『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

明日から10月かぁ・・・・

2015年09月30日 | Weblog

9月も今日で終わり。
と言う事は、僕の会社通い(勤めと言うにはおこがましい)も残り1カ月。
10月の出勤日は3連休が在るので、稼働日は21日。
 
7月から8月にかけて入院したり、9月に入っても通院で予定外の休暇を使い、
結果として、残りの年次休暇は11日になってしまった。
と言う訳で、10月に会社へ行くのは10日と言う事になりました。
この11日の休暇のうち9日を使って、去年行ったスイスへもう一度行く計画になって居ます。
入院しなければ、10月9日を最後の出勤日にするつもりだったんだけど、
なかなか思い通りには行きませんねぇ・・・(笑)。

しかし、仕事を干されてからの耐久生活2年半は長かった。
今日も昼休みにサッカーをやった以外は、何も仕事らしい事は無かった。
会社に出かけてやっている事と言ったら、ひたすら身辺整理。
それも殆ど終わってしまって、あとはパソコンのデーターを最後に消去するだけ。
会社のパソコンがセキュリティー強化のために個人のメモリースティックを受け付けなくなり、
ずっと執筆して居た設計関係の回想録『設計遺書』も、本当に個人の物になってしまった。
まぁ、誰にも見せるつもりが無かったから良いけどね・・・・

さて、今回のスイス旅行。
どうせだからロンドンやパリといった場所も考えていたんだけれど、
紅葉のスイスを見てみたいという願望が有ったのと、ちょうど格好のツアーが
JTBで企画されて居たのを見つけ、キャンセル待ちで申し込んでいたのが
運よく空きが出て、行く事に決めました。

スイスの山間の観光地は11月から冬季営業に入る前に、休業するホテルが多く、
最初に予定して居たホテルが変更になったり、意外と10月の旅行者は少ないみたい。
下手をすると雨が雪になる可能性も有るので、迷ったんだけれどね。
旅行なんて、予定外の事が起きるのも楽しみのうち・・・・なんて考える性質なので
そうなったらそうなったで、また土産話になるのですよ。

ただ、今回は財布を無くしたりしないように気をつけないと・・・・
なんせ海外旅行に限らず、何処かに行くと必ず何かをしでかしますからね。
以下はその例です。
★結婚前
☆財布を自宅に忘れてバイクで東北旅行に行ってしまい、高速道路の出口で気がついた。
(その後)高速道路は後日、料金を振り込む事にして、仙台の友人宅へ行きお金を借りた。
☆バンドのライブで仙台まで行った際に、新幹線の切符売り場に財布を置いて、仙台まで行ってしまった。
(その後)後から来た仲間が財布を受け取って、持って来てくれた。
☆鎌倉へウィンドサーフィンに行って、オーダーメイドのウェットスーツを駐車場に干したままで帰って来た。
(その後)鎌倉まで取りに行ったが結局無かった。海パンだけが、車のキャリアに引っ掛かっていた。
☆千葉まで車で出かけた時にコンビニに財布を忘れて、東京に帰ってから電話が有って気がついた。
(その後)その日のうちに千葉まで取りに行き、夜中の帰宅になった。

★結婚後
☆新婚旅行でハワイへ。ハワイ到着と同時に、カメラを床に落として壊しちゃった。
(その後)嫁さん激怒!仕方が無く、ハワイでカメラを購入。日本の倍以上した。
☆オックスフォード出張時、教授たちと飲んでいて、パブに財布を忘れてきた。
(その後)学生が気がついて、教授の行きそうな店を手分けして探してくれて受け取った。
中身の1割をお礼にあげた。
☆去年の旅行で、ユングフラウへ行った時にレストランへ財布を置いてきちゃった。
(その後)200km近く離れたルツェルンから、翌日一人で取りに行った。JTB提携のレストランだったのでラッキー!
☆東北の大船渡で財布を落としたが、一緒に行った仲間が偶然拾ってくれて事なきを得た。
(その後)翌日、今度は帽子を忘れて取りに行った。一緒に出かけた相方に呆れられた。

まぁ、他にもまだ色々有ります。
懲りないと言うか、気をつけているんだけど『学習能力』が無いのですね。
と言う訳で、今回は子供のように、首から紐でぶら下げる事にします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花の空間アート (フラワーアレンジ)

2015年09月29日 | Weblog

先週は風邪をひいたりして、花を弄る時間が取れなかった。
そんな訳で、今日は久しぶりに花を買って帰ってきました。

今日は赤茶色のトルコ桔梗にカスミソウ、ルスカスの葉を組み合わせてみました。
生け花でもなければ、フラワーアレンジメントともちょっと違う気がする。
いわゆる我流。しいて言えば花を使った空間アートと言った方が正しいかな?

花を触る様になったのは今の秘密基地に住むようになってから。
秘密基地に住むようになったのは、子供たちが大きくなって、
自分の部屋が欲しいと言う年頃になって、自宅の3LDKマンションでは手狭になって
もう少し広い家に住もうかと思っていた矢先、母親が他界して、
相続して貰った荻窪の実家が在った土地にアパートを建てた事が大きな理由。

実家の荷物が捨てきれなくてレンタル倉庫で保管していたのだけれど、
流石に、仏壇や位牌はそうも行かず、自宅の部屋に置いてあったんだけれど、
母親が夢枕に立って、荻窪へ帰りたがっているのが気になって
アパートの1室を実家の荷物保管場所にして、仏壇もそこに供える事にした。

仕事のストレスが溜まって、家族のちょっとした事にイライラする事が多くなり、
独りになる時間が欲しかったのも手伝って、思い切ってアパートに別居した。
これで仏壇の面倒も自分が看る事が出来るし、お袋の魂もそれで落ち着いたのか?
それ以降は、お袋が夢に出て来る事が少なくなった。

そんな経緯で、花を仏壇に供える事から花屋さんへ通うようになった。
最初は店にある『仏花』を買って来て、供えていたのだけれど、
なんだかいつも同じような色合いの花ばかりで、つまらないなと思い始め
仏壇に飾るとはいえ、好きな花を飾ったら部屋の雰囲気も変わるかな?
なんてきっかけで毎週1回、花屋に立ち寄って花を買ってくるようになった。

ストレスが一向に減らず、不眠症に陥り、何か気分転換を・・・・・
なんて考えていた所に、知り合いから薦められ何となく始めたのが、去年の5月。

薦めてくれたのは、フラワーアレンジメントを初めとして、
花に関わる各種のイベントを開いたりしている友人、
加藤ひろえさん(http://atelier-le-coeur.jimdo.com/profile-1/)。

クリスマスリースやバレンタインデー、ホワイトデーのアレンジを教わり
僕が気分転換に何かやりたい事を呟いたら『花を活けてみたら』と言われたのです。

そんな事から、何となく始めた花いじり。
やって行くうちに、生花は『空間アート』なのだと言う事に気がつき、
更に花は『生き物』なんだと感じるようになり、花と会話じゃないけれど、
いつからか、花屋に行くと
『こっち、こっち』と花が僕を呼んでいる気がする日が多くなった。
今日のトルコ桔梗も、何か気になって手に取ったもの。

いつの間にか、楽しくなってハマってしまい、もう1年半も続いている。
この間に作った作品をアルバムにしました。
花の空間アート
興味ある方は覗いてみてください。

1年半続いていると言うのは『好き』と言う事なのでしょう。
花が部屋にあるのは、やっぱり生活に潤いが生まれます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

同窓会幹事会

2015年09月28日 | Weblog

今日は同窓会の幹事会。
11月末に『共に還暦を祝う会』と称して、同窓会を開催する事になった。
五輪開催の年、4年に一度と言う事でやって来たのだが、
今年中に殆どの人間が還暦と定年を迎え、僕の様な早生まれの人間は
若干遅く年を取るのだけれど、そのあたりは誤差と言う事で・・・・・

そんな訳で5月に会合を開き、1年前倒しして開催すると云った内容の
告知ハガキを、全卒業生に対して送った。
そして8月に案内状、返信はがき、会費振り込み用紙を同封して、
再度、同期の卒業生全員に送付した。

この間の事務作業は、僕一人でやったのだが、それが良くなかった。
幹事会の組織運営が曖昧になっているので、僕が一手に引き受けて
やっている作業の進捗状況が把握できなかったらしい。

僕はその都度、メールや電話で確認して作業を進めていたのだけれど、
メールや電話では、いわゆる意見交換が上手く出来ない。
そのうち、僕がやっている作業は誰も知らないところでやっている事になってしまった。
まぁ、受け止め方の問題で、仕方が無い事なんだけどね。

僕自身、幹事会の組織票には名前が無い。
何となく影武者的に色々やって来たのだけれど、実際に手伝っていて
自分の立ち位置が良く判らず、悩んだ事もあったんだけどね・・・・

それで、今日は幹事長、副幹事長を交えて組織の見直しと、
僕ともう一人の『ゆうじ』は、実務担当のいわゆる『パシリ』役の
ADとして組織の中に組み込むことになった。

11月末までにやるべき事が山積みなのだけれど、とにかくやるしかない。
組織表もつくり、役割分担などを明記して運営する事になった。
僕は、形式ばった事が面倒で苦手だけれど、だからこそ組織運営は
きっちりと役割分担を決めて行かないと駄目だとも思っている。
多かれ少なかれ、お金が絡む組織は特にきっちりして居ないと
不信感を買い、いずれは組織そのものが崩壊して行くと考えている。

そんな話をしながら、酒を飲んだのだけれどね。
途中、突然の停電で店の中が数分に渡って真っ暗になった。
雑居ビルで停電・・・火事等を考えると、ちょっと怖い感じ。
翌日の新聞に焼死なんて名前が載ったら嫌だよなぁ・・・・
風俗関係の店で恥ずかしい姿で発見されるのも嫌だなぁ・・・
なんて、阿呆な事を考えてしまった。

同窓会は、子供の頃の仲間に会うのが目的で、それ以外に目的は無い。
定期的に年賀状などを送って、住所が変わっていないかを確認したりの
人間系の作業が重要。
メールや案内状を貰っても、やっぱり電話したりする方が効果的。

だから、幹事は出来るだけ多い人数が良いし、電話等で声を掛け合うとか、
一昔前のアナログ的な人間付き合いが凄く大事な気がする。
昭和の人間なんですねぇ・・・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悔しい負け方をしちゃったリーグ戦

2015年09月27日 | Weblog

今日は前期リーグ戦の試合の第7戦。
後期は順位決定リーグになる為、前期8試合で上位6チームに入らないと、
後期の試合は2試合だけとなってしまう。

ここまで2勝4敗で7位。残り2試合に勝たないと6位チームの上に行けない。
何とか勝ちたい試合だったのだけれど、相手は20代の好調なチーム。

ところが思ったほどでは無かった。
前半早々に、ちょっとしたミスで1点を奪われて今日も大量失点かと思ったけど
前半の途中から相手の動きが鈍くなった。
我々の攻撃がだんだん多くなって来たけど、もう少しのところで点が奪えない。
前半は0-1のまま終了。

後半開始早々にまた失点。悪い癖・・・・
しかし、その後は我々の攻撃の方が勝り、相手は防戦一方。
後半10分についに1点を返し、そのまま攻勢に出る。
何度も攻め込むんだけれど、最後の詰めが甘い。

こう云う時にゴール前で相手のミスや、こぼれ球を狙う人間が必要になる。
決して華麗では無いけど、とにかく突っかけるタイプを
『ゴリゴリ君』と我々は呼ぶのだけれど、ウチにはその『ゴリゴリ君』が
4人も居るのに、今日に限って皆用事があって欠場。

相手の方が若いのに、我々に走り負けてヒィヒィ言ってる。
最後にはゴール前に6人も居て守りに入られちゃった。
結局、もう少しのところでゴールを奪えず1-2で試合終了。
悔しい負け方をしてしまいました。

結果として、今季は7位以下が確定しちゃった。
例年だと前期に負けた相手を後期に破って来たのだけれど、
そういう楽しみが無くなっちゃった。

そもそも、我々はシニア世代の出来るだけ強いチームと対戦して行きたくて
リーグ戦で若い人と対戦してスピードについて行けるように・・・・
と思ってやってるんだけどね。

まぁ、メンバーが揃わないのも実力のうち。
この後は、シニア世代の大会に参加する機会が増えるから、
そっちで結果を出す事に、頭を切り替えないといけない。

可哀想なのは40歳以下の連中。
ウチのチームには38歳が3人も居る。
あと2年、今の実力を保たないといけないですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もう9月も終わりだぁ・・・

2015年09月26日 | Weblog

午前中に歯医者に行って、帰りがけに自宅へ寄ったけど、
夕方から嫁さんと次女が出かけるのと、長女は楽団の練習で居ないから
三鷹の家に居ても仕方がないので、早めに秘密基地に帰って来た。

今回は薬が凄く効いて、咳も一日で治まったけれど、
やっぱりじっとしていると、薬の加減で寝てばかり・・・・

気がついたら9月も26日。あと5日で10月になる。
僕は入院やらで不本意な休暇を10日ほど使ってしまったので、
予定していた定年前の休暇の取得予定が大幅に遅れてしまった。

それでも、年次休暇がまだ11日残っているので、あと2週間行った後は、
10月13日から翌週の23日まで旅行で2週間休み。この間で9日消化する。
そのあとの1週間に残りの休暇2日間を使って、10月末までに
年次休暇を全て使い果たす予定。

11月からは我社の『保存有給休暇制度』で保存された45日を
連続取得して1月の17日まで休暇となる。
年明けは2日会社に行って、1月20日を以って定年退職となる。

2週間なんてあっという間だよなぁ・・・・・
今一番の悩み事は、雇用延長をしないお陰で、
昼休みのサッカーが出来なくなること。

突っ張らずに、そのまま雇用延長していれば、サッカーも出来るし
もしかして、何処かの部署で役に立てたかも知れない。
でも、毎日辛い思いで通っていた会社から開放される方が、
僕の今後の人生においては正しい選択だった気もする。

ただねぇ・・・・・
会社にはサッカーをやりに行っていたような会社生活だったから
いきなり昼休みの練習が出来なくなるのは辛いなぁ・・・・。
誰とやっても同じようだけれど、やっぱり気の合った仲間とやる
サッカーは、上手い下手を抜きにして凄く楽しい。
サッカーを続けると言う意味では難しい選択だったかな?

さて、明日は今期リーグ戦で上位グループに残れるかの瀬戸際の試合。
しかも相手は、20代の若手に総入れ替えして今季好調の古巣チーム。
ゲームメーカーの郁也や、重戦車軍団の一仁などの主力が欠けるのが
ちょっと痛手だけれど、いい試合をやれれば良いでしょう。

僕は病み上がりだし、僕が出て良い試合を壊してしまうのは
本意じゃないので、控えに廻って観戦に徹するつもり。
リーグ戦で若いチームとやるのは、去年シニア相手に試合をして、
そのスピードに慣れてしまい、スピードのある市町村の代表と対戦した時に
感覚が鈍ってしまって勝てなかったことに対する練習みたいなもの。

とはいえ、やっぱり試合をする以上負けて良い試合なんてないのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弱くなったなぁ・・・・・

2015年09月25日 | Weblog

最近は、病気ばかり・・・・
今日はまた、体調不良で休暇。
どうやら風邪をひいたらしくて、咳がひどい。
それ以外は熱もなく、体は至って何ともないのだけれど。

会社に行って、咳をしている人間が居ると嫌なので、
自分が咳が出ている時には極力行かないようにしている。
それに、休暇は10月末までに使い切ってしまうつもりだから
そんなに無理して会社に行くこともない。

しかし、弱くなったなあ・・・・
今年は2月に肩の靱帯を損傷してから、病院通いばかり。
精神科のカウンセリングも4月まで、約1年も続けていたし、
肩のリハビリは5月末まで4ヶ月間、毎週通った。
そして6月下旬から奥歯の痛みが出て、歯医者に行ってから
痛み止めやら、化膿止めの薬を飲んで暫く過ごしていたけど
7月には痛くて我慢できなくなって、抗生物質を投与していた。
親知らずを抜いた週、その翌週は奥歯がガタガタになって
痛み止めと化膿止めでまたしても抗生物質を飲み続け、
さらに翌週に奥歯を抜いて、またまた痛み止めと抗生物質。

3週間連続で強い抗生物質を呑んでいたせいで、
大腸菌などの常在菌が全く居なくなってしまった。
これが、8月下旬に魚のはらわたを食べた後に、
腹痛を起こして入院した原因と言うのが真相らしい。

そのせいか、最近はちょっと体が弱くなった気がする。
酒を飲むと、調子が悪くなるのもそのせいなのでしょう。

今朝は掛かりつけの医者に行って、その話をしたら風邪薬の他に
抗生物質を出すので、一緒に腸内細菌の活動が活発になる薬も処方された。

今日は薬を飲んで、ずっと寝ていた。
明日は歯医者の予約があるので、帰りがけに自宅に寄るつもりだけれど、
娘たちに風邪が伝染るから、早めに帰ってこようと思う。

週末の試合も、出ないほうが良さそうだなぁ・・・・
今シーズンの大一番なんだけど、若いチームだから出番もないだろうし。

来月の旅行に備えて、とにかく体の調子を整えないと・・・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風邪ひいたかも?・・・・

2015年09月24日 | Weblog

会社に行ったから・・・・・と言うわけじゃないが、何か調子が悪い。
先週末から鼻水が出て、風邪かな?
とは思っていたのだけれど、体がだるい訳じゃない。
今日もサッカーをやったけど、いつもと変わらない。

でも何となく、体がだるいし夕方からちょっと咳が出てきた。
休んでも仕方がないから、会社に出かけたんだけどね。

先週もそうだけれど、最近酒を飲んで帰った翌日が鬼門。
例の入院も、今回も前の日に酒を飲んだ翌日におかしくなる。
まだ、お酒を飲むには早いのかな?

飲む量にも問題あるかもしれないけど・・・・
とにかくこの連休は大人しくしていたんだけどなぁ。
風邪薬を呑んで、早め寝る事にします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

価値観の問題

2015年09月23日 | Weblog

今日は長女を知り合いの美容院へ連れて行った。

嫁さんと次女は、秋葉原で開催しているアニメの展覧会へ行き、
あまり興味のない長女が一人で居ると聞いていたので、
昨日のうちに、僕の知り合いが経営する美容院へ話をしてきた。

長女はお洒落とかに無頓着。
ボーイッシュな服装をしているのはいいとしても、髪型とか
もう少し女の子らしく気を遣って欲しいなってずっと思っていた。

服装を変えるにはまずは髪型から。
髪形が変われば、服装も変わる。服が変われば靴も変わる。
そんな娘に対する思いがあって、荻窪にある『JAMMY』http://jammyfm.exblog.jp/i7/
の店長の里美ちゃんに頼んだ。
彼女は、かつて僕の髪の毛を切ってくれた時期があって、センスがいい。
自分が一番信頼できる腕の持ち主の美容師(実際には理容師)なので、
娘の髪型も顔に合わせてきちんとやってくれると思っての事。

午前中に三鷹の自宅へ迎えに行って、昼ごはんを二人で食べて
その後は美容室へ行って僕が気になっている箇所を説明して預けてきた。
里美ちゃんには『いいお父さんだねぇ・・・』って言われたけど、
考えてみれば今時の娘で、お父さんと一緒に美容院へ来るなんて
長女と僕の関係は、普通の家の父娘とはちょっと違うのかも?

カット、パーマ、カラーリング・・・・何でもありでいいから、
今までのイメージと違う雰囲気にしてくれって頼んで帰って来た。

2時から予定では3時間半。
まぁ、フルコースなら4時間はかかるだろうから、その間僕は
秘密基地に戻って、ギターを弾いたりして待っていた。
嫁さんと次女は秋葉原でイベントを楽しんだ後に、荻窪で合流する約束。

6時過ぎに迎えにいったら、いい感じに髪型が出来上がっていた。
思った以上に可愛くなって、なかなかいいじゃないの・・・・・

一旦、秘密基地に戻って車に乗って荻窪で嫁さんたちと合流。
いつも通り、皆で外食。

嫁さんと次女が『へぇ、格好いいじゃん』と褒められて、
長女は照れていたが、まんざらでも無さそう。
嫁さんが『いくらかかったの?』と聞くので、
『いつものカットハウスで3時間分』と言ったらビックリしていた。

カットハウスと言うのは『10分1100円』というただ切るだけの店。
顔に合わせてカットしたりなんて事はしない。
自分で切るのと、見た目は対して変わらないと僕は思っていた。

『値段には、それぞれ意味があるんだよ』と言ったのだけれど、確かに安くはない。
でもそれは僕にとって『価値』がある値段だと思っている。
安物を買うのが嫌いな僕は、いつも嫁さんと意見が合わない。
しゃぶしゃぶ肉一つとっても、僕が国産の最高級豚肉を買ってくると
『勿体無い』と言う。
価値観の違い・・・・なのかもしれないけどね。
次は次女・・・・と言ったら、次女は嫁さんと同じ『勿体無い』という。

でも、娘が可愛く変身して、お洒落に気を遣うようになってくれたら、
この投資は安いものだと思っている。
次から、誰がお金を払うのか?は・・・・思案中(笑)
いいじゃないの・・・・・親ばかで!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若い奴らに聞かせたい、いい話

2015年09月22日 | Weblog

今日はやることが無いのと、夜に出かけるので昼間は秘密基地に潜伏して
ギターを弾いたり、テレビを見たりの1日。


昼間、面白い対談をやっていた。


Yuzuru Hanyu SEIMEI 野村萬斎×羽生結弦

狂言師・野村萬斎と男子フィギア金メダリスト・羽生結弦(ゆづる)の二人対談。
羽生選手の新しい振付のテーマは「陰陽師」。
映画「陰陽師」で安倍晴明を演じた、狂言師であり俳優の野村萬斎に
色々と訊きたい事があって、この対談が実現したようだ。


観ていて思ったのは野村萬斎の身体能力の高さ・・・・
まず、動きながらの姿勢が良い。これは体幹が強くないと出来ない事。
バレエやダンス、スポーツでも背筋がキチンと腰骨の上に乗って、
体の軸がぶれないようにするためには、体幹(体の中心)の強さがものを言う。


狂言を見ていると、跳ねた時の着地時に動きをピタッと止められる。
バレエでは音が出ないようにフワリと着地するのだけれど、
狂言は逆に、着地時に舞台の床を足で強く踏んで音を立てる。
力が入る動きをする時こそ、他の箇所に力が入っていない事が大事。
それゆえに、体を支えるのは体幹の強さ。
野村萬斎のそれは、金メダリストの羽生選手並みじゃないかと思った。


一番凄いなぁと思ったのは、話の内容。
野村萬斎が『型』を身につけることが重要だと言う。
『型』とは、我々の世界で言うと『基礎』。
『基礎』とは、音楽、スポーツを問わず、我々の仕事でも非常に重要な事。
そしてそれは、当たり前にいつでも同じ事が出来る様な事柄を指す。
その『基礎』『型』を積み上げる事によって、自身のレベルを高くして行く。


当たり前に出来るだけでは、お客は予想通りで何も感動しない。
『基礎』を一歩進めて、客の期待以上に見せる事で感動を生む。
そのためには、言われた通りにやっているだけでは駄目だと言う。


『型』を自分で解釈する。
「何故?」と言う疑問や、「どうして?」という疑問を自分なりに考え
意味を持たせることで、その『型』を自分のものにする事が出来る。
「誰々がやっていたから・・・・」なんて言うのは、見た目の真似をしただけだと言う。


これって、僕が仕事で若い連中に言い続けて来た事に通じます・
設計する時に、過去の回路をコピーして使う事は良く有る。
それを駄目だとは、一回も言ったことが無い。
ただ、「どうして、この回路を使ったのか?」と質問した時に、
その理由がキチンと論理的に説明できれば、設計したのと同じだと思うからです。


ところが「今までこれでやって来て、問題無かったから・・・・」なんて言うのが殆ど。
だから、いつまで経っても進化しない。


見た目の真似をして、それを積み上げても点数を稼げないフィギアのように
仕事だって、何処かでチャレンジしないと駄目だと思って来たんだけどね・・・・
まぁ、優勝を目指すんじゃ無く、参加する事に意義を求めて喜んでるレベルなのかな?


若い連中は、こう云う番組を見てどう感じるのだろう・・・・なんて思ったのでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『大佐』と『大統領』の話 (最終回)

2015年09月21日 | Weblog

『オバマ』ならぬ『オバカ大統領』ことKは、僕が一番信頼し、心を開くことが出来る仲間。

会社では『寡黙』なイメージが定着しているK。
確かに職場では殆ど口を利かない。
僕のように雑談して、周りとコミュニケーションを取るタイプとは真逆のタイプ。
当然、僕は年がら年中、お喋りしている『うるさい奴』として、Kは『真面目で静かな男』と、
僕とは対称的なキャラクターとして、周りの印象が定着する。

僕は自分が決して静かな男だと思わないし、そういうキャラクターを
意識して作ってきたから、良いのだけれど・・・・・

Kに関しては、その素顔を知っている人間は片手くらいしか居ないんじゃないだろうか?
少なくとも『秘密部隊』のメンバーは、明るく『饒舌』なKを知っている。
この『秘密部隊』を作って飲むようになった当初は、Kの会社でのキャラクターとの違いに
若い連中は、ちょっと驚いた様子だった。

この間の飲み会だって、Kはかなり『お馬鹿』な処をみんなの前で見せている。
会社広しとはいえ、その中で一番ユーモアと知性を兼ね備えているのがKだと思っている。
この間の飲み会での会話

K:『そういえば先生、腹の調子は大丈夫なの?』
僕:『うん、入院したときは手術かと思って目の前が真っ暗になったけど・・・・』
K:『俺なんか、胸をバックリ切って開けたからなぁ・・・・』
僕:『あれ?肺に穴が開いたんだっけ?・・・・タバコ、吸う?止めたんだっけ?』


Kはお土産の青唐辛子を食べるて、トイレへ立ち、暫くして帰って来た。

僕:『こんな辛いもの喰ったら、俺は死んでしまう』
K:『うん、この種と皮の汁がヤバイなぁ』
僕:『そんなもの、触って目でも擦ったら大変だぞ・・・・痛いだろう?』
K:『うーん、実はさぁ、俺もトイレに行ってそれに気がついたんだよ』
僕:『なんだよ、目でも擦ったか???』
K:『いや、下半身が今、燃え上がっているみたいなんだよ・・・』
僕:『馬鹿だな、手を洗わずに一物を支えたのか???』
K:『うーん、竿の辺りが熱く燃え上がっている感じだぁ・・・・』
僕:『汁の付いた手で、そこら中触るんじゃねぇぞ!』
K:『大佐がトイレに行ってる間に、タバコのフィルタ触ってやろうかと思った』
僕:『油断ならない奴、また俺を陥れる気だな・・・・』
K:『バッグのファスナーとかに塗っておいたら、絶対触るよね・・・・』
僕:『とんでもねぇ奴だな・・・・しっ!しっ!』


ここで、昨日の日記に書いたCEマーキングの測定中のアクシデントの話。
CEマーキングのテスト項目に外部の電波で、装置が誤動作を起こさないか?、
どんな挙動を見せるのか?を検査するテストがあったのだが、その基準すら判らないので、
とりあえず僕が装置の前で画像を見ながら、判断することにした。
ところが、通常は3V/mという強さの電波を当てる規定なのに、
僕が見ていたときになんと、その3倍以上の10V/m以上出ていたのです。
それを聞いていたほかの連中は唖然・・・・・ 『よく、生きてられましたね・・・・』

若い連中が、耳を傾ける。

僕:『こいつ、危うく俺を殺すところだったんだよ』
K:『さすがは超人、普通の人じゃ生きてないですね』
僕:『俺を電子レンジの中に入れたみたいな目に遭わせたんだぜ』
K:『なんか、体が熱いって言ってましたよね?・・・・』
僕:『出力のメーター見たら振り切ってたじゃねぇかよ・・・・』
K:『いやぁ、気がついたら制御用の光ファイバーが折れてたんだよ』
僕:『あれ以来、記憶力が低下した・・・・お前のせいだ』
K:『大丈夫、もっと強くても良かったかなぁ・・・・』


こんな会話が僕との間ではポンポンとテンポ良く出るのですよ。
若い連中は、二人の会話を漫才でも聞いているようにして、笑いながら聞いている。

そして、僕と共通の話題はなんと『音楽』
Kは、僕なんかよりずっと良く音楽を聴いている。
それもロックやジャズ。
僕:『そういえば、テレキャス買うって話はどうなった?』
K:『うーん、欲しいけどもう弾けないですよ』
僕:『弾かなくなったら、俺が1万円で買ってやる』
K:『何本、持ったら気が済むんですか?』

僕が若い連中にKの趣味を色々話す。

僕:『こいつ、中古車を買える様な値段の高級自転車を乗り回してるんだぞ』
K:『最近は、そんなに遠出しなくなった、歳かなぁ?
(ちょっと自慢げに嬉しそう)
僕:『あの宇宙人みたいなヘルメット被ってるのか?』
K:『いや、最近は恥ずかしくて被らなくなった』

一同沈黙・・・・・多分、その姿を想像・・・・・

Kの素顔は、会社で見せている借りの姿とは全く違う。
そういう使い分けが出来るKを、僕は羨ましく思うのです。
こんな面白い奴は、他にはいない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『大佐』と『大統領』の話 (その2)

2015年09月20日 | Weblog

『バカダフィ大佐』と『オバカ大統領』の続きです。興味ない方はスルーしてください(笑)

欧州に輸出するには『CEマーク』と言う規格をクリアしないと輸出できないという、
欧州圏外の製品を締め出す為の排他的なルールが出来た当時。

その規格を通すため、漏洩電波の測定や、外部ノイズによる誤動作の有無など、
試験と測定を繰り返し、それによって起きた不具合に対し対策を施す。
対策後、再び測定して問題の有無を確認し、一つずつ問題を潰して行く。
そう言った面倒な繰り返し作業を、ある人間が担当してやっていた。
 
だが、そのやり方が滅茶苦茶で、無造作に高電圧印加テストなどをやっているうちに
装置を壊してしまい、その復旧作業に躍起になって時間を喰ってしまい、
後ろが決まっている仕事が、一向に前へ進んでいなかった。
それが輸出する為の解体・梱包作業をする2週間前。
 
この規格を通さないと、計画されていた輸出用の装置が全部輸出停止になってしまうと言う。
売り上げや利益に関わる、会社にとって大きな問題になりそうな案件だった。
 
そんな中、『最強コンビ』と煽てられて部署から抜擢されたのが、僕とKの二人だった。
しかしそれは、どんな手を使っても期限までに終わらせないとならない・・・・背水の陣、
僕ら二人には、突然舞い降りてきた『敗戦処理』みたいな仕事だった。

ただ、僕がKの仕事を引き継いだと言うこともあって、以前のような
わだかまりは小さくなっていたものの、やはり何処かでKは僕の事を
あまり良く思わず、心から信頼してはいなかった。
それでも、2週間と言う短時間。
お互いにミッションをやり遂げてやると言う意思だけは同じだった。

漏洩電波の測定をやると、外部ノイズによる誤動作や故障対策など、問題が多発したが、
その解決策など、毎朝早くから二人でミーティングを開いてその日のスケジュールを決めた。
そして測定して結果を見ながら、対策や改造の手順を二人で考えた。
作業は二人で手分けして行い、そのたびに測定・・・・。
測定項目が幾つもあるので、一つずつ基準をクリアするための改造を施しては、
延々と試しながら測定を繰り返して、問題を潰して行く。

測定はKが担当し、その結果を僕がまとめて文書にして行く。
測定中はやることがない僕は、Kから見ると『遊んでばかりいる』ように見えた。
僕から見ればKはデーターを取るだけで、『楽なもんだよなぁ・・・・』なんて思っていた。
ただ、お互いにそれを口にして冗談にする。
決して、影で悪口を言うような関係じゃなかった。

今のように電波暗室がある訳ではない。
測定したスペクトルのピーク周波数を調べて、外部の電波との切り分けをする作業をする。
立川基地の自衛隊、横田の米軍基地、警察無線など色々な電波を調べて、
時間帯によってその高さが変わるものを知らべて仕分ける作業が大変だった。
それでも、そんな状況でお互いの仕事をやりながら何とか2週間で、難題をクリアした。
その後、僕らが書いた手順書がマニュアルになり、僕らの提言がきっかけになり
測定専用の電波暗室が出来たことを書き加えておきましょう。

会社からは特別なご褒美として、会食を開いてもらったり、時計を贈呈されたり・・・で誤魔化された(笑)
この時から、Kとのコンビはお互いに『ライバル』としてリスペクトしあう仲になった。

その後、Kの部下で生意気な口を利く奴が居て、仕事のやり方が悪いと僕が懲らしめたら、
それが気に入らなかったKは、暫く口を利かない、いわゆる『絶交』状態になった。
Kと僕の仕事上のやり取りや質問などは、当時導入されたばかりのメールだけ。
今考えてみれば、子供の喧嘩みたいな事をやっていたのです。

色々あったけれど、いつの間にか和解。
その後はKが顕微鏡の心臓部であるレンズ系の部分を担当し、
僕がもう一つ心臓部である高電圧電源の部分を担当しながら、
Kと僕は、お互いにライバルとして性能向上のため切磋琢磨してきた。
Kが作った電源の性能を上がると、僕の高圧電源の粗が見える。
『ほら、そっちのせいだよ・・・・』と、得意満面の顔をするK・・・・悔しかったです。
逆に今度は僕が電源の性能を上げる。するとKの担当部分の粗が出る。
『あれぇ・・・・変だなぁ、何処が悪いのかなぁ』・・・・心の中でざまぁみろ!。

そんなことをやっているうちに、装置の性能がどんどん上がって行ったのも面白いところ。

お互いに不幸だったのは、『生き字引』と自ら称する、最悪の上司に遭遇してしまった事。
Kは、その『生き字引』と意見が合わず、それで生まれた確執で仕事を干され、
僕は、『生き字引』が自分の影響力を誇示したいために据えた、素人同然の後釜に仕事を奪われた。
『生き字引』は、僕が『先輩に引導を渡すのが礼儀』と言った時に、『頼むぞ』などと言っていたのに、
いざ引導を渡してみれば、自分の影が薄くなった事が気に入らなかったらしい。
まぁ、そういう人も居るんだって事を知らなかった、僕が未熟だったのかも知れませんね。
 
仕事を干された『寡黙』なKはじっと耐えて、陰で若手の育成をしながら今でも頑張っている。
反して『能弁』な僕は、自ら部署を出る決意をし、今の部署に異動した。
後継者として育てて来た弟子二人に、それまでの仕事を託して、外から見守ることにした。
お互いにやり方は違うが、とりあえず弟子は独り立ち出来るところまで育った。
そのKの弟子が『歩兵改め兵長』であり、僕の弟子が『小隊長』なのです。

『寡黙』なKと、『能弁』な僕。
対称的な性格の二人だから、凸凹の関係で来れた気もします。
ただKが本当に『寡黙』な人間とは思わない。
僕はむしろ、『部署で一番面白い奴』だと思っている。
そう思われてイメージが定着しているKを、僕は羨ましく思って見て居る。
羨ましい存在だから、そういう人間と一緒に居るのが好きなのですよ。

ついでだから明日は、僕が一番信頼し、一番好きな仲間『オバカ大統領』こと、
Kの素顔について書いてみましょうかねぇ・・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『大佐』と『大統領』の話 (その1)

2015年09月19日 | Weblog

五月のゴールデンウィークに対して、九月のシルバーウィーク。
今年は暦の関係で土曜日が休みの人は5連休。
そうでない人も4連休となるのが多いみたい。
僕はこのあとの木、金の2日間に休暇を取って9連休を考えていたが
逆に2日なら、会社で時間を潰していたほうが楽なので止めた。

さて今日は、昨日の飲み会で一緒だった『大佐』と『大統領』の話。
長くなるので数回に分けて書こうかと思います。

僕は『バカダフィ大佐』、Kは『オバカ大統領』とお互いに自らをそう名乗り、
メールでも『大佐』『大統領』と呼び合う二人の付き合いは、
早いものでもう25年近くになる。
具体的にいつだったかは、よく覚えていない。

その当時、まだ僕は表面分析の部署に居て、LEEMと呼ばれる『低エネルギー電子顕微鏡』を開発していた。
僕の担当したのは、『ウィーンフィルター』 というエネルギーフィルタの電源。
一人ではとても設計できるボリュームではなく、装置の半分は顕微鏡の設計部署が担当した。
その時に担当したのが『大統領』ことK。
Kはそれまで製造部門を経て、アメリカ法人に海外駐在員として勤務していた。
それで帰国した時に、設計部門に引き抜かれてその配属先が顕微鏡部門だった。

元々、この装置は『低エネルギー電子顕微鏡』なのだが、表面顕微鏡という機能を持ち合わせ
僕が担当するエネルギーフィルターを搭載するがために表面分析の部署で請け負った代物。
そう言うこともあって、まだ帰国したばかりで設計の経験が浅いKが設計の担当となった。
Kの担当部分は、元々ある顕微鏡の部分を付け足したようなもの。
そういう意味では、担当部分は問題なく動いたのでした。

ところが性能を出そうとすると、色々と手を加えなければならなくて、
僕はKに色々と注文をつけた。
後でわかったのは、Kが帰国間もない駐在上がりだったこと。
そんなことを知らない上に、会社のメイン部門から来た人間だったので、
僕はライバル心から、結構強い態度で当たった。
それでKは僕のことを『怖くて意地の悪い人間』と言う印象が根付いたそうだ。

それから2年後、僕はその顕微鏡部門へ異動となり、Kと同じ部署となった。
ここから僕とKの二人の関わりが深くなった。
まずは、会社で僕の功績と言われている超高圧電子顕微鏡の超高圧電源。
それまで3KHzという可聴周波数で、その音が強烈だったので、可聴周波数を外した
20KHzで動作する新型の電源で、ユーザーからも期待されていた代物だった。
簡単じゃないために20年以上、誰も手をつけずに放ったらかしになっていた。
この基礎実験をやっていたのがKだった。

ところが、その数年前から上司と折り合いが悪く、Kが違う課に移てしまい
この実験も中断したままで、僕がその基礎実験を引き継いだ。
つまりは超高圧電源の基本的な部分は、Kが作ったもの。
実際にプロト機を作り、商品化したのは僕だけれど、この間にやった実験や試作は
本当はK自身がやりたかった事に違いなかった。
その装置が、とりあえず北大に納入されたのも、半分はKのお陰だった。

その実験を進めている間に、一つ厄介な問題が部署で発生した。

その当時、欧州に輸出するには『CEマーク』と言う規格をクリアしないと
輸出できないというルールが出来た。
その規格を通すために、ある人間が担当していたのだが、これが滅茶苦茶。
無造作にテストをやっているうちに装置を壊してしまい、それが輸出する2週間前。
この規格を通さないと輸出が全部停止してしまうので大きな問題になった案件だった。

その『敗戦処理』みたいな仕事に抜擢されたのが、僕とKの二人だった。
この続きはまた明日にしましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『秘密部隊』 飲み会

2015年09月18日 | Weblog

水曜日に続いて、今日も飲み会。
今日は『秘密部隊』と称する、前の部署の仲間たち。

メンバーの一人は長年のライバルであり、一番信頼しているKWZ。
この秘密部隊では『大統領』と呼ばれ、自ら『プレジデント・オバカ』と言っている。
もう一人は超高圧の後継者として今や全てを仕切っている、僕の二番弟子『小隊長』MYG。
そして『大統領』の弟子、KTS。こいつはまだ『兵長』、ついこの間まで『歩兵』だった。
僕は『大佐』。バカダフィ大佐で実質、この秘密部隊を仕切っている。
何のことはない、単なる年功序列なんだけどね・・・・・。
もう一人は、韓国に納入中で、帰国後は空港から直接参加するOSK『中隊長』。

まずは『中隊長』を待ちながら、4人でいつもの焼き鳥屋で飲み始めた。
焼き鳥とおでんを頼み、僕の快気祝いと言う名目で乾杯!
ちょうど中隊長が空を飛んでいる時間。

まずはいつものジャブの応酬。
今日のメンバーは僕以外、全員が血液型O型で僕だけがA型なのだ。
そして『大統領』は香川県出身、『小隊長』は茨城県、『兵長』は富山県。
面白いのはどの都道府県でも、東西南北などで地域の意識が違うこと。
後から来る『中隊長』は高知県なのだけれど、四国はどっちが表なのか?
という質問をすると、太平洋側に向いているのが『表四国』という高知人と
本土に近い方が『表』だと言う説でいつも意見が割れる。

僕の入院の話もそこそこに、定年後の年金の話とか、結構みんな勉強してる。
そういうことを全く考えていない僕にとって、感心することばかり。
『大統領』は、僕より3歳年下だから、既に定年後のことを考えている様子。
意外なことに他の二人も僕以上に考えているみたい・・・・
僕は全くどころか、退職金もどういう形で貰うのかすら知らないのです(笑)

そうしている間に時間が過ぎ、8時を回ったところで中隊長が合流。
韓国海苔となんやら怪しいお茶を、お土産で皆に配る。
メールで話題になっていた青唐辛子を買ってきて、みんなの前に置く。
辛いものが苦手で、お腹の弱い僕は口にしなかったが、最初に『大統領』が
手にして、手で少しずつ剝きながら食べている。
最初は『うん、フルーティーだね・・・』なんて言っていたが、暫くすると無言・・・・
続いて『小隊長』がチャレンジ。
こっちも最初は余裕だったが、途中から口の中やのどが痛いと言い出した。

青唐辛子の皮を剝きながら食べていたので、その汁が指に付いて
その手でどこかを触ろうものなら、ヒリヒリと焼けるような痛みに変わる。
『大統領』はトイレに行き、うかつにも「一物」に触れてしまった。
席に帰ってきてから、『大統領』が呟く
「下半身の竿の辺りに火が付いたように熱い・・・・」
皆は大笑い。
続いて『小隊長』もトイレに立つが、その前に手をしっかり洗っていた。
ところがその前に、鼻を触ったらしく鼻が真っ赤に腫れあがって
痛くて仕方がないと言う。
そんなことを目の当たりにしながら『大統領』は結局、丸々1本食べてしまった・・・・
こいつら、馬鹿だな・・・・
僕は思ったけれど、『大統領』は僕のバッグのファスナーや、
タバコのフィルターを触って、陥れようとする・・・・・

なんか、こんな阿呆な飲み会。よく飲んでよく食べた。
最終的には僕の『快気祝い』と『慰労会』になって、
皆がご馳走してくれることになった。
本当に嬉しかった。
一昨日に続いて、気分の良い慰労会をやってもらった。
こんな良い『秘密部隊』と一緒に仕事を出来たことを、幸せに思う。

『大佐』と『大統領』の長い付き合いについては、
また明日書きましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「激励会」

2015年09月17日 | Weblog

昨日の「激励会」は、とても楽しかった。
懐かしい仲間と会ったと言うことも有るけれど、出席者が一人ずつ
愛情溢れる激励の言葉を送ってくれて、それを聞いた皆も楽しそうにしていた。


新入社員で入ってきたばかりのI井は、僕がタンクトップ一枚で
しかも靴下を脱いで、裸足で実験室に篭って仕事をしているのを見て
衝撃を受けたこと。
そして僕が自信満々で実験していたら、どうも動きがおかしくて
彼のテスターを使って電圧を測ってみたら、数値がおかしい。
まだ、若かった僕は、測定ミスに気が付かないまま、測定器を疑って
気が付いたら、そのテスターの液晶画面が真っ黒になっていた。

新入社員が初めて買ってもらった測定器を、一瞬にして壊された衝撃。
その張本人は裸足でタンクトップの変な奴。
彼はその一件があって以来、僕のことを『破天荒な男』として
今でもその印象のまま続いていると言う話を披露した。

組合でも議長、副議長を一緒にやったW杉。
彼の印象は会社員で有りながら『自由人』だそうだ。
納得行かない事にはとことん抵抗し、自分の判断で行動する。
そして、周りに流されず、ひたすら自分の道を突き進む。
僕にとっては普通のことでも、周りから見ると普通じゃない。
そんなスタンスを貫く僕はサラリーマンで有りながら『自由人』なのだそうだ。

そして盟友であり、今は会社の常務になったT澤さん。
年下だけれど、唯一僕が「さん付け」する男です。
彼は僕が仕事を干されて悩んでいるのを気にかけて、色々と尽力してくれた。
組織を飛び出す時にも、彼の部署で仕事を手伝ってくれ・・・・と言われたのに、
僕は『1回飛び出した部署におめおめと戻れない』と意地を張った。
今考えてみれば、それが人生の一つの分かれ道だった気もする。
その後、『何も失うものがないんだから暴れなさい』と言ってくれたけれど
なかなかそういう気持ちになれなくて、結果的に精神的な部分がおかしくなっちゃった。

そして
『最後の最後に「ヒール」になりきれず、良い人になろうとしたのが間違い』とまで言われた。
確かにそう・・・・・
後継者を育てようだとか格好つけて、結果的に何もしないで来てしまうなら
後輩から顰蹙を買おうが、自分の思うことを強引にやっても良かった。
T澤さんの言うことは、ずっと僕を見続けて来てくれたから核心を突いている。

とは言え、それも人生。自分の判断に悔いはない。

この会を仕切ってくれたI上氏。
かつては、いや今でも『嫌なやつ』であり『ライバル』なのかも知れない男。
この男も、本当に色々と仕事でやりあった。
今でも僕を上から目線で見ているくらいだからね・・・・。

そいつが僕にプレゼントを用意してくれた。

それは福井の塗り箸。名前入りです。
何でも『すべらない箸』だそうで、これまで色々な意味で『散々滑ってきた男』の僕に
『これ以上滑らないように・・・・』という駄洒落らしい。
奴らしい、嫌味と愛情が篭ったプレゼントにちょっと胸がジーンとなった。

『おらおら・・・泣かないのか?』なんて言いやがって・・・・
この程度で泣くような俺じゃないぜ!

『破天荒』、『自由人』、『ヒールになりきれなかった男』、『散々滑ってきた男』と、
要するに普通じゃない僕は、こういった周囲の人達の愛情で、良い会社人生を送れた気がする。
昨日は最初の部署の仲間だったけれど、部署を飛び出て20年経った今でも、変わらない愛情を感じた。
その後に行った部署も、同じように回りに支えられて生きてきた。
そういう意味では、周りの皆さんに本当に感謝している。

残念ながら、最後の部署ではそう行かなかったけれどね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一つの装置に関わって、繋がっている仲間達。

2015年09月16日 | Weblog

定年退職で会社に行くのも残り20日を切りました。

今日は中間採用で入社してから、初めて担当した表面分析装置(ESCA)の
関係者が集まって、慰労会ならぬ『激励会』を開いてくれました。
正直言って、何の激励だかわからないのだけれど・・・・・(笑)

元々、会場は刺身の美味しいお店だったんだけれど、僕の入院騒ぎで
何を食べさせたらいいのか?判らないので、会社の近くにあるホテルの
イタリアンバイキングに変更したそうです。
このレストラン、元ホテルオークラの料理人がやっているので、
美味しい事で評判が高いのです。

仕切ってくれたのは、僕と同じように部署を飛び出したI氏。
いつまで経っても、僕を上から目線で観ている奴・・・・(笑)
まぁ、そう云う自信が無いと、技術屋として激論を交わせないから
そう云う意味では『良きライバル』立ったのかも知れません。

そして盟友であり、僕の一番の理解者であり、キツイ言葉を浴びせる
今や会社の常務執行役員までになったT氏。
この人が会社を変えてくれるのかなって、期待をしているけれど、
まだまだ『五流』の会社を何処まで引き上げてくれるのやら・・・・

その他は懐かしい顔。
一回も同じ部署で仕事をした事は無いけれど、僕に似たところがある
今日のメンバーでは『若手』になるA。
僕は彼を『天才』と呼んでいる。何でもチャレンジして判らない事は
とことん調べる。そんな姿を見て、僕はいつもアドバイスし続けてきた。
何処まで役に立ったかは判らないけれども・・・・

組合の議長をやって居た時に副議長をやり、その後強引に議長をやらせて
後を引き継いで貰ったW。
トンネル顕微鏡を一緒に作った大先輩U氏。
超高圧にチャレンジする僕を、いつもサポートしてくれた師匠H氏。

顧客トラブルが発生すると、いつも一緒に出かけていたO。
作り上げた装置で、素晴らしいデーターを取り続けてくれたIJ。
新入社員の頃に、僕の破天荒さに翻弄されたIS。
顧客対応で一生懸命やってくれたT。
『天敵』とまで周りに言われたけれど、その御蔭で設計者としての
心構えを教えてくれた、恩師と言って良い元製造部のHさん。
U氏とともに、短期間でトンネル顕微鏡を一緒に作ったK。
サッカーでコンビを組んで、得点を競いあったO。
製造部署で僕の設計をフォローしてくれたKM。

そのKMと、『天才』Aが嬉しい事を話してくれた。
今でも作っている分析機の真空シーケンスは、形が変わって進化して居るけれど
僕が作った資料が一つの教科書になっていて、今でも設計に活かされているとの事。
製造部門の人にも判る様に、一生懸命作った資料が無駄ではなかった・・・・
そう言われて、何だか凄く嬉しかった。

一つの装置に関わって、30年近く経っても何処かで繋がっている仲間達。
こう云う人達が居て、自分があるんだなって・・・・

皆さんに心から『ありがとうございました』とお礼を言いました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする