。
彼曰く、「壮行会」。
彼との付き合いはかれこれ18年になるかな?

CEマーキングと云う欧州へ出荷する装置の安全基準クリアのために
前任者が居たのだけれど、期限寸前になって、基準をクリアできないどころか
装置そのものを、無謀なテストで壊してしまった。
そんな後がない仕事に、「背水の陣」と称して、僕と彼が選ばれ
2週間で放射ノイズやら、外乱による誤動作対策をクリアしないとならない
とんでもない仕事を押し付けられた。

二人で毎朝、ミーティングをしてその日の目標を決めて作業。
その頃は基準をクリアするどころか、測定方法すら誰も知らなくて
とにかく二人で必死になって作業した。
そして、何とかクリアできた時に上司から言われたのが「流石は最強コンビ」
そんな風におだてられて、会社から褒美に記念の時計を授かり、
さらに会社持ちで打ち上げ慰労パーティーまでしてもらった。
そういう意味では、本当に背水の陣だったんだな・・・と、二人で苦笑いした事もあった。

それ以来、良きライバルとしてお互いを意識し合いやってきた。
僕のやった125万ボルトの超高圧電源だって、彼が基礎実験をやってくれたお陰で出来たようなもの。
美味しい所を、僕が貰ってしまったような形だった。

ついこの間、東北大に納めた装置だって、彼が作った部分と
僕の作った部分の性能勝負。
「性能が出ないのはお前のせい」と、良い意味で責任を擦り付け合い、
お互いに相手の見ていない所でこっそり直しては、どうだ!と突きつける。
その結果、装置も素晴らしい性能を出すことが出来た。

ところが彼も僕も、いつの間にか部署から干されてしまった。
彼は、我慢強いので僕のように飛び出すことも無く、ひたすら若手の
成長を見守るような事をしている。

一方の僕は、短気ですぐに売られた喧嘩を買っちゃって
結果的に飛び出すことになった。

それで、今日は彼の驕りで「壮行会」。
色々、話をしたがお互いに今の部署が崩壊寸前である事を感じている。
僕にすれば、彼が干される理由が判らない。
彼も、同じように僕が干されることが理解出来ないらしい。

でも、今度の部署は周りが皆、若い。
自分ひとりで、電気設計全般など看れる訳が無い。
それで、僕は社長と専務に「手助けを頼んでも構わないか?」と言って
暗に彼が干されて、能力が生かされていない事を伝えている。

彼に「何かあったら手伝って」と頼んだら、二つ返事で「OK」。
一時期、いまだに原因不明だが半年くらい、口も聞かない、顔も合わせない、
といった険悪な関係になった事もあった。
それでも一緒に仕事をしなければならなくて、連絡はメールかメモ。
そんな事があっても、いつの間にか元通りに戻って、今は一番信頼できる間柄。


僕の周りには、こういった強い味方がいて、本当に恵まれている気がする。
腐らず、元気に次の仕事をやらなくちゃいけないな・・・・
自分だけ先に、良い思いをしてしまうような、後ろめたさがあるが
このまま終わるものか!と、彼の分まで頑張らなくちゃいけないな。

ビールをジョッキで数杯飲んで、最後に呑んだウーロンハイは、
凄く濃くて一気に酔っ払った。
たった二人の壮行会は、ちょっと飲みすぎた。
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Docomo不可解な請求額

2008年09月17日 | Weblog
今月の携帯電話の請求額。
長女の料金が6500円。
imodeで、パケットを使いまくってるのかと思ったら
どう考えてもおかしい。

と云うのも、長女は携帯電話を持たせているものの
友達からのメールも、親が教えなければ見ようともしない。
いつも使いたい時には電池切れ。
携帯でゲームをやる事も、有料と云うだけでビビッて繋げない。

そして昨日は学校が休みで、昼まで寝ていた。
嫁さんが仕事休みで家に居て、携帯を使っていないことは知っている。
なのに、昨日一日で1000円以上、imode使用になっている。

それでimode通信記録を調べているのだが、使っていない時間帯に
なにやら何処かのサイトに繋がっている形跡がある。
履歴を見ると、docomoからすれば使っただろうと言われる。

こんな経験初めて。
同じように契約していて、むしろ頻繁に使っている嫁さんと次女はそんな事が無い。
使っていないのに履歴上はサイトに接続している事になっている。

こんな時、どうすればいいのだろう?
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マジック9

2008年09月16日 | Weblog
最近、ちょっとした事でイライラしたりカチンとしたり・・・・
心が病んでいるのかなぁ?
仕事は嫌がらせ集団から、何とか抜け出せそうだけど、
何処かで、負けて逃げ出してゆくような悔しい思いがある。
そして、勝ち組のような顔をしている連中が、すぐ傍にいるのも
原因なんだろうけど、いつもイライラしている自分が判る。
このまま、勝った顔をしている連中がのうのうとしているとしたら
この会社は終りだな・・・・とも思う。

強がり言って、「もう俺は関係ない」とは言ったものの、
世話になったお客さんの顔が浮かんできてイライラする。
何処かで後ろ髪を引かれている気持ちがあるんだろうな・・・・
格好悪い自分が情けない。

今日は兄貴から電話があって、何となくよそよそしい会話。
兄弟なのに、どうしてこうなのかなぁ?・・・・また、ちょっとイライラ。
お袋に電話したら、僕の知らないところで姉貴を豪州から呼び寄せて
「あんたは電話もくれないから」と、痛いところを突かれてカチンと来る。
歳いったお袋に食って掛かる自分。後味が悪かった。

それで、腹いせみたいな勢いで豪州の姉貴に電話。
ますます格好悪い。
1時間も話をして判ったのは、お袋が心を開いて話せるのは
兄弟の嫁さん達ではなく、姉貴だけだということ。
お袋の病気は婦人科に行くため、男の僕じゃ付き添いしても限界がある。
それを直接僕に言えないし、かと言って嫁さんに頼むにしても遠慮がある。
姉貴にそれを諭されて、また自分の独りよがりでお袋にキツイ事を
言ってしまった自分に気がついて、ちょっと落ち込む。

血の通った兄弟でも、独立すればそれぞれに生活があり出来る事も、限られてくる。
ちょっとした言葉の行き違いで、関係がギクシャクする事もしばしばある。
ましてや、他人となれば尚更だろう。
会社でのゴタゴタも、元を正せば僕に非があるのかも知れない。
ただ、修復出来ないのは受け取る側の問題。
お袋にも、姉貴にもきつい事言っちゃったけど、何とか分かり合えた。
僕は余程の事が無い限り、終わった事は水に流す。
そうじゃないと、人生はやっていけないと思っているから・・・・
会社でも、そうして和解してきた人間は沢山居る。

マジック9。あと九日でまた一つ、会社人生の分岐点に差し掛かる。
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