最近、自分を育てた親の教育や、育てられ方に感謝する事が凄く多くなりました。
何故かと言うと、世の中には色々な人が居るから・・・・。
そして、僕の独断と偏見で言わせてもらえば『恥ずかしい人』が、思いの外多い事からかな?
『恥ずかしい人』とは他人を妬み、他人の幸せを僻む人。
自分より凄い人を素直にリスペクト出来ずに、『妬む人』は特に哀れな感じ。
僕の場合、凄い人が居るとすぐに近付いちゃう。そして真似をしたくなる。
身近に尊敬できる人が沢山居るから尚更『他人を妬む人』は理解できないのです。
これは、会社のような組織において、露骨に表れるから面白い。
他人の成果を妬むもの。それを横取りする人間。
こう云う行為は組織が『村社会』ゆえに起こる事だと思っている。
僕の居る組織は子会社だから、より一層『村社会』色が強い。
本社から来て、最初に驚いた事はレベルの低さ。
技術的な事以前に、仕事をさせる環境のレベルがあまりにも低かった。
デスクのある職場は広くて綺麗なんですよ。そう云うハード部分ではNo.1なんだけど
いかんせん、仕事をする環境が整っていなかった。
そう云うプアなマインドでやってきた連中は、やっぱり心の面でもプア。
本社と比較して、見た目の良さは勝っていても、中身が伴わない。
『村社会』では自画自賛して、自分たちの事を肯定する。
だから本社へ出向すると、レベルの高さについて行けなくて悩み、
早く子会社に戻りたいと思うようになる。
一生懸命『村社会(子会社)』は『都会(本社)』に追いつけ、追い越せと
『何とか銀座』を作るんだけど、所詮は村の中での発想だから、
銀座のクラブと、田舎のキャバレーの違いすらも判らない。
自分を磨こうとせず、他人の真似をしているだけでは『村』から脱出できないのに…。
そう云う『村社会』が生み出すのが『他人を妬む人』なんでしょう。
もうひとつの『恥ずかしい人』は『他人の幸せを僻む人』。
今回のスイス旅行の話をすると、『良いですねえ・・・・』と云う人が殆どだけれど、
中には『なんで、そんなお金持ってるの?』って言う人が居る。
こう云った人の財布の中を覗き込むような振る舞いは、『恥ずかしい』を通り越して
『あさましい』とか、『卑しい』などの部類に入る。
辞書でこの二つを調べると、共通して居るのが品性に関して書かれている事。
『あさましい』では、品性が卑しい、さもしい、下劣とある。
『卑しい』では品位に欠けている、下品とある。
金銭や食物に対して貪欲な様も言うらしい。
いずれにせよ『恥ずかしい人』は育った環境で育成されるようです。
僕のプライベートな付き合いでは『恥ずかしい人』は皆無に近い。
親には、他人の事を妬んだり、自分の事を僻んだりするんじゃない!
と言われて育ってきたからなのでしょうかね?
親の教育や、育てられ方に改めて感謝する事が凄く多くなりました。