今日はサッカーのシニア大会があって、ディフェンディングチャンピオンとして、
優勝カップの変換などが有るのと、シニアチームの本来の目的の大会なので、
試合が終わってから、一旦帰宅した後に遅れて参加する予定だったんだけれど、
昨日の夜8時半に、試合の中止連絡が入ったので、遅れずにに参加できました。
いつもなら大雨の中でも、試合を強行する昭島サッカー協会なのだけれど
今回は、各市町村の代表で争う三多摩大会の幹事になっているらしく
立川で借りるはずだった『真如苑』の芝グラウンドが雨の予報で、
貸し出しを中止したので、日程が押し迫っている大会のために
シニア大会のグラウンドを供出したらしいのです。
そのお陰で僕は昨夜、急遽携帯メールで20人分のメールを送り、
全員の確認メールが返信されてくるまで待っていたりと、大変でした。
6人から返事が来ないので、そのうち2人は電話で何とか連絡が出来たけど、
残り4人のうち、最後のメールが来たのは夜中の2時半。
残り3人のうち1人は、朝6時半にメールが来て一安心。
残り2人は、もしかして行っちゃうかも?
明日、会社で確認するしかなさそうです。
そして、午後からは芝居の稽古。
今日はもうひとつの男性人の唄、M10の振り付けです。
と言っても、ビートの利いた曲はこの方々と一緒で唄う限り回ってこない。
今回の芝居は男性陣が『戦友』と言う設定なので、挿入歌も軍歌や行進曲みたいな、
振り付けと言うよりは、動きをつけやすい曲が多いのです。
まぁ、タダでさえ覚えが悪く、練習をしてこないおじさんたちに
ダンスの振り付けをするのは、先生も諦めている。
とは言え、それでも先生はお客さんが喜ぶ振り付けを考えてくれて、
今回はおじさんたちの『EXILE』ならぬ、『ジジザイル』の振り付けが
あって、おじさんたちは張り切っています。
ところが、予想に反して数回練習したら意外と綺麗に出来るんです。
そう、やれば出来るのですよ・・・・・
あとは、唄をきちんと練習して来ないおじさんを、僕が締め上げれば・・・・(笑)
今日も、空き時間に振り付けの練習をみんなでしながら、僕が
『次、出来なかったら、腕立て10回だからな・・・・』
と、おじさんたちにプレッシャーをかける。
『今回は、軍隊なんだから、必死でやれよ!』
などと、年上の大先輩達相手にやっているのですが、これもご愛嬌。
こうやって、男性陣はいつもチームワーク良く芝居をやってるんです。
女性陣は、先生にこっぴどく怒られてる・・・・
姉様が、『どうして、男性みたいにまとまらないのかしら・・・・』
と言うので
『お互いにリスペクトし合っていないから・・・・』と応えました。
おじさん軍団はまた来週、練習してこないだろうから、
僕の鬼軍曹ぶりが発揮されそうです。
鬼軍曹なんだけど、一番下っ端の役・・・・・
芝居の設定は『元特殊部隊』なんだけど、どうやら本当のところは
なぜか生き残ってしまった『特殊な部隊』と言うところでしょう・・・・・
写真は2006年公演『錨を揚げて』のおじさん軍団
今日は再び、振り付け。
我々男性陣は、先週教わったM1のおさらいです。
先週、一番覚えの悪いオペラおじさんが休んだので、まずはそれを教える。
若手の山中君が代わりに覚えていて、一緒になって練習です。
なんせ、おじさんたちはお歳のせいで姿勢が悪い。
僕も最初の頃は、自分の姿勢の悪さに気がつかなかったんだけれど、
公演のビデオを観ると、やっぱり猫背になっているのが気になって、
数年前から、普段歩くときから背筋を伸ばして歩くように心がけてきたんだけれど
それでも、気がつくと猫背になっていることが良く有ります。
おじさんたちは姿勢が悪い上に、振り付けの歩き方や手の動きも
メリハリが無く、ハッキリ言って『おじいさんの動き』なのですよ。
今回の振り付けに敬礼をする振りがあるんだけれど、それだって
『よっ!』って挨拶するときみたいに、手を上げるだけ。
僕は、芝居らしく横から大きく手を振り上げて、胸を張って敬礼する。
背中の肩甲骨の間辺りにいつも緊張感を持たせるのが、姿勢を良くする秘訣。
姿勢がいいと、若々しく見えるものです。
これはサッカーをやるときも一緒で、体幹をきちんとしないとバランスが悪い。
サッカーでは、ボールコントロール、ボディーバランス、ブレインという
三つの『B』が大事だと言われるのですが、まぁ最後の『B』はともかく(笑)、
ボディーバランスはボールコントロールにもつながるから非常に大事です。
年を取ると、体幹が弱くなってフィジカルコンタクトも弱くなる。
そんな訳で、激しくはやらないけれど、背筋だけは毎日鍛えています。
一方、女性陣はもっと悲惨・・・・・
僕が見る限り、歌が唄えていないうえに、リズム感が全く無い。
この劇団には『色気』と『リズム感』というのはご法度なのか?
と思うほど、リズム感が無いのです。
そのくせ、歌のコーラス部分で『上が取れない』だとか言ってます。
そもそも、コーラスなんて主旋律をきちんと覚えなければ出来ません。
そうじゃないと、コーラスなんて出来ないのに、肝心の主旋律でさえ
きちんと唄えていない。
そういった練習を、一週間の休みの間にやってこない人ばかりです。
実は去年の公演は、僕の仲間から酷評が多かった。
特に『あの唄は要らなかった』とか、『早く終わらないかなと思って聞いていた』
といわれた曲が3曲もあった。
だから、反省会の時に僕がみんなに
『稽古の時間を個人的な練習にしないで欲しい』と言ったんだけれど・・・・・
『本番には出来るようにする』という、おじさま、おばさまたち・・・・
おいおい・・・・稽古で出来なくちゃ駄目なんだよ!
今日は、就業後に普段は昼食を食べるホールに集まって、年度末の慰労会。
子会社ゆえに、利益の殆どを本社に吸い上げられる。
そんな事は、グループで連結決算をしている会社ならば、
どこの会社でも、やっている事なのだけれど、それでは子会社の社員には
『盗られた』感が強いので、少しでも会社の利益確保に貢献したという
実感を持たせるためのイベントというのが子会社の経営陣の言い分。
でも、実際には『本社に取られるくらいなら……』
という、尻の穴の小さい人間が考える『先に繋がらない、金の無駄遣い』と言うのが実態。
数年前には誰も弾かない、高価な電子ピアノを買って会社のホールに置いてみたり、
経費で落とせるギリギリの金額で、菓子の詰め合わせを配ったりと、
本当はそんな事をしても、誰も喜んで居ないような事が殆ど。
電子ピアノは、弾いている人を見た事が無いし、いまだにペダルにビニールが付いている。
その他にも、会社の備品みたいにして無駄なものを毎年買い込んでいる。
そんなものを買う金があるのなら、測定器や気の利いた工具を欲しいと思うのだけれど
それだと個人に還元できないから・・・・と言う事なのだろう。
お菓子の詰め合わせだって、家族の居ない独身者にとっては迷惑な話。
とにかく、そう云ったものを喜んでいるのは、ごく一部の人間だけ。
夕方から開催される宴会は、お決まり社長挨拶から・・・・
そして、普段は出番が無いNo2が、乾杯の音頭の前に演説を始める。
数日後に、年度初めの訓示で、ほぼ同じ内容の話があるので、誰も聞いて居ない。
これは組合主催の新年会『旗びらき』でも、全く同じ事。
そんな訳で、僕は冒頭の30分はデスクで時間をつぶしてから参加する。
帰りも一緒で、最後に演説する誰かさんの話が始まる前に退散する。
それよりも『先に繋がらない、金の無駄遣い』の象徴が残飯。
ケータリングで、結構豪勢な食べ物を注文するのだけれど、テーブルによっては
殆ど手つかずで、捨てる事が多い。
今の時代、独身者だって残った料理を持って帰る人間なんて居やしない。
かと言って、せこい料理で慰労会は、それこそ顰蹙を買うだろうし・・・・
決算で殆ど利益を本社に供出して、残ったほんの少しの黒字を
こんな形で使うのは、僕の趣味じゃない・・・・
僕は毎月のアパートの収入から『ユニセフ』と『国境の無い医師団』に寄付をしています。
こんな金を使うなら、寄付に回したらどんなに喜んで貰えるだろう・・・・
どれだけの子供の命が救われるだろう・・・・・と思ってしまうのです。
冬から、春になる過程で寒い日と暖かい日が交互にやって来る。
冷たい高気圧と暖かい低気圧が代わる代わる日本の上空を通過するため、
西に低気圧が来て、東に高気圧という配置になった時は、
いわゆる『西高東低』の冬型になるので、北からの寒気が流れ込み寒くなる。
それが通り過ぎた後は、気圧配置が『東高西低』になって、逆に南から
湿った温かい空気が日本列島に流れ込んで、気温を引き上げる。
特に発達した低気圧が日本海側を通過した時は、春一番が吹いたりする。
三月の天気の統計をとると、晴れの日が50%、雨の日が40%で残り10%が
曇りの日だと云うデータが示すとおり、この時期は寒い日が3日ほど続いた後に
暖かい日が、4日ほど続く『三寒四温』を繰り返して春を迎える。
寒いのが大嫌いな僕は、この季節が来るのを首を長くして待っている。
今週末は、待ちに待ったシニア大会の試合が有るんだけれど、
天気の週間予報では週末の日曜日だけ、雨の予報。
今年最初の公式試合となるシニア大会で、チームとして4着目になる
新しいユニフォームのお披露目の予定だったんだけれど、
雨が降ると泥んこになる河川敷の泥のグラウンドだから、
もしも雨だったら古いユニフォームでやろうかな?
この大先輩I森さんとは、もの凄く関わりの深い先輩で、思い出も沢山有りました。
I森さんと、最初に出会ったのはサッカー。
今からちょうど31年前になります。
その当時、僕は今の会社に『外注設計』として出入りしていました。
それで、毎日のように広いグラウンドでボールを蹴っている人達を羨ましく思って、
見ていたのですが、図々しい僕は、勝手に着替えて混じってしまった・・・。
その中のメンバーの一人がI森さんだったのです。
その後、会社のサッカー部に加わり、僕がセンターバックをやって
I森さんは左サイドバックをやって、いつも僕に怒鳴られてやってました。
怒鳴ると言うより、『後ろから声を出して指示しろ』と言われてやっていた
いわゆる『コーチング』と言われる類のものです。
その当時は会社のサッカー部も全盛期を迎えて、都リーグの1部目指して
2部で優勝寸前まで言ったんだけど・・・・・それが限界でした。
数年後に、僕が今の本社から引抜きを受けて正社員になってから、
職場で一緒に仕事をするようになりました。
まだ開発途中の装置の機械系の責任者として、電気設計の僕と色々相談して
装置を市場に送りだした思い出もあります。
Jリーグが出来る前の日本リーグや、天皇杯の試合をガラガラのスタンドで観たり、
サッカー以外では、北アルプスや関東近郊の山登りに出かけたり、
北アルプスでは台風の直撃を受けて、死にそうになったこともありました。
とにかく、一緒に行動することが多かった御仁です。
日本代表が初めてワールドカップに出場したフランス大会は、
一緒に観に行く約束で、13日間100万円のツアーを申し込んでいたのに、
僕が仕事でどうしても抜けられない状況になり、僕だけ直前にキャンセル。
I森さんは
『馬鹿者!仕事でW杯に行けないとは何事だ!・・・W杯で仕事に行かないのが世界標準だ』
と言って、一人で出かけたのだけれど、お土産にパリサンジェルマンの
クラブハウスで、ユニフォームを買ってきてくれて、今でも大事に使っています。
今の子会社に移ったときに、子会社の取締役をやっておられて、
色々な意味で、助けてもらったのも、本当に感謝しています。
沢山思い出が有りすぎて、いくらでも文章になりそう・・・・
なので、その他の印象的な教えや語録をトピックで。
会社の仕事:
『サッカーと同じ、試合はキックオフで始まり、笛が鳴ったら試合終了』
チャイムが鳴ったら、速攻でサッカーをやり、昼休みぎりぎりまで使う時の教え
肺炎になった時:
咳が出るのは汗のかき方が足りないから・・・・
その後、一生懸命に頑張ったけど咳が止まらず、肺炎になっちゃいました・・・・・
サッカーを見れば仕事も判る:
仕事がいい加減な奴は、サッカーもいい加減・・・・その逆も。
まだ有るけれど、このあたりでやめておきましょう。
I森さん、雇用延長のアディッショナルタイムも、ぎりぎりまでお疲れ様・・・・・
しばらくゆっくり休んでください。
大関鶴竜が優勝して、来場所の横綱昇進を決めましたね。
僕は、誰が見ても勝負がハッキリと判る相撲は、競技スポーツとして
勝負の結果に誰も異議を唱える部分が無いという点で大好きでした。
そういう意味では、数ある格闘技の中で一番潔く、インチキが無い。
もちろん、観客を裏切って八百長をしている場合を除いてです。
中学生の頃に、北の富士と玉の海が同時昇進して、大鵬・柏戸の
柏鵬時代から新しい時代が来たって言う感じで、『月間大相撲』を
購読していたりして、相撲は結構詳しいのですよ。
ただ、最近は相撲自体が面白くなくなって、観なくなっちゃった。
その原因は、皆さんお察しのとおり、外国人力士ばかりだから・・・・
確かに強いから、横綱になろうとそれは構わないのだけれど、
何か、相撲自体に品が無くなったというか・・・・・
北の富士は速攻型の横綱で、その当時は結構批判されていた。
大鵬や、柏戸、もっと古くは栃錦、若乃花といった横綱が
対戦相手の奇襲なども、ドカンと胸で受け止めてから相撲を取った。
相手の攻めを受けて、まずは攻めさせる・・・・それでも土俵を割らない、
いわゆる『横綱相撲』と言うものを実践していて、
その凄さに観ていて圧倒されたものです。
その後、輪島、北の湖といった横綱も、やっぱりそうだった。
そういう意味では千代の富士の相撲が最後の『横綱相撲』だった気がする。
朝青龍が横綱になって、スピードはあるんだけれどそういった
日本の『横綱相撲』は、いつしか見なくなってしまった。
柔道がレスリングのようになって、日本人が勝てなくなったのに良く似ていて、
今や相撲は『国技』では無くなって、『格闘技』の要素だけが残った気がする。
今の横綱白鵬なんか、強いけれども立会いに張り差しをするのが見苦しい。
鶴竜が、どんな横綱になるのかは判らないが、どうでも良いことでもある。
相撲が面白くなくなったのは、日本人が弱いからではなく、
そういった、日本の伝統的な部分が失われてきたからじゃないのかなぁ?
鶴竜の横綱昇進の影で、ひっそりと引退を決めた琴欧州の方が
日本の伝統的な相撲の精神を理解していた気がする。
彼は、上背があるにも拘らず『張り手』は一切やらなかった。
彼が朝青龍や、白鵬のように立合いから張り手を使っていたら
たぶん横綱になっていたような気がする。
琴欧州にこそ、『お疲れ様』と言ってやりたい。
昨年11月に、会社がある昭島市の「昭島市環境配慮事業者ネットワーク」から
社会貢献の一環として、ベルマーク回収の協力要請がありました。
この要請を受けて「昭島市環境配慮事業者ネットワーク」会員企業数社で
ベルマーク回収の取り組みを実施することになった。
その会員企業である、僕の会社でも、ベルマーク回収を実施する事になり、
総務が主体になって、社員にも協力を要請してきた。
子供の頃に学校の備品購入に使われてきたベルマークは1点あたり1円に換算され、
東日本大震災の被災地の学校の復興支援に使われるという事だった。
ところが先日、その「昭島市環境配慮事業者ネットワーク」から、
『今年度の3/26(水)をもって、ベルマークの回収を終了させて頂きます。
ご協力を頂きありがとうございました。御礼申し上げます。』
という案内が、総務から社員に連絡された。
自民党政権が『デフレ脱却』『景気回復優先』と称して、昨年日本政府は12月5日、
『好循環実現のための経済対策』を公表し『復興特別法人税』(法人税額に対し10%の税率で課される法人税)
の1年前倒し廃止を行うことを明らかにした。
法人税25.5%は変わらないが、この『復興特別法人税』が廃止される事で
実効税率は38.01%から35.64%に引き下げられる事になる。
更に、景気の回復傾向を支えるため、賃上げを促すための税制優遇や大企業の
交際費の50%を非課税にするなど企業向けの減税を拡大するという。
おいおい『復興』はまだ、終わって居ないと言うより、始まって無いんだぜ。
ベルマークの回収は、微力かも知れないけれど、そうだからって止めていいのか?
面倒くさい、手間暇がかかる・・・・が本当の理由なんだろうけれど、そう云う『言い訳』を
『復興特別法人税』の前倒し廃止が、言い訳を正当化させるような事になって居ないか?
そのくせ、消費税は5%から8%に引き上げられ、その増収分が復興に使われる保証はない。
大企業が税金を免除されて、今春の春闘ではベースアップをした企業が多いような
マスコミの報道は、大企業しか見て居ない政府の広報みたいで、全く信用できないね。
現に、利益が出ているにもかかわらず『今はベアに応じる体力が会社に無い』などと言って
ベアをに送る会社の方が多いんじゃないか?
『復興』は実際、面倒なんです。
面倒なのは、現行法の枠の中で復興を進めようとするからで、去年の11月に行った
陸前高田の復興だって、復興のための用地を最初は殆ど資産価値が無かった場所を
無償提供に近い形で貸していたのに、土地を貸し渋り始めて地価が上昇し、
そのために復興予算が膨れ上がってしまったり・・・・・
地権者には、ごみのようだった土地が、金を生む事になって、いわゆる『復興特需』になった。
早期の復興を本気で考えるなら、超法規的処置で土地を安く接収するくらいのつもりでやらないと
どんどん予算が膨らんで、復興が遅れるばかりになる。
結局、景気回復策で御利益を得るのは、大企業とそれに関わる被災地以外の場所なんじゃないかな?
去年、被災地に出向いて『こんなところに3年も我慢して暮らしているんだ・・・・』
と、相方と二人で無力感を味わった事を、僕は忘れないで居るから、
今回のベルマークだけじゃない、募金や寄付だって出来る限りやって居る。
政府のやっている事は、なにかおかしいと思いませんか?
昨日、一日お休みが入って、今日はまた芝居の稽古。
今日から振付が始まりました。
劇中に入る楽曲は、フィナーレに唄う『ショウビジネス』以外は毎年、オリジナル。
今回は冒頭シーンで、男性陣の唄から始まります。
男性陣の唄は、振付と言ってもダンスと言う類のものではなく、
動きながら芝居をして唄うと言った感じ・・・・・
おじさん達に、振り付けなどしても100%出来ないので、こうなります・・・・
以前の日記に書いたとおり、おじさん軍団のメンバーはとにかく覚えが悪い。
なんと言っても、僕が一番うまいんだからそのレベルはお解りでしょう・・・・
まずは作曲家の片野先生から、唄の指導・・・・
一人で唄えないおじさんが2名。
いつも僕に『口パクが上手いなぁ・・・・』
とからかわれるIさんは、珍しく先生に褒められた。
と言っても、『いつもに比べて・・・・』という前書きがあるのです。
それでも、Iさんは『今日は先生に褒められちゃったよ・・・・』と僕に言うので
『そんなに上手く口パク出来たんだ・・・・凄いね』
もう一人のおじさんWさんは、Iさんとは逆で口が開かないから相変わらず活舌が悪い。
オマケに、唄を覚えてきていないから誰かの唄に着いてくる。
当然、出遅れるので僕が睨みを効かせると
『えへへ・・・・』と、言ってごまかす・・・・
もう一人厄介なオペラおじさんは、遅れて唄い出して、後ろを妙なビブラートで伸ばす。
そして、とにかく大声で自分の唄に酔っちゃうタイプ・・・・
バンドで、周りとのバランスを無視して、エレキギターのボリュームを目一杯上げて
自分だけ満足する演奏をするタイプです。
その上、チューニングやリズムが合っていない・・・・ご想像いただけますか?
そしてもう一人は、一番苦手なタイプ。
声楽をやっていて、音楽には詳しくて、譜面がきちんと読めるのは良いのだけれど
この御仁も、オペラおじさんと同じような、妙なビブラートがかかった唄い方をする。
そして、このおじさん達が振付を全く覚えない。
僕を中心に左にいる二人が右手を、右にいる二人が左手を重ねて
いわゆる『エイエイオー』みたいな形になって、みんなで正面を見る処があるんだけれど、
僕の右にいるIさんは、何故か僕の方を向いている・・・・・
『Iさん・・・・右手じゃねぇよ、左手・・・・・こっち向くなよ』
『耳元で、違うメロディーが聞こえる』とIさんをいじめる僕。
Wさんは、動きをすぐに忘れて、僕に睨まれる。
また『えっへっへ・・・・』
『えっへっへ・・・・じゃねぇよ!』と僕・・・・・
こんな感じで、たった2分弱の曲に2時間も振付に時間を割いてしまった。
振付の河岡先生も途中から『出来た事にします・・・・』と、半ば折れかかっていたし、
その間、待っている女性陣の方から、何やら冷たい視線が・・・・・
とはいえ、とにかく一曲の振付が終わった。
悪ガキ役の僕が
『次回までに練習して来いよ!』
と、おじさん達に言って発破をかけるのでありました。
写真は2012年公演『今夜はホテル・エミリアで』のシーンです。
珍しく芝居の稽古がなくて、朝からゆったりと時間を過ごせる1日でした。
たまには、自宅に戻って家族とゆっくり過ごそうと思って、嫁さんに電話。
ところが、嫁さんは仕事の仲間と夕方から飲み会で出掛けると言うし、
長女は、いつも通り夕方から吹奏楽団の練習で、居なくなるらしいから、
部活で出かけている次女を連れて、何か美味しいものを食べさせてろうかと思ったのに、
次女は、帰りに友達と何かを食べて帰って来ると言う。
この日は自宅近くのディーラーに車の12か月点検の予約をしてあったので、
取りあえず整備工場まで車を持って行ってから自宅へ戻り、整備が終わる夕方5時過ぎまで
自宅のテレビで、録画してあったドラマを観ながら時間つぶし。
テレビは何となく観ているから、大半はウトウトして居る時間。
そんな事をしている間に、嫁さんは飲み会に出かける時間になった。
嫁さんに『何処で飲み会やるの?』って訊いたら、
『なんでいちいちそんなこと聞くの?』なんて言われちゃうし、
『別に・・・・・何処へ行くのかな?って思っただけだよ』と言うと
『自分は芝居やら、サッカーやらで好き勝手やってるじゃない・・・・』
と言われて、会話が続かず・・・・・
う~ん、確かに・・・・言い返す言葉が無い。
でも、こんな事すら軽くやり取りできないのかね?
そんな空しい感じで、嫁さんが出かけて行ってしまった。
入れ替わるように、夜行性の長女が起きてきて、何やら食べ物を作って
お腹を満たしてから、出かける支度をしている。
『今度の演奏会はいつやるの?』
『次は定期演奏会まで無いかなぁ?』
こちらは少しだけ会話が成立。
長女も時間が来て、トランペットを背負って楽団の練習に行ってしまった。
一人、リビングで『最後の警察官”S”』という番組の最終回を観ていたら
整備工場から、整備が完了したと連絡が来た。
テレビを消して、戸締りを確認して、電気を消して・・・・・
玄関に居る、ペットのウサギ『Woo』だけが、出かける僕に立ち上がって
見送ってくれた。
その後に、パタリと寝ころんでまたお昼寝しちゃった・・・・・
せっかく、来たのになぁ・・・・
最近は、こんな感じで自宅に戻っても居場所が無い。
今日も稽古に出かけてきました。
今日はまず歌の練習。
皆さん、活舌が悪くて何を唄っているのか?解らないと、
振り付けの河岡先生に指摘されて、先週の宿題は
『母音』だけで歌を唄う練習。
例えば、晴れた空♪という歌詞が有ったとしたら
『あえあおあ』と、母音だけで唄うのです。
これは劇団四季などの、ミュージカルをやる人がやる手法らしいのだけれど
これをやると確かに、歌詞がハッキリと言える様になる。
ただ、歌の練習にはならないかな?
僕としては、こんな練習は個人レベルでやるべきだと思っているから、
練習してこない人と一緒にされて、皆でやる稽古で、そういった事をやらされると、
非常にストレスが溜まる。
いつも、サッカーを引き合いに出して話すことだけれど、
全体練習の時に、いちいちトラップの練習をしていたら
チームとしての練習にならないのと同じで、最低限個人レベルを上げる努力は、
個人でするべきで、それが出来ない人間は、試合に出られないのは当たり前なのです。
僕はどんな事をやるにしても、自分のレベルが高いとは思って居ないから、
出来る限り時間を作って練習している。
芝居だけじゃない、サッカーも、音楽も……です。
そう言う意味では、仕事だって暇さえあれば勉強したりして、
自分のレベルを上げる努力はし続けているつもり。
『ストイック』だと、よく言われるけれど、決して他人に押し付ける事はしない。
ただ、練習しない人とは、一つのことを一緒にやれないなあ…
と、思ってしまうのですよ。
しかし、オーディションがあるわけでもなく、メンバーが取り敢えず全員舞台に立つ、
うちのようなアマチュア劇団では、相手が選べないからしかたがない。
芝居もサッカーも音楽も、集団でやるものは、結局のところレベルの高い人が
一番下の人のレベルに降りてきて、合わせるしかないのです…
悩ましいですねぇ……
暖かくなるのかと思ったら、また寒い一日。
こういう感じで寒さが戻ると辛いなあ…[m:246]
最近は会社で、ボケッとしてるのに飽きてしまったので、
実験室でいろんなものを作って時間を潰している。
ひとつは、自分の実験。
こちらは、今月中に何らかの結果を出して、一応『年度内』という
宣言した予備実験を期限内に終わらせる予定で進んでいる。
本当は弟子にやらせている実験の延長上に有る計画だったんだけれど、
前段の実験を総て任せて来たので、それが進まないことには
僕のほうの最終実験までには至らない。
その他は、その弟子の実験に使う道具を作ってやってる。
本当はこれも実験や経験の一部なんだけれど、それまでやらせると
本当に全然進まないだろうから、こちらは割り切って下請けしている。
そんな事をやっていると、いろんな事を考える時間もあるわけで
今日はそれについて書いてみようと思っている。
会社で色々な装置開発をしてきたんだけれど、僕の場合は
ほとんどがカスタムメイドのいわゆる「特殊仕様」の装置。
お客様の要望や、期待にどれだけ応えられるか?
という次元ではなく、要求を満足しないと終わらない。
それでも、時間がかかっても何とかそれをクリアしてきて
お客さんに喜んでもらってきたことが、僕のプライドかな?
それが今の会社に出向してから、そういった設計のマインドを感じない
いまの部署に、何か違和感を感じ続けて早くも5年目が過ぎてしまった。
お客さんが望むものを供給するのが、メーカーの使命だ
と思っている僕は、そういった顧客や市場が求めている物より
対抗メーカーの仕様や、性能ばかりを意識しているやり方に
何か違和感を持っているのです。
かといって、性能が対抗メーカーのそれを凌駕しているならば
それなりに手ごたえが有るのだろうけれど、決してそうじゃない。
自分達が満足する装置を作ることが、目標になっているような・・・・
そんな感じにしか見えないからなのかなぁ?
性能を競うのならば、それなりに基礎技術を固めなければ、
結局は追いつくのが関の山。
見てくれだけ整えても、やっぱり顧客の求めているものとは違う。
それでも、売れてしまうのが厄介なところです。
僕の仕事の流儀は、とにかく基礎技術を固めること。
サッカーで、戦術以前に基礎体力だったり、ボールをとめる技術や
正確にボールを蹴る技術を身に着けて、初めて戦術が有るように、
仕事も、基礎技術の積み上げが大事だと思っているから
弟子には、ちょっときついテーマを与えては、基礎的な知識の
大切さや、経験でしか解らない部分を教えてきているつもり・・・・
幸い、弟子はそれを理解して、手ごたえを感じ始めてきていて、
いまのままでは、会社の将来が危ういと思い始めた弟子。
数年前には出来なかった、技術的な会話が出来るようになって、
定年までには、何とか独り立ち出来そうな期待が持てるように
なったのが僕としては嬉しいところかな?
3週間ほど前に、劇団のオバさまたちと会話していて、
僕が『陸湯(おかゆ)』と言ったら、誰一人解らなかった。
『陸湯(おかゆ)』とは、上がり湯の事で昔の木のお風呂についていた
小さな蓋のついたところにある、熱いお湯の事。
風呂からあがる時に、この綺麗なお湯を水でぬるくしてかけ湯にしていた。
今では、シャワーがあるから、こう云った事も無くなってしまい、
『陸湯(おかゆ)』という言葉自体が死語になってしまったのかも知れない。
この『陸湯(おかゆ)』
我家では、普通に使っていたので多分、東京の言葉だとは思うのだけれど
上がり湯の事を『陸湯』と書いて、船(湯船)から陸に上がる・・・・
という小洒落た言葉なのは、いかにも江戸っ子の遣いそうな言葉ですね。
うちの親戚では、こう云った洒落や駄洒落を良く使ってました。
今の人たちが言う『駄洒落』は、『語呂合わせ』と言って、
ちょっと笑いの格が下がるので、人前で言うのは憚ったりしたものですが
今はいい大人が、ひねりも面白くも無い『語呂合わせ』を『駄洒落』と言って
恥ずかしげも無く口にしてしまうところに、言葉の文化の衰退を感じます。
ちなみに神田の伯父などが良く話に使う言葉は、洒落や駄洒落満載で
傍で聞いていて解らない人が多かったり、聞き様によってはややこしいので
若い人には単なる『親父ギャグ』と称されてしまう事が多いのですが、
違うんだよなぁ・・・・
最近こそ言わなくなったけれど、婆ちゃんや芸者だった叔母などは
人に会って別れる時に「さようなら」とは言わず『ごきげんよう』だったり
トイレを『はばかり』と呼んだり、まさに江戸言葉の生き字引だったんだけど…
前出の『陸湯(おかゆ)』を知らないと言った、劇団のオバさまが
私は江戸っ子よ・・・・なんて言うもんだから、
『江戸っ子ってぇのは、河向こうとかの偽者が多いからなぁ』って
小馬鹿にしてからかったり・・・・・
ばあちゃんは他に、こんな言葉も良く使っていましたよ。
鼠が6匹だね⇒夢中
芸者の羽織 ⇒文(紋)無し
髪結いの正月⇒口だけ、言うだけの奴(結うだけ)
こっちは現役の伯父ですが・・・・
材木屋⇒木(気)が多い
ガソリンスタンド⇒油売ってる
その他にも沢山あるんだけど、なんせ伯父との会話はこんな感じで、
他人から見たら面倒くさい会話をしているのであります。
『春一番』が吹きましたねぇ・・・・
ウィンドサーフィンをやっていた30代前半の頃、
『春一番』の日は、ウィンドサーファーにとって一種の『お祭り』でした。
その日に、海に行っていたかどうか?
が、ウィンドサーフィンの仲間の間では一種の自慢になっていたのです。
実際、風が強すぎて、よほど小さなセール(帆)を張った、
浮力の少ないボードを持っていないと、春一番の突風の中で
ウィンドサーフィンをやるのは、不可能に近かったし、
少し大きめのセールで海に出たとしても、
かなりのリスクを、背負ってやる感じでした。
僕の場合、何度か『春一番』の場面に遭遇しているのですが、
実際に海に出たのはたった一回だけ・・・・・・
技量が伴わないから、沖に出てボードが走っているときは良いのですが、
一旦海に落ちると、うねりが大きくて、うねりの向こう側が見えず、
うねりの裏から来たボードが、いきなり目の前に現れたりして
凄く怖い思いをしたのを覚えてます。
おまけに、やっとの思いで岸に戻る際、オーバースピードで
コントロールしきれず、浅瀬にフィンを引っ掛けて
サーフボードを破壊してしまったのです。
今考えてみれば、自分の力量など考えない無謀な行為だったですねぇ・・・・
若かった・・・・の一言に尽きます。
結婚して、子供が出来た途端に、海に行く機会がほとんど無くなった。
と言うのも、子供が生まれる前は、ワンボックスの車の中に
サーフボードと、セールなどの道具が、積みっぱなしだった。
子供が生まれた時に、その道具を実家に預けるようになった。
今までは、気が向いたら行っていた海も、いちいち実家に行って
道具の積み下ろしをしてから、行く事になるので時間のロスが多く、
結局、面倒になってそのまま実家に道具を預けたまま、
いつの間にか、ウィンドサーフィンをやる熱が冷めてしまった。
結局、一回も使わずにセール2枚とブーム1本が、
実家の解体時にゴミとなってしまった。
これだけでも、国産の高級ギターが一本買えるほどの値段だった。
僕がウィンドサーフィンをやっていたのは、まさにバブル期。
今、思えばよくもあんなにお金をかけたものだと・・・・・
ギター買っておけば、マーチンDー45もギブソンJー200も、 憧れのPRS(ポール・リード・スミス)も全部買えたなぁ・・・・
今は『春一番』なんて、サッカーが出来ないし、花粉が飛ぶし・・・・
全く興味が無い、迷惑な一日になってしまいました。
写真は、ウィンドサーフィンの記念に取っておいて、秘密基地に飾ってある
ウィンドサーフィン用のフィンです。
これだけでも、やっぱり国産高級ギターが買えたなぁ・・・・・
今日、会社から結婚25周年の『銀婚祝い』の通知が来ました。
気が付いたら、結婚してもう25年、4半世紀経ったんだなぁ・・・・・
なんて、こう云った通知が来ると、改めて実感します。
振り返ってみると25年なんて、本当にあっという間です。
結婚して、長女が生まれるまで3年。
子供は授かりもの・・・・・と言うのを実感しました。
その子供も、今や21歳。去年、大雪の中での成人式からすでに1年。
次女も、ついこの間高校へ進学したと思っていたら、先日卒業。
部長をやっていた吹奏楽部では、部員からリスペクトされている存在だったらしく、
卒業しても、最後の定期演奏会がある3月30日まで、毎日学校へ通い部活の練習をしてます。
二人の娘が、自分の好きな事を楽しんで、思う道に進んでくれる事を楽しみにしています。
子供が育ったのは、嫁さんの御蔭です。
僕はそれなりに子供と接してきたけれど、やっぱり母親には敵いません。
女の子だから、尚更なのでしょうね。
最近は、嫁さんとの距離が広がった気がしていたのですが、
実家の相続後、アパートを建てて、そこで僕が生活するようになってから
逆に距離がある分、お互いに気を遣うようになった気もします。
ただ、やっぱり父親は母親に比べて、娘との距離は遠いですね。
僕は結婚当時から、好きな事をやってきました。
バンドも、結婚当時は5人編成で、合宿に行ったりしてましたが、
練習などで家を空けても、嫁さんは文句ひとつ言わなかったですね。
サッカーもしかり。子供が小さい時は、一緒に来て応援してくれてました。
ここ10年は、芝居をやるようになって、1月から公演のある日まで
土日は全てと言っていいほど、家に居ません。
そう云った事も、文句ひとつ言わないで、自由奔放な生活をして来れたのも
嫁さんの理解があったからだと、感謝してます。
3年前に他界したお袋が、最初に癌が見つかったのが、
丁度、初めての子供である長女がお腹にいる時。
切迫流産で、諦めていた子が、早産ながら無事に生まれてきて・・・・
考えてみれば、お袋の病気に19年間付き合ってきましたが、
それだって、嫁さんが子供の面倒を一人で看てくれたからです。
今はお互いに、距離を置いて生活しているのが丁度いい関係ですね。
近すぎず、遠すぎず・・・・・
僕のような男には、そう云う嫁さんが丁度良いのかも知れないです。
会社から『慰労旅行制度』で、夫婦で旅行出来るように特別休暇と補助金が出るのですが、
本来ならこの3月までに使わなければならなかった処を、会社にお願いして、
銀婚と重ねて使わせて貰えるように、期限延長して貰いました。
この7月に迎える『銀婚式』。
慰労旅行も兼ねて、家族で何処かに行こうかと思ってます。
今日は、劇団の稽古。
相変わらず唄の方は酷いもので、リズムが合って無いうえに
手に譜面を持っているにもかかわらず、譜面どおりに唄っていない人ばかり…
僕の場合は、譜面どおりに唄っているつもりなんだけど、
細かいところでミスったりでやっぱり完ぺきじゃない。
明日の稽古までに、修正しなくてはいけませんね。
5人しか居ないおじさん軍団ですが、そう云う意味では程度の差はあれ、
譜面通りに正確に唄っている人は、誰も居ないと言う事になる。
5人のおじさんのうちの1人は、僕と同じ程度まで唄を練習してきているんだけれど
他の3人は、練習をしている形跡が無い感じで滅茶苦茶。
3人のうち1人は、再三登場する声が大きいだけでリズム音痴のオペラおじさん。
この人の場合、リズム感の無さは先生もお手上げなくらいの芸術品です。
おかしいところを教えても、自称『唄が上手い』おじさんですから、
何度やっても、自分の声に酔っちゃって直らない・・・・・(笑)
もう1人は、カラオケおじさんで、それなりに自信があるみたいなんだけれど、
カラオケで演歌を唄う人が持つ共通の癖である『出遅れ』が酷い。
オマケに、子の御仁は誰かが唄うのに合わせて声を出すから、更に遅れる。
たまに僕が意地悪して、唄うのを止めると、唄えなくなっちゃうおじさん・・・・・
そして最後の1人は、譜面を読める音楽家なんだけど、唄に関しては別・・・・
なんせ、いつも僕に『いいなぁ、いつも台詞貰ってるんですね・・・・』とか、
『あれ、その譜面音が一つしかないの?』とか言って、意地悪してるんですけど
とにかく唄が、メロディーになって聞こえて来ないおじさんなのですよ。
唄がこんな調子だから、それに振付が付いたらどうなるか?
説明するまでも無いでしょうね・・・・・(笑)
とまぁ、この厄介なおじさん達を引っ張って行かないとならないから大変です。
それでも、僕はイライラしながらも、こう云った事を本人にハッキリ言うし、
本人たちも、それを判っているから、陰険な関係にならないのが良いところ。
劇団のおじさん達は、皆さん僕より目上の方で、そう云う意味で僕は『若手』。
皆さん、社会的地位も高い方ばかりなので、いわば僕は『生意気な若造』
として、認知されている部分もある。
人の話をきちんと聞き、意見を出し合うという点では「さすがだなぁ」
といつも思います。
そう云う意味でも男性陣は凄く大人の集団で、芝居もヘタクソなりに、
チームワークが良くて、それとなく纏まるのが面白い処ですね。
個性の強い人ばかりの、おじさん軍団。
今回は、唄うのが難しい曲は、僕が譜面にチェックを入れて唄い易くなるように
教えてあげたら、皆素直に聞いてくれて、だいぶ唄えるようになって来たり・・・・・
最初から、なかなかのチームワークを見せてます。
写真は2007年の公演『帰郷』での稽古風景です。