『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

思い出がある家

2011年02月28日 | Weblog

お袋が亡くなった後は、空き家状態になってしまった実家。
僕自身は結婚以来、いつかはお袋の傍に住んでやりたいと
ずっとその機会を伺って居たのだけれど、
いざというときに限って予定外の事や、想定外のことが起きて、
そのたびにきっかけを逃してきた。
結局のところ、実家の隣に土地を取得して傍に住んでやる前に、
肝心のお袋が亡くなってしまった。

荻窪にある実家が、誰も住まない状態になって早くも二週間。
週末に行って、家の中に入って電気を点ける度に
『家って、住んでなんぼだな』って、つくづく思う。

荻窪の実家は、駅から徒歩12~13分の比較的便利な場所で、
駅からひっきりなしに出ているバスを使えば、駅から5分、
バス停から歩いて2分という好立地にある。
一階に今は納戸になってるフローリングの6畳部屋と
お袋が最後に使っていた南向きの6畳部屋。
玄関は板の間4畳と土間1畳分を合わせると広い玄関になる。


南向きに10坪ほどの庭があって、昔の家だから縁側と言うより
回り廊下を挟んで床の間に雪見障子に囲まれた6畳部屋に
ぶち抜きで繋がる4.5畳の『茶の間』。
台所8畳と、一坪の風呂といった無駄だらけの家。
今どきの断熱性、気密性の良いフローリングの
お洒落なエコハウスとは対局にある、隙間風が入る、
夏は暑く冬は寒い、畳敷きの古い日本の家。
マンションと違うのは、全ての部屋に収納スペースとして
一間幅(1,8m)の押入れと一畳分の板の間があること。

同じように2階にも板の間、押入れつきの6畳部屋が二つ並び、

長い廊下を挟んで4畳半の小部屋があり、ベランダに出られる。
トイレと水道は2階にも備わっている。
今風に言えば古い6LDKなのかな?
葬式をやったときに2階を接待に使ったんだけれど、
仲間が『料亭と同じような作り』と言っていた。
言われてみれば、そんな気がする。

そんな古い家に、新築マンションを買って、
それに住み慣れた嫁さんや子供が喜んで住む訳もなく、
結局建て替えでもしない限り、今の家は人気のない、
空き家になってしまう気がするのです。
それに家って、人が住んでいるから、古くてもそれなりに維持して行ける。
空気の流れや多少の湿気が、家を殺さないでいる気がするね。
3LDKの今のマンションは子供の成長と共に狭くなり、
収納性も実家にある7つの押入と比べたら雲泥の差。
空間的にも、ゆったりなんだけどねぇ。
さて、今後はどうしょうか?
家族の意見も聞いて、どうにかしたいと思う。
思い出がある家が朽ち果てるのは、何だか嫌だよなあ。

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自分の気持ちに鞭を打つ必要があるのかも?

2011年02月27日 | Weblog

花粉症だと思っていたら、やっぱり風邪だった。
今日は、昨日休んだ芝居の稽古へ行こうと思って
11時半に家を出るつもりでいたのだけれど、
なんとなく頭が重く、鼻水も止まらない上に
喉がなんとなくイガイガして、風邪の症状が出てきた。

来週の土曜日はお袋の納骨があって、僕が代表なので
風邪をこじらせる訳には行かない。
なんせ今日の稽古をやる場所は、小学校跡地の体育館で、
当然、暖房が無いから寒くて仕方が無い。
そんな中に、何時間も居たら風邪をこじらせるだけ。

そんな訳で、今日は残念だけれど芝居の稽古は休ませてもらった。
最近は運動不足で、体もどこか弱くなってきている気がする。

昨日は空き家になってしまった実家に、長女と一緒に行ったのだが
一週間、誰も居ない家はやっぱり寒く、ストーブを灯けて、
エアコンを点けて、コタツと電気カーペットのスイッチを入れても
長女は寒いので、ストーブの前に張り付いて温もる。
僕は上着を着ていたのだけれど、いつもより薄着で寒かった。

なんとなく寒い中、3時間くらいしてやっと部屋が暖かくなった。
今の家なら、もっと簡単に部屋が温まるのだろうけれど
昔の古い家は、やっぱり寒い。
そういう意味で、やっぱり省エネじゃないんだろうな。

たぶん、そんな中に居たので風邪をひいたのだと思う。
欠席のメールをしたら、大好きなアカリちゃんから返事が来て
『今日は台詞を入れてきたので、一緒にやりたかった』って
なんだか申し訳なくなっちゃった。
この一週間、新しい歌の練習もしっかりやって来たのになぁ・・・・

お袋の納骨が終わるまで、やる事が多くて忙しい上に
以前のように、芝居の稽古に行こうという強い気持ちが無くて
ちょっとした事があると、休んでしまうようになった。
でも、稽古に行けばやっぱり楽しい。気持ちの問題なのだ。

お袋が亡くなって、肩の荷物が軽くなったように思っていたが
実は、お袋が生きて居る時の方が、むしろ気持ちに張りが有った。
最近の自分は仕事でも遊びでも、何をやるにしても
以前に比べると、ちょっと消極的で腰が引けてる気がする。
この辺で少し、自分の気持ちに鞭を打つ必要があるのかもね?

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お客様は神様です!

2011年02月26日 | Weblog
お袋が亡くなって、今日で5週間。
来週は七七日(49日)の前に、いよいよ納骨。
なんだか、あっという間に時間が過ぎてしまっている。
今日は残務整理に追われた一日。
芝居の稽古も有ったのだけれど、平日は仕事でほとんど何も出来ないから
週末に集中してやるしかないので、今日も稽古は欠席。

まずは朝一番で、自宅のインターネットの解約。
今までNTTコミュニケーションズ(OCN)とプロバイダー契約をしていたのだけれど
Tcom(旧Tepco)の光ファイバーがマンションにつながっているのでそれに変更した。
それでNTTにプロバイダーの解約の電話をしたら、連絡先が違うとの事。
NTTコミュニケーションズ(OCN)とNTT東日本は別会社だって、
言われるまで気がつかなかった。

しかし、電話対応してくれた女性の感じが凄く良くて
本来、Tcomがやるべき連絡がOCNにされていないらしく
対応してくれたNTTの女性から、OCNに連絡してくれるとの事。
問題が起きたら、またNTTからこの女性が連絡をくれると聞いて、
僕は『それじゃぁ、問題が起きたら声が聞けるんだぁ?どっちがいいか解らないね?』
と冗談を言って切ったのだけれど、なんだかNTTの対応が凄く親切で気持ちよかった。
サービスの基本っていう感じがしたね。

昼前に、また長女とお出かけ。
長女のトランペットを購入した管楽器専門店へ行き、
トランペットをリペアに出して、ついでに今流行のカラフルなケースを買ってやった。
長女が選んだのはブルー。アメリカ製で、入荷まで一ヶ月かかるそうだ。

その足で、お袋が亡くなって空き家になっている荻窪の家へ行き
測量会社に頼んであった境界線確認書に署名捺印。

それからまた、実家の電気や水道の支払先変更の連絡。
実家を取り壊すまで、まだ家の中を片付けるのに時間がかかるので
その間、電気や水道、ガスが使えないと不便。
電話はJCOMというところで、ケーブルテレビと一緒にインターネットと
3点セットで契約していたのだけれど、さし当たって電話以外は不要。
電話も特に使わないのだけれど、基本料金は対したこと無いので保留。
電話したどの窓口も、凄く対応が良くて請求書の送付先を自宅に変えて貰った。

今日、感じたこと。
電話の対応って言うのは、顔が見えないから印象が悪いと
その企業自体の体質や会社の質までが悪いといった印象を植え付ける。
まさに会社を代表して応対してることになるんじゃないかな?

自分は技術職で、外部の電話に対して横柄なことがある気がする。
そんな時、相手はやっぱり『会社』の対応として見るんだろう。
お客様は神様です。
亡くなった三波春男の言葉は、どの世界でも同じだなって
ちょっと考え直してしまった。
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花粉症デビュー?

2011年02月25日 | Weblog

なぜか、鼻水が出る。風邪でもひいたのか?
もしかして・・・・花粉症?ウソだろう・・・・
自他共に、限りなく原始人に近い男とされているこの僕が、
現代病の典型と言われる花粉症なんてねぇ・・・・

今日は銀行に用事が出来て、午前中休暇を取った関係で
昼から会社に出かけたのだけれど、気温が高かったこともあって、
普段より一枚少なく、さらにシャツ一枚と言う薄着で出かけた。
なんせ、春一番が吹いたらしく、昼間の気温が5月並の気温だったからね。
会社に着いても、作業着は半袖のものにして、上着も着ないで居た。

夕方から風向きが北寄りになって寒くなった。
半袖のシャツだと、ちょっと肌寒くなったのも事実。
それが原因で、風邪でもひいたのかも知れない。

でも、喉が痛いわけでも無ければ、咳が出るわけでもない。
僕の場合、風邪をひくと最初に喉がイガイガするし、
背筋がぞくぞくしたり、それなりに兆候が見えるんだけれど
今回は、とにかく水のようなサラッとした鼻水が滝のように流れる。
鼻水って言うのが今まで無かった事で、いつも通りの風邪ならば
粘り気のある鼻水で、鼻が詰まってしまうのが僕のパターン。

毎年、この時期になると花粉症で悩まされている嫁さんに聞くと、
花粉症デビューじゃないか?って・・・・・
冗談はよしこさん(古い表現です)だよなぁ。

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自分はどうしたい?・・・

2011年02月24日 | Weblog
若手に任せている、新型装置の設計。
チラチラと様子を見ると、必ず『何をやってるんだ?』
と言う具合になって、また熱くなる。

どうして、もっと自由な発想で我侭を言わないのか?
今の若者は、熱い討論や激論なんていうのは好まない。
そういったものを乗り越えて出来たものでないと、ろくな仕事が出来ない。
なんだか、若い連中はお互いに批判しあわない。
喧嘩やディベイトみたいな事は好まない上に、
そういったことがあると、どこか仲間意識も低くなるみたい。

良い物を作ろうとする気持ちをぶつけ合えないのならば、
参加しないほうが良い。
人を批判しない奴は、自分が批判されることも嫌いな人間が多い。
つまり批判されたくないから、自分も他人を批判しない。
かつての部署にそういったことに対して
『雰囲気が悪くなるから』って言った馬鹿野郎が居たけれど、
僕にはその言葉の『雰囲気』って、何だよ?って
そういうことを言われて、その意味すら解らなかった。

大事なことは『自分が何をしたいか?』であり、
『どんなものを作りたいか?』でもある。
他人がどう思おうが、自分のそういった主張があって初めて他人に伝わる。

まぁ、今の子は妙に自信過剰な部分があって、経験的な部分を
理解できない事が、多いことも事実。
まぁ、若手を育てる上で、『ジェネレーションギャップ』みたいな
一番難しいところかもね?

そうは言いながら、肝心の自分はどうなのだ?
仕事だけじゃない、週末の時間の使い方もはっきりしない。
今やりたいのは、芝居なのか?音楽なのか?
それともやっぱりサッカーなのか?
自分はどうしたい・・・って、一番言えていないのは僕の気がする。
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『日本オーナズクラブ』。 ひどい会社もあったもんだ・・・

2011年02月23日 | Weblog

実名で書きます。
安達事業グループという、会社が運営する『日本オーナズクラブ』。
この会社の運営は本当に怪しくて、おかしい。

この『日本オーナズクラブ』リゾート会員権をバブル期の30年前に姉が購入した。
その後、姉が豪州へ移住した際に『日本在住でないと駄目』と言われ
その頃、僕は独身で、年会費も1万円程度だったので、あまり深く考えず
僕に名義変更して、年会費と不動産の固定資産税を払ってきた。

その後バブルが崩壊、リゾート会員権の運営も怪しくなってサービスが低下。
会員権の価値もどんどん下がり、会員が増えなくなった。
そのお陰で、年会費がどんどん上がりいまや年会費56700円。

結婚前は、本当に良く使っていたので年会費もさほど無駄とは思わなかった。
けれど、結婚後はそういった施設へ出かけて、時間に追われるより
ディズニーランドの年間パスポートを家族全員で買って
気が向いた時に、気が向いた時間だけ遊びに行く方が気楽で、
数年前まで、そういったことを続けてきた。

その頃からこの、使いもしないリゾート会員権の年会費が、
馬鹿馬鹿しくなって、一旦は売りに出そうとした。
ところが全く売れない上に、売れたところで10万円前後。
名義変更費用で、逆に足が出ると言うのでまた暫く様子を見ていた。

会員権の利用を止めるので、年会費の支払いを止めて欲しいと
『日本オーナズクラブ』に電話したら、休会という扱いは無いと言われ
会員権を個人で売りに出すしか、方法が無いと言われた。
『日本オーナズクラブ』では会員権の販売はやらないんだとさ・・・

てぇことは、いずれにせよ金が出て行くって言うこと。

リゾート施設を使う人には関係ないのだろうけれど、使わなくなった時に
初めて気がつく、こういった落とし穴。

会員権つきリゾート施設は、よく先のことまで考えて買った方がいいですね。
せめて、最後には会員権を引き取ってくれるような制度があればね・・・・
売りに出しても価値の無くなった会員権を、個人の責任だと言って維持させて、
その間の年会費をせしめるような姑息なやり方に感じる『日本オーナズクラブ』。
こんな方法で事業運営を平然としている会社があるんだねぇ・・・・

『日本オーナズクラブ』を運営する『安達事業グループ』のホームページ
http://www.hgp.co.jp/recruit/company/index.html
に書いてある企業理念、運営方針、行動指針が笑わせてくれます。

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まっ、いいか・・・・

2011年02月22日 | Weblog

次女が都立高校へ推薦入学が決まって、私立高校の受験やそれまでの塾の費用、
一番大きいのは入学金と授業料がなくなった事。
ご褒美に子供たちのパソコンを最新のものにして、長女が使っている
2年前のモデルを僕が貰って、ついでにインターネットの回線も
ADSLから光ファイバーに変えたところまでは、以前の日記に書いたとおり。

やっと今日、工事が終わりインターネットに光ファイバーで接続する事になって、
デスクトップのパソコンパソコンはワイヤーでインターネットに繋がったんだけど、
子供たちと自分が部屋で使うPCの無線LANでは、インターネットに繋がらない。
これだから、パソコンって嫌なんだよ。他人の設計したものは解らない。

よく調べたら、我家の無線ルーター雷は2006年製。
機能はあるんだけれど、無線LANへ自動接続するソフトウェアが
今のWindowsVistaやWindows7に対応していない。
それで、Webサイトでそのソフトウェアをダウンロードして試したら
今度は無線認識すらしてくれない。
ADSLを使っていたついこの間まで、簡単に繋がったのに・・・

それで今度は、長女のWindows7のPCで試してみたら、
あっという間に接続が完了。
WindowsVistaだと、何が悪いのか?
皆目見当がつかないけれど、長女はそんなことは意に関せず
『やったぁ・・・、これでまたパソコンが使えるぅ・・・♪』なんて、お気楽なもの。

しかも、パソコンについても長女のほうが詳しい感じ。
いつの間に覚えたのか?
いつも言ってる通り、長女は馬鹿なのか?天才なのか?
少なくとも、今回は馬鹿ではなさそうな結果だったが、
技術者の僕としては、なんだか悔しい・・・

しかし、WindowsVistaの方もWindows7用ソフトを使って開通!
やっと繋がって快適になるはずの光回線。
使ってみると、今までと何も変わらない・・・・
光ファイバーの利点って、もしかして動画以外は差が出ないのかな?
だとしたら、プロバイダを変えたりして面倒なだけで
何のメリットも無かったじゃないの・・・・泣き顔(TT)

僕も、本当にだまされ易いよなぁ・・・・
まっ、いいか・・・・

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地球の裏側に居る兄貴

2011年02月21日 | Weblog
お袋が亡くなって、早くも1ヶ月が過ぎた。
この間で、不思議に思うことがある。

あんなに大好きで、いつもお袋のことが頭から離れなかったのに
亡くなってから、一回も夢に出てきたことがない。
今週、お袋の遺影と一緒に遺骨を自分の部屋に連れて来て
枕元に置いて、毎日一緒に寝ているというのに
まったく夢に現れないのです。
この話を、姉貴に電話して聞いてみたら、姉貴も同じだという。
そういえば、葬儀のときに叔父もそんな事を話していた。

一昨日、劇団の姉様と一緒に夕食を食べたときに
こういった話をしたら
『それは、思い残すことがないということ』だと言われた。
姉様も、数年前に親を亡くして、妹さんにすべてを託して
自分は何も出来ないままに、亡くなってしまったらしいのだけれど
そのせいで、ずっと夢を見ていた時期があったらしい。

ある日、親が夢に現れて『もういいよ』と言って消えたそうで
それ以来、夢にまったく出てこなくなったらしい。

僕も、姉貴も出来ることは全てやって来たって思っていたけれど
そういうことなのかな?
なんだか、自分が遣り残したことが沢山あって、
それで何かを引きずっている気もしていたのだけれど
そうじゃないのかも知れないと、思い始めている。

逆に、お袋が亡くなる前に最後の挨拶をして、亡くなった前日に
ブラジルへ旅立った兄貴は、死に目に会えず、葬儀にも出られず、
納骨も兄弟に頼んで、思い残すことだらけだろうから
もしかして、毎日のようにお袋の夢を見ているのかも知れない。

いつも自分に責任を押し付けて・・・・なんて、被害妄想的な感情が
この一ヶ月間、自分の中でくすぶっていたのだけれど
そう考えると、一番かわいそうなのは兄貴なのかもしれない。

もう2度と会えないと解っていながら最後の挨拶をして
実家から帰って行った時の兄貴は、どんな気持ちで帰ったのだろう。
自分の事ばかり考えて来たけれど、兄弟で一番つらい思いをしている
兄貴に、もっと優しい言葉をかけてやらなくちゃいけないな。
元々、僕の兄弟は仲が良い、思いやりのある兄弟なのだから・・・・
親父のたった一言の遺言
『兄弟仲良く、お袋を助けて行って欲しい』
は、お袋を中心に兄弟が思いやりを持って・・・、
と言うことだったのかも知れない.
地球の裏側に居る兄貴のことが気になってきた。
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久しぶりの稽古

2011年02月20日 | Weblog
やっぱり疲れちゃった。
劇団の稽古に行くのは、1月の中旬以来だから約一ヶ月ぶり。

午前中にやることがあって、到着したのは1時半。
芝居の稽古が始まっていて、着いた途端に僕が出るシーン。
他の人は、どうか?判らないけれど僕の場合は
芝居の稽古の前に、歌を唄ったりしてウォーミングアップして、
いわゆる脳みそを芝居モードに切り替えないと駄目なんです。

その上、一ヶ月もブランクがあって、台本を読んでいたにも関わらず
精神的に芝居に気が向いていなかったから、台詞ひとつ入っていない。
居ない間に、ダンスの振り付けも若干変わっていたりして
とにかく、着いてゆけなかった。

自分の役だけでも出来ないのに、欠席しているメンバーの
代役まで頼まれても、ぜんぜん役に立たない。
歌も、姉様に譜面のコピーを送ってもらって練習してきたけれど、
譜面を見て、メロディーを演奏して覚えてきただけで
歌詞は譜面を見ないと唄えるような状態じゃない。
せめて音源をくれたら覚えやすいし、何とかなったんだけれど・・・

甘えじゃないけれど、出来ないものは出来ない。
それを一ヶ月練習してきた、出来の悪いおじさんたちに混じって
唄わされて、しまいには『何で練習してこないんだぁ・・・』
って言われてもねぇ・・・・
それでも、練習を少しだけしてきたから、後半は何とか着いて行けた。

若手の歌の指導をしている子に対して、
そういうところに少し気を使って繰れたらなぁ・・・と思いながら
何とかがんばって練習してきました。
ハッキリ言って、ぜんぜん楽しめなかった。

今日は新しい曲が2曲出来上がってきた。
ひとつは、最後に全員で唄う曲。
もうひとつは僕と2人の女性と3人で唄う曲を頂いた。

3人で歌う曲はなかなかいい曲で、凄く心に入ってくる。
でも、いつもどおり難点があって、自分にはちょっとキーが低い。
もう半音か1音高いと、声が出しやすいんだけれど、
そうなると女性にとってはキーが高くなりすぎちゃうのかも?
こういうところで、自分の能力の低さが露呈される。
まぁ、それは仕方がないと諦めるしかないかな?

それともうひとつ、やっぱり心の状態が平常じゃないみたい。
新しい曲の歌詞に、妙に反応して何かが込み上げてくる。
全員で歌う曲は、オープニングテーマと同じメローディーが
入っていて、いかにもミュージカルのフィナーレという感じ。

でもその中の歌詞
『人生は一度きり、望む事を望むままに描いて行けたらそれが最高』
って言う歌詞が、なんだか込み上げてきて涙が出てくる。
そんな状態だから、歌なんか唄えないのですよ。
3人のナンバーも同様で、
『僕らはそんなに力にはなれないけれど、貴女を一人にしたくはなかったんだ』
って言う歌詞を唄おうとすると、声が詰まってしまう。
そんな歌詞じゃ無い気もするんだけれどねぇ・・・・

昨日も姉様に、『家族を亡くした心のダメージ』
って言われたけど、そうなのかなぁ?
怖いもの見たさで、『人生は一度きり~♪』って唄ってみると
やっぱりジワー・・・・・
情けないです。次回の稽古までに克服しておかなくちゃ!

しかし、音楽の大塚先生も勘弁して欲しいよなぁ・・・・
事前に、話を聞いていたとはいえ、心に滲みすぎる曲って、
ある意味で苛め、いや・・・・罪ですよ。(笑)
大の男が、みっともない姿を晒しちゃうじゃない・・・・

来週はまた参加できるか、ちょっと微妙だけれど、
今日判った事は、稽古が大して進んでいなかったということ。
それでも、一昨年の5月に公演した時よりは進んでいるかな?
そういう意味では、あまり焦っていないんだけれど、
早く仕上げれば、それだけ修正時間が出来て、もっと良くなるからね。

まずは、気分転換をして、心のリハビリをして、
先生が作ってくれた、良い楽曲を台無しにしないようにしなくちゃ!
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姉様に、感謝!

2011年02月19日 | Weblog
今日は朝からスケジュールが一杯で大変だった。
午前中にお袋の入院していた病院の清算。
その後は、介護ケアセンターの支払い。
これで、世話になった訪問看護師のTさんともお別れ。
丁重に挨拶して、その足で杉並区役所へ。

土曜日なので、欲しかった証明書は発行してもらえない上に
必要な書類もあって、平日に出直さなくちゃいけなくなった。
杉並区役所のある阿佐ヶ谷商店街を、久しぶりに歩いた。
なんだか、僕の好きな商店街の作り。
専門店の個人商店が立ち並び、スーパーマーケットでの
買い物に慣れてしまっている今は、こんな商店街に憧れる。
写真にある「ヨーカドー」は、この土地に60年以上前からある
老舗のメンズショップ。
創業者の娘さんが、実家の隣家に嫁いできたという縁があって
若いころに良く買い物した店でもある。
そういう店が、健在なのもうれしかった。

区役所の後は、従姉妹の勤める新宿高島屋へ。
香典返しのことが良くわからない上に、面倒くさい。
それで、予算を伝えて専門家に頼んでしまおうというわけ。
多少高くても、高島屋なら確実だし、社員割引でやってくれるらしく
ワンランク上の品物を選ぶことにした。

その後は劇団の若手が出演する芝居を観に池袋まで出かけた。
休む暇なく、動き回っていて疲れた上に、芝居が今ひとつ。
睡魔との闘いをしながらの観劇は、夕方6時に終了。

一緒に出かけた劇団の座長らと一緒にお茶。
『稽古にはいつから復帰できるか?』
って訊かれて、49日まではやる事が多くて休みがちと言うと
『そんなの、たいして忙しくない』って、心無い返事。
親が亡くなって、遺産整理だけじゃない、
気持ちがどこか整理できていなくて、いらいらしている毎日なのに・・・
今日は、こういうパターンになるのが嫌で、躊躇したんだけれど
やっぱり、やめておけば良かった。

気を取り直して一緒に行った劇団の姉様と、場所を変えて新宿で晩飯。
姉様にお袋の葬儀後の忙しさや、気持ちの整理が出来ていない事を吐露。
姉様も数年前に親を亡くして、精神的にも大変だったとか。
自分の心に、思った以上にダメージを食らっていることを
姉様は理解してくれて、何か心が癒された。

帰りがけに『明日は稽古に行きます』って言って別れた。
少し、気持ちが楽になったかな?
劇団の姉様に、感謝!
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さて、どうしたものか?

2011年02月18日 | Weblog
今日は嫁さんと娘二人に、今後のことを話した。
実家に住むお袋が亡くなって、今は空き家状態。
僕自身は、実家のある荻窪へ拠点を変えたいのだけれど
ローンを組んで購入したマンションをどうするのか?
嫁さんをはじめとした、家族がどう考えているのか?
そういうことを全く無視する訳には行かない。

3LDKのマンションは、購入当時は子供が小さかったので
さほど狭いとは思わなかった。
ところが今では、子供たちの部屋は狭くなり、
荷物が増えたこともあって、さながら荷物の中での生活。
マンションの欠点は、収納スペースが小さいこと。

実家のように押入れだけで5箇所、クローゼットが2箇所ある
収納箇所が多い家に育った自分は、ローンを組んで
物置に住んでいるようで、どうにも気に入らなかった。

嫁さんは、マンション派。
自分たちで購入したこともあって、思い入れがあるみたい。
それに実家は、嫁さんにとってあまり良い思い出がないみたい。
お袋だけじゃなく、祖母の面倒を見た来たうえに
祖母はいろんな面で、いやな思いをさせられてきたからね。

長女は『どっちでもいい』派。
要するに住めればどこでもいいみたい。
4月から学校も変わるので、どこに住もうが関係ないみたい。
そう言う意味では、自分の味方かな?

次女は中学生だから、予想通り今の家に住みたいらしい。
三鷹で生まれ育ったこと、友達が沢山いること、
何よりも大好きな吉祥寺の街が、近いこともあって
今の家に住み続けたいという。

さて、どうしたものか?
住まないなら、アパートでも建てて家賃収入を得るか?
でも、やっぱり若いころから憧れていたガレージのある家や
楽器を部屋いっぱいに飾っておける部屋がほしい。

ローン+管理費+駐車場代という、マンションの支払いを考えたら、
金銭的にも、絶対有利なんだけどな・・・・
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『単なる豚』から『すばしこいデブ』へ

2011年02月17日 | Weblog
自分の部下に平成生まれは居ないけれど、定年まであと5年。
この間に今の天皇陛下が崩御したとしたら、平成に入ったときの
『明治生まれ』『大正生まれ』『昭和生まれ』に似た
『昭和生まれ』『平成生まれ』っていう構図になるのかな?

なんと、二時代前の世代なんていわれちゃう状況になる。
今の部下で、親が自分より年下というものが4人居る。
そう考えると、お父さんと仕事をしている感覚なんだろうな。

部下に『俺の上司は親父と同じ世代なのに不良なんだよ』とか
きっと話しているに違いない。

サッカーチームにしても同じようなもの。
『スーパーじいちゃん』と呼ばれる由縁は、チームメートに
自分と同い年の親が居る若手が数人居るから。
その若手が、結婚して子供を連れてくると僕が抱っこして
おじいちゃんだよぉ・・・・って言うから、尚更です。

でも、逆に親父と同い年のじじいと一緒にサッカーをやっている事になる。
これは、自分的にも誇りにしていることかな?
若ぶっているわけじゃないけれど、どうやら僕は同世代から見ると
『化け物』みたいに元気な不良中年見えるみたい。

『スーパーじいちゃん』、『化け物』も、お袋の葬儀以来
練習を休んでいて、そろそろ体を動かさないと、『単なる豚』になる。
以前、日記に書いた『すばしこいデブ』として復活せねば・・・
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急に寂しくなった

2011年02月16日 | Weblog
月曜日に姉貴と姪が帰国して、何だか急に寂しくなった。
お袋の看病で緊急帰国したので、今の状態が本来の姿なんだろうけれど
お袋がまだ元気だった頃は、姉貴と3人で話をする時間が
僕も姉もまだ結婚する前で、実家で一緒に生活していた時期に
タイムスリップしたような感覚だったのかも知れない。

姪は日本に来て、原宿のショップで夜遅くまではたらいていたので
姉貴は夕食も一人で食べるか、姪の帰りを待って一緒に食べるかだった。
それはお袋が元気だった時も同じで、一人で食べる食事はさぞかし味気ないだろうと・・・
実際、簡単なものばかり食べていたお袋は、栄養失調になって倒れてしまった。

それ以来僕は、週末になると実家へ出向いて夕食を作って一緒に食べるようになった。
自分の家族には申し訳なかったのだけれど、お袋を放って置く訳には行かなかったから
去年、お袋が倒れた8月からずっとそういう生活を続けてきた。

姉貴と一緒に食事をしながら、本当に色々なことを話した。
なんだか、そういった時間が、いつの間にか楽しみな時間に変わっていた。
お袋が亡くなってからも、姉貴とはこれからの話を時間をかけて話し合った。
そして、姉貴が帰国して自分の気持ちを吐き出す場所がなくなった気がする。

姉と一緒に帰国した姪も、一年間で日本の生活に慣れて日本が好きになっていた。
帰国する時も「日本から帰りたくない」ってしきりに言っていた姪。
大学のオリエンテーションがあるので、いずれにせよ帰国せざるを得なかったのだが
それでも、タイムリミットギリギリまで日本に居て、姉の看病を手伝いながら
お袋を一緒に送り出せたことは、いい経験になったんじゃないだろうか?

ただ、帰国してから『携帯が無いと、息が出来ないような気分』
と、ぼやいているらしく、姉貴や僕のように携帯電話なんて無くても
一向に構わない人間からは、想像つかないことに遭遇している様子。
これも、日本が好きで今時の日本の若者に、しっかり同化しているという事みたいだ。
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次のステージへ

2011年02月13日 | Weblog
お袋の最期を看取るために、帰国していた姉貴が
いよいよ明日のフライトで帰国する事になった。
3ヶ月間、本当にご苦労様と言いたい。

豪州へ渡って当初は3年間の予定で帰国するはずだったが、
向こうで伴侶にめぐり合い、そのまま結婚して豪州に在住した。
通算で26年間という空白の時間を埋めるかのように、
姉とお袋はこの3ヶ月間、お袋と親父の出会いから、
結婚当時の楽しかった話や苦労話、我々子供が生まれてからの話を、
じっくり聞いてやれたように思う。
まだまだ、話し足りなかったかも知れないとは思うけれど、
それでも、お袋は穏やかな顔で、旅立って行った。
きっと、お袋は一番姉貴と話をしたかったに違いない。
そういう意味では、3ヶ月間は幸せな時間だったと思う。

お袋は当初、11月下旬まで生きているかどうか?という状態だった。
それが姉貴が帰国すると聞いて、元気が出て驚くほど生き延びた。
この間、兄貴が帰国、正月を迎え、兄貴もギリギリまで日本に居たが
「頑張ってやって来い」と旅立つのを見送って、
兄貴がブラジルへ到着した時間に、この世を去った。

我家の子供の合格を祈願し、お陰で次女は推薦試験で合格。
姉は、諦めていた来期の担当クラスの仕事に
ギリギリのタイミングで間に合うようで、明日帰国する。

お袋は最期に、みんなに看取られて、誰にも迷惑をかけず旅立った。

先週末の慰労会に続いて、今日は弟夫婦と4人で最期の夕食。
「木曽路」というレストランで、姉貴が食べたがっていた「すき焼き」を食べて
弟夫婦とも、色んな話をして解散した。

明日は会社を半日で切り上げて、成田空港まで姉貴を送って行く。
一年間、日本で暮らしていた姪も一緒に帰国する。

これで、また兄弟はバラバラになって、それぞれの暮らしに戻る。
僕にとっても、姉が離日した26年前から始まって、
今度は自分にとって「サードステージ」が始まる。
次のステージは、どんな人生が待っているのだろう?
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家族の慰労会

2011年02月11日 | Weblog
この3ヶ月間お袋をずっと看病してくれた姉貴が
来週の月曜日に帰国するので、兄弟の家族が集まって慰労会。
最初の予定では、青梅にある料亭で集まる予定だったけれど
雪が降りそうなので、急遽場所を変更した。

六本木のミッドタウンにある「ユニオンスクウェアトウキョウ」に
姉貴の同級生の息子が働いていて予約した。
この息子、かつてFC東京のU-22でサッカーをやっていて、
ユースの日本代表まで選ばれた海東君。
いまは訳あって、サッカーを引退して飲食関係の店で勤めているが、
この3月で、この店を辞めてニューヨークへ行くそうだ。

この彼のお陰で、六本木のど真ん中で貸切のスペースを用意してもらった。

それもランチタイムが1時から4時までなのに、休日返上できてくれた
海東君のお陰で、我侭三昧の会食は盛り上がって4時半過ぎまで大騒ぎ。

食べ物は美味しいし、雰囲気も抜群。
子供たちも、今流行りの街で高級感たっぷりのお店で楽しかったみたい。
時間が過ぎて、誰も居なくなったお店で全員が揃って記念写真。

まだ5時で、弟と僕は飲み足りなくて、もう一軒行こうと相談。
弟の長女がお気に入りの店を6時から予約してくれたので、
それまで1時間半、一旦解散してそれぞれが好き勝手に
田舎者宜しくミッドタウンを楽しんだ。

1万円のバレンタインのチョコや、

一個数百円するキャラメル
など
かつてのバブル期を彷彿させる品が、ずらりと並ぶ店があったり
僕はアイスが食べたくて、子供と一緒に食べに行ったり。
1時間半があっという間に過ぎて、2次会のお店に移動。

今度は本当の居酒屋だったけれど、高校生の長女、中学生の次女も
若い人たちだけで別テーブルを作ってもらい、大人が酒を飲む横で、
美味しいものを好きなだけ頼んで、楽しんでいた。

僕はひさしぶりに、弟と2人で日本酒の熱燗。
最初に頼んだ酒があまり美味しくなくて、と言うより
どうやら冷酒を熱燗にしちゃって、酒の辛味だけしか残らなくて失敗。
その後、新潟の酒を頼んだら途中で売り切れ、
その後は千葉の「木戸泉」という酒を、弟と2人でガンガン飲んだ。
結局2人で一升以上呑んじゃった。
弟は5合飲んでも、平然としているが、僕は流石に眠くなって
テーブルに頬杖突いて、暫く気を失っていたみたい。

その間、僕が左手の指をピクピク動かしていたらしく
みんなは「きっと、宇宙人と交信してるんだよ」と言って大笑いしていたそうだ。
帰りの電車を待つベンチでも、再び気を失って「交信」していたらしく
それを子供たちが見るたびに「いま、受信してるんだよ」とか
言って、写真を撮ったりしていたみたい。

僕は電車の中でも爆睡。それでも、いつもどおり吉祥寺に到着した時には
酔いも半分以上抜けていて、家族全員でタクシーでの帰宅。

久しぶりに、弟とゆっくり飲んだかな?
とにかく今日は楽しい話題で一杯だった。
こういう家族の会合は、たまにはいいなぁって思った。

雪が降らなければ、車で出かけて単なる大人だけの会食で終わったかも知れない。
雪のお陰で、子供も連れて六本木に出かけ、子供同士も楽しんだ。
姉貴が帰国したら、もうこういう時間はなくなるのかな?
お袋を軸に、お袋に会う為に集まっていた兄弟が、
これからはどんな形で集まるようになるのか?
兄弟たちの新しい時代が始まった気がした。
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