『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

大晦日

2016年12月31日 | Weblog

今年の大みそかはいつもと違った
昼過ぎに、年賀状の印刷を始めたが、途中でプリンターが故障。
新品のインクに交換したばかりだと言うのに、色が上手く出ない。
結局、12枚ほど年賀状が無駄になってしまった。
6年使ったプリンターが、よりによってこんな時に故障。

仕方がなく、新しいプリンターを購入してセットアップ。
印刷を再開したのが6時過ぎで、印刷を終えてから、
三鷹の自宅に着いたのが夜9時になってしまった。

いつもなら紅白歌合戦を見ながら、年賀状の宛名書きのはずが
何となくそういう気分になれないで居た。
娘たちが、それぞれ好きな飲み物を持って集まってきた。
紅白歌合戦を見ながら、缶入りのカクテルを飲み始めた。
僕は、何となく飲む気にならず、紅白歌合戦が終わって
新年のカウントダウンを迎えた。

その後、長女は友人たちとネットゲームをするために部屋に戻った。
次女は、会社以外の仕事をやると言って部屋に戻る。
嫁さんと二人になって、テレビを観るだけ。

実は自宅に戻ると、寝る場所が無い。
皆が寝た後にソファーで寝ていたのだが、娘たちも大人になって
それぞれ、やりたいことがあるので部屋に戻っても、
僕がゆっくりくつろぐ場所が無いのです。

別居して3年が過ぎ、結果的に自宅は自分がくつろぐ場所じゃなくなっていた。
自宅のソファーで寝ても、結局昼過ぎまで寝てるだろうし、
酒を飲んでいないので秘密基地に戻ることにした。
嫁さんも、その方が一人でくつろげるだろうと思うし・・・・

我々家族にとっては、この方が良いのかも知れない。
明日、昼過ぎに来れば同じ事ですからね。

定年退職して、家族との関わり方も変わってきた。
今年は、色んな意味で生活が変わったけれど、
家族のつながりは、前より強くなった気がします。

来年は、もっと自分らしく生きようと思う。
家族にも、同じように自分の思うように生活して欲しい。
今年は病気もせず、元気に一年を過ごせたのも
家族が、僕の生き方を理解してくれたお蔭。

感謝しています。

今年もつまらない日記に御付き合い頂きありがとうございました。
良い年をお迎えください。

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カウントダウン2016 その4:『音楽』

2016年12月30日 | Weblog

いよいよ今年も残り1日。
今日は午前中に三鷹まで行って、もう20年の付き合いになる
正月飾りを売っている鳶の女将の店で、買い物。
女将が僕一人なので寂しそうにしていたけれど、
少しの間、来なかった娘の話や世間話をして帰ってくる。
年末の恒例行事みたいな時間でした。

三鷹の自宅用にお飾りと輪飾り3本、荻窪のアパート用に
お飾りと門松、輪飾りを5本、それに車用の飾りを購入。
占めて8500円だったけれど、縁起物なのでご祝儀を加えた
9000円を払って自宅へ向かった。

今日は嫁さんも仕事で、誰も居ないのでドアに飾りを下げて
水回りの台所、トイレ、洗面所に輪飾りを取り付けて
急いで荻窪へ戻った。

荻窪のアパートは、まず通路と敷地内の落ち葉を掃除して、
門扉の両側へ門松を付けて、入り口には正月飾りをつけて完了。
ついでに車を洗車して、正月の準備が完了した。

夕方、うさぎの『うー』を動物病院へ連れて行くので
それまで年賀状の最終確認。
古いはがきに試し刷りをして、こちらも印刷を残すだけ。
これは毎年、大晦日にやる事にしてある。
印刷したら夜に紅白歌合戦を見ながら、宛名書きをするのが僕の流儀。

夕方は予定通り、うーを病院へ連れて行ったのだけれど、
いつもはじっとしているのに、今日は車の中で移動用のバッグから
体を乗り出して、嫁さんにだっこされていた。
目が白内障になったせいで、怖いのでしょうね・・・・

帰宅して、娘たちと合流。
夕食を食べた後は、正月用のお菓子とお酒を買い込んで帰ってきた。
残すところあと1日かぁ・・・・

この一年間は、本当にあっという間に終わってしまった感じ。
そうそう、今日は『音楽』でしたね。


今年は11月に、5回目となる東北復興プロジェクトに参加するのをきっかけに
相方とのバンド活動を再開した。
それでも、その後はさっぱり練習しなくなった。

僕が芝居の稽古に入ったのも理由の一つだけれど、
最近は相方も歳のせいか、体調不良の日が多くなった。

それとやっぱり、音楽に対する意識のズレがあるのかな?
相変わらず、相方はどこかのミニライブスポットで、
店の出演者に混じって唄ったりするのが好きみたい。
何だか、カラオケで唄うのと変わらない気がして僕の趣味ではない。

僕からすれば、そういうミュージシャンも『プロ』なんだろうけれど
昔の『流し』の歌い手と何ら変わりがない。
僕が好んで聴く、プロミュージシャンとは明らかに違う。

僕は自分の作った曲を、演奏して聞く人の反応を見たい。
そして、何とか形にして残そうと思う。
そういう点で、相方とのバンド活動は音楽への向き合い方が違う気がする。

相方は練習が好きじゃないしね・・・・
僕はどんな事でも『上手くなりたい』と思ってやっている。
その分、相方からするとストイックに感じるのでしょう。

とは言え、芝居がある以上、今の状態は脱却できないのかな?
お互い定年退職して、時間は余るほどあるはずなのだけれど・・・・
来年は、少し仕事を忘れて音楽に向き合いたいなぁ・・・・
そう思っています。

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カウントダウン2016 その3:『演劇』

2016年12月29日 | Weblog

今年の劇団公演は25周年の記念公演。
公演した『女系の遺産』はいつもとちょっと違った舞台でした。

この芝居、若い頃に生き別れとなった母と息子の話。
僕の役は、その母親と生き別れになった息子の役だった。
この台本を手にしたときは主役が別の人だった。
ところが体調不良で入院、手術となり早々に主役交代となった。
最初に抜擢されたのが、僕を可愛がってくれていた姉様。
その話を聞いて、僕はもう一度台本を読み直してイメージしてみた。

どうも姉様のイメージじゃない。
姉様が主役だとこの芝居は上手く出来ないな・・・・と感じた僕は
座長にその話をして、主役を代えてくれるようお願いした。
その理由は、自分を捨てた母親を憎む役をやろうとしたら、
姉様相手では思い切り感情をぶつけられない気がしたから・・・・

結果として、その予感は的中しました。
最初こそ、稽古で芝居が噛み合わなかったけれど、
だんだん『この女・・・・』っていう感情を、芝居の中で出せるようになってきた。

稽古も終盤に入ると、自分に役が乗り移って感情がコントロールできなくなって、
稽古中に涙がボロボロ出るようになってしまった。
『稽古中に沢山泣いておけば、本番は大丈夫』
なんて言われて臨んだ本番も、稽古と全く同じで涙がボロボロ・・・・
鼻水まで垂らして、みっともない舞台だったかもしれない。

でも、芝居の上手い下手はともかく、常日頃から座長に言われていた
『芝居の中で別の人格を作る』
と言う事が、少しだけ出来たような気がして、達成感があった。

振付けの河岡先生が、公演中に楽屋へいらっしゃって
『男の人が芝居を見て泣いて居ましたよ』
って言われて、ちょっとびっくり。
今まで、12年やって男性が泣いているなんてことは無かった。
そういう意味でも、何だか嬉しかったですね。

今年は年明け早々に、大好きだった大御所の大野さんが、
他界されて劇団も寂しくなった。
今回の芝居は尊敬する大野さんに、芝居を観てもらいたかったです。

来年の公演は、3年連続で東京芸術劇場のシアターウェスト。
4月1日(土)、2日(日)の昼、夜の2回、2日間で4回の公演になります。
稽古は今年の10月から始まって、すでに立ち稽古に入っています。
次回も『芝居の中で別の人格を作る』ことが出来るように、
既に台詞はほぼ入って、台本を持たずに稽古しています。
周りも同じように練習してくれるといいのだけれど・・・・

チケットも今まで以上に売らないといけないので、頑張らなくちゃ!
皆様、お時間をお繰り合わせのうえ、是非ご来場ください。

写真は今までの公演のスナップ写真です。
★2006年6月「ミュージカル・錨を上げて」で初出演。
乗客係の船員 ダグラス役
 
★2007年6月 「Homecomming・帰郷」
町の荒くれ男 ダン役
  
★2008年7月 「カフェ・イルマーレ(家族の肖像)」
医者 ジャック役
 
★2009年5月 「いつまでもあなたを」
ムショ帰りの男 トーマス役
 
★2010年7月 「魔女は永遠に」
金持ちの息子 ピーター役
 
★2011年5月 「人生は一度きり!」 
元スタントマン トニー役



★2012年6月 「今夜はホテル・エミリアで」 
元パイロットのヒモ フランク役
 
★2013年5月 「3人姉妹」 
3人姉妹の母親の愛人 チャック役

★2014年6月「帰ってきたあいつ・Reborn」
戦争後遺症の男 ダン役
 

★2015年4月『幸福の値段』
金持ちの老人 ピーター役
 
  

★2016年4月24、25日『女系の遺産』
  

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カウントダウン2016 その2:『サッカー』

2016年12月28日 | Weblog

今年は一年間、サッカーを良くやった一年だった。

正月早々に『小平市長杯』に招待チームとして参加した。
2015年の大会に初めて招待された昨年は、決勝まで進んだけれど、
ちょっとしたミスを突かれて、1-2で惜敗。
次は優勝・・・・と思って出た今年。

準決勝で元日本代表の本田康人氏が加わった
西国分寺にまたもや1点差で敗れ、3位決定戦で勝ったものの
何となく消化不良のまま、大会を終えた。

その翌月は昭島市代表として『三多摩大会』に出場。
相手は稲城市の代表。
地元昭島の競技場での試合だったが、ふがいなく2-5の大敗。
やっぱり昭島で無敵でも、各市町村の代表相手には簡単には勝てない。

3月は昭島市壮年大会。
この大会に優勝することで11月に開催される八王子市との定期交流戦
『AH杯』への出場権が得られる。
この大会は、順当に優勝

褒美に参加者全員にピステを買ってやる羽目に・・・・
退職金が出たので、ちょっと奮発して今年の春夏モデルを購入。

リーグ戦は初戦を芝居公演のため欠場。
ところがそれが功を奏してか?
若いチームに2-1で勝って、幸先の良いスタートを切った。
リーグ戦は前期7試合で3勝3敗1分けで8チーム中4位で折り返し。
後期は1チームが失格になったため6試合になって1勝5敗。
還暦の僕を含めて50代が2人、平均年齢45歳のチームが、
20代、30代の若いチーム相手に、年間4勝8敗1分けと良く頑張った。

八月には『生涯スポーツ大会』に初出場。
真夏の炎天下で、1日2試合のハードスケジュールだったが、
試合は中央区と1-1で引き分け、2試合目は江戸川区に0-6で圧勝。

9月の市民大会はエースとゲームメーカー不在の中、準決勝でPK戦になり
あわや準決勝敗退かと思ったが、PK戦は4-1で圧倒。
決勝も大会初失点で同点になったが、終了間際の得点で辛勝。
市民大会に関しては、8人制なので余り重要じゃないけれど
やっぱり勝負事には勝たないと気分が悪いので優勝できて良かったですね。

そして11月の『AH杯』

僕は50歳以上の代表チームと自分のチームの両方で出場。
50歳以上の試合は後半から出場したが、寄せ集めチームで
パスが回って来なくて全く面白くなく、試合も0-1で敗戦。
その後に行われた0-40の試合では、0-4で圧勝。
こちらは後半の終了間際の5分間の出場で、得点できなかったけれど
4点目の起点になり、ちょっとだけ得点に貢献できて良かった。

12月は会社のサッカー部と交流試合。
若い連中相手に、1点を先制して若手に火を点けちゃった。
後半に2点を奪われ、順当負け。
その後で、瑞穂町の大会に参加した時に右足ふくらはぎを肉離れ。

今年は怪我でサッカーを終了することになりました。
来年は正月早々から最後になる『小平市長杯』。
是非とも優勝して、3度目の正直・・・・・と行きたいところです。

 

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カウントダウン2016 その1:『仕事』

2016年12月27日 | Weblog

今日を入れて、今年も残り5日となりました。
ちょっと早いかも知れませんが、5日かけて今年を振り返ってみようかと・・・・

今年は定年退職に伴う転職が一番大きな事件だったかな?
休むことなく続けているサッカー、今年も公演出来た芝居、
一位年半のブランクがあったバンド活動も取りあえず再開した。

そんな今年は、僕の生活が大きく変わった1年だった気がします。
大きく変わったのは、やっぱり『仕事』ですね。

定年退職して、一番最初に思った事は『やっと終わった』だった。
3年間、僕の後釜になった管理職の陰険なやり方に黙って我慢していたが、
流石の僕も、ストレスで不眠症に陥り、血圧が上がってしまった。
それから半年間、精神科に通ったりして何とか保存有給休暇の
消化にたどり着き、途中で退職すること無く定年退職日を迎えた。

その間、精神科の医師からは
『頑張って、壊れる前に辞めてしまった方が良いんですけどね』
と、カウンセリングのたびに言われ続けていた。

定年退職の誕生日は、挨拶さえさせて貰えない人生で最低の一日だった。

翌日から1月下旬まで、休みを取って翌月の2月1日から、
八王子の京王堀之内にある今の事務所に世話になった。
山梨に本社がある会社なので、とりあえず僕を気に入ってくれた
創業者である会長に挨拶に行った。
仕事もしていないのに、退職翌日からの契約で10日分の給料を貰い、
その上『好きなように働かせた方が良い』という会長の一言で
通勤ラッシュを避けて10時くらいに出社すると言う待遇。
今月は社長の配慮で、想定外の『期末手当』なるボーナスまで頂いた。

僕にすれば『捨てる神あれば、拾う神あり』っていう感じ。
仕事は楽しめているし、待遇にも全く文句は無い。
むしろ恵まれすぎている自分が、怖いくらいの感じです。

でも、いつまで続けるのか?という事で悩んでいる。
通勤時間がネックになって、疲れが取れないのに加え、
帰宅してからギターを弾いたり、花を活けたりしていた
自分の時間が殆ど取れなくなって、気分転換が難しい。

加えて、最近は次女の生活に合わせることが多くなって、
ますますそういった自分の時間が無くなっている。

でも仕事に関しては、今年は『生き返った』っていう感じです。
前の会社でも『死んでいた時期』があって、皆に心配されて
子会社に異動願いを出したんだけどね・・・・
結果的に、その選択が間違っていたのかも?

逆にそれがあったから今がある。
あぁすれば良かった・・・・とか、考えても仕方がないですからね。
さて、来年はどうなっているのでしょうか?
今の会社には感謝しているから、恩を返してから退きたいですね。
ゆっくり時間をかけて考えようと思っています。

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つまらない仕事なんて、一つもなかった

2016年12月26日 | Weblog

今日を入れて、残り3日で今年の仕事もおしまいです。
何だか、自分のやりたい事をやる時間が無い一年だった気がします。
『そんな事ねぇよ…十分遊んでるじゃん!』
なんて声が聞こえそうですが、それはそれ・・・・です(笑)

そんな中、今日は一人辞めて行く人間が居ました。
中国人で、山梨の本社から営業担当として、八王子勤務になった子です。
山梨の田舎の会社だから、働かせ方には色々と問題があった気がします。
でも、聞くのはいつも文句や愚痴ばかり・・・・

それで、今日はちょっと彼に話をしました。
『どんなことがやりたかったの?』
彼は、自分が中国人だから中国の人脈を生かした仕事をしたかったらしい。
ところが、誰も彼の考えや話を聞いてくれない・・・・
やりたくない仕事をやらされてばかりだ・・・・と言う。

僕は辞めて行く人に、何も言うつもりは無かったけれど、
一つだけ僕と違うなって思う事を話しました。
それは『つまらない仕事なんて何一つなかった。すべて面白かった』
という事です。

僕は色々な仕事をやって、最後に辿り着いたのが電気設計の仕事でした。
20代は仲間が始めたライブハウス運営に加わったり、
舞台音響、舞台照明をやっていたこともありました。
その後、叔父の珈琲問屋を手伝いながら、珈琲の勉強をし、
喫茶店の開店や、珈琲の営業をしていたこともありました。
車が好きで、整備士の資格を取ってトヨタに勤めたこともあった。
自動車の解体業もやって、その後電気設計の仕事に就いた。

アルバイトだって、ゴルフ場のキャディーに始まって、道路工事、
後楽園球場の切符切りと場内清掃、プロレスのリング作り、
ビル掃除、ライフガード、喫茶店、バーテンダーなど色々やって来たけど、
どの仕事もつまらない仕事なんて一つもなかった。

全て面白くて、興味が湧いて、一生懸命やって楽しんできたつもりです。
でも続けるのはしんどいな・・・・とか、この後に何が残るのかな?とか
その都度悩んでは、職を変えてきた。
努力と言えば『どうやったらこの仕事を楽しめるか?』
と言う事を考えた挙句、結論として一生懸命やってみることでした。

僕の持論に『どうせやるなら楽しんで、一生懸命やる』があります。
一生懸命やらなければ、事の難しさやその向こうにある達成感も判らない。
そんな人生だった気がします。

前の会社で部下が辞める時も、今日と同じことを言った気がします。
それは胸を張って『俺は一生懸命やってきた』と言えるか?
と言う事です。

楽な道を選んでこなかったか?
困難に立ち向かって、ブレイクスルーしたことがあるのか?
運なども確かにあるとは思うけれど、運を引き寄せる努力や
頑張りをしてきたのか・・・・?と言う事です。

色々と文句を並べて辞める人間は、そんな事はしちゃいない。
これは僕の勝手な考えですけどね。

唯一、僕の会社人生での後悔は、最後の3年間。
何も仕事をさせて貰えなかった事。
でも、今振り返ってみれば、その3年間は、そういった頑張りを
僕自身がしていなかった気がします。

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久しぶりに家族でクリスマス

2016年12月25日 | Weblog

今日は昼過ぎまで、まったりと過ごしてから、
遅い昼食をデニーズで摂って夕方6時過ぎに三鷹の自宅へ戻りました。

今日は皆、家に居るというので久しぶりに自宅で夕食。
娘たちは二人とも、休日前は夜中に起きている事が多く、
明け方に寝て、夕方まで寝ている生活が定着しちゃっている。
特に次女は、仕事から帰る時間が遅いので仕方がない。
外食で出かけると2~3時間はかかるので、家に居る時間が欲しいみたい。

それとみんな、少々外食に飽きたみたい。
ローストビーフと生ハムのマリネ、フランスパンに、
食後のクリスマスケーキを買ってきて、久しぶりに自宅でクリスマス。

子供たちも成人したので、シャンパンを開けて乾杯!
とは言え、僕は車で自宅まで来ているので一人だけシャンパンは無し。

嫁さんが買ってきたプチケーキ9個です。
毎年同じで、定番になっている雪だるまやサンタクロースのケーキ。
可愛くて、僕はこのケーキが大好きです。

一人3個・・・・だと、僕の分がない。
一人2個だと1個余る。
昔なら取り合いになっただろうけれど、今はそんなことなし。
それでも、最後に余った物が僕の分になるのは変わってない(笑)

ここ数年、クリスマスツリーも飾らなくなった。
飾るのは僕が作ったクリスマスリースくらいかな?
子供たちが大人になるって、寂しくなるっていう事のような気がします。

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クリスマスの約束

2016年12月24日 | Weblog

月曜日あたりから、左肩がズキズキと痛むので今日は早起きして、
罹りつけの医者へ行って、診て貰ってきた。
朝一番で行ったにも関わらず、すでに待合室は満員状態。
待ち時間は3時間ほどになると言われて、仕方がなく待つことにした。

2時間待って診て貰った結果は『左上腕二頭筋』の炎症。
なんでも、肩甲骨のあたりに棘のような突起が出来ていて、
それに腱板が当たっているらしい。
年齢と共に、骨にこういった突起物が出来て、
四十肩などの原因になるのだろうけれど、
僕の場合、激しい運動でこの突起で腱板を切ってしまう可能性があるらしい。

この前の交流試合でGKをやったのが良くなかったのかも?
GKも最近はボールが良く見えなかったり、無理があるのかなぁ…
レントゲンで見た棘のような突起物が、異様に大きかったのが
凄く印象的だった。
首の痛みも、運動不足に加えてパソコンに向かう時間が長くなったので
慢性的な肩こりで、首が動きにくくなっているみたい。

とは言え、60歳にもなって若い人たちとサッカーをするのだから、
これくらいの事があっても仕方がないのかも知れません。

午後からは芝居の稽古。
今日は夕方5時までの、いつもに比べて短い稽古だった。
相手役の主役が来ないので、今年からメンバーに加わった若い子が
その代役として、僕の稽古相手になってくれた。

いやぁ・・・・上手い下手は別にして、フレッシュで良いですねぇ。
このまま、主役交代でも良いですよ…って座長に進言したいくらい。
遅れて来た主役と交代した時に、僕が
『あれ?フレッシュじゃなくチルドになっちゃた』
って言ったら、主役の姉さんがムッとした顔してた。
『ドライって言わなかっただけ良いじゃない!』
全然フォローになってませんでした(笑)

稽古が終わって、帰宅したら時間があったので
昨日の深夜に録画しておいた、小田和正さんのクリスマスイブ番組
『クリスマスの約束』を観ることにした。

この番組は2001年から毎年行われている、小田和正さんがゲストを招いて
毎年行っているライブの様子を収録したもの。

オシャレして番組の収録に参加するお客さん。
御年70歳の小田さんは、相変わらずパワフルな演奏を聞かせてくれる。

番組初出演となる宇多田ヒカルが登場すると、客席からどよめきが湧く。
その他に常連の松たか子、実力派女性ボーカルのJUJUが登場。
スリーピースロックバンドの和田唱が、小田さんと絶妙のギターワークと
コーラスを聞かせ、観客もコーラスに巻き込んでポールマッカートニーの曲を披露する。

僕が好きなのは2009年の放送で結成され、いまや番組に欠かせない存在となった「小委員会バンド」。
小田さんに、スキマスイッチの大橋卓弥、いきものがかりの水野良樹、
スターダストレビューの根本要の4人で唄うコーラス。

この4人が大瀧詠一の「君は天然色」などを披露。
この曲は昨年披露するつもりで居たが、小田さんが
「大人数でコーラスを使って歌うことは、大滝の意図に反するのではないか」
という考えで断念したと言う裏話を披露。
しかし今年は、「あえて大滝に提案する」という形で、息の合ったコーラスワークを展開する。

最後はボブ・ディランの「The Times They Are a-Changin'」を出演者全員で披露。
(出演者は写真左から和田唱、根本要、水野良樹、Juju、松たか子、宇多田ヒカル、小田和正、大橋卓弥、常田新太郎)
本当に素晴らしいコーラスで、高いクオリティーの番組でした。

この番組で聞かせて貰ったコーラスに鳥肌が立つほど感動し、
僕が目指す『唄を聞かせる音楽』を見た気がしました。
いつかあんな音楽をやってみたいものですね。

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忘れていた旅行券

2016年12月23日 | Weblog

今日は朝早く起きて、今年最後の不燃ごみの収集があるので
ゴミを表通りまで出しに行った。
前回の収集日に、アパートの不燃ごみを持って行ってくれなかったので、
溜まっていたゴミを表通りの集配所へ置きに行ったのです。

その間に一週間分の下着と、シャツの洗濯をしようと、
洗剤を入れようとしたら手が滑って、洗濯機の中にぶちまけちゃった。
仕方がなく、出来るだけ回収して、洗濯機にお湯を入れて
洗剤を溶かした後にバケツ一杯を取り除いて、洗濯した。

それでも洗剤が多くて、衣類に残っていると嫌なので、
一回終わった洗濯を、もう一度水洗いした。
取ってあった洗剤を溶かしたお湯で、2度目の洗濯。
2度目はズボンと足拭き用のバスタオル3枚を洗った。

僕は洗濯が好きで、洗剤と柔軟剤は3種類ずつ使い分けている。
下着類の肌に直接触れるものやタオルは、洗剤に粉石けんの『ビーズ』、
柔軟剤は香りの良いソフランアロマリッチ『ダイアナ』を使う。

シャツやフリースは『ナノックス』に最近出た『レノアスポーツ』。
この柔軟剤は洋服からほのかに香る匂いが良いので好んで使っている。

ズボンや靴下、サッカーのストッキングなどは液体の『アタックネオ』、
柔軟剤は紫色の『レノア』を使うようにしている。

サッカーのジャージ類は『アタックネオ』、『レノアスポーツ』の組み合わせ。
僕が洗ったユニフォームを着る助っ人連中が、
『このユニフォーム、いい匂いがするなぁ』っていうのが面白い。

洗濯の後は、アパートの掃除。
通路を掃除して、エントランスと敷地の中に散らばっている枯葉を掃除。
イチョウの落ち葉は、雨の後でコンクリートにへばり付いて取るのが大変だった。
それでも全て取り除いたらすっきりしました。

一通りやることを終えて、新宿にある京王観光に行って、
定年退職時に貰った旅行券について相談したのだけれど、
どうやら誕生日までに旅行へ行って、完了しないとならないらしい。

5万円あれば、平日昼間に京都あたりへ行って3泊できるのだけれど、
わざわざ疲れに行くようだし、かといって都内の高級ホテルに滞在したところで
チェックインやチェックアウトで時間を気にしないとならないから煩わしい。

お金に換える事も出来ないし、そうまでしてお金が欲しいわけでもない。
元々、忘れていた旅行券なのだから、無かったと思えば良いか・・・・
なんて、思ってしまったのでありました。

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年末の三連休

2016年12月22日 | Weblog

年末のこんな時期に、3連休っていうのが良いのか悪いのか?
今年は23日の天皇誕生日が金曜日なので、小中学校は今日で終業式?
明日から少し長い冬休みに入る学校が多いんじゃないだろうか?
昼過ぎに職場へ向かう途中に、子供たちが沢山居た。

去年の今頃は楽しかったなぁ・・・・
有給休暇の消化で、10月からずっと休みだったのだけれど、
やる事が無いから、毎日のように11時過ぎに家を出て、
会社の昼休みにやるサッカーに出かけて、2時には帰宅する毎日。
雨が降ったり、用事が出来た時以外は、殆ど会社に居た気がする。

子供が小さい時はクリスマスや正月に、家族で出かけたり
食事したり、ゲームしたりで楽しかった。
娘たちが成人して、もうそういう時間は少なくなったかな?
そうなると、正月休みなんてどこへ行くにも混んでいるし、
元々人混みが苦手な僕にとって、家に居ることが多くなる。
そんな訳で、年末年始の休みは慌ただしくて、あまり好きじゃないですね。

昨日から左肩が鈍い痛みで、じっとしていても痛い。
仕事も最後の設計図面を渡したし、明日は出勤日らしいけど
二人休むみたいなので、僕も肉離れした足なので無理して行くことは無い。

退職時に貰った、5万円分の旅行券の事をすっかり忘れていて、
有効期限が1月20日なので、使えるかどうか?
明日、旅行会社に行って聞いてみるつもり。
多分、誕生日までに旅行を完了しないと駄目なんだろうなぁ・・・・

正月明けの平日に、久しぶりの一人旅でも行こうかな?

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そろそろ引き時・・・・

2016年12月21日 | Weblog

色々、この一年を考えちゃった。
定年退職して、のんびりと自分らしく暮らそうと思っていた。
雇用延長は、予想に反してオファーなし。
自分の力は必要とされていないんだって、去年の夏に解って
それから吹っ切れたように、残りの人生を楽しく過ごそうと
好きなことをやりながら、自分らしく生きるんだと思った。

意に反して、有難いことにかつての同僚から声がかかった。
少しくらいのんびりとしたいとわがまま言って、2月からその仕事にかかった。
仕事は初めての事ばかりで、興味を持ちながらやってきた。
決してつまらない仕事じゃなく、分野こそ違っても
前の会社で培った僕の経験は生かせそうだった。

仕事は楽しい。
久しぶりに自分の存在感を感じることも出来て、やりがいもある。
僕のつたないアドバイスにも、若い人が耳を傾けてくれて、
少しずつ自分で考えながら、仕事を進めるようになってきた。
何となく頼りにされている自分が、ちょっと誇らしくも感じた。

ところが、どこかで退職した時の『やりきった感』があるのか?
ここへ来て『もう、僕が居なくても大丈夫』なんて思うようになった。
そう思うと、赤字が出ているここ数か月の要因になっているのかな?
なんて感じるようにもなってきた。

今月は毎日、12時過ぎに通勤するようになった。
仕事の関係で帰宅時間は遅く、疲れて朝はとてもじゃないが起きられない。
それでも自分らしく、周りに甘えさせてもらい、マイペースで、
楽しく仕事をさせて貰っている事に感謝している。

ただ、いま自分がやっている仕事は、もう仕上げの段階なのと、
僕が居なくても、何とか終わる目途が付いたことも手伝って
仕事に対する意欲が、どんどん失われて行く。
今の職場も、いつかは退く時が来る。

そんな我儘な僕の行動で、会社と言う組織のモラルが崩れる気がして
『僕が居ることで良い影響を与えないな・・・・』
そう思うようになってきた。

正直言って、そろそろ引き時・・・・なんでしょうね?

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とりあえず出勤

2016年12月20日 | Weblog

右足のふくらはぎ肉離れで昨日は休んじゃった。
僕がやらないといけない仕事が、少し残っているので
今日は仕事に行かないと、年越しになっちゃう。

かと言って、秘密基地から荻窪駅まで、京王堀之内から事務所まで
それぞれ15分弱、片道だけでも30分歩かないとならないので、
今日は自家用車で仕事に行くことにした。

車通勤は人を避けながら歩くというストレスが無いので良いのだけれど、
車の運転は居眠りできないので、身体的には疲れる。
その上、車の通勤でも電車でも、片道1時間半はかかるので、
時間的なメリットは全くないと言っていい。

僕が車の運転を嫌う理由はもう一つあるのです。
それは『タバコ』の量が増える事。

良識ある『嫌煙家』の方たちからすれば、全く阿呆な話で
『タバコなんか止めてしまえ』って言うだけでしょうね。

ところが僕は、禁煙ならば喫煙しないでも大丈夫。
例えば、三鷹の自宅では一切吸わないし、家族で外食に出た時も禁煙席。
芝居の稽古の日は、そもそも喫煙する場所が無いから、殆ど吸わない。
僕のように『健康のために喫煙』する人は他にもいると思う。

僕は普段、朝2本、10時、12時、3時と仕事の休憩時にそれぞれ1本、
電車の場合は殆ど吸わず、帰宅してから4~5本吸っても、
概ね一日10本程度、2日で1箱。
多くても1日13本、3日で2箱で済む。

ところが車の運転をすると片道3~4本、往復6~8本と喫煙量が一気に増える。
良識ある『嫌煙家』の方たちからすれば、全く阿呆な話で
『タバコなんか止めてしまえ』って言うだけでしょうね。

良識ある『嫌煙家』の言う『健康被害』なんていうのは全く信用できない。
だって、喫煙が癌や病気の原因になると言うなら、僕が癌にならないのは変でしょう?
それに、仲間に喫煙家が多いけれど『肺がん』で死んだなんて聞いたことが無い。

じゃぁ、タバコが増えようが構わないじゃないか?
って言われそうですが、それは『食べ物が美味しく感じなくなる』からです。

まぁ、良識ある『嫌煙家』は何を言っても聞いてくれないし、
科学的な裏付けをしない、きわめてヒステリックな話にしかならないので
僕も良識ある『嫌煙家』の意見など聞く耳を持っていません。

何の話だったっけ?・・・・・・・(笑)
そうそう、今日は車で嫌々、とりあえず出勤したと言う話でしたね。

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去年の今頃は・・・

2016年12月19日 | Weblog

昨日、試合中に右足のふくらはぎに激痛が走って、
今日は歩く時に、痛みがあるので仕事を休んで医者に診てもらった。

結果は『右腓腹筋(ふくらはぎ)の肉離れ』。
3週間のスポーツ活動の禁止になりました。
年内の試合予定はないので、正月7日から始まる壮年大会の
『小平市長杯』までにゆっくりと治すつもりです。

僕は基本的に医者が嫌いなので、今回のように痛みが酷くない時は
殆ど医者通いすることは無い。
でも、流石に肉離れは我慢できなかったですね。
診察室での一コマ。

医師:どうしたの?
僕:昨日、サッカーやった時にふくらはぎに石が当たったような感じで…

医師:本当に元気な奴だなぁ・・・・

僕:でへへ…

医師:診察台にうつぶせになって…

僕:はい!

医師:なんだ…内出血して腫れてるじゃないか!

僕:はい、痛いです・・・・

医師:ここが痛いんだな?

僕:イタたたた…そうですぅ・・・・

医師:ここは?

僕:痛くないです。

医師:ここが痛いんだな?

僕:イタたたた…そうですぅ・・・・

医師:ここは痛くないよな?

僕:はい、大丈夫です

医師:ここが痛いんだな?

僕:イタたたた…そうですぅてばぁ・・・・
医師:ここだよな?ここ・・・・
僕:イタたたた…そうですってばぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・

明らかに虐めとしか思えない診察。
去年、肩の腱板損傷した時も同じだった。
リハビリの若い先生が、痛いところを触っては同じ会話になった。
医者っていうのは、サディストがなる職業だなって思いました。

しかし、今日はお蔭でのんびりと一日を過ごしました。
去年の今頃は、定年前の有給休暇消化でこんな毎日だった。
早く、年金生活に入ってのんびり暮らしたいですねぇ。

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最後にやっちまった・・・・

2016年12月18日 | Weblog

今日はサッカー、会社のサッカー部と我々シニアチームの交流戦。
去年は僕の還暦祝いで『谷中杯』と称した交流戦だった。

今年は来年1月にアメリカ駐在になる元キャプテンのK原と、
名古屋に転勤になるO崎の壮行試合。

会場は、リーグ戦の公式戦が行われている昭島市陸上競技場の人工芝グラウンド。
本来なら第2試合が公式戦だったのだが、相手チームが失格になったので、
リーグ戦の最終戦が中止になった。
協会に無理を言って、その枠を使わせてもらって今日の交流戦になったと言う訳。

その交流試合は30分1本、15分2本の合計60分間。
我々平均年齢40代のオジサンチームに対して、平均年齢20代のサッカー部。
試合は最初の30分間で、オジサンチームが先制点を奪い、リードした。
次の15分で、メンバーを入れ替えて僕がGKになった。
首の調子が悪いので…とは思ったけれど、休むと動けなくなるので
GKを引き受けたのだけれど、結果的にそれで若い連中に2点を奪われた。

最後の15分は再びFWに戻って、何度かチャンスに絡んだけれど、
流石に若手のスピードに敵わず、そのまま1-2で終了した。
年に一回、色々と理由を付けて開催している若手との交流戦。
今回も楽しく終わりました。

そのまま、我々オジサンチームは車で移動。
午後2時から、瑞穂町民大会に郁也のチームの助っ人として丸ごと出場。
瑞穂サッカー協会の役員をやっていて、メンバーが集まらなくて、
助っ人集めてもいいから棄権するな!と出場チームに伝えている郁也からすれば、
自分たちがメンバー不足で棄権するとメンツ丸つぶれなので、引き受けたと言う訳。

対戦相手は大学生中心の、明らかに若いチーム。
ところが、この試合でも我々が先制点を奪ってしまった。
それも僕が落としたボールを、エースK玉がダイレクトでネットを揺らした。
前半は1-0でリードして、ひょっとして勝ってしまいそうなくらい、
良い試合をやっていた。

後半開始早々、僕の右足に石がぶつかったような感触。
右足外側のふくらはぎで、プチトマトがはじけるような感じだった。
そして、暫くすると動くたびに激痛が走り、交代を要請した。
多分、右足ふくらはぎの靭帯を損傷したのだと思う。
今年最後のサッカーで怪我なんて『やっちまった・・・・』と言う感じ。
『年寄りの冷や水』とは、まさにこの事ですね。
還暦過ぎた爺さんが、20代の連中相手に2試合なんて、無茶だった。

試合はさすがにオジサンたちの足が止まり、2点を奪われて順当負け。
それでも、一日中サッカーをやってみんな楽しそうだった。
これで、今年のサッカーは蹴り納めですね。

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定年後の生活は家族優先

2016年12月17日 | Weblog

今日は午前中にマンションの理事会があったので三鷹の自宅に行き、
15分ほどで終わらせて、急いで自宅の用事を済ませて11時に秘密基地へ戻った。
昨夜も次女が遅くに泊まりに来て、今日も午後から仕事だと言うので
声をかけてみたけれど、出かける時間は午後からと言うので、
そのまま寝かせてやる事にした。

僕は1時から大久保で芝居の稽古があるので、一人で軽い食事をして
12時過ぎに、次女に声をかけて出かけた。

今週は台本を毎日一回読んで、今日の稽古では台本を持たないでやるつもりで居た。
でも、まだ完全に台詞が入っていないのでしょうね。
ちょっとした事で、台詞が全部飛んでしまう。

仕方がなく、台本を持ってなるべく見ないようにして稽古した。
今は台本をチラッと見るだけで、気持ちに余裕が出来るみたいで、
台詞のやり取りはスムーズに進むことが多かった。
ただ、動きに関しては台本を手に持っているだけで動きが違ってくる。
それと目線も台本を持っていると、どうしても持っていない時とは違う。
それでも、今日はいい感じで稽古が出来た。

困ったことに、休む人が多くて代役や、台詞の代読が多く、
やっぱりどこか違う感じがしましたね。
明日は夕方4時からなのだけれど、僕はサッカーの予定が入っているので
2時間ほど遅れて参加すると、座長に断りを入れてある。
幸い、明日は最初に唄のレッスンが有るので、唄に参加しない僕は
遅れて行っても大丈夫みたいだ。
でも、やっぱり遅れて参加するのは嫌なものです。

稽古から帰ったのが10時。
明日は次女が久しぶりに休みだと言っていたので、三鷹に帰る。
また遅くまで仕事みたいなので、帰りは迎えに行ってやる事にした。
そのついでに、次女の洗濯物を持って行って、着替えを持ち帰った。

最近は、次女の生活に合わせた時間で生活している。
でも、定年退職した時に
『これからは家族のための生活と、自分のための仕事をする』
と話して、子供たちも自分の生活を始めた。

次女のサポートをするのは『超過保護』だと言われることがあるけれど、
僕にとって娘や嫁さんのために割く時間は最優先事項。
塾通いの子供を送り迎えしたり、スポーツをする子供の引率をする親と
なんら気持ちは変わらないのですよ。
大人になったって、僕にとってはいつまでも子供ですからね。

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